パードレ・メシヤは実際に会うまでカヅサ殿のことを、徹底した恐怖政治で人民を支配する、暴君の中の暴君であると想像していたらしい。
それこそ会見中一つでも気にくわないことがあると、剣を振り回してパードレだろうと巡察師だろうと斬りつけるような、そんな事態まで考えていたのだと。
ありえないですよ。
そんな狂人に、王国の統治など……いや、エウロパではそんな君主が無数にいた。血塗られた歴史は、枚挙にいとまがない。だから、無理からぬ想定ではあっただろう。
しかし御安心めされ。カヅサ殿は、日本でも稀だし地上すべてにおいても稀な、進歩的な考えを持つ名君主である。
カヅサ殿が赦さないのは、賢くもないのにただ狡いだけの、小悪党である。
狡くても構わないが、堂々とやれ。こちらも堂々と力で結着をつけてやる。そんなことを、いつも言っていた。
そして力を奮うときは、果敢に、容赦しない。
それができる力を、常に研ぎ澄ましておく。これがカヅサ流儀だ。
この掟に逆らわぬ限りは町民たちの好きなようにさせておくし、支配下の領主たちのやり方にも口出しはしない。
きわめて単純で、透明性の高い理念である。
彼はコンパニヤのために土壌づくりをやってくれているわけですよ。ここから豊かな作物がすくすくと実っていく。どうですか。完璧でしょう。
すっかり立場を失ったニエッキには目もくれないで、私たちは連日インディア布教百年計画の練り直しに知恵を絞り出しあった。
10年後に日本人パードレ第一期生を誕生させるとして、どれだけのセミナリヨ・ノビシヤド・コレジオが必要か。ポルトガルからの支援には、いかほど要求を出すべきか。
巡察師が今冬、日本を去ってからは当面、新布教長パードレ・コエリュが同等の権限を与えられてこれらの舵取りを遂行する責任を負う。
大役すぎるが、しっかりやってもらいたいものだ。我々全員がそれを支える。
こんな協議が夜な夜な続いた。
ところでパレードのあった日を狙って、またまたカンガ国でイコ宗残党どもの蜂起があったらしい。
他にも小規模の反乱が各地で起こっている。愚か者はまだまだいるものだな。
カヅサ殿は各方面軍に即鎮圧を指示し、たとえばパレードに参加していたシバタ勢は翌日のうちにエチゼンへ帰っていった。
2週間ほどしてカヅサ殿はミヤコを退去し、アヅチへと戻られた。我々も、2~3日後に追いかける形でアヅチへ赴く。
今では街道がすっかり整備されており、朝出れば夕方には着ける。サカモトまではコレトウ殿の兵団が同行してくれ、そこからは舟だ。
なんともありがたい時代になってくれたことである。
サンシチ殿とも、お別れだ。
彼はカヅサ殿の三男で、イセイの城を任されている。私はカヅサ殿の子供たちの成長もずっと見てきたが、中でもこのサンシチ殿にはよく懐かれた。
洗礼を希望している。ジュスト殿の例を出すまでもなく、領主が信徒となること自体に今更さしたる障害はないが、イセイといえばイコ衆を根絶やしにした土地であり、そのとき味方につけ事後に入植させた新しい領民の多くはゼン宗やフォッケ宗だったりするのだ。
また、ダイリやクゲと縁の深いカミ宗の本拠地が近いということもあって、領主がデウス信徒となることは、かれらを刺激せずにはおかない。
まあ急がなくともよいでしょう。
サンシチ殿は将来もっと大きな城をまかされるでしょうし、その時に呼んでいただければ、私がすぐ駆けつけますよ。
そんな話をして、お見送りした。
ニエッキとステファノーニがアヅチ担当になることは決まっていたが、後任のミヤコ担当に、パードレ・カリオンが抜擢される。おめでとう。
残念だが私は、アヅチ訪問後にシモへ戻ることになった。日本布教長コエリュを補佐する人材が必要で、私が一番だろうということだ。
そうですか。じゃあ、早くコエリュには独り立ちしてもらって、コエリュに私をアヅチ担当へ指名してもらうような計略をめぐらせましょうかね。
コエリュは根が真面目な性格なので、カブラルの方針どおり、日本人との接触をつとめて避けてきた一人だ。日本語もほとんど理解できない。まずはそこから教育しなければ、かな。
そんなミヤコでの諸問題を片付けて、私たちはアヅチへ向かう。
巡察団の全員が、ここでもまたまた驚いた。私ですら目をみはった。
アヅチは巨大な街に化けていた。
以前来たときは、ノヅと同程度の村だったはずだ。平地の先はまだまだ広いから、数年もあればミヤコを超える規模の都市に成長するのではないか。
その一等地に、我らの新しい教会が堂々と建っていた。何百人もの信徒たちに大歓声で迎えられた。
何より圧巻だったのは、小山の頂に完成した、城だ。
便宜上、城と呼ぶが、日本の一般の城とは形状が異なる。ミノ城とも似ていない。もちろんエウロパにも類似の建築物は存在しない。
城とは通常、軍事拠点であるから、周囲に隠れるようにつくるものだ。あるいはウスキのように、断崖絶壁の上につくる例もある。
しかしアヅチのそれは堂々と全身をさらしており、参道までもが大きく口を開けている。
これがなんとも見惚れるほどに美しいのだ。見てくれと言わんばかりの城だ。
そういうことか。
これがカヅサ殿の示したかった都市づくりなのですねと、私はようやく合点した。
アヅチでは、ミヤコ以上に、カヅサ殿の政務は立てこんでいるらしい。
我々は会見の申請を出してから、信徒たちとの語らい、ミサとコンヒサン、そして町の見物をしながら数日待つことになる。
洗礼希望者も次々と押し寄せる。敬虔で、すでにその資格を有す者たちばかり。
もちろんカフルも大人気だ。アヅチは街路も広いので、カフルたちはいつもより大立ち回りで踊りまくった。
「タカツキはラウマを思い出させたが、アヅチは、まるでバビロニアが蘇ったような錯覚を起こさせる街だな」
巡察師も、こんな最大級の賛辞を述べられた。
私たちの布教計画は、まだまだ加速しそうだ。