アヅチの街は、南北に長く、町家の並ぶ区画が1レグワほども続く。
北は湖に面し、水路もよく整備されている。商人たちの舟が絶え間なく出入りして、物資の搬入を行っている。
われらの教会はこの中でも一等地にあり、すぐ近くにジュスト殿の別荘はじめ、高貴な方々の邸が連なる。
南へ下るにつれ、坊主たちのテラも現れはじめるが、ここまではっきりした序列が可視化されているのも痛快だ。
なにもかもが、ミヤコとはあべこべである。きもちがよい。
湖面を伝う春風が、私たちの身も心も浄化してくれる。
朝陽が昇ると、東の山の頂に聳えるカヅサ殿の城が、煌びやかに輝きはじめる。これより美しい風景は、地上ではなかなかお目にかかれまい。山の樹木は緑ゆたかに色づき、やわらかく、やさしい。
町の周囲には3つの小山が連なっているが、猛獣もおらず、歩いて回るにも丁度良い手頃さだ。なにからなにまで、美しい。早く城へ登りたい。
あまりに多くの町民が押しかけるので、時間を区切って、ミサと説教を行う。完全入替制だ。
求道者は行列をつくって順番を待つ。割りこもうとしたり、ずるいことを考える者はたまにいるが、皆が冷静にその行為を咎め、教え諭して解決する。
なにがなんでも自分だけが助かろうとする坊主の教えとは真逆の精神が、アヅチには満ちあふれている。
誰しもが、この首都の一員であることを、誇りに感じていることだろう。
道端にはごみ一つ落ちてないことも特筆すべきだろうか。
日本人はキモノの袖に懐紙を入れており、汚れた手を拭いたり、洟をかんだりすると通常それをその場に捨てる。
アヅチでは、街区ごとにごみ入れが設置されており、住民はごみをそこへ捨てる。役人が朝と夕、これを集めて回るので、町は常に清潔を保たれる。
他の町では乳幼児や行き倒れの死体が道端に転がっていたりもよくある光景だが、アヅチではこれも見られない。
仕事はいくらでもあるのだ。行き倒れてる暇があったら、働いてたらふく食え。
子供も、貴重な財産だ。
産む力がなくても子を欲しい家庭は多い。教会はどこでもミゼルコルヂヤを兼ねているが、アヅチでは町そのものがミゼルコルヂヤだ。
ここには常にヴィルトゥスが満ちあふれている。
もっともっと、湧き出でよ。そして日本中を照らしたまえ。浸潤させたまえ。
会談の日が訪れた。
巡察師を先頭に、我々は参道を登る。茶室で湯を沸かす程度の時間で、すぐ城門へ着く。
ここまでは町民も自由に登ってきてよい。子供たちが、はしゃぎながら私たちを見守ってくれている。こんなことが許される城というのも、かつて見たことがない。
城の構造は、またもパードレ・メシヤを唸らせた。
土台となる石垣は3ブラサほどの高さだが、不揃いの岩石が凸凹のついたまま、器用に組み合わされている。接着剤などは、使っていないとのことだ。これも地震対策か。なぜ、できる?どうやって積み上げた?
主郭は、中央に塔を持つ。7階層で、各階が色分けされている。
突出部のあちこちに黄金の装飾が施されており、これが輝いて、まばゆい。
武官の説明によると、この構造の発案者はソウダイであり、ナラにあるソウダイの城を解体して移築する予定だったという。この命令にソウダイは叛き、最後には城に火をつけて自殺した。ああ、そんなこともありましたねえ。
ソウダイのみじめったらしい最期を思い返す。
結局、完全に新しくつくったのだそうだ。
中に入る。
一つひとつは決して広くないが整えられた大小の部屋が巧みに組み合わされており、無駄な空間がまったくない。
すべての窓から、庭に、池に、樹木に、そして市街に、湖にと、見飽きることのない様々な風景を楽しめることが完全に計画された設計であることがわかる。
ギフ城でも、いくつもの茶室が備えられていたが。アヅチでは、すべてが茶室だ。
なんと贅沢な建築であるか。圧倒されたまま、我々は広間で歓待の宴に興じる。
私の大好物が現れた。
甘みの詰まった日本イチジクだ。カヅサ殿の郷里のひとつ、ミノ国の名産品である。
ほっぺたが落ちるほど、美味しかった。巡察師も、こんな美味なる果物はエウロパでも味わったことがないと絶賛する。
普段から表情を隠しがちなコエリュまでが、もじもじとお代わりを所望したのが可笑しかった。
城の中で、大きな衝立を観覧する。
日本人は扉に鍵をつけない。それはアヅチも変わらず、すべての部屋は紙か木の扉で仕切られているだけなのだが、部屋の中を更に仕切るときには折り畳みできる移動式の衝立を使用する。
何の意味があるのかと言われれば、そこに描かれている絵を愉しむため、くらいしか説明ができないが。
この絵がまた凄かった。
横いっぱいに広げると6コヴァドくらいの長さになる。ここにアヅチの城と、市街地の風景が描かれていた。驚くべきはその細やかさで、城は各構造物の隅々まで忠実に再現され、町に至っては狭い街路のひとつひとつ、行き交う住民たちの表情豊かな生活ぶりまでが描写されている。地図としての完成度も求めながら、現実にはありえない角度をつけた図案となっている。
これも、メシヤを唸らせた。こんな技法は、エウロパのどこにもないと。
測量をしない日本人が、どうしてこんな地図を作ることができるのかと。
我々は一時間もこの絵画の前で語らい続けた。
「この屏風を進呈すれば、エウロパの民に見てもらえるか?」
我々一同、息を呑む。進呈する?これほど手間のかかった美術品を、我々に、くださる?
「諸君からは、地球儀をもらった。その礼だ。予から贈れるものはこの程度に過ぎぬが、そんなに諸君らに喜んでもらえるものなら、釣り合わぬでもあるまい。
それに、安土を説明するのには、これが最もわかりやすいと思う。望みを言うならば、完全な形のまま、エウロパまで送り届けてほしい。友好のしるしとしてな。どうだろうか」
巡察師は、恭しくこの申し出を承けた。
「まちがいなく、この絵画は、エウロパじゅうを熱狂させ、カヅサ殿と日本の威光を知らしめる決定打となるでしょう。紙製なので、傷まぬよう、厳重に包んで船に載せ、エウロパまで運びます」
巡察師は、これまでカヅサ殿に触れることを避けていたが、このとき初めて右手を差し出し、固い握手を交わしたのち、抱擁をされた。
誤解は完全にとけた。
私の、そして私とカヅサ殿との絆にとっての、輝かしい勝利の瞬間だった。