2週間の予定だったが、大幅に遅れてアヅチへ戻る。
シバタ殿はエチゼンに教会用地を与えようと言ってくれたのだが、目的はあからさまに交易。定航船を回してほしいという。エチゼンは大きな商港をいくつか持っており、カミ島の北の端、アイタの更に先の地域とも交易を続けている実績を持つが、あまりに損得勘定を優先されるなら拒絶すべきだと思う。
とはいえ。水深を測ったり潮流を見たりなど、ひと通りの下見はした。
巡察師に掛け合ってみますと、体のいい返事だけしておいた。
アヅチでは、いろんな話が進展していた。
まず、セミナリヨが大人気だ。第一期生は25人。こちらの制服は白衣となる。
校長のニエッキはもともと子供たちに人気があり、赤子のあやし方から腕白小僧の叱り方まで鮮やかなものであるけれども、さっそく授業の中にご近所への勤労奉仕を取り入れ、付近住民からの絶対的信頼を勝ち得た。
慌ててこれを真似し始めたテラもいくつかあるようだが、決してごまかしをゆるさないというデウス精神の域に達するものは現れていないようだね。愉快愉快。
ハリマから戻ってきていたロレンソたちの話によると、アゴスチニヨの海軍は想像以上の規模。陸戦部隊の歩調と合わせてアキ国への距離をどんどん詰めているところらしい。
余談になるが、サカイのディオゴ殿はモニカの夫たるルカスを跡取りにすると正式に決めた。それでヴィセンテが、本人の希望でアゴスチニヨのもとへ転職していた。商売人は決断が早いなあ。
ヴィセンテは見習いからの出発となるが、年端もいかない頃から、お船が大好きだったからね。のびのび生きていってほしいものだ。
キナイ及びその周辺の領国からの情報が一通り俎上に載せられた。では、あらためて日本布教区第三次協議会を開催する。
巡察師はじめ全員が、カヅサ殿の全国統一を既定路線とすることで諒解。ニエッキですら、これ自体は認めざるを得ない。
シモの情勢についてはまだ不確定要素が多いが、ブンゴを中心に据えて統一へ向けていく戦略は変わらない。いずれカヅサ殿の力を借りる必要はあるだろうが、ブンゴは決してカヅサ殿に逆らう存在であってはならぬ。カヅサ殿よりシモ全体の統治を委任されるという形で、政治的に安定させるのがよい。
このための準備と工作は、ブンゴ⇔ミヤコ間の連絡を密にすることで、確実に遂行するべし。
巡察師は来日前、日本をシモ・ブンゴ・ミヤコの3区分で把握していた。ブンゴが中核であり、コンパニヤの最大拠点もここに置くというのが当初の想定だったわけだ。
しかし実状を見てきた今では、タカツキ・アヅチ・シモという序列が妥当である。
そして10年後には、最も発展し首都にふさわしい機能を持つ都市は、紛れもなくアヅチになる。
ただ、ラウマでは列福に価するか否かまで討議されているブンゴ王を、巡察師の一存で降格させるわけにはいかない。
それから、最終的にカヅサ殿を信徒にできるか否か。これにも多くの問題点が指摘される。
アヅチの存在をエウロパへ知らしめ、盛り上げるには、もっと説得力のある物語が必要ということだ。
「パードレ・フロイス。日本史の執筆を命じる。本会議で決定した方針に沿い、ラウマのコンパニヤ総会とポルトガルの王室とで承認を得られるような報告の形にまとめてくれ。期限は本年中。
その次に、全エウロパの民衆へ向けた、平易な物語として同じ趣旨の本を一冊執筆すべし。こちらは1年後に定航船で送付せよ。可能か?」
もちろんです。カブラルに命じられた日本史は、あれやこれやのうちに中断してしまいましたが、それはもう忘れます。
私たちの、カヅサ殿との物語を書けばよいのですね?
これは腕が奮い立ちます。さっそく、とりかかりましょう。
会議は、予定よりずいぶん長くかかってしまい、季節が夏に入ってしまった。
尚いくつかの諸問題を解決して、私たちは帰り支度を始める。
ほどなく満月の夜であった。日本では、どこでもこの日に祝祭を行う。
せめて見てから行け、と町中の皆から言われたので、アヅチにその日まで滞在することにした。
アヅチの町は、広場も大きい。そこで民衆たちは、汗だくになりながら、楽しそうに、心から楽しそうに、踊った。
単調な太鼓の音には音階も旋律もないが、日本人はその強弱に合わせて器用に動きを揃える。
カヅサ殿はその夜だけ、家来にしていたカフルを返してくれた。12人のカフルが必死に民衆の動きを真似て踊る。爆笑の渦だった。
アヅチの民にとっても、良き思い出となってくれたなら、よいことだ。
山の上ではカヅサ殿が、塔の最上階にだけあかりを灯し、祭りを眺めていたようである。私もじっと、下から眺めていた。
次に来られるのは、いつになるかなあ。
翌朝、カヅサ殿は港まで見送りに来てくれた。
「道中、気をつけてな。昨夜の祭りは、仏教由来のはずだが、よかったのか?」
私は、解説を加えながら、巡察師に通訳する。巡察師からの回答も、不足分を補って、カヅサ殿に伝える。
「我々は、仏教を敵とは見做しておりません。考え方は大きく隔たりますが、根気よく語り合うことで、互いを尊
重しつつ、共存していくことができると考えています。
我々は、本人が望む場合にのみ、福音を説きます。洗礼も、望む者にしか、授けません。
日本には我々より一千年も早く仏教が訪れた。皆さんが、かれらと共に過ごした一千年間を、我々は決して、無益な時間だったとは思っていただきたくない。それはあまりにも悲しすぎることでしょう。いいのです。あなたがたが祖先と過ごすひとときを、我々は、愛おしく眺めます。それは、理解する一助となるべきことです。その機会を私たちに与えてくれた、アヅチの皆さんには、尽きせぬほどの感謝を捧げます」
私たちは、大勢の市民に見送られながら、湖を渡った。