巡察師を送り出して、ひと息ついている。
いまが冬であることは確かだが、昼なのか夜なのか、私が最後に仮眠したのは何日前なのか、最後の食事はどのくらい前に何を食べたのか。よくわからないし考える気も起こらない。
ひとまず眠りたいところだが、頭が痛くて寝つけない。これからどうなるんだろうという猛烈な不安ばかりが脳裏を駆け巡って、どんちゃん騒ぎをしている。
外でもどんちゃん騒いでいるな。
ナンガサキは本当に、騒がしい街だ。
コエリュは、すやすやと眠っている。
すべて、こいつのせいなのだが。
私はもう、うんざりしている。
こんな奴の補佐官だなんて。しくじったよ。
誰かに、押しつけられないか。今からでも。
しかし誰が適任だ。
巡察師の計画を正しく理解し、実行力のあるパードレでなくてはならない。その人物が布教長としての任務を全うしてくれるなら私は通訳と書記を勤め、かつ、このデクノボーを黙らせておくくらいの役割は引き受けよう。
ナンガサキにいるうちに、何とか人を雇いでもして、コエリュを半殺しにしておくくらいのことはできないものかなあ。なんだかそんなことまで本気で考えちゃってますよ。
いけないいけない。休まないと、イライラがどこまでも奔走しちゃう。
いっそこの気分が昂ぶっている今こそ、ひと息に、ここで……いやいやいやいや、冷静になれルイス・フロイス。
今の自分に完全犯罪は実行不可能だ。やめておけ。
とにかく眠れ。明日になれば、きっと良い考えも浮かぶよ。
パードレ・ガスパール・コエリュ。
カブラルの後任として、準管区に昇格した日本布教区の長に抜擢された。きわめて実直な性格であり、理解力と判断力に高い評価が与えられている。ゼンチョおよび異端に対しては少々厳しすぎるところもあるが、巡察師にはきわめて忠実で、かつ、媚びる姿勢も見せなかった。
どこでも眠れる豪胆さと、落ち着きを有する。たしかに上長の目線からは、最高の中間管理職に見えていたかもしれませんね。
いっぺん下から見てみてください。
こいつ、無能のハリボテですから。
巡察師の前では、コエリュは常に巧みにその意図を汲み取り、素早く行動した。理解力と判断力は、すぐれているのだ。
しかし自分からは動かない。
組織の監督者である自覚を持ってないのではと思ってしまう。
彼の口癖は「デウスが正しく導いてくださるだろう」だが、これを呟いたらあとは何もしないのだ。
巡察師一行も、最後の頃にはエウロパへ送る貢物の積み出しなどでてんやわんやだったから、徐々に見え始めたコエリュの正体に気付く余裕もなかったのだと思われる。
彼の洞察力と行動力は上司に対してのみ、発揮される。
布教長という身分を手に入れ、巡察師という管理官がいなくなった時点で、この野郎は一切の実務から解放されたのだ。町からどれだけ陳情が来ようとも、各地の宣教師から報告が入ろうとも、聞こうとも、読もうともしない。
私か、私が対応中なら次々と従僕を呼びつけ「うまくやってくれたまえ」と言うだけだ。
一応、報告は求める。解決したと言えば「よかったね」と微笑み、こじれてますと言えば他の者に手伝わさせる。
すべてが、これだ。
勘のいい町民はすでにコエリュを頼らなくなっており、解決力を持つパードレに直接なにもかも押しつけてくる。
最悪の状況だ。
スコやサツマの情報を探るどころか、こいつは相手が来てから初めて誰かに対応させるだろう。交渉において、どれだけ劣勢に立たされると思ってるんだ。
ますます眠れなくなっていきながら、心のどこかで、もう1年カブラルに戻ってきてもらうことは可能だろうか、などと考え始めている。
カブラルは巡察師とともに日本を去ることを求められていたが、悪性の風邪に罹りブンゴから出て行くことができないと理由をつけて、1年ひきのばした。真偽のほどは、わからない。
しかし巡察師から財産を剥奪され追放同然の屈辱を受けたあのカブラルが、1年間の自由を手に入れて、何もしないわけもなかろう。カブラルと結託していた商人にも、彼の復帰を歓迎する者が大勢いるはずだ。
コエリュが面と向かって言い返すとも思えないし、だいたいカブラルを前にしてコエリュが従順なイヌ以外の何になれるというのだろう。
元布教長様だし弁も立つ。力関係は歴然としている。
そして何よりカブラルならば、スコやサツマをどう料理してやるかという目線で戦略を練るはずだ。既に計算を始めているかもしれない。そのくらいの思考ができる長じゃないと、この難局はとても乗り越えられない。
ナンガサキに住み始めて痛烈に意識せざるを得なくなったのは、定航船がどこの港に入るかという問題だ。
ナンガサキの町民にとっては死活問題であり、ゆえに79年、巡察師がアリマの港に船団を入れさせたときにナンガサキでは史上最大規模の喧嘩と破壊が発生した。
カブラルはあの1年間、暴徒たちの沈静化に奔走しながら、巡察師とも戦っていたわけだ。想像もしていなかったよ。
翌夏には、船団の一部がナンガサキに回された。
81年、すなわち我々がキナイ巡察に出かけていた間には、全船がナンガサキに入港した。
巡察師の力が及ばない状況だったため、ナンガサキとアリマの間で誘致合戦が勃発した結果だ。当然、巡察師は戻ってくるなりアリマからの陳情と賠償請求にさらされまくった。
さて、今夏はどのように調整したらよいものか。
コエリュにできるとは思ってないし、彼だって巡察師がもみくちゃにされるのを見ていたわけだから、この問題に関わりを持とうとも思わないだろう。どこへ雲隠れして、誰に対応を押しつけるつもりかねえ。
だからその時までにはコエリュを始末して、カブラルに出てきてもらっていないと困るわけだ。
ああカブラル。本気であなたが頼りです。私をお救いください。コエリュには相応の罰をお与えください。
「フロイス、おい、フロイス。寒い。薪を足してくれ」
いつの間にかコエリュは目を覚ましていた。もう、朝なのか。私は薪を足す。
コエリュは、ぱちぱち爆ぜる炎を満足そうに眺めながら、まどろんでいる。しあわせそうだな。
お前もくべられてみるか?
燃えにくいだろうなあ。
「フロイス。つくづく思うのだが、こんな朝っぱらから、ナンガサキは本当に騒がしい。瞑想もままならん。私はアリマの方が聖務を行うには集中できると思うのだが、君はどうか」
寝言なら夢の中でほざけ。おまえはナンガサキから逃げたいだけだろう。
集中して聖務に励む?
その前に布教長としての責務が何であるかを一から考えろ。ああ考えるだけ無駄だからとっとと無能者の烙印押されて火にくべられやがれ。
「夢の中で、御主が私に語りかけられたよ。日々の激務に疲れ果てている姿を見て、憐れに思われたのだろう。そのお導きに従おうと思う。支度をしてくれないか、フロイス。早い方がいい」
なにからなにまで、そうやって、私に命じて、お前は食って寝て、合間に祈って、それだけか。
報告書一枚、読むでもなく、書くでもなく、右から左へ聞いては忘れ聞いては忘れ。それが激務かふざけるな。
だめだ。今の私に、完全犯罪など、とてもできない。
冷静になれるまで、耐えろ。好機は必ず訪れる。
辛抱だ。堪忍だ。