SengokD.1563/002.hmos
4日後の月曜日、アルメイダが到着した。
イルマン・ルイス・デ・アルメイダ。
9年前、我らコンパニヤの一員となった。
以来、日本布教において欠くべからざる、重要な存在である。
商人だった頃から名を轟かせていたが、その才覚は、宣教にも遺憾なく発揮されてきた。
私とは初対面だが、眼光の鋭さと精悍な肉体、寸暇を惜しんで動き回る姿と頭脳の明晰さは、ソロモン王もかくやと思わされる。
言い過ぎか。
アルメイダもまた、日本での生活で、ここまで鍛えられたのであろうか。
定航船は3隻、ぶじ入港している。
ここまで順風に恵まれたことは、ランパカウが拠点だった頃からも、ついぞ無いことだと、船員たちが口々に言う。
宣教団のおかげ?
ちがう、ちがいますよ。御父、御子と聖霊たちのお導きゆえです。
感謝しましょう。ともに。
フィラド、ファカタ、サカイなどから続々と商人が集まってきているが、まだ商売は始まらない。
領主の承認を得て、役人の采配のもとに、市は開かれる。
その仲介をつとめるのがアルメイダで、彼にしかできない仕事だ。何人かの日本人従僕を引き連れ、きびきびと指示を出している。
ここでの収益が、コンパニヤの活動資金としても、きわめて重要な意味を持つ。
本来、聖職者である我々にとって、世俗の商売に手を出すことは禁じられた行為だ。しかし日本布教区においては特別に認められている。
一年に一回、ごく限られた時期にしか船は来られないし、帰れない。
アマカウから日本まで通常は3~4週間かかる。途中で暴風雨につかまれば、ポルトガルで造られた大型のナウですらマストをへし折られ、海の藻屑となる。
これまでにも、多くの船が日本近海で沈んだ。
人命、財産、貴重な書翰や報告書が、そのたびに失われた。
ポルトガル王室の給付金だけに頼ることは、甚だ不確実性が高いのだ。
そのため日本では、交易への介入と資産の貯蓄運用が、制限つきとはいえ公式に認められるに至った。
全土で戦乱が続いている実情も鑑みて、余剰の利益はアマカウの組合にも預金している。
やむにやまれぬ処置ではあるのだが、ここから、かつては稀代の資産家だったアルメイダがいささか図に乗りすぎているなどという批判や中傷も出てきてしまう。
私の日本派遣が決まる直前まで、ゴアでは、日本に対して悪い印象が主流だった。
今から8年前に渡日した、インディア管区副管区長パードレ・ベルシヨール・ヌーネス・バレトが、大の日本嫌いになって帰国して以来、かつての日本讃歌は、鳴りをひそめた。
私にとっての日本とは、今でも、メステレ・フランシスコが烈しい熱量で讃美した日本だ。だから、残念でならなかった。
メステレ・フランシスコ・デ・シャヴィエル。
偉大なる、我らがコンパニヤ創立者のひとりにして、日本の発見者。
メステレのアニマが御主のみもとへ旅立たれたのは、12年前。
その年の春、私はゴアでメステレの講演を聴いた。
あの日からずっと、日本へ来ることを、一途に夢見て過ごしてきたんだ。
パードレ・ヌーネスは渡日に際し、商人だったメンデス・ピントという男をイルマンにして、連れていった。
ピントは当時誰よりも日本語をよく知っていた。ヌーネスは通訳も交渉も全部、彼に頼った。
ピントは大ボラを吹くのが得意なお調子者で、商売の勘も鋭かった。最後となる日本への旅で、ヌーネスも日本人も手玉にとって、巨額の利益を懐に収め、ゴアへ戻った。その時はもうコンパニヤを脱会していて、逃げるようにポルトガルへ帰国。あとから船員たちの噂で、悪魔の手先だったことが明らかとなる。
だが、ヌーネスへは誰も怖くて伝えてないはずだ。ゴアでは一方的に、日本に対しての悪口ばかりが吹き荒れた。
パードレ・ヌーネスが、あのとき間違った人選をしていなければ、その後8年も日本布教が放置状態におかれるような事態にはならなかったのではないか。
今更だが、そう思わずにはいられない。