夏が訪れた。
しかし、定航船が現れない。風が弱く、晴れ間も少ない。じっとりとした暑さだけが続く。
もしかして難破したのでは、という噂がじわじわと信憑性を増す。
今年は、何もかもが、おかしい。災厄つづきだ。
あの巡察師は悪魔が化けていたのではないか。何かを持ってきて、代わりに何かを持ち去ったのではないか。そんな想像さえ巡らす。
すでに私は正常ではない。認めよう。
悪魔が至るところに見える。やつらも、私をにらんでいる。舌なめずりをしながら。
うまそうに見えるかね。
彼らにとってうまそうなら、私はまだ正常かもしれない。
ニエッキたちの消息は未だ、不明。
アヅチの信徒はタカツキやサンガへ逃げてきたが、サンガが実はコレトウと同盟を結んでしまい、反対勢力によって焼き討ちされた。
その他、各地で烈しい内戦が展開され、2週間ほどで、鎮静化。
コレトウが殺されたためだ。
もう一度いう。コレトウは、死んだ。
儚い最期だったな。
何のためにカヅサ殿を殺したんだよおまえ。
あまりにも、あまりにも虚しい。
それから十日ほどして、ヲアリ国に旧家臣団が集結。
これからの政治をどうするかという緊急会議が始められた。
私はその顔ぶれを想像する。むしろ、できる。
しかし、あの個性派揃いの家臣たちがカヅサ殿という中心を欠いた状態で、その遺志をいかに継ぐかという話し合いができるのかどうかというと、まったく想像もつかない。
カヅサ殿の次男ノフカツ殿は生きているので、王位を彼に継承させるのが混乱収束には最も近道だろう。
コレトウが管轄していたサカモト領や、サンガ等は勲功に応じて再配分する。口で言うのは簡単だが、私の取り分はこれでじゅうぶんですとあっさり引き下がりそうな人物は一人もいない。
サクマ殿がどこまで割って入るかも、微妙なところだ。
セスペデスはここまでの情報をいったん送ってきてくれたが、登場人物の中でひときわ目立つ存在がいる。
カヅサ殿の古参家臣、ハシバ殿。
私の記憶ではナンガハマの城主で、通称、六本指。あるいはハゲネズミと呼ばれていた男だ。
ビワ湖で、カヅサ殿が初めて大船を試作したのが、ナンガハマ城下の港だった。
そこへ招待されたとき一度だけ、挨拶を交わした。
エウロパではよく象に踏まれた子供が見世物になるが、まさに、あれだ。背骨が曲がっており、言葉もうまく喋れない。右手の親指付け根に大きなイボがあり、それで六本指と呼ばれていた。ハゲネズミというのも、見た目そのまんまだ。
彼は人前に出ることを好まず、そのときくらいしか話題にした記憶もない。ミヤコへも、来たことはないんじゃないか。
ただし戦場では名指揮官だという。だから出世して、城主にまでなれたのだ。
このハシバ殿、アキ国攻めの最前線を担当していた。
カヅサ殿の死を知るや否や、敵と休戦協定を結び、全軍を撤退させて、ミヤコへ駆けこんだ。
ジュスト殿はハシバと連携し、協働してコレトウを追いこんだらしい。最終的にコレトウにとどめを刺したのは、ハシバの部下だということだ。
ヲアリの会議を前に、ハシバはこの戦果を大宣伝する。一刻も無駄にせず、主君の仇を討つため果敢に働いた忠臣こそ我であると。
一方、エチゼンのシバタ殿がカンガ国との小競り合いを理由に駆けつけてこなかったことを批難して、シバタ殿にも謀反の疑いありや、と釘を刺す。
これに苦笑いで返すシバタ殿でもないだろう。新王ノフカツ殿に、かれらを鎮める力はありや。三男、サンシチ殿との二頭態勢でも抑えきれないかもしれない。
むしろ双方が、それぞれの主君を立てて内戦を始めたらどうなることか。想定としては、きわめてありえる。
アキもカンガも倒してないのに、こんなところで争うなよ。なんて声はどちらにも届くまい。
連日、沖まで小舟を出し、船影が見えないか探る。
ナンガサキからも出させている。アリマにもナンガサキにも、最低一隻ずつは入港させると約束しており、抜け駆けには罰則を設けるようにした。
この部分の交渉では、商人より漁師を味方につけて仕切らせるとうまくいくことを学ぶ。商人は常に他者を出し抜くことを考えるものだが、漁師は公正さと安全保障を尊び、無謀を軽蔑するからだ。
しかし、学ぶのはいいから、とにかく船に来てほしい。
もう駄目だろうなと思い果てていた、聖クララ祝日の夜。一隻のジャンクが現れた。定航船の、生き残りだった。
案の定、暴風雨に遭遇し、僚船は海の藻屑と消えたらしい。新しいパードレは、そちらに乗っていた。
やるせなさで押し潰されそうだ。
ひとまずコチノスへ入港させたが、ナンガサキの商人へも公平な機会と仕事を割り振った。保証金の払いで莫大な赤字が嵩む上に、積荷も多くが水没・破損しており、商売といえる水準ではなかった。
それでも私は誠意を尽くして頭を下げて回り、ガラクタでも何とか別な道具に転用できないかと知恵を絞り、汗も涙も流しきり、損はしたけど来年また来るよと笑顔で故郷へ帰ってくれる者を一人でも多くつくろうとそれだけを考えて夏とともに燃え尽きた。
私は何をやっているのだろう。この先いったい何をやりたいのだろう。
わからない。考える気力もない。
ただ、走っていなければ何かに呑みこまれ押し潰されてしまう、その恐怖とだけ戦っていたような気がする。
悪魔の姿は、いつの間にか、見えなくなっていた。
私がおいしくなくなったか。なら、もう、私は汚れきってしまったのかもしれないね。
今の私は正常なのか異常なのか。
知らないよ。勝手に好きな方を選んでくれたまえ。
日本へ辿りついたジャンクだが、アマカウを出る前からボロボロだったという。修繕の跡が痛ましかった。
沈んだ方の船も似たり寄ったり。
現在、定航船団の所有する船はこんな老朽艦ばかりなのだそうだ。
「ランデーロさんから中古のジャンクを買わなければ来年の商売もできないが、ゴアからの資金が届かなければまた借金をするしかない」
そんなつぶやきが船員たちから力無く吐かれる。
いったい、これは、交易なのか?交易とは、商売とは、儲けるためにやっているものではないのか?
なにかが狂っているのだが、もはや私には、そこまで考えようとする力が残っていない。
今やっている、この肉体労働が終わったら、次は頭脳労働に取り組まねばならない。
辛うじて日本まで届けられた報告書の束を読むのだ。
おそろしいことが書かれてあることを、私はすでに知っている。船員たちより聞いたからだ。
だからなるべく引き延ばしたいが、早く読まねばならない責任も感じている。
しかし、こわい。冷静ではいられないと思う。正気を保てる自信がない。
1580年1月。ポルトガル王国は、イスパニヤ連合王国に、併合されたそうだ。