待ちに待った、定航船団が来日した。
聖プラクセディス記念日だった。
……と言いたいところだが、今も私は混乱している。新暦では、7月31日だそうだ。
ともかく、順を追って話そう。
サツマの役人は、ナンガサキへ集まる商人たちを一人ひとり登録し、許可証を与え、指定の宿に軟禁して厳重な監視下に置いていた。
いざ商売が始まっても、すべての取引は役人が記録しながら進められるので、いちいち中断することが事前にわかっていた。
こんなので競りが盛り上がるわけがないし、いちいち高額の税金をとられるのでは来た甲斐がない、とフィラドへ流れてゆく者も多い。
街で遊ぶ愉しみも制限されているため、まったく、つまらない日々だった。
私は連日、そんな商人たちの、尽きぬ呪詛をコンヒサンした。
聖母訪問の祝日から毎日、巡視艇が沖へ出る。
ナンガサキ駐在のパードレあるいはイルマンが交代で乗船し、定航船が現れれば、港へ誘導する。
20日目に、接岸が叶った。
昨年の船団長はミランダだったが、今年はパイスという男が来た。
代理の代理だと言われる。
アマカウもゴタゴタしているらしい。
上陸して、挨拶を交わしてすぐ、今日は7月31日で、今後はこの暦に従って帳簿をつけること、と指示された。これまでの暦から11日進める計算だ。
なお、1600年は閏年だが1700年は閏年でなくなるとも注意された。そこまで長生きすることはデウスも許されないと思うし私もまっぴら御免だが、ともかく、暦法が改革されたのだ。
ラウマでは、1582年秋に、教皇猊下の名を冠して実施されたらしい。4年前、カヅサ殿が殺された年か。
ゴアではその1年後に切り替えが行われた。アマカウでは、昨年から。
日本へは、やっと今日、知らされた。
わかりました、と言うしかなかったが、問題は、昨日まで書いていた報告や書翰の扱いだ。
厳密なところを言えば、82年10月15日以降の日付にすべて10を足さないと、ゴアやエウロパへ届いてから混乱の種になるだろう。
パイスはあっさりと、できるかぎり修正してから送ってくださいと言うのだが、その中途半端さが一番困ることにならないか。
私は今も、頭を抱えている。
我々はポルトガル語で、今年は商売にならないだろうと展望を語り合う。
ただ、今年だけだ。
来夏、この国は大きな転換点を迎える。
だから今年だけ耐えてほしい。私はそう説得した。
そして、アマカウからマニラへ届けてもらうための極秘文書を、パイスに託した。
パードレが2名上陸した。いつもならウスキのノビシヤドで日本語の勉強を半年ほどしてもらってから各地へ派遣するのだが、ブンゴ国の交通が遮断されている事情を話し、アリマ領内で実地に学んでもらうことにする。
かれらにも、来年からは猛烈に忙しい日々が始まるからこの一年でしっかり日本語を身につけておくようにと、しっかり伝えておいた。
とくに日本人は表情をまったく変えずに平気で嘘をつく調子のいい連中だから、夢の中でも気を抜かないこと。
頭の回転が速い上に他人の命も自分の命さえも直情的に奪い去ることを一切躊躇もせず自慢するから徹底的に教化しても尚、信用はしないこと。等々を、強く繰り返して胆に銘じさせた。
20年以上、日本で暮らしてきた私の、切実なる慨嘆でもある。いくら念を押しても、押しすぎることはないだろう。
さて、市が開かれ、商売が始まる。
注目を集めたのは、黄金だ。昨年ミランダに、オーザカでは黄金が高値で取引されているという話を伝えておいたが、早速、品目に加わった。
オーザカやサカイを拠点とする商人は目の色を変えてこれを手に入れようとする。少量でも重く、嵩張るので船員たちには不評だったりするが、担げるだけ購入した商人はすぐにキナイへ届けに行く。
これを、ハシバが買うわけか。自分の城や邸を装飾するだけのために。
まあ、ぎりぎり来夏までが売り時だがな。
パイスにも、長続きはしないぞと伝えておいた。
商人たちの入れ替わりと共に、キナイの最新情報も入ってくる。
たまに、なじみの信徒がセスペデスやカリオンの書翰も届けてくれたりするが、市がひと息つくまではじっくり読んでいる余裕がない。それより各地からの生の声に接したい。
たとえば、宣教師目線ではちょっと思いもよらない、こんな話を聞いた。
ハシバ軍はこの春、サイカを攻め、次いで、海を渡ってトサ島を攻めた。
これらの行軍進路上では、兵の規律が意外なほど良好に保たれていたという。
私がいた頃のキナイでも、シモ島では今でも、兵が進軍するときは街道上の村や町は掠奪の跡だらけになる。望んでついていく若者も多いとはいうが、人さらいもやりたい放題だ。
テラが建っていれば坊主たちには兵隊を饗応する義務がある。カヅサ軍に限っていえば、古くからの家臣団なら「民衆には優しく坊主には厳しく」という鉄則があったが、オーザカ攻めが始まって以降の小領主がどんどん参入してきた頃からは、ひどい部隊も多かったことを思い出す。
支配地域内全般の街道整備はカヅサ殿が積極的に推し進めた政策であって、決してハシバが考えたものではないが、ハシバ時代からはこれに地図作成の徹底ぶりが加わる。
大規模軍勢をいかに効率よく侵攻させるかという問題にハシバは相当の努力を傾けていることを認めよう。
この点でとくに、食糧の調達や宿営地の選定をその時々の出たとこ勝負で決めていたのでは、軍の規律云々以前に、目的地にいつ頃到達できるかの計算すら成り立たない。
ハシバはここで、画期的な解決策を編み出した。
進軍上の街道にあらかじめ通告を出しておき、不埒な行為に及んだ兵は厳しく処罰する旨も周知徹底しておく。宿営地には食糧も準備させておき、兵たちは掠奪によらず、腹を満たして眠りについて、最短で目的地を目指すことができるようにする。
この業務に携わった商人から直接聞いた話だ。
功利主義から生まれた発想とはいえ、治安が保たれる戦場というのは、善い光景だと思う。
もちろん、これはハシバの支配地域内でだけの話だ。いったん敵地へ入ってからは、掠奪も破壊もやりたい放題である。
それでもアゴスチニヨの海軍は、兵員輸送のみならず食糧や弾薬などの搬送も全力で行っているらしく、侵攻先で食うや食わずの無惨な死を迎える兵士を極力出さないための支援態勢が確保されているともいう。
この点については、カヅサ殿があれほど家臣の裏切りに悩まされてきたことを思い返して、こうすればよかったのかと、私も兜を脱ごう。
ハシバは家臣たちから尊敬されているらしい。
もっともだ。従う者の安全を保障する努力こそが、上に立つ者を立ち続けさせる秘訣ということだろう。
ハシバの次に王座に就く者へも、私はその言葉を伝えたい。
トサ国の兵たちは最初から戦意が欠如しているらしく、ハシバ兵が近づく前から逃げ惑い、戦闘はほとんど発生していないともいう。
秋までに、トサ王は降伏するだろうという下馬評が大勢だ。そうなると、一年も待たなくてよくなるかな。
さあアゴスチニヨよ、早くトサ島の西岸まで来ておくれ。そしてサツマに告げるのだ。
弓箭を止めよ!と。