その地図は、日本人の作ったものにしては、これまで見た中で最も詳細だった。
日本人は、距離の計測という概念を未だに持たない。海岸線だって干満など気にせず描くし、余白が足りなくなれば紙の方を継ぎ足していく。よくこれで戦争ができるなと常々思う。
シメアンの地図も、シモ島の部分はそんなものだった。しかし、カミ島は洗練されていた。
川の流れを基準線とし、これが忠実に描かれているので地形の狂いが抑えられている。街道上の拠点が描きこまれており、この図上でなら相互間の距離をかなりの精度で求められそうだ。
カンパクの検地による成果であることは明白で、シモでもすぐに着手されるだろう。
「敵は、岩尾、豊満山、高鳥居、それから香春岳、宇留津を占拠しています。我軍は、まず小倉を攻め、次いで順次、これらを陥としてゆきます」
私は、失望した。とんだ軍師もいたものだ。
十数レグワに点在する砦を、一つひとつ攻撃していくつもりとは。そんなことをしていたら、来年末までかかっても終わらないぞ。
「フロイス殿のご指摘は、もっともです。しかし理由があるのです。すぐに結着をつけては、ならぬのです」
なるほど。手柄を立てるために、より多くの戦場を通過しておきたいということかな?すぐにバレると思うけどねえ。
シモの北端でのらくら時間を浪費している間に、フナイへ上陸しているユヅキ軍が、サツマの本隊を叩いてしまうよ?
「左衛門佐殿も、状況は理解しています。今は島津にも秋月にも勝ち目を与えて調子づかせねばならぬということです。降伏を申し出られたとしても、徹底的に無視します」
おいおいおい。ひどい談合してるじゃないか。
ユヅキ王も、手柄欲しさに、亀の速度で戦うって?呆れたよ。
ああ、アキ軍がだらだらやってたのも、実はそういうカラクリか。
それにしたって、冬を越す覚悟なら防寒具だって必要になるし、毎日の兵糧だって莫大な予算超過につながる。
そんな無駄遣いに見合うだけの論功行賞がもらえりゃいいけど、私が上官だったら懲罰ものだぞ。
「関白殿も、了解されています。はっきり申し上げますと、自分が行くまで楽しみは残しておけよと、我々は命令を受けているのです」
は?
いやはや。最高指揮官まで加担しての談合かよ。頭痛がしてきた。
それで、カンパク殿は、いつ頃、こちらへ見えられる予定なので?
「それが、徳川殿次第、ということになりそうです。来年中に、上洛してくれればよいですけど……」
突然、ミカワ王の名前が出てきて、私の思考回路は燃え尽きる。何がどうなっているのやら、さっぱりわからない。
シメアンは、辛抱強く、説明してくれた。
ミカワ王は、3年前、ヲアリのノフカツ殿をたすけてハシバ軍と戦った。
セスペデスからの報告よりも、実際ははるかに大きな兵力差だったようだ。ところが弱勢のミカワ軍は要所要所で敵を手玉にとり、恐怖したハシバ兵は一時、崩壊寸前にまで陥ったという。
この戦役は、ハシバがノフカツ殿と講和を結んだことで結着する。
ミカワ軍は本拠地へ撤収し、自領の防衛をより強化させた。
翌年、ハシバはカンパクとなり、サイカ、トサ、クヌカを次々と征服して絶対的な権力を掌握するが、ミカワ王の存在はずっと、アキレウスの踵の如き不安要素であり続けたのだ。今もである。
ハシバとしては、ミカワ王と再び兵刃を交えるつもりはない。むしろ、厚遇を与えて味方へ引き込みたい。
しかし、慎重の上にも慎重なミカワ王は、ハシバの誘いを悉く撥ねつける。
そこで、ダイリに仕事が振られた。
日本国王が直々に官位を与えようと招聘すれば、ミカワ王とて断れまい。
断ればダイリへの叛意あり、と難癖をつけることもできる。
ミヤコの王宮が新築されて、老ダイリからその息子へ譲位が行われる。その式典にミカワ王も招待され、新ダイリの前でハシバとの友好条約が締結される。そんな筋書きで交渉は進んでいた。
ところが、跡を継ぐべき老ダイリの息子が儀式を前に急死する。ふた月ほど前だそうだ。病死らしい。
老ダイリも、悲しみのあまり床に伏した。
さいわい孫がいたので計画の修正は軽微で済むが、若干の遅延が発生。シメアンはそんな喧噪の中、出征した。
譲位がつつがなく行われ、ミカワ王が参上し、カンパクとの同盟が成立すれば、総大将は安心してシモまで大軍を率いてやって来られる。早くても、来春だろう。
それまでサツマを生かしておかなくてはならない。可能な限り猛々しく、厚顔無恥な悪党のままで、カンパクの前に差し出さねばならない。
それがシメアンに課せられた使命であり、ユヅキ王もアキ王も、協力してくれているのだった。
なるほど。合点がいったよ。
わかった上で見ていると、シメアンの連れてきた兵団は、きびきびとした所作で実に無駄な作業を繰り返していることに気付かされる。
櫓を組んでは解体し、形をかえて組みなおし。演習も大真面目なのだが、ただ腹を減らすためだけにやっているようだ。
アゴスチニヨの船団は毎日、内海を横断して糧食や物資を運んできてくれるが、かれらの挙動にも迷いはまったく見られない。
兵たちはやがて、アカマ町民のための土木作業まで好意で手伝い始めた。そうか、ハシバ軍だから土木は手慣れたものだよな。
町民たちは大喜び。
私たちもすっかり安心して表を出歩くようになり、布教も進んだ。
これでいいのか?
偵察に出ていた、イルマン・ダミヤンが戻ってきた。
アキヅキでは、敵の大軍が集結しているにも拘らず攻めてこないので戸惑っている。
緊迫した状態で警戒を続けているが、アキヅキ側から戦端を開くことはないだろう。
ダミヤン自身も不思議がっていたので、解説した。
呆れられた。
やがて、先行してシモへ渡っていたアキ軍より、伝令が戻ってきた。コクラ城を陥としたそうだ。海峡から3時間ほどの距離である。
周囲に陣を敷いて威圧を続けていたところ、いつの間にやら無人になっていたので、入城したと聞く。
なんだそりゃ。
我々も合流しましょうかとシメアンが言うので、ダミヤンだけを連れて、随いていった。
まったく、戦争をやっている気がしない。商売をやっている時でさえ、もっと神経が昂ぶるものだぞ。
私はどんどん耐えられなくなる。時間はあるのに、原稿も進まない。無為にやりきれなさが募るだけの日々。退屈すぎるのだ。機嫌がいいのは、コエリュくらいだ。
ところが数日すると、ブンゴからの情報が届き始める。しかも、救援要請だ。
サツマ軍が、フナイへ侵入したらしい。
当地にはユヅキ軍のほか、トサ軍とサヌキ軍が集結していたが、虚を衝かれて碌な応戦もできず、手痛い敗北を喫した。
本気で抵抗したのは、ヨシムネ率いるブンゴ兵だけであったという。
さすがにこの体たらくには、コクラ城に籠もっていた全兵士が憤激した。同盟軍の面汚しだと。
「諸君、我らまで舐められることはない。これより、ただちに宇留津城を攻める。
本気を出して構わん。ただし、城を陥としたあとの追撃は控えよ。黒田の兵が他とは違うことだけ、見せつけてやればよい。
よいか、島津にはまだまだ暴れてもらわねば困るのだからな」
兵たちは歓声を上げ、すぐさま支度を始めた。その荒々しさに、私の心も忘れていたものを取り戻した。
「フロイス殿。一緒に来られますか?私どもの実力を、やっと、お見せできる機会ですよ」
ええ、もちろんです。ついて、いきますとも!