アレッサンドロ・ヴァリニャーノ。
コンパニヤの未来をその両肩に担い、インディア管区長という大任を背負って辣腕を奮う若き天才。巡察師として79年来日。カヅサ殿にも拝謁し、その実力を認め合った。
私も彼の先見性と、果断な行動力とに魅了されたものだ。
しかし人間である以上完全無欠ではありえず、たとえばカブラルの後任としてコエリュを日本布教長に指名するなど、大失態も犯した。
彼が82年に離日して、7年間が経過。
日本では悪魔が政権を乗っ取り、生きとし生けるものすべてを絶望の淵から叩き落とし続けている。われらコンパニヤの使徒はこれに敢然と立ち向かう覚悟を固めた。そのための最終決戦計画が練り上げられ、88年、実行に移される、はずだった。
これを制止したのが、かの、ヴァリニャーノである。
果たして彼は、味方なのか、敵なのか?それともただの意気地無しか?
船団長ペレイラから最初に説明を受けたときは、性急な軍事行動を懸念したのだと、現状把握した上で判断するのだと、そういう印象だった。
しかし、考えるとおかしい。
緊急事態が発生している紛争地に交易品だけを担いで現れ、治安を守れるわけがなかろう。せめて現地に居留する同胞の安全を確保するに足る兵力は派遣してほしかった。否、必要だった。
それを拒んだヴァリニャーノは、日本にいる我々の生命と財産、そして尊厳を、何だと思っていやがるのか。軽視していないか。
そんな疑念が、湧き上がる。
翌日以来、ペレイラも新任のパードレたちも顔だけは真剣に、私の話にも耳を傾けてくれはするのだが、頑強にして無辺に広がる透明な壁のようなものを感じる。
私は冷静であらねばと常に自分を制動するのだが、かれらは最初から冷静すぎるのであり、時々おちょくられているのではないかという気にさえさせられる。
迫害を我が身で受けたか、受けていないかの差なのかとも思う。
ただ、それにしたって他人事すぎやしないか。
虚無感は、伝染する。だんだん、私も、何もかも、どうでもよくなってくる。
どいつもこいつも、現に今目の前で起きている私たち自身への迫害を、コンパニヤが40年にわたって築き上げてきたすべてを、カンパクの一存で葬り去られようとしているこの現状を、ええじゃないかと笑って見過ごせるというのなら、それで、ええじゃないか。つきあってらんねえよ。滅んじまえよ。好きにしろよ。
私は私の道を往くさ。ひとりでできることをするさ。おまえたちと同様に、心を閉ざすよ。
だらだらと、無駄な時間を過ごすのは、今日で終わりにしようじゃないか。それでいいんだろ。これでいいのだ。さようならだ。
ヤツシロの、アゴスチニヨの邸に、ジュストと裏切者がやってきたと聞いて、挨拶だけしに行く。
布教長代理としての公式的な表敬訪問だ。
全員が終始、笑顔だった。おだやかに互いの労苦をいたわりあい、今後の健闘を讃えあって辞去した。
なんだそりゃ、と思うのだが、そんな感じだった。
まもなくウスキでギオン祭なので、私はアリマへ戻らず、ブンゴへ潜入した。
まずは、タケダのドン・パウロを訪う。
あたたかく出迎えられた。ホロリとしてしまった。この半月ほど、血の通わない、人の皮を被った妖怪とばかり接していたからな。久々のヴィルトゥスを喫いこむ。ああ、いい薫りだ。
ヨシムネの嫌がらせは、実にひどい。
人質や血判状の件ばかりではなく、幕僚会議ではタケダをいびるだけの時間枠が設けられていたり、タケダから拠出させた兵には便所掃除しかあてがわないとか、陰湿を限りなく極めている。
パウロの家臣団からも宥和派や妥協派が出てきたりと、分断が止まらないのだそうだ。
当然、内通者もいるはずで、その実態が把握できていない。むごいな。
オーザカ侵攻計画が頓挫したことを告げる。
これまでは、一斉蜂起のためにブンゴ内での戦闘は抑制する方針でしたが、もう待たなくていいです。
内乱を起こすなら早いほうがいいですか?
ギオン祭は、蹶起のきっかけとして申し分ないと思いますが、派手にやっちゃいましょうかねえ。
ドン・パウロは、逡巡を隠さなかった。
「準備期間が足りない。不用意に暴動を起こせば、鎮圧の口実を与えるだけだ。
むしろ第三者が祇園祭を妨害し、犯人は竹田勢だという噂を流されることを警戒している。そんな不埒者が現れたら、我らが率先して成敗する所存だ。
パードレからも、信徒へ軽挙妄動を慎むべく、よく言い聞かせておいていただきたい」
たしかに、もっともですね。
今は何をされても耐えなくてはなりませんか。わかりました。しかしいずれ時がくれば、我々は必ず報復を行います。
しっかり記録をつけておいてください。
倒すべき優先順位をそれに基づいて決定します。そのときまでの辛抱です。ほんのひとときの我慢です。
ギオン祭を、マテウスの部下たちに伴われながら変装して見てきた。
日本特有の単調な笛の音がえんえんと奏でられる中、過剰に装飾された車や参列者がいかめしい表情のまま、街路を行進する。
まったく、わけのわからない興行だった。
あらゆる辻に兵士が立って監視しているせいもあろうが、見物人が誰ひとり笑いもしない。不気味きわまりなく、不愉快でたまらなかった。
こんなもの復活させて何になる?
嫌味でなく、本気で謎なのだが。
マテウスたちだって説明できなかったぞ。昔から、笑って見ていたら怒られるものだったそうだ。疑問に思わなかったのか?
今はどうだ?おかしいだろ。
誰のためにやってるんだ、こんなもの。
カミのためにじゃないですか、という。
そいつをつれてこい。ぶっ殺して、これからは人間のための祭りをすればよい。そう思わないか?思うだろう。
なぜそれに気付かないんだ。君たちは。まったく。
それからフナイ、ミョウケン、ナカツ、アカマ、ファカタ、クルメと、ぐるぐる信徒の家伝いに旅を続けた。
どこでも歓迎され、私の精神は健全さを取り戻してくる。
信徒たちは皆、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、この矛盾に満ちた閉塞感の中で、生きるとはなんであるかを真剣に考えながら過ごしている。
考えぬ者は悩みもしないし、ただ浮かれて流されるままに漂って、生きているんだか死んでいるんだかもわからぬままになんとなく過ごしているのだろうが、それでいいのかと、言っても無駄なことだろう。
私もそんな愚衆を相手にする気はないのだ。
お互い無関心でいいじゃないの。私は信徒と共にしか生きぬ。そんな私たちの前には常にデウスが立っておられる。それでいいのだ。それだけが、大切なことだ。
アリマへ戻ってきたときには、収穫期も終り、冬の準備が始められていた。
ドン・プロタジオとコチノス商人たちからの叱責を覚悟していたが、誰も彼もが、優しく私を出迎えてくれた。
失踪先で暗殺されたと思われていたらしい。
何箇月もどこで何をしていたのかなんて強い詮索もされなかった。その好意に甘んじておいた。
私の留守中、ジュストがアリエのノビシヤドへ来てしばらく滞在し、修練に励んだ。
夜明けと共に起床し、祈りを捧げ、掃除を完璧にこなし、教師にも学友にも礼儀正しく接する。
町じゅうの信徒が彼を尊敬した。
ところがここへ、カンパクの使者が現れる。
ジュストは、オーザカへの出頭を命じられた。
アゴスチニヨがユノ島から連れてきたとの情報が、どこかから漏れたらしい。
ジュストは応じた。もちろん、処刑を覚悟して。
同時に、所在を突き止められたノビシヤドを移転する必要にも迫られる。
アリエの住民は、一度にすべてを失うこととなり、泣き崩れた。
逆風が強烈すぎる。
並の寒さではない。心も体も切り刻まれ、身を隠す穴ぐらとて無い。
緊急会議を招集する。
明確な方針を打ち出すことが、私にはできない。全パードレの知恵を結集させる必要がある。その中から最善策を選択しよう。これも全員で決めるのだ。
デウスよ。イエズスよ。スピリツサントスよ。
我々にどれほどの試練を与えたまうのか。
それだけの力を我々が秘めているとでもお考えか。
足掻いて足掻いて足掻き抜くしかないことはわかっている。わかっているが、だがしかし。
今日は、涙が、止まらない。