雪の壁が立ち塞がっていた。
5パルモ近くの高さがある。
マノエル殿は、60年生きてきてこれほどの雪を見たのは初めてです、と言いながら私を眺め回す。
やめてください。私は無実です。
日本は雨が多い風土だが、冬も同じだけ、雪となって積もる。
カミ島はシモより寒いとは聞いていたが、先が思いやられる。
北部の豪雪地帯で暮らしたことのある者が、このままにしておくと雪の重みで屋根が潰れます、と梯子を借りて雪を落とし始めた。
皆が総出で手伝うなか、私は表へ出られないので、家の中で静かに報告書をしたためている。
書くべきことは、雪のように多かった。
マノエルも、サカイ衆たちも、私の書く文字を珍しそうに見る。
マノエルも筆で美しい日本文字を書くが、その動作はいちいちゆっくりとしており、いくら1文字にポルトガル文10単語の意味を含められるといっても議事録などを速記する役には立たないと思った。
なぜエウロパでは左から右へ、横に文章を綴るのか、という質問をされた。
なぜ、と言われても困るが。
これならインクが手に触れないから速く書ける、合理的でしょう。そう答えた。
マノエルは、納得していないようだった。
文字とは上から下へ書くべきものであり、それは人の頭が上にあり足が下にあるのと同じであるから、という説明をされた。
私には納得がいかなかった。
しかし解決しそうにない問題だったし、気を悪くされても申し訳ないので、議論はやめにした。
邪宗団について、新たな情報を仕入れる。
私はフェルナンデスから、シャカ教の中でも特にゼンという宗派を警戒するよう、注意されていた。
オーザカを根城とするイコ宗も要警戒だが、更にタチの悪い宗派が存在する。
フォッケ宗。
ミヤコ地方での最大勢力だそうだ。
かれらは暴力をふるいはしないが、とにかく権威を持っている。ダイリサマにもクボウサマにも顔がきく。
自分たちの手を汚すことなく陰険な形で目的を達成することにかけては、シャカ教の中でも頂点に立つらしい。
ダイリサマとクボウサマ。
ミヤコにおける2つの王宮。
私にもようやく、その違いが理解できてきた。
ダイリサマの方が古く、クボウサマは比較的新しい。
だが現在は両方とも、日本を統治するという責務においては有名無実のハリボテだ。
ダイリサマの歴史は2000年以上。日本で初めて生まれた王族の血統であると自称している。
そのくせ、1000年前にシャカ教を導き入れるという大失策を犯した。
このときから、日本では醜い内乱が絶え間なく続くようになった。
やがて、独立軍事集団を母胎とするもう一つの王権、クボウサマが誕生する。
クボウサマはダイリサマとは争わず、ダイリサマの支配権を代行する名目で66領国を征した。この関係が保たれることによって日本全体が安定した時期も、あった。
今から100年ほど前、ダイリサマが内部で二派にわかれ、激突。
クボウサマ内でもそれぞれの味方をして分裂し、乱立。
このときミヤコのすべては灰と化したということだ。いまも、その余塵がくすぶっている。
まとめる者がいなくなり、66領国がそれぞれの領主を次の王にと掲げ、また国々の内部でも小領主同士が相食み合うという、乱世の真っ只中。
その最大の激戦区は、常にミヤコであり続ける。
ダイリサマも、クボウサマも、自分たちを利用しようと近寄ってくる者を、手なづけたり手なづけられたり、実にきわめて不安定な舵取りをしながら航行しているという按配なのだった。
ずいぶんとひどい時代に来てしまったわけですよね、私たち。
これも御主のお計らいですか。ですよね。わかっちゃいるけど、あんまりだあ。
私たちをどこまでいじめりゃ気が済むんですか。
インヘルノへ堕ちたくないからそろそろやめますけど、それにしたってひどすぎます。くすんくすん。
泣いた翌朝、私たちは出発した。マノエルが、小馬を一頭、用立ててくれた。
私はブンゴ王の使者であるかのように変装して、これに乗る。
役人とは喋らない。貴人だから怪しまれない。大ジョアン青年が、ブンゴ王の書状を見せ、説明し、ぞろぞろと関所を突破する。
なかなかうまい作戦だ。
馬の背中は、あたたかかった。
日本人は、鞍を使わないのだ。蹄鉄も打たない。衆民だけがそうしているというのでもなく、誰もが道具自体を見たことも聞いたこともないという。
ふしぎだなあと思いつつ、峠を越した。
ミヤコは、四方を山に囲まれた盆地の中にある。
道路が正確に東西方向と南北方向に等間隔で敷かれ、高層の建物はほとんどない。
市街地の広さは、縦も横も1レグワを超えよう。峠の上から見渡したその景色は、雪の効果も相俟って、えもいわれぬ美しさを醸し出していた。
メステレ・フランシスコもこの街を見たんだ。
ついに私は、同じところへ、辿りついたんだ。
感極まって、泣いてしまった。
思わず十字を切ろうとしたが、止められた。忘れてはならない。ここは敵地だ。
さっそく、シモキョウにある教会を目指した。
ミヤコでは、北部をカミキョウ、南部をシモキョウと呼ぶ。カミとシモは、川の上流と下流を指す単語で、カミ島・シモ島の由来も同じだと言われた。
ミヤコの中でも、上流と下流があり、貧しい者はカミキョウには住めない。
巨大で、どこまでも人工的な都会を歩きながら、私の日本に対する印象は、また少し変わり始めた。
教会には、多くの若者がいた。
威勢がよく、歓声をあげて私たちを出迎えてくれた。
群れの中から、ひとりの、キモノを着崩した老人が出てきて、私に握手を求めてきた。
パードレ・ヴィレラだった。
山羊のような目をしていた。