ニエッキの話でもしようか。
なんだかんだと、古株だ。声だけ聞けば、日本人だって、彼をミヤコ生まれだと信じて疑わない。
木綿の着物を実にだらしなく着崩れさせ、豪快な音を立てて蕎麦をすする。この擬態は、私にも真似できない。
イタリヤに帰ったら、日本人役の舞台役者として、引く手あまただろう。そんな需要があるかは知らないが。
タカクの会議では、皆が迷惑した。
どれほどの兵力を期待できるかと相談しているというのに、宣教師の本分とは、とか混ぜっ返す。
とうとう、モウラがキレた。
セミナリヨの一年生より幼稚だと責め立てた。そうだな。あいかわらず、計算も苦手だしな。
ニエッキは自分から、ナンガサキのミゼルコルヂヤで、貧者のために尽くす仕事に就きたいと言いだした。まあ、別にいいよ。
そのあと、少し、二人だけで話した。
彼は、純真なのだ。
少なくとも、悪意があってやっているのではない。私に対して以外はな。
他人が困っていたり、悲しんでいたりすると、考える前にすぐ手を差し出す。それが長年染みついた癖なのだ。
立派だが、自分のカネでやれと思う。
それから、少しは考えろと言いたい。
実際いろんな人間から餌食にされているが、本人だけは善いことをした気でいる。一番だめなやつだ。
こんな奴がカンパクの側近にいたら楽なのに。
そこなのよ。
うちにはいらない。
パライゾでも、ご近所にはなりたくない。
グラッサのことを、軽く探った。
膨大な手紙をやりとりしていたことを認めた。
彼女には子供が4人いる。
結婚したときは、実父コレトウはカヅサ殿の筆頭家臣で、夫も将来を嘱望された好青年だった。
政変というものは、ある日突然起きるものだが。
8年前、彼女をとりまく世界は、一変する。
父親が、大事件を惹き起こした。
ただ一人の悪役として、社会的にも抹殺された。
あのとき夫に殺されるのが最良の結末だったのに。それが彼女の口癖だ。長年染みついた、哀しい思考回路なのだ。
しかし夫は、彼女を生かした。
2人の子供と引き離され、人里離れた山の中で、箸や櫛さえ手に取ることを禁止され、彼女は数年間を過ごす。
ある日、使者が訪れ、彼女をオーザカへ連れてきた。
世界は、変わっていた。
夫は出世していた。彼女の知らない妻たち子たちに囲まれていた。
新邸で、彼女の新しい監禁生活が始まった。
夫はたまに来て、怒りながら、性交する。子供は更に2人生まれた。
たまに、会わせてもらえる。
もっとたまに、外出も、許してもらえるようになった。
たまたま、その日は復活祭だった。
ふらりと、教会へ入った。
狂人なのか?とニエッキに尋ねる。
ニエッキは、苦々しそうに、頷く。
しかし、夫の方が、もっとはるかに狂っていて、グラッサは奴の犠牲者なのだと、涙を滲ませはじめた。
重い話になってしまったな。
皆が噂していたほど、甘ったるい物語ではなかった。
ニエッキという男は、ただひたすらに純真で、困っていたり悲しんでいたりする人に頼られると、振り払うことができないのだ。しかし、最後には、振り払ってきちゃうんだけれども。
彼女はずっと、洗礼を希望していた。
いずれ、教会で。
そうニエッキは期待させていた。
追放令が発せられた。オーザカでも大騒動になった。彼女は家出を決意した。皆と一緒に、フィラドへ行くと。
気持はわかるが、必ずバレる。夫もカンパクも、その時には大軍と共に、ファカタにいたのだ。
ニエッキは必死に説得した。
ひとまず、侍女のマリヤに手順を教え、邸の中で洗礼させた。
彼女は、グラッサとなった。
パードレたちを脱出させ、ニエッキはユノ島に隠れた。
キナイの信徒たちと連絡を絶やさず、グラッサとの文通も続けた。他の女たちとも、だが。
一年近くそんな生活を続けて、ニエッキは、ぼろぼろに疲れ果てた。
アゴスチニヨが領地をもらった。誘われた。キナイの女たちに別れの手紙を書いて、シモへ移ってきた。おつかれさま。
今後はミゼルコルヂヤで下働きか。いいと思うよ。しかし、こっちでも同じことをするんじゃないかと心配している。
もっと、けじめをつけろ。
へたな情けは身を滅ぼす。羊は羊、人は人だ。割り切り方をおぼえたまえ。
手本にできる後輩たちが、タカクでもいっぱい、いたじゃないか。
ところで、ついに一国一城の主となったアゴスチニヨだが、彼もまた複雑にして剣呑な立場に置かれている。
カンパクは、アゴスチニヨにも棄教を迫るつもりではいたらしい。だが先にジュストがこれを拒んだ。側近という特権的地位を剥奪されても信仰を貫くことを選んだのだ。
幼稚な損得勘定だけで何でも動かせると思いこんでいたカンパクの目論見は、初手で躓いた。
アゴスチニヨは、カンパクへの服従と忠誠を再確認されただけで、それ以上を命じられなかった。
アゴスチニヨは、セト内海の輸送網を防衛し集中管理する大任を何年にもわたって務めてきた。おいそれと代役もきかぬのだ。
そしてアマクサの鎮圧を命じられ、その褒賞として、ヒゴ国の大部を手に入れる。
彼の部下は全員が信徒だ。こんなところにも、カンパクの反デウス思想がいかに穴だらけであるかを見ることができる。
ただ、この後で問題が生じた。
前のヒゴ王をビビらせチビらせ葬りさったアマクサ聖戦士たちにとっては、次にやってきたアゴスチニヨも、カンパクの手先という点では同類なのだ。
アゴスチニヨだって、パードレを先頭にして挨拶に赴くとか、適切な始め方があっただろうにと思うのだが。
ともかく、こじれた。
冬の間に双方、笑っては済ませられない犠牲を出した。
四旬節に入って少し関係修復の兆しが顕れたものの、これを活かす前にアゴスチニヨがヒゴ本土に新しい城を築く計画を発表。
アマクサへも作業員の供出を求める。
これでまた、衝突が再燃した。
結果だけ聞いていると、どうにも統治の手際が悪すぎるように思うのだが、なぜなのか。
私見であるが、アゴスチニヨは、カンパクという権力から自分はこれだけ重用されているのだという自信が強すぎると感じる。
それこそがアマクサの土臭い民衆にとって唾棄すべき本質であり、不信感の原因なのに。
ただ、それを薄めろというのではない。
カンパクと渡り合うには、尊大さも傲慢さも必要だろう。その臭みはオーザカへ向けて常に高く維持し続けていてほしい。
しかし領下に向けてはならない。
アマクサの民と語らう時は仲介人を置くべきだ。双方の性格をわかってる者を間に立てた上で、そこで戦闘力を誇示するならば、民衆は、カンパクに物申せる自分たちの代弁者として領主を応援することができる。
どちらも信徒なのだから、仲介人にはパードレが適任だ。
なぜ運用しないんだ。
相談ならいつでも乗るのに。と思うんだよなあ。
ひとまず今はどちらも意地を張り合っていて私の声にも耳を傾けてくれないので、もう少し様子を見るか、というところ。
アリマやナンガサキの信徒が萎縮をこじらせているのと対照的に、アマクサ信徒の元気とハチャメチャぶりには生命力が漲っている。朝は鶏が鳴くより早く鞭の音が轟き始めるというし、カチウラへ移転したノビシヤドでも影響を受けて、畑をつくり自給自足態勢の確立を教練に加えるようになった。
駐在パードレたちはこんな島民と暮らしているので、どうしてもアゴスチニヨへは味方をしづらい雰囲気が強まる。
ニエッキが孤立するのと一緒なのだよな。
どうにかならないかねえ。
ついでに、ブゼン国のシメアンも同じような臭みがつきまとってか、地元の民衆と揉めているらしい。やれやれだ。
相談の依頼は、パードレに余裕があるうちに頼みますよ。