ヴァリニャーノの来日を、固唾を呑んで待ち続けた。
結果論からいうと、来なかった。定航船団そのものが、来なかった。
だが、はぐれジャンクがアマクサに漂着。水をもらってすぐヌエバへ向け出立したという報せが入る。
昨冬モウラと共に派遣したイルマンのひとり、アマドール・ゴイスが待っていると聞いて、私はすぐ駆けつけた。
きな臭い香りがぷんぷんする。はたしてどんな指令を携えてきたのか。
サシノツ港で、さっそく秘密会談を始める。
ここでヴァリニャーノは来ないことを知らされる。決定事項だそうだ。
日本駐在員からの要請は伝えた。
しかしヴァリニャーノとしては、戦力を率いての外交という大任に自信が持てないようだ。だから一年、様子見するんだってさ。
現実的な問題として、ひとたび日本へ来てしまえばゴアやフェリペナスからの情報に半年以上、接することができなくなる。インディア管区長としての業務に差し障るからという言い訳をしているそうだ。
とっととケリをつけて、半年ですぐ帰りゃいいじゃないですか。
意気地無しだから、責任もとれない。
日本対策を一年間放置することで、いったいどれほどの損失が発生すると思っているのですか。
見損なったぞ、ヴァリニャーノ。
ちなみに、正式な通達ではない。
アマドールはコンパニヤから除名された。
イルマンではなく一介の船乗りとして、どうしてもこれを日本の仲間に伝えなくてはという使命感に押されて、わざわざ教えにきてくれたのだ。
むしろヴァリニャーノ自身は、日本へ経過を知らせる手段をとろうともしていなかった。
どれだけ我々を愚弄するのか、あのナポリタン小僧。
アマドールは私に、小包をひとつ手渡した。
「取扱注意」とだけ、書かれてある。カブラルの筆跡だ。
開けようとしたら、アマドールに止められた。
「くれぐれも、慎重に。
帰ってから、開封してください。きわめて強力な薬みたいです」
……私は、察した。
カブラルは、元気にしていたかね?と、符丁のつもりで呟いた。
「パードレ・カブラルは、今はゴアかコチンにいるはずです。ヴァリニャーノが左遷させたと聞きました。
それより前に、パードレ・フロイスがこれを依頼されたということですが。
この包みは、ジョアン・クラストというプロクラドールが、アマカウの事務所で大切に保管してくれていたものです。必ず、本人に手渡しせよと厳命されて、持ってきました」
つい目頭が熱くなる。
これは、かつて、今ほど手強くなかったカンパクに対して、使おうとしていたものだ。
いまさらかよ。ほんと、いまさらだよ。
でも、いまこそか。
なんとか、どうにかして、使う手段を考えよう。
カブラル、ありがとう。私はまだ、戦える。百万の援軍を得た思いだ。
アマドール、モウラ、そして2年前出国してやはりヴァリニャーノから除名を宣告されたガスパル・マルティンスたちは、日本にいては決して知ることのできない、東インディアの包括的な世界情勢を、精力的に集めてくれていた。
なんと、手堅い情報だ。
すでにこの管区における軍事的優位は、フェリペナス諸島、とくに首都マニラを擁するルソン島に一極集中しており、必然的にフェリペナス総督こそが東洋の秩序を監督する存在として認知されている。
ポルトガルが開拓したゴアやマラカ、モルッカなどは個別にフェリペナスと友好条約を結んでおり、交易や文化導入なども着実に発展しているところだという。
アマカウは、北に広大な領土を持つ大陸国家チイナの出島であり、チイナの役人に管轄されている。交易の旨味は商人たちには理解されているが、ずっと内陸のチイナ王宮は未だ諸外国との親善そのものに消極的で、門戸を固く閉ざしている。
長年日本からの掠奪者が絶えなかったため、防衛意識が過剰に強くなってしまったのだろうというのが定説だ。
以前はフェリペナス総督がチイナの広大な未開発領土に誘惑され、武力にてこれを征服せんと欲していたこともあったようだが、現在では、対話を重ねて門戸開放が双方に利益をもたらすことを説得し、両国民をより豊かにさせるための条約を締結したいという方向で取り組んでいるとのこと。
チイナの民衆が特別に日本人を嫌っていることを配慮するようになってからは、フェリペナスから日本への接触も敬遠されるようになった。
なるほど。全部すっきり説明がつくものだな。
我々にとっては、追い風だ。
フェリペナス軍が日本を屈服させ、カンパクを斃してデウスの信徒である善良な王を据えさせたと、チイナに認めてもらえれば両国間の信頼関係は急速に高まるだろう。
日本にはもともと耕作地が少ないので領土欲の対象にはなりにくい。新君主はあとで決めるとして、ともかく日本人を教化するための時間をしばし、いただこう。
他の修道会参入も、この際歓迎する。
日本中に染みつきつつある官僚丸儲け体質を一日も早く払拭させ、東洋広域布教圏の一角として諸国から迎えてもらえるような存在に、早くなるのだ。
方針は決まった。
こうなると、チンタラ手ぬるいヴァリニャーノよりも、とっととフェリペナス総督に連絡をとりたいものだ。
マニラのイエズス会上長はセディーニョだったか。
ああ、もどかしい。冬にならねばマニラへは行けない。船も、どうしよう。日本を旅立つ手段がないぞ。……ここまで考えて、最大の難問に気付く。
アマドールも、頭を抱えた。
そうなのだ。日本にいる我々は、誰の救けも呼べない。
風と海流が、この島国を世界から隔絶している。
年に一度だけ道は開かれる。
脱出するのも、潜入するのも、一年おきだ。
まるで檻だ。牢獄だ。
常に監視され、自由を奪われ、いつでも好きなだけ弄ばれる。
この現実を、あらためて直視することはつらかった。
来夏こそヴァリニャーノがやって来るとして、彼にいったい何ができよう。
我々が何をしておけば、突破口を開くことができるだろうか。
新たな課題が生まれた。頼みの綱は、フェリペナス艦隊。
その協力を得るための、最短の道筋は、何か。
……はっ。
モウラは、まだ、アマカウにいるか?
「はい!パードレ・モウラは、ヴァリニャーノと激論を戦わせ、やはり、パードレ・フロイスと同じ失望を味わっておられました。
あの方はもともと、マニラへの軍事援助要請ありきで動いておられましたから、きっと、向かわれるはずです。今夏は間に合わなくとも、来夏こそ、突如フェリペナス艦隊が南の洋上を埋め尽くす日が訪れることを、私も願ってやみません」
それしか、ないな。期待しよう。
モウラよ、頼むぞ。君の双肩に我々の勝利がかかっている。
この希望は、北極星よりも明るく、正しき未来を指し示してくれるものだった。
秘密会議は、ここまでだ。
アマドールは、インディア管区長によって除名された扱いなので、私の力で再入会させることはできない。
だが本人も、聖職者の道へ復帰することは望まないそうだ。
また漂着船があれば、次はヌエバへ行ってみたいという。
君なら、どこででも勤まるだろう。
当座のカネは用立てよう。困ったことがあれば言ってくれたまえ。
アマクサでは、信徒たちが、大いに自由を満喫している。
中央のちょっかいを自分たちの実力のみで撥ね返した、独立心の塊のような老若男女たちだ。
困ったことはすぐに相談しあい、何でも自分たちで決める。
相手の自由と責任も尊重し、納得するまで話し合って、納得すれば妥協する。
皆が堂々としている。
アゴスチニヨやシメオンの兵たちは、統率され機能的に動くことにかけては確かに信徒らしくはあるのだが、一人ひとりが考え、決めて行動するという即応性において、アマクサ民衆には敵わない。
アリマの市民も、信徒として忠実に教えを守るという点では合格点以上だが、戦闘経験を持たないせいか、信仰心を超えた実力を磨く機会に恵まれない。
来るべき日本の未来に備え、ここアマクサの精神は、大いに称揚し、普遍化し、セミナリヨやノビシヤドでも教えて、広く波及させていきたいものだと考える。
そんな時代がくれば、チイナ人も、日本を尊敬してくれるようになるだろう。
そうなれば、日本にはもっと多くの、実り豊かな交易品が、もたらされるようになるよ。
皆が皆、通りすぎてヌエバへ行ってしまうような、そんな島では、なくなるはずだよ。