戰國ぢあぼろす   作:ひねもす@HAMELN

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SengokD.1590/003.hmos

聖週に入る直前だった。

上の階で、どすんと、音が響いた。

 

エイトールという従僕が、見に行った。コエリュがすっ転んで、肩を床にぶつけたらしい。

ずいぶんおかしな姿勢で寝ていたようだな。と言うと、運動をしていたみたいですという。

運動?

聞けば、コエリュは最近よく部屋の中で体を鍛えているらしい。食事の量も少し多めに欲しがる。ただ、恥ずかしいから誰にも言わないでくれと、いつも従僕には頼んでいるそうだ。

痴呆が進んで要介護。長らくそんな状態で、部屋には鍵をかけさせていた。

しかし、快くなってきているようなのだね?

 

私は、エイトールに、提案をさせてみた。

 

「具合がよろしいのでしたら、外へ散歩に出られませんか?

パードレに許可をもらってきましょう。私が付き添いますからといえば、きっと大丈夫でしょう」

 

「どのパードレから許可をもらうのだ?」とコエリュは訊いたそうだ。

 

「パードレ・アントニオ・フェルナンデスが階下におられます。パードレ・フロイスは書斎に籠もられていて、お邪魔すると怒られそうですから……」

そう言うように、命じておいた。私は、姿を隠しておく。

 

コエリュは、抜き足差し足こっそりと出て行った。

エイトールには、溜池をぐるっと一時間かけて回ってくるように指示してある。

さて、ほどよい間を空けてから、私は布教長の部屋へ入る。

 

梁に手をかけて懸垂をしていたのだな。汚れが付いている。

かなり、やりこんでいたようだ。

まったく油断ならないことだよ。

慎重に、外部との通信が行われている形跡がないか確かめる。

相手を痴呆と侮るべからず。見つかればただではすまないことを覚悟して、隠しているはずだ。

私も、知恵を振り絞る。

元通りにしておく必要もあるから、無茶な探し方はしない。今日だけが機会でもないからな。

 

紙と筆記具をエイトールに差し入れさせるという手もあるか。

彼を味方だと思わせておくことで、尻尾をつかむことを容易ならしめるのだ。それで、いいか。

今日はここまでとしよう。

 

その夜、エイトールを、つまらぬ理由で叱責した。

エイトールは意地を張り、私との関係はこじれた。他の従僕たちが冷や冷やしながら成り行きをうかがう。

エイトールは、こっそり、布教長に告げ口をした。

布教長はエイトールに同情し、私への悪口雑言をとめどなくあげつらったという。

 

白衣の主日を迎える前に、私は、コエリュが悪魔に乗っ取られてしまっているという完全なる証拠をつかむことに成功した。

彼が布教長に任命されて9年。日本でのコンパニヤをめぐる状況はひたすら悪化を極めている。

コエリュに言わせると、その原因のすべては布教長ではなく、その秘書にあるということだ。

論理的に成り立たない。

秘書が勝手にやりました、だと。責任の所在はどこだ。誰が布教長だ。おまえは9年間、何をやっていたのだ?自分のことはほっかむり。知らず存ぜぬわかりません。こんな怪文書を、ヴァリニャーノが来たら手渡そうとしていたのだ。

一笑に付されることがわかりきっているとはいえ、混乱を招き、貴重な時間を無駄にしてしまうことは避けられまい。

悪魔め、恥を知れ。

 

コエリュの頭脳のはたらきは明晰だ。それは疑いない。

にも拘らず、エイトールと二人きりのとき以外では、頑なに白痴を装ってる。私が部屋へ入っていった時は特にそうだ。

阿呆の芝居が上手いこと上手いこと。

その仮面の下では、私への歪んだ憎悪が渦巻いている。

私が何をしたというのだ。自分自身を直視せよ。おまえは、御主に向かっていかなる申し開きが可能か。

言いたいが、こらえる。

窮鼠猫をも噛むという。秘かに鍛えたその鉤爪で、私の喉を引き裂かないとも限らない。

私は自衛権を行使しよう。

この日のためにデウスはカブラルを通して私に秘薬を授けたもうたのだ。思い知れ悪魔よ。正義は常に、おまえたちより一歩上を往くものだ。

 

現実的な悩みが、ひとつだけある。適量がわからない。

小包をいくつもほどくと、粉末の入った小瓶がひとつ。説明書の類いは入っていない。

ゆくゆく、カンパクにも使わねばならぬ貴重な薬だ。はたしてどれほどで悪魔を仕留められるものか。無駄に試す余裕は無い。

ここは厳密に定量化しよう。コエリュは予行演習だ。

 

鼻息で飛ばないよう布で顔面を覆う。コレジオから借りてきた匙と秤を使って正確に取り分ける。聖体をつくる要領で餅の中に混ぜ込む。直接手で触れないよう細心の注意を払う。

ひとまず10粒の丸薬を作成した。これを1日1個、コエリュへの食事に混入させる。私からエイトールに命じるとさすがに露骨すぎると思い、別な従僕にやらせた。

大きめの瓶に入れ、これは強壮剤で、体の弱っている者にだけ与えるべしと炊事場に置かせた。ここでそれを必要とする対象はコエリュしかいない。

さりげなく誘導し、コエリュの膳の、汁物に入れさせる。

彼は食事を自室で従僕から食べさせてもらっている。寝たきり老人の仮面をかぶっている限り、この習慣は枉げられまい。

届けて食べさせ膳を下げる従僕はとくに決まっていない。エイトールが担当することもある。誰でもいいのだ、結局。さて実験開始だ。

 

1日目。変化なし。

2日目。変化なし。

3日目も、4日目も、変化なし。

 

おかしい。量を少なめに見積もりすぎたか。

日数が延びると、毒素の蓄積効果も薄れてゆく。

エイトールにさりげなく聞いてみる。布教長の様子はどうかねと。

あいかわらず、私の悪口が止まらないそうだ。

 

この手で今すぐ首を絞めてやりたくなる。しかし、困ったな。

夜中、丸薬を作りなおす。

分量を多めにして、炊事場の瓶に入れ直した。

 

翌日は眠くて、原稿が捗らなかった。

5日目。まだ生きている。

だが、夜、いつもより早く就寝していたという報告を受けた。

少し熱があるようだ。いけるかもしれない。期待を持つ。

 

6日目。コエリュの具合は、明らかに悪くなってきた。

寝床に横たわったまま、ゼイゼイと息を荒げているらしい。

強壮剤をもっと与えよう、と言い出す者がいた。

ここで私が止めさせるのもおかしいだろう。

毎日瓶の中の数だけを確かめることにして、従僕たちの善意にまかせた。

 

7日目、いよいよ瀕死に陥る。

信徒や、近傍のパードレたちが続々と見舞いに訪れる。

私は敢えてコエリュの部屋には近寄らなかった。私の姿を見た途端、何を叫ばれるかわかったものじゃない。

私がいなければ、それはそれで誹謗中傷を撒き散らしていることだとは思うが、所詮末期の戯言とむしろ同情してもらうさ。

何といっても9年間、こいつの秘書をしていたのだ。

朦朧とした頭の中に私の名前が一番多くよぎったとしても当然じゃないか。それより悪魔が確実にとどめを刺されてくれるかどうか。これがなにより肝腎だ。

あとひと息。止まれよ、早く。

しぶといな。

 

「いよいよ、やるのか」

何人かからそう聞かれた。なんのことだか。天命さ。

それより今後のことを考えておいてくれ。新しい布教長を私たち自身で決めなくてはならん。

コエリュありきの今までのやり方とは、体制がガラリと変わるぞ。

パードレにも信徒にも、雄々しく号令を出せる人物でなくてはならぬ。インディア管区長とも渡り合ってもらうからな。

脚本は私が書く。最高の配役を提案してくれたまえ。

 

8日目の朝。すでに意識はない。

が、まだ幽かに息をしている。

なぜここまでしがみつく。安心しろ、おまえの行先はパライゾだ。私たちが盛大に見送ってやる。だからこれ以上手間取らせるな。

 

パードレ・サンチェスが楽隊を連れてきた。荘厳な歌ミサが始められた。

しばし、時を忘れて聴き惚れた。

その最中に、偉大なる日本布教長パードレ・ガスパール・コエリュは安らかな笑顔をのこし、デウスのもとへ旅立った。

 

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