戰國ぢあぼろす   作:ひねもす@HAMELN

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SengokD.1565/007.hmos

ミヤコ地方の日本語は、シモで使われている日本語と、かなり違うのである。

音韻が同じでも、アクセントの置き方が悉く違ったりもする。

方言という範疇を超えている。リジボーア語とガリシア語くらい違う。

 

私のシモ語が伝わらなかったのはもちろんだが、大小ジョアンたちでさえ、苦労している。

説教の台本は、作り直しが必要だ。

慣れるまで、時間がかかりそうだ。

 

以下、まとまらないのを承知で、ミヤコの雑感を述べる。

 

教会には若い男が多く、熱気で汗臭い。

かれらの多くは、兵士なのだ。教会は、合宿所のように使われていた。

狭いので宿泊所は別に設けられているが、かれらは朝から午過ぎまで教会に来て、説教を聴く。

教えを理解して洗礼を受けると、新しい者と入れ替わる。

 

主君は、アンリケやジョルジといった小領主。

かれらの更に上位へ君臨する、ミヨシドノという王がいて、当人はまだ洗礼していないけれども、デウスの教えには理解を示し、我々を庇護してくれている。

 

現在、ヴィレラが訪問している先が、ミヨシドノの城。

ミヤコからは、道順にもよるが12レグワほどの距離にある。領国名では、カワチという。

 

国と領土の複雑さも、シモの比ではない。

 

ミヤコはヤマシラン国に属し、ここを中心とする5領国をキナイまたはテンカと呼ぶ。……と必ず説明されるのだが、ヤマシランはキナイ地域の北辺に位置する。

山に囲まれたヤマシラン国では、海に面した国の漁民を野蛮人と軽蔑する傾向がある。シモから来たと言えば、パードレといえど尊敬されなくなる。

そのくせ鮮度の落ちた生魚を珍重するのだから、たまったものではない。

私はこの一点だけでも、ミヤコ人がいかに良識を欠いた粗野な迷盲者で、ただ首都だからエライのだと驕り高ぶっているだけであることを主張できるのであるが、ヴィルトゥスを損ねたくないから黙っておく。

喧嘩をするにしても、もう少し相手のクセと力量を知っておいてからの方がいいからね。今に見ていやがれ。

 

キナイ5領国といえば、ヤマシラン、カワチ、ヤマト、イズミ、そして、ツノ。

オーザカは、ツノ国に属す。

その南隣に、ディオゴ殿の住むサカイがあるが、サカイはどの領国にも属さない。

独立都市サカイは、住民の互選で代表を決め、市民軍と傭兵で自分たちを守る。

かつて私はフィラドを日本のヴェネツィアのようだと形容したが、サカイこそが日本のヴェネツィアであると訂正しよう。

私はミヤコよりも、サカイに教会を建てるべきではないかと考えている。

ミヤコは、ヴィレラにまかせておけばいいんじゃないか。

早く帰ってこないかな。

 

ミヤコ人の気質としては、住民が皆尊大であることに加えて、攻撃的であることも、注意せねばなるまい。

イルマン・フェルナンデスから聞いた様々な教訓がいま、どれだけ私を助けてくれているかしれない。

坊主との宗論も、本格的なものを体験した。

純粋に求道中の兵士たちですら、難しい質問を矢のように浴びせてくる。

難しいというのは、かれらが生まれてから今日まで教えられてきた数限りない誤りが、デウスの教えを学ぶにあたって、鋼のごとき障害となって立ち塞がるからだ。

かれらはその壁を甚だ攻撃的に破壊しようとする。

破片は私に向けて突き刺さってくる。

私の心は血を流す。

毎日、毎日、癒える暇も無く。

 

「デウスがそれだけ慈悲深い存在ならば、なぜ人間をここまで無知蒙昧で、他人を妬み嫉み恨み憎みやすく、簡単に堕落してしまうようにつくられたのか。ひどいではないか」

 

それはちがう。人間は自ら堕落したのだ。デウスのせいではない。私たちはその罪を背負って生まれてはくるが、どれだけ困難に思えてもその壁は必ず乗り越えられるようにできている。そのことを疑ってはならない。

 

「アダンとヱワは禁断の実を食べて罪に堕ちた。デウスはなぜそんな罠を、手の届く場所に置いていたのか。事前に説明はされていたのか。いきなり宣告されたのか。ひどいではないか」

 

聖書には、事前に説明したと書かれてある。日本語訳は簡潔にせざるをえないため省略されているが、デウスは禁断の実を楽園の奥に隠しておいたのだ。蛇にそそのかされたとはいえ、人間が約束を破ったことは事実だ。これは認めなくてはならない。

 

「アダンとヱワが罪を犯したからといって、なぜその子孫が一様に同じ罪を背負わされているのか。アニマが清浄につくられているなら、肉体の中にある原罪を引き継ぐなど、おかしいではないか」

 

人は、無垢の状態で生まれる。とはいえ、両親や国、時代などはあらかじめ定められている。それと同じようなものだ。アダンとヱワの罪は人間という存在そのものに刻まれたのだから、外して生まれるということは起こりえない。しかし、イエズスに倣いて生きれば、この原罪も赦される。それこそが慈悲だと考えなくてはならない。

 

「蛇はいいなあ。人間は知恵があるから苦しみも深いが、蛇は罰を受けてもそこまで苦しみようがない。やはり、デウスは不公平だ。ひどいではないか」

 

たしかに蛇には人間ほどの苦しみはあるまい。しかしそれ以上に、人として生きる悦びもまた、享けられない。あなたは今日まで、人間だからこそ得られた悦びに、感謝したことはないのだろうか。よく考えてみてほしい。禽獣として生きるなら、禽獣としての悦びしか得られない。私たちは人としての悦びを噛みしめて生きていくべきである。

 

「善行を積みながら、何十年も生きる。これは、つらいことでもある。しかも、生きている間にその報いをいただけない。むなしいだけだ。ひどいではないか」

 

それこそ、心得違いである。アニマは永遠不滅である。その中の、ほんの数十年を、我々はこの地上で、試されて生きる。たったそれだけを耐えられないようでは、あとに永遠のインヘルノが続く。地上での苦しみなど、おままごとであったと、後悔することになるだろう。しかも、善行は無理をして積み上げるものではないのだ。あなたは自分にできることをするだけでよい。それでじゅうぶんなのだ。どうかな。理解してもらえるかな。

 

「私は兵士だ。私にできることといえば、人を殺すことだ。十戒には、人を殺してはならぬとある。私が洗礼を受けることは、デウスの導かれる世界平和にそもそも違反してはいないか」

 

よいことに気付いた。あなたは賢い。そのことに自信を持ちたまえ。たしかに殺人は大罪である。しかしそれは私怨や、現世的利益を目的に行う場合について言っている。死刑執行の官吏などには、この法は適用されない。戦争は、避けるべきものがほとんどではあるが、侵略に抵抗する場合や、悪しき者どもと戦うべきときなど、認められる状況も、少なからずある。まして職業軍人である以上は、あなたがデウスの信徒だからという理由で、求められる職務を放棄するべきではない。

なすべきことをなし、デウスが望まれることは、しなくてはならない。

ただ、常に感謝を忘れぬよう、道を踏み外さないよう、しっかり考えて行動し、祈りたまえ。

どうかな。理解してもらえるかな。

では、洗礼を授けよう。霊名を、この中より選びたまえ。

 

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