SengokD.1563/003.hmos
日本人には、天性の素質がある。
もちろん、創造主デウスがそのようにかれらを創りたもうたからである。
それにしても学習能力の異様な高さと、集中力、忍耐力。汲めども尽きぬ好奇心。慎み深さ。あらゆる点でかれらは、エウロパ人を遙かにしのぐ。
言い過ぎか?
1500年にわたり、この黄金郷は世界に知られず、福音をもたらす使徒も訪れることができなかった。
御主も、大航海時代の最後に、とんだ御褒美を準備されておかれたものだ。
1000年前、この黄金郷に悪魔がやってきた。
悪魔はたちまち、純真無垢な原住民に邪宗を吹き込んだ。
その疫病はかれらのアニマをインヘルノへと突き落とし、何十世代にもわたって文化と習俗をねじ曲げさせた。
気高き人間となるべき子羊が、悪食で愚鈍な豚へと家畜化されてしまった。
御主も、とんだ試練を我々のために準備されておかれたものだ。
一週間で、私は100人近くに洗礼を授けた。多くは子供たちだ。
日本人従僕たちに通訳をしてもらいながら、ラテン語で秘蹟を行う。
信徒にしてよいか否かは最終的にパードレ・トルレスの判断を仰ぐ。
パードレ・トルレスは今年の初めに足を挫き、杖を使わねば立っていられないため、司式するのが困難だ。
フェルナンデスも、忙しい。
ようやくやって来た私たちには、やるべき仕事が、汲めども尽きぬほどあった。
秘蹟といえば、コンヒサンも、大いなる課題だ。
ミサや葬儀は、ラテン語でもなんとかなる。結婚については別の問題があるが、複雑すぎるので今は触れまい。
コンヒサン。こればかりは、日本語が理解できない限り、なんともならない。通訳を介すわけにはいかない。
しかし火急に必要なことなのである。
現状、アウグスティヌスやパウロら優秀な日本人少年たちに、まかせっきりにしている。
かれらの能力を超える内容であれば、フェルナンデスが呼ばれる。
イルマン・フェルナンデスにのしかかる重責は、こうして際限なく膨れあがっていく。
どうにかできないものか。
私も、早く日本語を修得しなければならない。
私には日本人並みの学習能力・集中力・忍耐力は到底、備わっていない。そのことが、うらめしい。
主日は、そんな私たちにも、ひとときの安息を与えてくれる。
来日して2度目のドミンゴ。私は信徒の家に招待され、数名の通訳を連れて訪問した。
多くの刺激を受けた。
主日には、村の様子が一変する。
西集落の畑からは人影がなくなる。一方、東集落では日の出から日没まで、人の姿の絶えることがない。
日本人は、休むということを知らなかったのだ。
雨の日と、冬の雪に埋もれる季節以外は、ただひたすら寸暇を惜しんで働きつづける。
これもまた、悪魔の広めた家畜化の最たるものと、我々の目には映る。
招待主の家族は皆、敬虔で、アブラハムのように幸福な家庭を築いていた。
コンヒサンというほどではない質問を、たくさん受けた。
かれらは信仰について、どこまでも真剣に考えようとしてくれている。
なぜ御主は、1500年も日本人を無視しつづけていたのか?
自分たちのアニマがパライゾの門をくぐるには、一体どれほどの善行を、残された余生のうちに積まねばならないのか?
そして、悪魔の囁きに立ち向かい、邪宗徒を改心させるためには、何が必要なのだろうか?
汲めども尽きぬ無限の迷いと、かれらは日々たたかっているのだった。
私は答える。
御主は、すべてを見透しておられる。
決してあなたがたを無視などされていない。
ただ、我々宣教師の力が足りなかったばかりに、日本へ来るのがこんなにも遅れてしまったことは、カウトリカを代表して、申し訳なく思っている。
モーロ人との戦争が終わり、イエズスのコンパニヤが設立されて、16世紀も半ばになってやっと、私たちは世界の涯てまで到達することができた。
それもまた、永い闘いであったことはどうか理解してほしい。
むしろ御主は私たち人間に、決して、克服できない障害はお与えにならない。
同じく全ての信徒は、各々が持てる能力を超えて奉仕することを、求められるものではない。
余生がどれだけあろうとも、御主があなたのアニマをみもとに呼ばれるそのときまで、日々祈り、戒律を守り、よく働きよく休み、支えあい与えあって生きていさえすれば、それでじゅうぶんなのである。
悪魔は、今はまだ我々より数も多いし、手強い。しかし最後には滅び去る。
急いではいけない。かれらの罠にのせられて、躓いてもいけない。
正しく生きていさえすれば、おのずから、風は良い方向から吹いてくる。
それだけでいい。それだけのことなのだ。
私たちは、それだけを伝えるために、はるばる、ここまでやってきました。
信徒の家を見て、気になったことがある。
黒い斑点が、そこかしこに。
血痕だ。
玄関口、靴を脱ぐところと、その周辺に特に多い。
教会と、同じものだった。
丘の上の教会は、去年、新築されたばかりだ。掃除もこまめにされている。
だが、主に入口付近で、こびりついた汚れを見つけた。
なんとなくだが、気になっていた。
今日、信徒の家で、同じような斑点を見ているうち、これは血飛沫のあとではないかと気付いた。
日本では、絶え間なく内戦が続いている。
メステレ・フランシスコが訪れたときも、首都ミヤコへ辿りついたものの一面の廃墟だったため、大王に会うこともできず、引き返してきたという。
ミヤコを中心とした66地方の領国が、互いに戦争をくりひろげている。
できすぎじゃありませんか御主。いくらなんでも。
もちろん、兵士どうしの争う本格的な戦闘なら、あの程度の血飛沫ではすむまい。
貴人が衆人に、カタナで斬りつけたのか?その場で。
ありえるかな。そう考えたりしていたものの、誰にも聞く勇気はなかった。
というより、毎日が忙しくてそんな会話など、する余裕もなかった。
だが、あちこちで同じ血痕を目にするとなると、これが日本の日常なのかもしれないと思ったのだ。
折を見て、フェルナンデスに聞いてみようか。
いったい、何が起きたのか。
私たちの聖なる美しい教界で。