戰國ぢあぼろす   作:ひねもす@HAMELN

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SengokD.1593/005.hmos

ミヤコの知事から、呼び出される。

フェリペナスの使節として首都まで来ておきながらなぜ表敬訪問をしないのか、とお叱りを受けた。

その通りでした。ごめんなさい。

 

91年にSJインディア管区長バリニャーノが来訪した際、タイコーとの会見を調整するため駆け回ったという知事は、SJにもディオスの教義にも造詣が深く、我々では思いもよらない情報を大量にもたらした。

ガルシーアや私がその場で備忘録をとることも許可してくれたし、「不明なことや困りごとがあればいつでも相談を申し込め、献上品は要らない」とも言ってくれる。

もしも自分が日本語を話せたならば、感激のあまり自制を失っていただろう。通訳に頼らねばならないがゆえに、私は冷静でいられた。いいことだ。

 

バリニャーノは、追放令が出され、日本中に散らばっていたSJパードレたちがシモへ集められ、息をひそめて暮らしているところまでの情報を掴んだ上で、来日した。

日本では常にインディア王国使節として振る舞い、ルゥーマで教皇猊下へ謁見して戻ってきたという少年たちの凱旋に付き添ってきただけですという姿勢を崩さず、結局追放令に関してはまったく何ひとつ進展を求めもせず、離日していったようだ。

 

知事がむしろ我々に、それでいいのか?大丈夫なのか?と尋ねる始末。

絶句するしかない。

しかも彼の来日は、より悪い副産物をもたらした。

インディアからの膨大な貢物にタイコーと側近たちは狂喜乱舞する。

知事がたじろぐほど高圧的な返書が作成され、草稿の段階で確認させたにもかかわらず、バリニャーノたちは異を唱えることもなく、最終的に清書版を恭しく受け取って、出帆していったのだそうである。

 

世界は広いようで狭い。ポルトガル人は大船こそ持っているが、臆病者で腰抜けだ。

すっかり自信をつけたタイコーは、日本全土に非常呼集を号令した。今こそ、日本が世界へ羽ばたく時が訪れたぞ。そんな野心が、噴出したのだ。

民衆も沸き立った。猫も杓子も、シモへ向かった。

おかげでミヤコは少し静かになった。

 

昨年、タイコーの母親が急逝し、そのため数箇月の空白が生じたが、ナゴヤへ戻ったタイコーは以前より精力的な作戦指揮を執るようになる。

今夏、ミヤコへはすでにグランチナの降伏が伝えられていた。

我々がナゴヤで会見した日の前後、グランチナからも交渉団が来日しており、実は大忙しだった模様である。

さっぱり気付かなかったが、そうなのか?

 

それにしても、グランチナが降伏したとは。

我々の常識的には絶対ありえなく思われるのだが、ここで反論しても始まらない。

ただただ驚いた顔をして、うまく話を合わせるしかなかった。

 

我々がミヤコへ向かったあとで、ポルトガルの定航船がナガサキへ入港したとも知らされる。

船長やツヅたち数十名が華麗な出で立ちでナゴヤまで赴き、タイコーへ謁見した。大いに歓待してやったぞ、という陽気な手紙がミヤコ知事のもとへ届けられたという。

 

ツヅという名は、前にも聞いた。

本名はジョアン・ロドリーゲス。

SJのエルマーノで、タイコーのお気に入りだという。

もしかしてあいつかも、とガルシーアがつぶやく。

ツヅの話は、夜聞こう。

それよりタイコーがグランチナの次にどこを攻めるつもりか、探れないか?

 

知事の予想では、おそらく一時停戦となる。

秋頃タイコーには子供が産まれる予定だ。

残務を側近たちに任せて一度ミヤコへ戻り、来春まではずっと子供を抱いて過ごすだろう、とのことだ。

 

タイコーは数年前、初子を授かったが、3歳で病死した。

同じ年の初めに、タイコーを若い頃から支えてきた実弟も亡くなり、日本全土が悲しみに包まれていたのだそうだ。

バリニャーノがミヤコへ来た年なんですか。じゃあ91年だ。

エイジア全域を侵略するなどという向こう見ずな大計画が奏でられた背景として、タイコーが孤独の淵に立たされていた影響は小さくなかっただろう。

直情的な人間が極端すぎる方向へ突如として走りたくなる状況そのものに思えるし、今の日本は未熟な帝政だから歯止めもきかない。

バリニャーノがそこへ大量の燃料投下をしてしまったわけだ。

 

返書を訂正させなかったという一点は解せない。外交官として失格だろう。

何らかの事情はあったと思うが、いずれにしても誤りだ。最悪、武力衝突に解決を求めるしかない展開へ進む。

勝算があるなら、まだわかる。

しかしエウロパの海洋国家でポルトガルほど軍事に疎い連中はいないし、それを反映してインディアのSJ管区はまともな海軍力を保有していない。フェリペナスでは常識だ。だからマルーコ諸島の治安維持にまで、マニラ海軍が出張させられる事態まで発生しているのだ。

ポルトガルを連合王国の末っ子だと思うからこそ手伝っているけれど、呼べばすぐ来ると思われては困る。

そして、私たちが出国するまでバリニャーノは沈黙を貫き、今夏、マカンから定航船を寄越してタイコーとにこやかに歓談させた……

なんらかの密約が成立している疑いが濃い。

すでに、インディアSJが日本王タイコーと直接軍事同盟を結んでいる可能性すら、ある。

インディアSJが大陸の南側からも手を回してグランチナに降伏宣言を出させた?

……これなら、辻褄が合う。まだ、仮説だけれど。

 

ミヤコ知事からは、今後も情報をいただかなくてはならない。足繁く通おう。

もっともっとこの人と親しみ、私が日本を大好きになっていることを、感じさせよう。そこに解決の糸口がある。私たち全員を破滅の淵から引き返せる、手懸りが。まちがいなく。

私は、そう確信した。

 

ホーガンの邸へ戻り、我々はすぐ情報の整理に取り掛かる。

ゴンサーロ・ガルシーアに、ツヅのことを詳しく訊いた。

 

「私と同じく、77年に来日した男です。私はバサインの生まれですが、ジョアン・ロドリーゲスはポルトガル出身で、各地の教会やレジデンシアで使役されました。

SJは人使いが荒いので、ありとあらゆる汚れ仕事をさせられましたが、おかげで日本語の習得も早かった。

ジョアンは日本人と交渉して食糧や薬をもらってくるのが得意で、私はその薬を処方する役でした。他にも、鍼や按摩という療術を覚えた奴もいたし、そうやって皆で助け合いながら、来る日も来る日も、パードレやイルマンたちからの体罰に耐えてたんですね。

87年の追放令で、イラド、ナガサキ、アリマ各地に我々は押し込められて。あの頃のパードレたちの殺伐ぶりは、言語を絶するものがありました。

翌冬、定航船が離日する際、私はうまく潜りこんで脱出を果たし、マカンを経てルソンへ渡り、マニラでOFMに入会した次第なのですが。

ジョアンはずっと日本へ留まって、今や、SJのエルマーノ。あのタイコーや、ミヤコ知事にまで気に入られる有名人に成り果てた。

私は複雑な心境です。喜んでやりたいような、ないような」

 

つらい話をさせてしまった。今夜はゆっくり休んでほしい。

その前にひとつだけ、聞いておきたいのだが。

ゴンサーロ・ガルシーアよ。君は、日本へ戻ってきて、大丈夫だったのかね?

これまでも、これからも、君がSJの誰かと接触するのには危険が伴う。

私の調査活動に、これ以上君を巻き込むことはできないと考えるのだが。

 

「なにをいまさら。私は志願してここへ来たのですよ。

日本の暴力をゆるしてはおけない。誰かがそれを止めねばならない。

そのために私の日本語力は欠かせないはずです。

フライ・ペドロ・バウティスタよ。私を限界までお使いください。私はいつでも、あなたの楯です。

ただし、約束してください。必ずこの国から悪魔を追放すると。

それだけが願いです。私の犯してきた罪は、そのとき初めて、償われるのですから」

 

重い責任を課されてしまった。

わかった、誓うよ。

私は、必ず、謎を解く。

 

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