トマスが、若い女性を連れてきた。妻だという。
名は、モニカ。
見上げられると、その大きく鋭い眼差しに、気圧される。
他者を交えず、茶室へ籠もる。
モニカは若干だがポルトガル語とラテン語を話せる。私はポルトガル語を話せないので、トマスの手助けを借りながら、ラテン語を主にして鼎談をした。
二人同士は日本語で話しているが、互いに相手を深くいたわりながら語り合っている感じがする。なんとなくだ。
まだ、交際し始めたばかりなのかな。そんな想像もくゆらす。
雑談から始まり、モニカは、ミヤコより南、サカイの出身だとわかる。大商都だ。その中でも、かなりの名家に生まれたようだ。
受洗し、結婚し、子供を何人か授かった。
そのときの夫は、トマスではない。ふむふむ。
ここで話題は、急転する。
「ペドロ。あなたの考えを聞かせてください。デウスは、本当に、存在するのでしょうか?」
私は少し、身構える。
型通りの教義など述べたら即、帰られそうな雰囲気だ。トマスの妻だからな。
わかった、正々堂々と、私の考えを述べよう。
いませんよ。
「なぜでしょう?」
その前に、確認させてください。
あなたは既に相当考え、あなたなりの答えを出しているように感じます。
おそらく、あなたも、創造主はいないと確信している。
それならば、省略できる手順は省略しましょう。
この議論を一から始めてしまうと、時間がいくらあっても足りませんから。
トマスが補助する。モニカの瞳はさらに瑞々しく、輝きを増す。
「ありがとう、ペドロ。デウスが存在し、私たちのすべてを見ておられ、正しき者、悪しき者に相応の報いを与えているならば。私たちの住むこの世界が、あまりにも非道すぎることを、どう説明できるというのでしょう」
モニカ。あなたが、つらく、苦しい人生を送られてきたことを、察します。
私へ語りたいことがあれば、打ち明けてください。もし、まだ私を信用されておられないなら、他の質問をしていただいて構いません。私の力のゆるす限り、おつきあいします。
「ペドロ。あなたは、デウスをいないと言った。その根拠を示してくださいますか?」
簡単です。
ディオスが全知全能なら、自分が持ち上げられない重さの岩を作り出せます。その岩をディオスは持ち上げられません。よってディオスは全能ではない。
あいつには、できることより、できないことの方が多いはずです。でなければ世界はもっとましに動いているはずだ。
そこは先程あなたが言われたことと同じです。
もっとまともな世界をつくれ。何がディオスだ、ふざけるな。おわり。
二人は、顔を向け合って笑った。私も、ほっとする。この冗談は相手を選ぶからな。
「この世界では、善き者ほど踏みにじられ、悪人であるほど強くのさばり望みを叶えるように見えます。これは、正しい見方でしょうか?」
事実、その通りですよね。
聖書になぞらえるならば、実は我々はいま、インフェルノにいるというわけです。
それに気付けば戦い方を変えられます。
パラディーソ気分で生きていたら、骨の髄までしゃぶられます。ただ黙っていても救ってくれる存在など、はじめから、いやしないのです。
「ペドロ。あなたは、聖書をずいぶん不思議な読み方で解釈されるのですね」
日本のウタにはかないませんが、聖書も多様な解釈が可能です。あれだけ長大な物語ですから、どれだけ読んでも飽きませんし、研究しがいもあるわけです。
それについて自由に語り合える友達が世界中にいるということは、なんと楽しいことでしょう。
そんな風に考えます。
「コンパニヤとメノールは聖書を原典とする点では同一だが、方針や行動において真逆の立場をとる、とトマスより説明されています。これについて、詳しく教えてもらえますか?」
真逆ということはありません。兄弟姉妹の性格が分かれていったような関係です。それに、私の考えがOFMを代表してもいません。上長の前で先程と同じ解釈を述べれば、即刻、私は破門されるでしょうね。
ただ、日本で独占的に布教してきたSJの行跡と影響については、糾されるべき間違いがいくつもあったことを我々は認識しています。
私はその調査を目的として、日本へ来ました。
モニカは、納得してくれたようだ。
トマスからも意見や質問を受け、私は誠意をもって答えた。
夫妻はどちらも、日本SJとの深い関わりを持っており、愛より憎の方に傾斜している。今後も調査への協力を約束してくれたが、ひとつだけ、忠告をさせてもらった。
憎悪は行動の起爆剤であり、推進力である。
決して忘れたり失ってしまってはならない感情だが、限度を過ぎると視野を狭め、注意を散漫にさせ、危険に対応する能力を下げる。
戦い抜くためには常に制御が必要ということだ。
とはいえ誰しも突風や大波に煽られれば舵を失う。
そのときは、伴侶に支えてもらうこと。もし二人とも制御不能になったときは、ここへ来て、ほとぼりを冷ますがよい。
私が冷静に、君たちを支えていよう。力のゆるす限り。
モニカは、今日までの生涯を語ってくれた。トマスも初めて聞く話が多かったようだ。
この機会が、君たちの絆をより強くさせる一助となってくれるなら、私も光栄に思う。
それにしてもSJ。おまえたち、なんてことを。
モニカの父は、SJ最初期のパードレがサカイまで来て全財産盗まれ路端で寝ていたところを助けてやって、邸に泊めた。その時からの縁で40年間ずっと、首都圏におけるSJの拠点となり、資金面でも甚大な貢献をする。
モニカは長子で、少女の頃から聖書に親しみ、宣教師に意地悪な質問をぶつけては困らせていたそうだ。
カトリックは宗教組織である。SJは在来の宗教と競合し冠婚葬祭市場へ新規参入した一団体に過ぎなかった。それなのに初期段階から既得権者すべてを土俗信仰呼ばわりし、挑発・妨害・破壊活動に勤しむ。
モニカの家へは頻繁に苦情が寄せられていた。
当時は彼女もSJ側に立って攻撃者を擁護した。
やがてSJは勢力を拡大していくが、トマスが喝破する通り、反対陣営は一丸となって組織的抵抗をするに至れない。
権力者と癒着して大義名分を味方につけるSJの戦略も、87年までは軌道に乗っていた。追放令直前まで、タイコーはブッディズモ全宗派を合わせたよりも遥かに強大な特権を、SJへ与えたりもしていたのだ。
モニカがSJと絶交したのは、その前年である。
彼女の夫は、ボンズを殺害した容疑をかけられ、処刑された。
日本に司法制度は事実上存在しない。真相はモニカにもわからない。彼女と子供たちも投獄された。先に収監された夫とは最後まで会わせてもらえなかった。
夫の処刑直前、SJのパードレが面会したという。遺品等はすべてSJが持ち去った。
モニカと子供たちは恩赦によって追放処分となり、牢より出される。夫についての手懸りを求め、SJの教会を訪うたが、夫の最期に立ち会ったパードレの名さえつきとめられなかった。
酒の匂いと喧騒が染みついた教会に、何年も彼女たちは通わなくなっていたが、このとき完全に、絶縁を決める。
振り向くことさえ穢らわしかったと、モニカは声を詰まらせた。
そこからの流浪の日々は、モニカが苦しくない範囲だけ、簡単に聞いた。
トマスとは、一目惚れだったそうだ。ある邸で、見つめ合った瞬間、同志であると直感した。
長男の戦死を知らされて、夫を亡くしたときよりも深刻に、モニカが絶望の淵に立たされた時期だった。
それから少しずつ、笑えるようになってきて、今日が一番笑いましたと言ってくれた。
それはよかった。こんな私のケシカラン駄弁でよければ、いつでも聞きに来てください。
ああ、それにしてもSJ。
おまえたちは、なんということを、してくれたのだ。