戰國ぢあぼろす   作:ひねもす@HAMELN

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SengokD.1595/001.hmos

出張中、来客があった。トマスの部下だという。

「急用でミヤコを離れる。餞別を贈る。役立ててくれ」

そんな伝言を告げ、ずっしりと重い木箱を置いて立ち去った。人目をはばかり、逃げるように。

 

箱の中身は金塊だった。

ゴンサーロは、それをすぐ隠した。

 

ただちに情報蒐集を開始する。

トマスとモニカを最後に見たのはポルシウンクラ献堂式。

二人で連れ立って、聖体を拝領して帰っていった。とくに変わったところはなかったはずだ。

 

それ以降で大きな事件といえば、何年もミヤコを騒がせていた大盗賊団が捕らえられ、処刑されたこと。

そのとき私はまだミヤコにいたが、特別な関心は抱かなかった。

処刑を見てきた者はいないか。

信徒を頼って、探してもらう。

 

手懸りのひとつは、金塊だ。

タイコーは黄金を好み、城や邸宅の内外至る所へふんだんに使いたがるという悪癖がある。他者が使うことを好まぬため、日本中のあらゆる黄金はタイコーのもとへ集められ、闇市場で値が吊り上がることもない。買う者がいないからだ。

トマスがまっとうな政商だったとしても、私に黄金を呉れるということが、そもそも不自然きわまる。

 

刑場は大混雑だったという。

遅れて出掛けた者は、立ちのぼる湯気しか目撃していない。

根気よく、実見者を捜す。

やっと見つけた。

話を聞いた。

 

処刑者は約20名。女、子供も含まれていた。

丸裸のまま磔にし、槍で突く。

鋸挽きや股裂きなども織り交ぜられた。

群衆は絶叫しすぎて、陶酔する。

最後に頭領の番がくる。

全身が拷問の跡で腫れあがっており、仲間や家族たちの断末魔を見せつけられながらも、表情が動かせないようだったという。

彼は、釜で茹でられた。

寒空に湯気が立ち籠め、真紅に膨れあがった肉塊は待ちかねていた犬に供せられた。

 

あんな恐ろしいもの、二度と見る機会はないでしょう。とその男はようやく話すのをやめてくれた。

刺青の有無だけ訊いてみたが、最初から血まみれだったのでよく見えなかったそうだ。

わかった。ありがとう。

礼を述べて、お引取りを願う。

 

私は未だ、信じられない。信じたくない。

トマスやモニカでなければいいがと思う。

もちろん他の誰かであれば構わないという意味ではない。しかし、かれらは私の友人であるのだ。

かけがえのない友人が、不条理な形で、生命すなわち幸福を求める権利を奪われた。

そのことを私は、深く哀しむ。

 

民衆は処刑を歓迎する。悪人が処罰されることを望む。

それが娯楽を兼ねれば喜ばれる。経済効果ももたらす。

悪人とは、その社会における権威あるいは多数派が形成する秩序に害をもたらす者、あるいは市民としての水準を満たさない不適格者のことを言う。

法治の度合いは問題とならない。人間が二人以上集まれば、悪人は存在し得るのだ。

むしろ誰にとっても暮らしやすい社会環境になればなるほど、悪人は生まれなくなる。

不適格者という概念がなくなり、犯罪は単純に法と秩序の脆弱性を気付かせてくれる具体例として研究される。実行されない限り犯罪とはならず、発生する前に可能性として提示できる者は評価される。

賢く学べる者は、わざわざリスクを負わない。

そんな賢い者が一定数以上社会を満たしていれば、悪人が生まれる余地はなくなる。

それがコスモス、あるいは自然の法則だ。

 

この原則に照らした場合、現在の日本における厳罰化要求は、この社会が有している本来の成長能力を著しく損ねているだけの愚行と断言することができる。

 

処刑の熱狂的観覧者は、強い刺激に慣れすぎて、より強い興奮にしか反応できなくなっている。

感覚の麻痺は危険察知能力の喪失をもたらす。

微弱な信号を感知できる受容性を取り戻すことは容易でないはずだ。

痛覚を持たない者が社会を満たし始めると、先述とは逆の現象が始まる。

破壊は創出より遥かに簡単。

これも自然の法則だ。

 

私はリバデネイラに、布教の進捗を聞いた。

日本人に、自然を尊ぶ意識を学ばせることは可能か。ありとあらゆるものをあるがままに見つめ、考えて行動する力を備えさせるには、どれほどの時間が必要か。

リバデネイラは、ひとまず一年続けてみないと定着するかどうかも保証できないと言った。

もっともだ。

今夏、マニラ便が来航して帰国指示が出たとしても、君と私だけは残って布教を続けようか。ここで止めたらきっとマニラでも後悔し続けることになるだろうからね。そんな対話も交わす。

 

病院が布教と無関係に成立することもない。

肉体に生じた瑕疵は人の心を挫けさせる。

日本の医療で治せない重度の皮膚病患者を我々は受け入れているが、かれらほど感受性の豊かな人間はいないものだ。微細な変化の影響を受けやすいため振り幅が激しく、喜怒哀楽がめまぐるしい。

人によっては、生きてきた日数がそのまま、虐げられてきた期間に合致する。

そんなかれらの危険察知能力はきわめて高く、私たちの薬で君の病を治すことができるかもしれないと理解してもらうだけでも相当の忍耐と時間が必要となる。

しかし見返りも大きい。

奇跡は人を敬虔にさせる。

最終的に私たちは、深い絆で結ばれた理解者を得るのだ。

 

かつ、概ね、治癒した者は余生を貪欲に生きようと考えるようになる。

これは健常者が持ち得ないモチベーションであり、未踏の分野へ挑戦するには不可欠な精神力なのだ。

ミヤコにはまだまだ患者が隠れている。文字通り、息を潜めて耐えている。

私たちの使命は、かれらに力を与えてから、社会へ放流することだ。

病んだ世界を立ち直らせるには忍耐と時間がまだまだ膨大に必要であるけれども、きっと見返りも大きいはずだよ。

そう信じて、今日も働く。

 

オーサカから、研修医が来ている。かつてSJがつくった救護院があるのだ。

ミヤコではタイコーの邸を建てるため早々と取り壊されてしまったが、オーサカでは社会貢献度の高さから保全され、日本人信徒によって運営されていた。

しかし、技術が伴わない。

たすけてくれと請われたのだが、最初はSJの資産に手をつけることはできないのでと断った。

オーサカの職員は、オルガンティーノに相談する。オルガンティーノは医学知識をまったく持っていないようだ。渋々、OFMに頼ることを日本人に許可した。

こうなると断る理由もない。

ポルシウンクラの理念込みで、あらゆる技術を学んで帰れと、積極的に迎え入れている。

 

日本人が根強く信じていて、驚かされることをひとつ。

発熱や悪寒で体調を崩したとき、日本では冷水に全身を浸し、食事も水も摂らずに病魔が体から出て行くのを待つ。

財産に余裕がある者は、祈禱師を呼ぶ。

祈禱師を呼べなければ、仕方なく医者へ相談する。

SJもこの習慣を改めさせようとしたようだが、追放令以後はまた戻りかけてしまっていた。なぜこんな民間療法が定着したものか不思議でたまらないが、私は次のように根拠を示しながら説明する。

 

私たちは食事から栄養を摂り、からだをつくる。

血も、肉も、骨も、髪の毛や爪だって、すべて、食べたものから合成するのだ。

この材料が不足すると、からだは壊れやすくなる。病魔を退治する力も出せなくなる。

しっかり食べて、ぐっすり眠れ。

挫けた時ほど、それをしなさい。

薬も、祈禱も、からだやこころがたたかうのを手伝うことしかできない。たたかうのは、君自身なのだ。

 

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