戰國ぢあぼろす   作:ひねもす@HAMELN

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イルマン・ロレンソから、必殺技を伝授された。

坊主には、天文学をお見舞いしてやるべし。

 

日本人は、すぐれた資質を持ちながら、科学的な思考には縁遠い。

月は30日周期で満ち欠けを繰り返す。これは地球と太陽との位置関係によって織りなされる天体の協演なのであるが、日本人による解釈では、次のように説明される。

 

天空にはタマノクデンという宮殿がある。

ここには30人の官吏がいて、毎夜、15人が登庁する。

30人のうち白衣と黒衣の者が半分ずついる。登庁者全員が白衣の日は満月。1日1人いれかわり、全員が黒衣になると朔月。

この朔月を第1日として、30日区切りで12箇月を1年とする。

これでは太陽に影響される季節と次第にずれが生じるので、4年に1度、閏月を挿入して調整する。

 

幼児に聞かせる童話だとしてもへんちくりんだが、坊主どもが目指す日本最高学府で教える内容が、そもそもこの程度の水準らしい。

更にこれをもとに吉凶を占い、あなたの運命はこの星に導かれているとか説明して、いちいち坊主はカネをとる。

ちがう坊主に占わせれば、百人百様の運命が示される。

好きなだけ占ってもらい、好きなだけカネを払うのはあなたの自由だ。

坊主どうしは、この点では争わない。

 

私たちは、世界を半周してきた。大地が球体であることを知っている。

航海士は太陽や北極星を基準にして六分儀で緯度を計測し、正確な海図をもとに自分が今どこにいるかを断定できる。

これも言っておかなくては。日本には、距離を正確に測量するという概念も存在しない。

家を建てるくらいの範囲では縄を使って実測するが、都市間の距離となると、徒歩で何日かかるという基準でおおまかな地図を作るのみだ。

私はこれまで、ブンゴからミヤコまでを150レグワであるとか言ってきたが、これらはすべて日本人による説明から変換して解釈したものにすぎず、ちがう人に訊けば百人百様の距離が返ってきてもしかたがない。

だから私が昨日と今日でちがうことを言ってしまっても、責めないでいただきたい。

私のせいじゃないんだ。

 

話を戻そう。

坊主というのはあらゆることに無知であるくせに尊大で、質問はするくせに、こちらの回答を茶化しはぐらかし唾を吐いて去って行く愚か者以外の何物でもない狂人集団のことであるが。

そんなやつらを打ちのめす必殺技がある。

我々の実体験で裏付けされた、この世界の正しい姿を、示してやるのだ。

 

天文学の授業をもっと真面目に受けていればよかったと反省するのだが、ロレンソによれば私程度の知識でも、たいていの坊主は説伏できるという。

まず、大地が丸いという常識に、坊主は反論する。

この段階では大声で嗤い始め、私たちを指さして、これでもかと軽蔑の態度を見せる。

私たちは、海図を見せる。

エウロパから赤道を南下。喜望峰を越え、モサンビクまでは陸に沿い、モーロ人の国々をやりすごして、インディアまで辿りつく。

あなた方が一生辿りつけないと思っているテンジクはせいぜいこの辺りだろう。

さらに東へ、東へと航行すると、日本人も知っているレキオスやチイナが現れる。ここからの海峡が難関だが、それを乗り越えて私たちはやって来た。

この小さな島々が日本だというと坊主どもは怒るが、事実なのだからしかたがない。

 

ここまで通訳したロレンソは、坊主どものよく知っている説話をひもとく。

 

かつて、ゲンジョーというシンダンの僧侶が、生涯をかけてテンジクまでの旅をした。

辛酸を嘗め、多くの仲間を失いながら、やっと辿りついたその地は、シャカにとってはほんのひとまたぎの距離に過ぎず、帰路は一瞬にして生国へ戻してもらえたという。

この喩え話もどうかと思うが、実際これと同じだと締め括れば坊主の多くは敗北を認め、パードレの言葉をもっとよく聴きたいと態度を一変させるのだという。

 

本日は、教会暦では聖バルナバの祝日。

太陽暦では第6月の第11日。日本の暦では、五月十三日となる。

月を基準にする暦法では、明後日が満月になるねということはすぐにわかるが、春分・夏至・秋分・冬至などとは連動しないため、農作物の育成を判断する目安としては不適当だ。

デウスの教えに基づいて生きる者は、万事このように、合理的で、筋道の通った考え方ができるようになる。

正しい道へ進むつもりがあるなら、早い方がいいですよ。

 

ロレンソも、かつては迷える坊主のひとりだった。坊主としての学問に励んだ。

疱瘡を患い、中心勢力から脱落し、下層集団からさえ見放された。

絶望の淵で、死ぬ覚悟を決めていたとき、メステレに出逢った。

それまでの常識が、こっぱみじんに打ち砕かれた。

どれだけの衝撃だったであろう。おだやかな現在の表情に、その苦節は窺えない。

 

「私は、かつての仲間たちも、この王国のすべての民も、救いたい。かれらに道を示したい。あやまちから、ふりむかせたい。それしか望んでいません。

すでに目は見えませんが、まだ口はある。ヴィオラも弾ける。頭もすっきりしてます。

どうせ一度は棄てた人生。まだまだ、できることがあるなら、やりとげますよ。

それが、デウス様への、ささやかな、恩返しです」

 

なんと立派な、心構えだ。

私は、自分がパードレなどという不釣り合いな身分にあることを、心から恥じた。

 

ヴィレラはあの日以来、私のことをドジと呼び、いじめるが、甘んじてそれを受けいれよう。

教会には何人ものドジコスがいるが、私はその最下級だ。それも当然なのだ。

ヴィレラから見れば、この教会で共に戦い苦楽をともにしてきた子供たちを前に、なにひとつミヤコのことを知らないパードレが、でかい顔してふんぞり返っていることなど、ゆるしがたいだろう。

 

ロレンソの言ったヴィレラの愛情とは、私に対してではなく、ひたむきな子供たちに対してのものなのだ。

私はそう解釈し、私もまた、ヴィレラと、ロレンソと、ドジコスたち、求道者たち、信徒たちから、真に愛されるパードレにならねばならないと、覚悟している。

コメの炊き方も、少しずつうまくなってきた。なかなかこれが、難しいのだ。

そんなわけで、以前よりも忙しい。

 

 

あの日、途中まで聞いたキショウモンの話が気になっているが、ヴィレラにはまだ、そのことを言えないでいる。

 

復習しておこう。

日本人は、戦争する前は、カミに対して祈る。

キショウモンという文書をつくり、なぜ戦うべきか、相手がどれだけ悪者か、自分たちが正義である根拠は何かということを説明し、宣言する。

エウロパでもやってるじゃないか?それ。

十字軍でも、出陣前、教皇猊下が宣言されていただろう。趣旨は、あれと同じではないのかな?

 

布教許可状では、コンパニヤは戦争協力をしないとわざわざ明記させたという。

日本人同士の戦争になど、関与しないということか?

そのためか。

日本におけるコンパニヤは、エウロパよりも高い水準で、平和を平和的に達成せねばならない。

そういうことか。

だが、ミヤコでの求道者および信徒の多くは、兵士だ。

信仰は信仰として、しかし世俗における仕事は仕事としてまっすぐに取り組むべし、というのがコンパニヤのみならず、カウトリカの原則として、あるはずだ。

 

私たちは、すでにどっぷり、戦争協力しているともいえないか?

どうだろう。

わからない。疲れたから、寝る。

 

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