日本布教史・続。
1551年、聖マリヤ誓いの日。
北風に乗って、メステレ・フランシスコ・デ・シャヴィエルは、日本を去った。
パードレ・トルレスとイルマン・フェルナンデスはこのとき日本へ残留し、今も戦い続けている。最初期からの古強者だ。
アマングチには立派な教会が完成し、初年の降誕祭は、それはそれはもう盛大に祝われたという。
メステレは、さっそく第二次宣教団を派遣してくれた。
先輩たちが、今年の私たちと同じように、大志を抱いて来日した。
引き続いてメステレは、大陸国家チイナの開拓にも着手する。
どこまでも情熱的で、休むことを望まれない方だった。
御主は、そんなメステレをあまりにも早く、みもとへ引き寄せられた。
まだまだ教えていただきたいことは、私にだって、尽きぬほどあったというのに。
でも、受け止めねばならない。これからは、私たちがメステレにならなければならない。
さて、日本だ。
フィラド、アマングチに続いて、招待状が届いた。シモ島東側の大国、ブンゴから。
ブンゴ王もまた、コンパニヤに非常によくしてくれた。
一等地を邸宅ごと与えてくれ、増援のパードレたちがここに教会・住院・宿泊所・孤児院・病院・墓地などをつくった。牛や鶏まで飼っていたという。一部の施設は今もある。
パードレ・モンテとイルマン・アルメイダが向かったのは、ここだ。
ブンゴ王は頭もよい。インディア王へ服従の宣誓書をしたため、使節とともに定航船で送ってきた。
今もゴアでは、ミヤコの大王よりブンゴ王の方がずっと権威ある存在とみなされている。
パードレ・ヌーネスの帰還以後は、ブンゴ王は冷血漢であるという噂も定着してしまったが、それでも日本との交渉をするにおいてはまずブンゴ王へ、という存在感は揺るがない。
アマングチ、ブンゴと日本開発の2大拠点ができたわけだが、ここでちょっとした問題が浮上する。
アマングチもブンゴも内海に面した都市で、ポルトガルの大型商船であるナウが入港するには、いささか具合が悪いのだ。座礁の危険もあるし、海賊も多くなる。
安全を確認しながら、ブンゴへナウが入港したことはある。ずっとブンゴ海軍がつきっきりだった。さらに奥まったアマングチへの入港は、湾が狭すぎて論外とされた。
船員たちの一番人気は、フィラドだ。
港も大きいし、何より住民が商売に慣れている。競りの盛り上がりが違うそうだ。当然、収益だって何倍も跳ね上がるし、寄港中の宿泊や、遊ぶところにも困らない。
だがフィラドには、別の大問題がある。領主が熱心すぎる邪宗徒で、坊主たちの妨害が甚だしい。
だからこそ商売に励むのだろうか、と思わなくもない。まるでヴェネツィアだ。
フィラドの領主は、交易は歓迎するが布教は断りたい、教会用地の提供などは検討すらしないと明言している。
そんな理屈が成り立つわけがない。主権者である我々にとって、交易も信仰も不可分の存在だ。
少なからぬ信徒のいる町ではあるのだが、領主の心から悪魔が追い出されぬ限り、定航船が再びフィラドへ向かうことはないだろう。
56年。アマングチの教会は焼失する。戦争だ。多くの難民が出た。
パードレたちは、ブンゴへ逃げてきた。
何百という信徒が散り散りになった。アマングチの王は、殺された。
戦火はブンゴの町にも及んだ。さいわい教会の被害は少なくすんだが、ブンゴ王の城は破壊された。
第三次宣教団が来日したのは、この年だった。
パードレ・ヌーネスは巡察の予定をすべて取り消し、5箇月間、不自由な状況で身を潜めることを余儀なくされた。
このときの一員に、パードレ・ガスパル・ヴィレラがいる。今はミヤコの担当だ。
私は日本へ来て初めて、ヴィレラ直筆の報告書を見せてもらった。
衝撃だった。原文のママでゴアへ送られてこない理由がわかった。
しかし、この話はまた、時期をあらためて語ろう。
戦乱によりパードレやイルマン、日本人の従僕や信徒が少なからず天に召され、残された最長齢のパードレ・トルレスにはより大きな重責がのしかかるようになった。
定航船が着かない年もある。着いても、何年も、新しいパードレが乗ってこなかった。
どんなに、つらかっただろう。
重い病に冒され、日本からゴアへ戻ってきたイルマンもいる。
かれらの叫びを、パードレ・ヌーネスは、デウスによる罰なのだと教え諭し、押し潰した。
ああ、いけない。つい、怨み言が出てしまう。
ゆるしてください。私たちは、ゆるさねばならない。
そんな苦しみを経てきた日本で、私たちに手を差しのべてくれる領主が登場した。
オオムラ王。ヒゼン国の小領主。
フィラドから15レグワと近く、フィラド領主の強欲な性格も、王はよく知っている。
フィラドに限らず、交易だけを望む領主は多いのだが、オオムラ王はまず家臣を一人よこして、しっかりと教義を学ばせた。
その家臣はドン・ルイスという霊名を与えられ、コンパニヤと王との連絡役を誠実に務めた。やがて王じきじきに、入信したいという申し出を送ってくる。
パードレ・トルレスは慎重に構えた。アルメイダを派遣し、商売の話で釣ってみた。
自領の港で商売をしてくれ、というのも全ての領主が望むことだが、ここでもオオムラ王は、フィラドが商港に適している理由や内海の危険などについてじっくりと聞いた上で、ナウが入港しやすい適地があればそこに新しい港をつくるのはどうかという提案をしてきた。
オオムラ領内をいくつか検分し、小舟を出して水深を測り、最終的にこの湾が選ばれる。
目印を兼ねて十字架が建てられ、見晴らしの良い丘に教会もつくってもらえた。
周辺の住民には、異国の客人を出迎えその説教に従うべしとの布告が出された。
パードレ・トルレスは、なおもオオムラ王に、デウスの教えを生涯守り通す決意ができるかと、問うた。
オオムラ王はトルレスに承認され、ドン・バルトロメウという霊名を授けられた。
彼は私たちと同じ、イエズスに倣いて歩む一員となったのだ。
それは、私たちが上陸した、ほんの10日ほど前のできごとである。
日本における、ささやかだが大いなる前進の一歩であった。