パードレ・ニエッキは、カブラルを、私以上に嫌っている。
語弊があるな。
カブラルを好きな人間なんて、いないだろう。
でも、デウスから見るとどうなのだろう。
これは神学論争として大いに気になるところだ。
人間味のある愚かさをまったく持たない人間とは、デウスの眼鏡にかなうものだろうか?
イエズスをお手本にしていると、言ってよいものなのかどうか?
ところでニエッキはポルトガル語が苦手だ。
イエズスのコンパニヤは、パリで設立され、ラウマに本部を置く、国際色豊かな組織である。
その活動資金の大部は、大航海時代の先鞭をつけいち早く外洋に躍り出たポルトガル王国から、全面的に提供してもらっている。
リジボーアの北にある、コインブラという名門大学を傘下に加え、そこで学ぶ者が多いこともあって、主要な会士はほとんどポルトガル人で構成される。
一方で、本部のあるラウマから入会してくる流れもある。
ポルトガル人は慎ましく堅実なのが特徴だが、イタリヤ系は陽気で冗談を好む。
さて、カブラルはポルトガル人で、ニエッキはイタリヤ人だ。
アマカウで待機している間、この2人は決定的に関係をこじらせた。
定航船で働く船員はほとんどがポルトガル系であり、コンヒサンでもカブラルの方に集まるのは当然だ。
カブラルはこれを人徳による差だと解釈し、ニエッキをぶらぶら遊んでばかりいる奴と批難する。
一方でニエッキは、ポルトガル人はカブラルに任せて主にチイナ人のコンヒサンを聴いた。
漢字もどんどん覚えたし、労苦に明け暮れている貧しいチイナ人に寄り添って希望を与える話術も、身につけた。
いろんな分野で、差は拡がった。
やがて夏が訪れ、定航船に乗り、出帆。
2人は、3週間ほど同じ船にいたが、最後の頃には挨拶すら交わさなかったという。
そして日本へ上陸した。
ちなみにもう1人、バルタザールというパードレが来ているが、彼はポルトガル人なのでニエッキとの会話には時間がかかるし、カブラルの前で、より気を遣う。
結局、ニエッキとは、あまり仲良くならなかった。
私もバルタザールなんて男、知らない。比較的最近、エウロパから来た人物のようである。
そういえばイタリヤ系の陽気男、もう1人、いたじゃないか。
ワラレジオだ。
数年前に来日している。会ったかい?
会ったそうだが、残念な知らせだ。
おそらくワラレジオは、今冬の便で日本を去るだろう。
ヴィレラは療養を理由にゴアへ戻ることが決定したが、ワラレジオも本人の希望で、離日するという。
なんだ。僕とは会えないまま、お別れか。
「ワラレジオは、カブラルが来たのなら俺は出て行く、と言っていた。
シキでの会議の合間にワラレジオから、日本で暮らす48の苦しみ、なんて詩を聞かせてもらったが。
むしろカブラルに聞かせて、日本人への期待を打ち砕いてやり、意気消沈させて帰りたくさせる手もあったかな、と今頃になって思っているよ」
イロニアってやつかい?
そういう発想は、ポルトガル人にはないねえ。
聞いてみたいね。
「日本人は胃を鍛えるためになんでも腐らせて食べるなり。
足腰を強くしたくてしゃがむ便所を発明したなり。
家でも道端でもどこでも勢いよく放屁して自分だけはすっきりするなり。
ああ我も日に日に、日本色へ染まってゆく。憂鬱なり。悲愴なり。哀愁なり。
こんな調子で続く。全部は覚えられなかったがな」
よく観察してるものだね。ぜひ本にしてコインブラへ送ってもらいたいね。
いや、それをすると、もう誰も日本へなんか来たがらなくなっちゃうかな。
日本人の残虐嗜好と、その性癖に基づく戦乱の夥しさは、カブラルはともかく、ニエッキを意気消沈させた。
シモでも、ほんの半年いた間に警報と避難勧告を10回以上体験したという。
現在、オオムラ領を中心とした西海岸の一帯がコンパニヤの主要都市圏となっているが、軍事的・政治的にここを手に入れたがっている周辺諸国は多い。
邪宗徒は、戦力が整えばすぐに侵攻を開始する。
これに対し、我々も力頼みの防衛を強いられる。
定航船がいない季節でも、信徒たちの安全を保障できなくてはならない。
そのための拠点づくりが、常に求められている。
教会用地の選定と開拓もこの基本戦略に則って進められる。余裕などまったく無いというわけだ。
それにくらべたら、ミヤコは随分と静かだねと言われた。
何を言ってやがる。今はたまたまだ。
戦乱の多さはシモの比ではないんだぞ。
君がここまで来るのに3箇月かかった事実が示すように、決して安穏ではない。
一寸先に死が待ち構えている。その切迫ぶりを、すぐに君も知るだろう。
パードレはずっと僕ひとりだったし、従僕にも裏切られてばかりきた。
覚悟しておけ。笑顔を見せていられるのは、今のうちだ。
メステレ・フランシスコ・シャヴィエルの読みが甘かったなどと、言うべきではない。
カブラルは、わかっちゃいないのさ。トルレスは、必死でやってきた。
日本で生きていくためにずっと耐え忍び、つらい苦しみを幾度も乗り越えてきた。
今の私たちは、彼のおかげで、立っていられるんだ。その基礎を築いてくれたんだぞ。
日本布教には、まだまだ力が足りない。
もっともっと時間もかかることを、意識せねばならない。
鋼の意志と不断の努力が、必要だ。
カブラルが新布教長ならそれでもいいが、どれほどの実力を発揮できるか、とくと見せてもらおうじゃないか。
最後に、私から残念な知らせがある。
カヅサ殿は、敗北した。
公現祭後の月曜日。
ついにエチゼン軍が撤兵した。ミヤコでの戦争は、回避された。
これ自体は喜ばしい。
だが、そのために結ばれた条約というのが、カヅサ王にとっては、甚だ屈辱的なものだった。
エチゼン王アサクラ殿に、ミヤコの支配権を委ねる。
北オーミ王アサイ殿に、ダイリサマおよび仏教各宗との調整を一任する。
我、オタ・カンヅカンスケ・ノブナンガは、二度とキナイへの野心を持たない。
あくまでも、伝聞にすぎない。
反対派の捏造による、大嘘であってほしい。
この後すぐカヅサ殿はミノへ引き揚げていったが、一時的な退却にすぎないと信じたい。
戦えば、勝てたはず。
しかし味方の損害を拡げぬため、ミヤコの住民たちをこれ以上苦しませないために、涙を呑んで、敵に華を持たせたのだと、そんな判断をしたのだと、私は考えたい。
時間が少し、延びただけなのだ。
これで終わりで、なるものか。