そして狼は、己に眠る獣を知る。
「はぁ・・・はぁ・・・」
「っ・・・ふんッ!」
「がはっ!」
息も絶え絶えに、這いつくばって呻き喘ぐ少女。そんな彼女の胸倉を掴み上げ、その腹に拳を叩き込む。涙に潤んだ瞳が裏返りかけるのは、これで今日の幾度目か。
手に残る、無抵抗の肉を打った柔らかい感触。耳に響く苦悶の声。苦痛に歪みながら、それと同時に昏い悦びに朱に染まる頬。
哀れだ。虚しい。かつて機体を並べた、あんなにも頼もしかった・・・あんなにも強く、私を超えて羽ばたいた戦友が、今やこんな有り様だ。鳩尾の奥底では、ヒリヒリと焼け付くような痛みが私を締め付ける。
だが・・・
「ラス、ティ・・・も、っと・・・」
「だが、これ以上は・・・」
「いいから・・・お願い・・・ラスティ・・・」
「っ・・・分かった。これもまた、私にしか出来ない事だ」
彼女が望むから。私にしか、それは叶えられないから・・・そんな屁理屈を言い訳に、歪につり上がる己の口許を知らぬ振りが出来る程、私は・・・このラスティは、酔ってはいなかった。
彼女との再会は、偶然であり、また必然だったのだろう。
カーマンラインで、オルトゥスを駆け戦い、そして敗れた・・・その記憶を持ったまま、私は別の世界の、別の時代の、別の命として目覚めた。
いつかフラットウェルが語っていた、輪廻転生と言うものだろうか。
最初こそ混乱した。しかし、私はあの場で死んだ身だ。喚いた所で仕方が無い。そう自分の中で区切りを付けて、新しい子供としての人生を歩む事を決めた。
この世界では、世界を支配するのは企業でなく国、そして法だった。そして、私のいた世界とは比べ物にならない程に、平和だった。
無論、紛争やテロは数えきれない程にあるだろう。だが、それを水面下の出来事にしてしまえるだけの、日常への信頼があったのだ。
両親は、極々一般的な夫婦なんだろうと思う。この平和な世界の常識において、だ。餓えて痩せ細る事も、企業に搾取される事も無い。昔の私達が、ルビコニアンが望んだ、平和な家庭だった。
そして、学校にも通った。精神年齢の関係上、当然ながら私は他の子供よりも大人びていると思われた。委員会活動では、いつもまとめ役をしてくれと引っ張り凧だ。女子からは特に。
スポーツ部からも、助っ人の依頼が引っ切り無しに届いたものだ。出来る限りの協力を尽くし、疲れ果てて帰宅して、家庭料理を食して眠りに就く。
いつの間にか高校生になるまで繰り返したそんな日常に、私は満足しているつもりだった。
あの日までは・・・
『転校生が来る』
そんな噂が、学年中を駆け巡った。
珍しい事もあるものだと思いつつ、そんな相手への自己紹介を無意識に考える。新しいメンバーに自己紹介をするのは、前世からの特技の1つだった。アーキバスは末端のMTパイロットにも十分な訓練を積ませているが、それすら軽く蹴散らす者も少なからずいたからだ。
そんな過去を思い出していると、ガラガラと教室の扉が開いた。担任教師の後ろに、件の転校生と思わしき少女が着いてくる。
彼女が正面を向いた瞬間、私の脳は落雷のような衝撃を受けた。
暗い表情、黒々とハッキリ浮かんだ隈、空虚な瞳。決して健康的とは言い難い彼女はしかし、戦場に立つもの特有の圧力を纏っていた。
そして、その重い気配。私がそれを間違える事など、決してあり得ないだろう。
「・・・戦友?」
誰にも、隣の席の生徒にすら届かないであろう、小さく零れ落ちた呟き。しかし、彼女は驚いたように微かに眼を見開き、私を凝視した。
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転校生への校舎案内。担任のその発案に、私は過去最大の意力を以て手を上げた。
気迫が滲み過ぎていたのか若干顔がひきつっていたが、気にしない。絶対に、外しはしない。
その甲斐あってか、私は案内人の立場をもぎ取る事に成功した。級友達が茶化してくるが、私にとってみれば何処吹く風だ。
「では、よろしく頼む。案内しよう、着いて来てくれ」
「う、うん」
転校生を連れて、教室から出る。少々離れた階段を登り、その踊り場で、私は彼女に話し掛けた。
「・・・果たしたか?戦友」
「ッ!やっぱり・・・ラスティ・・・!」
間違いでは無かった。思い違いでは無かった。彼女は確かに、私の戦友だった。
「あぁ、そうだ。積もる話はあるが・・・まぁ、今は間が悪いからな。さっきの質問に答えて欲しい」
「・・・うん、やったよ。私は、あの後・・・」
「・・・そうか」
重い沈黙。彼女は唇を噛み締めており、眼は斜め下を泳いでいる。
「積もる話はあるが、時間が時間だからな。放課後、屋上に来てくれないか。わが校は今時珍しく、屋上解放なんだ」
「・・・うん、分かった」
私は今、目の前の男子生徒と2人きりで、傾いた日差しが照らす屋上にいる。
彼は、最も私を慮ってくれた人の1人。そして・・・私が、この手で殺した相手。
「うぅむ、そうだなぁ。改めて、何と言ったものか・・・うん。久し振り、だな。戦友」
少し困ったような様子で微笑み、爽やかに小首を傾げて見せる彼・・・ラスティ。
その態度は、私がした事、私にされた事を、何も気にしていないようで・・・
「ねぇ、貴方は・・・私と戦った・・・相対した、ラスティ・・・だよね?」
「・・・そうだな。私はあの時、カーマンラインで君に挑み、そして・・・敗れた」
「そっか・・・やっぱり、そうなんだね・・・」
本人から与えられた、確定的な情報。間違い無く、私と戦ったラスティだ。だったら・・・
「ねぇ、ラスティ。1つ・・・お願いを、聞いてくれない、かな」
「・・・どうした」
眼の焦点が定まらない。心臓がドクドクとうるさい。
ラスティはそんな私を見て、真剣な表情で一歩の距離を詰める。肩に手を乗せ、私の眼を覗き込むその瞳には、純粋な心配が浮かんでいた。
あぁ・・・私、酷いな・・・
「私を・・・殴って、欲しい」
「戦友・・・な、何を」
「耐えられないの・・・誰も、私を知らない。私のした事を、誰も・・・」
そう言って彼女は、倒れ込むように私に身体を寄せて来た。両手を私の胸元に当て、そこに顔をうずめて・・・泣いていた。
「あの後、私は・・・決別した相棒も殺して、ザイレムが火を着けるのを見て・・・逃げたの。ラスティも、エアも、チャティもカーラも・・・ご主人さまも・・・みんなみんな死んだのに、私だけが生き残ったの。
誰も、私を責めてくれないの」
「・・・」
「ねぇ、ラスティ。あなたには、私を罰する権利がある。そして私には、それを受ける義務があると思う。唯一最後のルビコニアンとして、私を知っているラスティとして・・・お願い」
戦友は私の手を取り、自分の首に当てた。その瞬間、私の腹の底で何かが囁いた。
『故郷の仇だ』
「っ!」
心に深く沈めていた、無意識に眼を背けていた、その感情。
戦友への、粘りつくような熱。
「っ~!君が、君のせいでッ・・・!」
「ぐっ・・・」
視界が赤黒く染まる。私は激情のままに彼女の首に手を掛け、ギリギリと締めた。
「君のせいで私は、私の故郷は!最期まで立って歩く事すら許されなかった!」
おい、止めろ・・・
「ルビコンの為、未来の為、そうやって心に蓋をして、幾人もの同胞を手に掛けた!派閥思想は違えど、同じ地で同じものを食べ、同じ歳を重ねた同胞を、この手で殺した!」
みっともない事はよせ。すべて、私の実力が届かなかったせいじゃないか。彼女のせいじゃ・・・
「それも全て!お前が立ち塞がったせいで犬死にだ!」
頭のどこかで、冷静な私が肩を叩くのがわかる。だが、止まらなかった。十数年間掛けて、世界が違うから仕方が無いと諦めたフリを続けていた感情が、今やその諦めの枷から解き放たれている。
「お前が、お前のッ・・・お前さえッ・・・!」
「う・・・ぐぅ・・・かっ・・・」
目の前の仇は、白眼を剥いてビクビクと痙攣し始める。
そうだ、もうすぐだ。もう少しで、故郷の仇を、戦友を・・・
「ッ!?」
「がはっ!」
頭を殴られたような衝撃が走り、手を離す。彼女は激しく咳き込みながら、潤んだ瞳で私を見ていた。その顔は、歪んだ恍惚そのもので・・・
「わ、私は・・・私は何て・・・!」
「ラス、ティ・・・」
「せ、戦友!」
未だにへたり込んで咳き込む戦友に、私は思わず跪く。彼女の顔色はどうにか戻っているようだが、しかし明らかに、悦びの朱が差していた。
「やっぱり・・・ラスティは、私を罰してくれる・・・」
「そんな!私にはそんな事は・・・」
「そんな事無い。言ったでしょ?ラスティには、ルビコニアンとしての権利がある。故郷を滅ぼした、最悪の魔女を裁く権利が・・・」
「そんな事、私は・・・望んでなど、いない!」
嘘だ。本当は、彼女の事が憎くて堪らない。でも、彼女を、戦友を尊敬し、尊重したいと言う気持ちは、決して嘘では無い。その筈だ。
「待って、ラスティ」
負け犬のように虚勢を張って叫び、逃げるように扉へと手を掛ける。そんな私の背に、戦友が呼び掛けた。そどれだけ逃げたくても、それを無視する事はどうしても出来ず、ピタリと脚を止めてしまう。
そんな私を、彼女は背後から抱き締めた。
「ごめんね。感情、ぐちゃぐちゃだよね。分かる。私もそうだから。
私、明日も、明後日も、ここにいるから・・・ラスティがもし、我慢できなくなったら・・・」
スルリと離れる、布越しの体温。喉元を真綿で絞められるような感覚に陥りながら、眼だけで振り返る。
「私、待ってる」
「っ!」
そこから先は、あまり覚えていない。気が付けば、私は家のリビングにいた。
両親は、共に夜勤が当たっていて家にいない。そんな人の気配のしない家で、私は彼女の事を思い出す。
「っ~!」
洗面所に駆け込み、蛇口を開いて冷水を頭から被る。刺すような冷たさが脳に響き、ほんの少し気持ちが落ち着いた気がした。
「ハァ、ハァ・・・」
荒い息遣いと鼓動を感じながら、私は両手を見る。彼女を、戦友を絞め殺そうとした、この腕を。
彼女の肌の感触、脈拍、体温、汗・・・全ての感覚が、鮮明に掌に焼き付いていた。
「は、ハハッ」
何だ、誰の笑い声だ、そう思い、ふと視線を上げると、自分と眼が合った。鏡の中の、歪な悦楽に顔を歪めた自分と。
「私、は・・・笑って?・・・うッ!?」
鳩尾がひきつる感覚。
私は慌ててトイレに駆け込み、腹の中のものを全てぶちまけた。
「・・・」
翌日の放課後。私は、屋上への扉の前で立ち尽くしていた。
手に掛けたドアノブは、容易く捻ることが出来る筈なのに、とても重い。
ダメだ。こんな事、やって良い筈が無い。理性が痛い程に叫ぶ。だが私は、結局忘れられなかった。
私の内の餓えた狼には、引き下がる事など、出来はしなかった・・・
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「来てくれたんだ、ラスティ・・・」
夕日を背に、嬉しそうに微笑む戦友。しかしその視線は妖艶に私を舐め回し、頬は夕日よりも赤く染まっている。
「信じてた。だってラスティは、いつも、私の所に来てくれたから」
金縛りに逢ったように動けない私を、妖しい魔女は優しく抱擁した。
心臓は早鐘を打ち、視界がチカチカと瞬く。口から吐き出される吐息が、炎のような熱を孕んでいた。
「もう、我慢しなくて、良いんだよ?」
「ッ!」
私は、彼女に拳を振り抜いていた。
「ぐぶっ!?」
無抵抗な腹を打つ感触が、拳に伝わってくる。
私の脳内には、パチパチと痺れるような感覚が芽生えた。