【ドリトライ×はだしのゲン二次創作】 心の強さと、踏まれる麦と   作:木下望太郎

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第十五話  死闘と、決着と

 

 笑みを浮かべて近づく元から、鮫島竜吉は後ずさっていた。退いていた、逃れようとしていた――何度殴っても立ち上がってくる相手から。何度殴りかかっても、笑顔を浮かべてかわす敵から。

 

 逃げていた。立ち向かいようもない恐怖から――死から。

 

 思い出す、足下はリングではなく瓦礫(がれき)の山、倒壊した家々、響く人々のうめき――原爆の落とされた日。

 その中を逃げる、迫り来る炎から。死から。何もかも見捨てて――。

 

「ひいいぃ……っ!」

 

 だが、今。後ずさった竜吉の背が何かに突き当たった。コーナーポスト。もはや逃れようもない、リングの隅。

 

「あ……あ、ああああ……!」

歯がかち合って音を立てる。膝が、拳ががくがくと震える。その指先も、冷たく震える。かつて、元に噛みちぎられた指先が。

 

 グローブごしに右手を噛んだ。今はない指先が痛んだ。

「そ、そうじゃ……そうじゃ、中岡……っ! わしゃあおどれに、返さにゃならんのじゃ! この右手の借り、おどれに噛みちぎられた指の借りを……!」

 構え直し、叫ぶ。

「クソッタレが! おどれの指もちぎり捨ててやろうかっ、中岡ぁぁぁ!!」

 

 

 

 一方、元は。

 ほほ笑みながら、絵の修行のため観察を続けていた元は、その声を聞いた。

「――おどれの指もちぎり捨ててやろうかっ――」

 

 脳裏に浮かぶ、昨日のこと。黒崎の雇ったチンピラに襲われたときのこと。奴らはナイフを振るい、元の腕や指を切ろうとしてきた――。

 

 元の腕が、指が、冷たく震える。

「なんじゃと、わりゃあ! わしの手を、絵を、夢を……奪おうっちゅうんか……!」

 

 見据える、迫り来る拳を。観察する、それを。

 だが、もはやかわそうとはしない。顔面に受け入れつつ、振り抜く。自らの拳を。

観察していたからこそ解る、相手の防御の隙間。顔面の空いた位置。そこへと至る最適な軌道。

それを、撃ち抜く。

 

 夕華が目を見開いた。

「あれは……!」

 

 相手の渾身の一撃を恐れず受け入れ、その上で自分の全力を上乗せして打ち返す奥義。大神夕日、そして大神青空の“技”【真・瀑受転巌(ばくじゅてんがん)】。

 元が放った拳は、奇しくもそれと同じだった。

 

「……!」

 声もなく、竜吉の体は宙を舞い。音を立てて、リングに落ちた。

 

 カウントが取られる中、それでも元は竜吉の方へと向かっていた。獣のように歯を剥いて、拳を振り上げて。

「おどりゃっ、おどりゃ許さんぞ、わしのっ、わしの夢を、手を――!」

 

 生野が叫ぶ。

「待て! やめろ元、カウント中――」

 

 ダウン中の相手に対する攻撃は、当然重大な反則となる。いや、それ以上に――

 

「やめろ! 勝負はついた、もういいだろ!? それ以上は――」

 青ざめた顔で生野が叫ぶも、元の突進は止まらない。

 

 が。倒れた竜吉のそば、リング外に現れた男の姿を見て、元は足を止めていた。

「元! やめろっ、わしみたいな真似はすんな!」

 

 黒崎。昨日元にチンピラをけしかけた本人、黒崎がそこで叫んでいた。

 

「お前は絵を描くんじゃろうが、国境なんぞ取っ払うような絵を! 世界中の人の心を揺り動かす絵を! そんとな男が、わしみたいなつまらん真似をするなっ!」

 

「黒、崎……」

 呆けたように口を開け、元は拳をだらり、と下げ。竜吉の前に、へたり込んだ。

「ほう、じゃ……ほうじゃ、わしは……なんちゅうことを……」

 

 カウントテンが響き渡る。竜吉は倒れたまま、目を見開いて元と黒崎を見ている。

 

 元は座り込んだままそちらへ向き直り。頭を下げた。

「……すまんかった」

 

 竜吉が目を瞬かせる間に、元は言った。

「すまんかった。……自分が手を、指を切られそうになって分かった。指のこと……すまんかった」

 また、頭を下げた。

 

 寝そべったまま、竜吉は目を見開いていたが。

 その目に涙がにじみ、目の端からこぼれ、なおも溢れ出した。

「中岡。わしは……怖かった」

 

 グローブをはめた両手で顔を押さえ。鼻をすすり、しゃくり上げながら続けた。

「怖かった……怖かったんじゃ……あの日。原爆(ピカ)の落とされたあの日、何もかも壊されたあの日……お前に助けてもろうて、けど……火が、火がそこまで迫って、やっと助かったと思ったところに迫って……じゃけえ、逃げた。逃げてしもうた……何もかも見捨てて。お前の、家族も、見捨てて」

 

 うううう、と声を上げ、子供のように涙を流した。

「怖かった、怖かったんじゃ! 死ぬのが……怖かった、じゃけえ……! すまん……すまん……」

 

 元は黙っていた。黒崎も生野も。父親である鮫島は口を引き結び、目をそらすかのように顔を背けていた。

 

 会場の誰もが黙る中、元が言った。

「……わしも……わしも逃げた、あの炎から。父ちゃんや姉ちゃん、進次を焼く炎から、逃げた。殺人者じゃ、わしも」

 

 深くうつむく。

「お前のこと、絶対に許しはせん……けど……責めはせんよ」

 

 すまん、すまんと繰り返す竜吉の言葉と、すすり泣く声だけが、試合場に響いていた。

 

 

 

 その静寂を引き裂くように高い音が鳴る。グローブが肌を打つ音。

 未だ、青空と蒼臼(あおうす)の死闘は続いていた。青空の圧倒的劣勢で。

 

 蒼臼(あおうす)は唾を散らしながら声を上げる。

「どうした、ほらどうしたぁ! 私を、私をぶっ飛ばすんじゃなかったか、あぁ!?」

 

 防御を固めた青空へと連続で拳を叩き込む。そのうちの一つがまともに当たり、青空は崩れるように倒れた。

 

 肩を大きく上下させ、荒い息の下から蒼臼は言う。

「どうしたっ……何が心の強さだっ、何が私は強いだ……! 私はっ、弱いんだ、どうしようもないんだ……!」

 

「……じゃ、ねぇ……」

 震えながら、崩れ落ちそうになりながら、青空は立ち上がる。

 

「そうじゃ、ねぇよ」

 笑ってみせる。

「お前はもう立ち上がってる、お前の心は歩き出したがってる……なのに、どうしようもないなんて、言い訳ばかり続けてる」

 

 貫くように蒼臼の目を見る。

「目を背けんなよ。自分の、心の強さからよ」

 

「な……っ」

 

蒼臼は口を開いていたが。やがて笑い出した。無理に上げたような声で。

「ハ……ハハハハっ! 笑わせる、笑わせてくれる! 私に手も足も出ない奴が、何を生意気な! せめて先の、黒岩とかいう者ほどになってから口をきいてもらおうか、あぁ!?」

 

 手も足も出ないというのはそのとおりではあった。あの黒岩と互角以上に戦った相手だ、青空の腕ではかなわなかった。大半の攻撃はいなされ、貫くような反撃を返されるばかりだった。

 

 それでも、青空は揺るがない。

「そんなこと言ってよぉ。その手も足も出ない奴を、全っ然倒せねぇのは誰だよ、あぁ?」

 

 荒い息をつきながら、笑ってみせる。

「潰してみろよ。お前より弱い俺を。できるもんならよ」

 

「この……!」

 蒼臼の顔が固く引きつる。

 

 リング外で黒岩が身を起こした。

「青坊の奴、狙ってやがる……カウンターを」

 

 相手の向かってくる力をも利用して、打撃の威力を倍増させるカウンター。それは確かに青空の得意技であり、現状を打開する可能性のある策でもあった。

 だが。

 

 黒岩は歯を軋らせる。

「できんのか、この局面で……!」

 

 自在にカウンターが取れるなら、そもそもここまで追い詰められてはいない。蒼臼の拳は、青空が完全に御せるような生半可な練度ではなかった。

 

 全力で放たれるであろう相手の一撃。そのカウンターに成功すれば、確かに逆転も有り得るだろう。

 だが失敗すれば、叩き潰される。おそらく青空ですら、二度と立ち上がることがかなわないほどに。

 

 蒼臼は待たなかった。

 躊躇(ちゅうちょ)なく、いや、絡みつく躊躇(ちゅうちょ)を振り払うかのように、即時に踏み込み、拳を振るう。最重にして最強、全ての体重を乗せて利き腕の右で打ち込む縦拳、【形意(シンイー)崩拳(ポンチュエン)】。

 

が。

「……!」

 不意に蒼臼の体に痛みが走る、まるで背後から殴られたかのように。

 だが背後には誰もいない。へたり込んだままでいた元はダウン扱いとなり、とっくにカウントテンが取られている。

 

 痛みが走るのは背中側、腰の上。その奥、そこにある内臓、すなわち腎臓。

 そこを打ったのは、かつて打ったのは。ここにはいない、黒岩だった。

 

 蒼臼からの決定打を受けたとき、倒れ込んだ黒岩が狙っていたのは。相手への抱きつき(クリンチ)でダウンをこらえることではなかった。拳を蒼臼の背中へ回し、一撃をそこへ入れていた。

腎臓打ち(キドニーブロウ)。それは古武術に伝わる裏技、通常の拳闘では反則となる打撃。つまりそれほど、危険な攻撃。

 

 そして今。気を取られ、鈍った蒼臼の打撃に。青空は十二分に、反応してみせた。

 

 相手からの打撃を受け入れつつ、その勢いをも自らの拳に乗せ。放つカウンター、【真・瀑受転巌(ばくじゅてんがん)】。ストレートとして放ったそれが、蒼臼の顔面へと突き立った。

 

 生野が拳を握る。

「やった……!」

 

 黒岩は舌打ちする。

「いや、浅い……!」

 

 蒼臼からの打撃にそもそも力が乗り切っていない。そのため、カウンターとしての威力は大きく削がれてしまっていた。

 

 しかし、青空は動きを止めていなかった。蒼臼の前に踏み込む。同時、身を沈める。

 

 蒼臼は的確に反応した、長年の修練を積んだ闘技者としての本能といってもよかった。青空が別の相手との戦いで見せた“技”、視界の外から繰り出される打点の高い右フック――【疾駆流撃】――が来る、そう判断していた。

 左フックとして放たれる可能性さえ瞬時に考慮し、防御すべく頭の両側に腕を掲げる。

 

 だが。青空が選択したのは、そのどちらでもなかった。

 

 夕華が、元が声を上げる。

「あれは――」

「あれは……!」

 

 全て手放したかのように脱力し、沈み込み。その反動を持って地を蹴り。天を衝く如く、跳び上がりながら拳を突き上げる。踏まれても踏まれても強く真っ直ぐに伸びる、麦のように。

 夕日の残した書から青空が会得した“技”の一つ。奥義【麦穂天立(ばくすいてんりゅう)】。

 

 打ち抜いた。無防備な蒼臼のあごを。そしてその体を、宙高く打ち上げた。

 

 カウントテンが響き、ゴングがけたたましく鳴り。

 青空の下へ、元が生野が、夕華が黒岩が駆け寄った。

 

 西日本支部代表の男が床にへたり込む中。

 会場は大きくどよめく。誰もが声を上げていた。勝者を、というより、この試合を称える声を。つまりは、この試合を汚すことを許さない、そんな響きを持った声を。

 結果としてこの試合の勝者を、認める声を。

 

 

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