【ドリトライ×はだしのゲン二次創作】 心の強さと、踏まれる麦と 作:木下望太郎
笑みを浮かべて近づく元から、鮫島竜吉は後ずさっていた。退いていた、逃れようとしていた――何度殴っても立ち上がってくる相手から。何度殴りかかっても、笑顔を浮かべてかわす敵から。
逃げていた。立ち向かいようもない恐怖から――死から。
思い出す、足下はリングではなく
その中を逃げる、迫り来る炎から。死から。何もかも見捨てて――。
「ひいいぃ……っ!」
だが、今。後ずさった竜吉の背が何かに突き当たった。コーナーポスト。もはや逃れようもない、リングの隅。
「あ……あ、ああああ……!」
歯がかち合って音を立てる。膝が、拳ががくがくと震える。その指先も、冷たく震える。かつて、元に噛みちぎられた指先が。
グローブごしに右手を噛んだ。今はない指先が痛んだ。
「そ、そうじゃ……そうじゃ、中岡……っ! わしゃあおどれに、返さにゃならんのじゃ! この右手の借り、おどれに噛みちぎられた指の借りを……!」
構え直し、叫ぶ。
「クソッタレが! おどれの指もちぎり捨ててやろうかっ、中岡ぁぁぁ!!」
一方、元は。
ほほ笑みながら、絵の修行のため観察を続けていた元は、その声を聞いた。
「――おどれの指もちぎり捨ててやろうかっ――」
脳裏に浮かぶ、昨日のこと。黒崎の雇ったチンピラに襲われたときのこと。奴らはナイフを振るい、元の腕や指を切ろうとしてきた――。
元の腕が、指が、冷たく震える。
「なんじゃと、わりゃあ! わしの手を、絵を、夢を……奪おうっちゅうんか……!」
見据える、迫り来る拳を。観察する、それを。
だが、もはやかわそうとはしない。顔面に受け入れつつ、振り抜く。自らの拳を。
観察していたからこそ解る、相手の防御の隙間。顔面の空いた位置。そこへと至る最適な軌道。
それを、撃ち抜く。
夕華が目を見開いた。
「あれは……!」
相手の渾身の一撃を恐れず受け入れ、その上で自分の全力を上乗せして打ち返す奥義。大神夕日、そして大神青空の“技”【真・
元が放った拳は、奇しくもそれと同じだった。
「……!」
声もなく、竜吉の体は宙を舞い。音を立てて、リングに落ちた。
カウントが取られる中、それでも元は竜吉の方へと向かっていた。獣のように歯を剥いて、拳を振り上げて。
「おどりゃっ、おどりゃ許さんぞ、わしのっ、わしの夢を、手を――!」
生野が叫ぶ。
「待て! やめろ元、カウント中――」
ダウン中の相手に対する攻撃は、当然重大な反則となる。いや、それ以上に――
「やめろ! 勝負はついた、もういいだろ!? それ以上は――」
青ざめた顔で生野が叫ぶも、元の突進は止まらない。
が。倒れた竜吉のそば、リング外に現れた男の姿を見て、元は足を止めていた。
「元! やめろっ、わしみたいな真似はすんな!」
黒崎。昨日元にチンピラをけしかけた本人、黒崎がそこで叫んでいた。
「お前は絵を描くんじゃろうが、国境なんぞ取っ払うような絵を! 世界中の人の心を揺り動かす絵を! そんとな男が、わしみたいなつまらん真似をするなっ!」
「黒、崎……」
呆けたように口を開け、元は拳をだらり、と下げ。竜吉の前に、へたり込んだ。
「ほう、じゃ……ほうじゃ、わしは……なんちゅうことを……」
カウントテンが響き渡る。竜吉は倒れたまま、目を見開いて元と黒崎を見ている。
元は座り込んだままそちらへ向き直り。頭を下げた。
「……すまんかった」
竜吉が目を瞬かせる間に、元は言った。
「すまんかった。……自分が手を、指を切られそうになって分かった。指のこと……すまんかった」
また、頭を下げた。
寝そべったまま、竜吉は目を見開いていたが。
その目に涙がにじみ、目の端からこぼれ、なおも溢れ出した。
「中岡。わしは……怖かった」
グローブをはめた両手で顔を押さえ。鼻をすすり、しゃくり上げながら続けた。
「怖かった……怖かったんじゃ……あの日。
うううう、と声を上げ、子供のように涙を流した。
「怖かった、怖かったんじゃ! 死ぬのが……怖かった、じゃけえ……! すまん……すまん……」
元は黙っていた。黒崎も生野も。父親である鮫島は口を引き結び、目をそらすかのように顔を背けていた。
会場の誰もが黙る中、元が言った。
「……わしも……わしも逃げた、あの炎から。父ちゃんや姉ちゃん、進次を焼く炎から、逃げた。殺人者じゃ、わしも」
深くうつむく。
「お前のこと、絶対に許しはせん……けど……責めはせんよ」
すまん、すまんと繰り返す竜吉の言葉と、すすり泣く声だけが、試合場に響いていた。
その静寂を引き裂くように高い音が鳴る。グローブが肌を打つ音。
未だ、青空と
「どうした、ほらどうしたぁ! 私を、私をぶっ飛ばすんじゃなかったか、あぁ!?」
防御を固めた青空へと連続で拳を叩き込む。そのうちの一つがまともに当たり、青空は崩れるように倒れた。
肩を大きく上下させ、荒い息の下から蒼臼は言う。
「どうしたっ……何が心の強さだっ、何が私は強いだ……! 私はっ、弱いんだ、どうしようもないんだ……!」
「……じゃ、ねぇ……」
震えながら、崩れ落ちそうになりながら、青空は立ち上がる。
「そうじゃ、ねぇよ」
笑ってみせる。
「お前はもう立ち上がってる、お前の心は歩き出したがってる……なのに、どうしようもないなんて、言い訳ばかり続けてる」
貫くように蒼臼の目を見る。
「目を背けんなよ。自分の、心の強さからよ」
「な……っ」
蒼臼は口を開いていたが。やがて笑い出した。無理に上げたような声で。
「ハ……ハハハハっ! 笑わせる、笑わせてくれる! 私に手も足も出ない奴が、何を生意気な! せめて先の、黒岩とかいう者ほどになってから口をきいてもらおうか、あぁ!?」
手も足も出ないというのはそのとおりではあった。あの黒岩と互角以上に戦った相手だ、青空の腕ではかなわなかった。大半の攻撃はいなされ、貫くような反撃を返されるばかりだった。
それでも、青空は揺るがない。
「そんなこと言ってよぉ。その手も足も出ない奴を、全っ然倒せねぇのは誰だよ、あぁ?」
荒い息をつきながら、笑ってみせる。
「潰してみろよ。お前より弱い俺を。できるもんならよ」
「この……!」
蒼臼の顔が固く引きつる。
リング外で黒岩が身を起こした。
「青坊の奴、狙ってやがる……カウンターを」
相手の向かってくる力をも利用して、打撃の威力を倍増させるカウンター。それは確かに青空の得意技であり、現状を打開する可能性のある策でもあった。
だが。
黒岩は歯を軋らせる。
「できんのか、この局面で……!」
自在にカウンターが取れるなら、そもそもここまで追い詰められてはいない。蒼臼の拳は、青空が完全に御せるような生半可な練度ではなかった。
全力で放たれるであろう相手の一撃。そのカウンターに成功すれば、確かに逆転も有り得るだろう。
だが失敗すれば、叩き潰される。おそらく青空ですら、二度と立ち上がることがかなわないほどに。
蒼臼は待たなかった。
が。
「……!」
不意に蒼臼の体に痛みが走る、まるで背後から殴られたかのように。
だが背後には誰もいない。へたり込んだままでいた元はダウン扱いとなり、とっくにカウントテンが取られている。
痛みが走るのは背中側、腰の上。その奥、そこにある内臓、すなわち腎臓。
そこを打ったのは、かつて打ったのは。ここにはいない、黒岩だった。
蒼臼からの決定打を受けたとき、倒れ込んだ黒岩が狙っていたのは。相手への
そして今。気を取られ、鈍った蒼臼の打撃に。青空は十二分に、反応してみせた。
相手からの打撃を受け入れつつ、その勢いをも自らの拳に乗せ。放つカウンター、【真・
生野が拳を握る。
「やった……!」
黒岩は舌打ちする。
「いや、浅い……!」
蒼臼からの打撃にそもそも力が乗り切っていない。そのため、カウンターとしての威力は大きく削がれてしまっていた。
しかし、青空は動きを止めていなかった。蒼臼の前に踏み込む。同時、身を沈める。
蒼臼は的確に反応した、長年の修練を積んだ闘技者としての本能といってもよかった。青空が別の相手との戦いで見せた“技”、視界の外から繰り出される打点の高い右フック――【疾駆流撃】――が来る、そう判断していた。
左フックとして放たれる可能性さえ瞬時に考慮し、防御すべく頭の両側に腕を掲げる。
だが。青空が選択したのは、そのどちらでもなかった。
夕華が、元が声を上げる。
「あれは――」
「あれは……!」
全て手放したかのように脱力し、沈み込み。その反動を持って地を蹴り。天を衝く如く、跳び上がりながら拳を突き上げる。踏まれても踏まれても強く真っ直ぐに伸びる、麦のように。
夕日の残した書から青空が会得した“技”の一つ。奥義【
打ち抜いた。無防備な蒼臼のあごを。そしてその体を、宙高く打ち上げた。
カウントテンが響き、ゴングがけたたましく鳴り。
青空の下へ、元が生野が、夕華が黒岩が駆け寄った。
西日本支部代表の男が床にへたり込む中。
会場は大きくどよめく。誰もが声を上げていた。勝者を、というより、この試合を称える声を。つまりは、この試合を汚すことを許さない、そんな響きを持った声を。
結果としてこの試合の勝者を、認める声を。