【ドリトライ×はだしのゲン二次創作】 心の強さと、踏まれる麦と 作:木下望太郎
そうして、次の日。
試合前の顔見せでリングの上に立った二人は、盛大な罵声を浴びせられていた。
「おうおうどしたんじゃフヌケがよ、おぅコラぁ!」
「東京モンは腰抜けしかおらんのじゃのう、キン○マどこに落としてきたんじゃワレ!」
「かーっ、これじゃけぇ東のヤクザはよぉ! わしら広島極道の爪の垢でも煎じて飲みくされやボケっ!」
「死ね死ね、死ねやぁ! 臆病モンは血祭りじゃオラァァ!」
リングに立った二人、青空と生野は観客席へと声を張り上げる。
「なんだと、俺たちはそんなんじゃ――」
「試合を見ろや、この拳で黙らせて――」
しかしその二人の声も、さらにかぶせられる怒涛のような罵声に押し包まれ、かき消される。
そう、二人。リングの上には二人しかいなかった。五対五の勝ち抜き戦、それに出るはずの黒岩と、他二人の姿がなかった。
リングの外では。夕華が脂汗を垂らしながら、血の出るほどに唇を噛み。
その横で元が、震える拳を握っていた。
無論、黒岩も他の二人も臆病風に吹かれるような男たちではない。
罠にはめられたのだ。西日本支部の卑劣な罠に。
――今朝のこと。
青空と元、生野は早く目を覚まし、軽く体を動かしつつ支度をしていたが。他の者が一向に起きてこなかった。同室の隆太やムスビはともかく、別室の黒岩たち、さらには夕華までも。
「わりゃ何をグースカ寝とるんじゃっ、とっとと起きんか!」
元が隆太とムスビの布団をはぎ取るが。
二人は青ざめた顔で歯を食いしばり、手足を震わせていた。
「ギギギギギ……」
「うううう~……」
「な、なんじゃ、どうしたんなら!」
「お、おい大丈夫か、医者を……」
青空が言う間に、生野が目を見開いた。
「! まさか――」
三人で別室に向かうも、そこでは黒岩たちが同じように、震えながら布団から這い出そうとしているところだった。
「クソッタレがぁ……!」
顔を歪めた黒岩が壁に寄りかかって立ち上がろうとするも、その膝から力が抜け、倒れた。
「ちょ、大丈夫かよ!」
「黒岩さん、あんたまで――」
青空と生野が駆け寄ろうとしたとき、廊下でも誰かが倒れるような物音がした。
「グ、ググ……あんたらは、無事かい……」
倒れた夕華は、脂汗を垂らしながら。震える手をそれでも伸ばし、廊下を這いずろうとしていた。
「やられた……! どうやら、一服盛られたようだね……」
黒岩たちの部屋で壁にもたれて座り、荒い息の下から夕華はどうにかそう言った。
黒岩が歯軋りする。
「ええ……食中毒の類じゃねえ、吐き気や腹下したりはねえ。ただ、手が、足が……クソ!」
震えの止まらない手を、もう片方の手を振り上げて叩こうとする。だがそちらの手もまたひどく震え、的を外し。畳を叩くだけに終わった。
他の組員二人が夕華に向かい、額を畳にこすりつけるように頭を下げる。二人の手も足も、同様にひどく震えていた。
「組長、面目ねえ……!」
「這ってでも、這ってでも試合にゃあ向かいます……!」
脂汗を垂らしながらも、ぴしゃりと締めるように夕華が言う。
「確かに、這ってなら試合場へは行けるだろうさ。でも、その後は? あんたらにゃあリングに上がって、勝ってもらわなきゃならないんだよ。――青空、生野」
二人に目を向けて言う。
「不幸中の幸い……あんたらだけでも、無事で良かった。どうやら薬は酒に仕込まれていたらしいね……」
青空と生野、それに元は酒を口にしていなかった。隆太、それにムスビはいつの間にか呑んでいたようだが。
仕込まれたのは痺れ薬の類らしいが、薬である以上、多少の苦味なりはあるだろう。それをごまかすため、味の分かりやすい食事ではなく、クセのある酒に混ぜたのか。
黒岩は引きつった頬を、その手足以上に震わせた。
「クソどもがああ……マズい酒だと思ったぜ……!」
震える指で汗を拭い、夕華は言う。
「とにかく、だ。青空と生野は医者を手配しておくれ、黒岩たちはここで治療に専念。あたいは二人と共に……試合へ向かう」
組員らが声を上げる。
「組長!」
「しかし……!」
顔を歪めながらも、ンフフ、と夕華は笑う。
「喧嘩出入りに親分がいなくてどうすんだい? 向こうへの示しもつかない、それに言ったはず……這ってなら、試合場へは行けるさ」
不意に、元へと顔を向ける。
「隆太とムスビはここで一緒に治療を。ただ、すまない……少年、いや、元。君は一緒に来ておくれ」
倒れ込むように深く頭を下げる。
「巻き込みたくはないが。あたいがこんなじゃあセコンドもままならない。すまない……どうか手を、貸しておくれ」
今回の試合、夕華の他にセコンドはいない。補欠の選手もない。
仕方のないことだった、汽車賃や滞在費すら惜しいほどだ――虎威組には、金が無い。そして、金が要る。
足抜け交渉にずいぶん金をバラまいた、そして炎涛から抜ける手前、その賞金を当てにすることはできない。今回の試合にも賞金はない。
その一方で、現在の組屋敷を返上し、新たな土地を借りてジムを建てねばならない。金が要る。ジム建設の手付金が早急に。
元ヤクザ――そうなる予定だ――の連中がジムを建てるなどという怪しげな話だ、契約を嫌がる者も多かった。そんな中でやっと折り合いのついた話だった。その手付金の期日を破っては、拳闘ジムとしての再出発もままならない。
そうしたわけで――試合で負傷があったときのため、治療費として路銀は多めに持ってきたが――虎威組は総出で倹約に努め、今回の選手以外は資金捻出のため日雇い労働に汗を流している。
決して青空たちだけが戦っているわけではない。全員で、夢のために戦っていた。
元は慌てて夕華の手を取り、その体を起こす。
自分の胸を、どん、と叩いた。
「そんとな水くさいこと言いなさんな、わしに任せとけっ! おばちゃんの手足になって助けたるわい!」
「おばちゃん……」
「おばちゃん……」
組員らのつぶやく中、夕華は頬を緩めた。
「ンフ……よろしく頼むよ、元。おばちゃんを助けておくれ」
「おばちゃん……」
「叔母ちゃん……」
生野と青空がつぶやくのには構わず、夕華は言う。
「黒岩たちはとにかく治療を。具合が良くなりゃあ――いいかい、試合に勝てるほど良くなれば、だよ――車を呼んで試合場へ。青空と生野にはすまないが……この勝ち抜き戦、二人でやれるところまで……」
そこで言葉を切り、二人の目を見る。
「――いや。必ず勝つんだ」
唾を飲み込み、生野はうなずく。
「おう……いや、はい!」
青空も強くうなずく。
「任せてくれよ。俺は……諦めたりはしねぇ。勝ってみせるさ」
夕華もうなずき、全員を見渡す。
「皆……頼んだよ」――
そして、今。
「おやおや虎威組さ~ん、どうしたんですかい? 今日の試合は五対五……お伝えしとったはずですがの~う?」
炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》西日本支部運営の代表者であろう、恰幅のよい男がリングの上から夕華を見下ろす。にたにたと下品な笑みを浮かべて。
「それにせっかくの顔見せ……組長さんもリングに上がりなすっちゃどうですかい? ま、具合でも悪いんならぁ~? 無理にとは言いませんがのう~?」
「なんじゃと! おどれらが皆を――」
拳を握る元を目で静止し、夕華は言う。
「そうさね、ちょいと体調が優れなくてねえ……低いとこで失礼させてもらうよ。それに、選手にも体調を悪くしたのがいてね。医者に診てもらってる、それが終わるまで待っ――」
その言葉が終わる前に、代表の男は顔を歪めた。
「あぁん!? テメェんとこの体調管理もできんボケが何寝言ぬかしよんならボケッ! ワシなら恥ずかしゅうて首くくるとこじゃわドアホッ!」
不意に、またにたにたと笑い出す。
「あぁ、あぁ違いましたか~そういうことですかい。怖じ気づいたんやの~、他の三人は。いやいや使えん組員を持つと苦労しますの~う組長さん、ええ?」
「んだと……!」
「試合の前にてめーから右腕の餌食にしてやろうか、ああ!?」
拳を構えかける青空と生野を、夕華が目で制する。
「……お気遣いどうも。けど、ウチの者に腰抜けは一人もいない……それに、弱い選手もねえ」
相手の目を見据えて言い放つ。
「三人の治療が間に合えば、そいつらも後で出させてもらうがね。必要ないだろうね……今回の勝ち抜き戦、この二人で勝つ」
青空は笑い、生野は重くうなずいた。
が。
西日本支部の男は片耳に手を沿え、夕華の方へと向けてみせた。
「は? 勝・ち・抜・き・戦? はあぁ~~~?」
小馬鹿にしたように、肩を揺すって笑う。
「虎威組さん、ど~やらちゃあんと話を聞いとらんかったようじゃの? 今回の試合、『勝ち抜き戦』じゃあない……『勝ち残り戦』、言い方が悪かったですかのう? 『
「な……っ!?」
さすがに夕華が目を見開き、歯を剥き出す。
それでも、一呼吸の後には言葉を継いだ。
「そいつは、さすがにおかしいねぇ。確かに昨日も、それ以前の通告でも『勝ち抜き戦』って話だったろう」
そのとき、観客らが野次を飛ばす。
「何やってやがんだとっとと始めろォ!」
「東京の腰抜けがゴタゴタぬかすなボケ!」
「さっさとそこの二人殺せや、殺せやオォ!?」
代表の男はまたも耳を夕華に向け、嘲るように眉根を寄せる。
「あぁ~? 何ですかい、さぁっぱり聞こえませんわい! まあ何ですわ、ウチの厳正なルールに不服があるっちゅうなら~? そちらの不戦敗でも結構じゃけどの~う?」
再び野次が飛ぶ。
「ほうよほうよ、ルールに従えん奴は帰れっ!」
「てめんとこの選手が逃げたんを恨めや!」
「死ね、東京モンははよ帰って死ねっ!」
夕華が噛み締めた唇に血がにじむ。
いわばここは完全なる敵陣、審判含め味方など一人もいない。西日本支部との軋轢を恐れてか――どのような力関係にあるのか、あるいは弱みでも握られているのか、夕華にも分かりはしなかったが――、東日本からの立会人などもよこされてはいない。
それでも試合となれば。判定などではなく、はっきりとしたノックアウト勝ちならば。向こうもメンツがある、おとなしく引くだろうと考えていたが。
甘かった。薬を盛ったあげくルールを曲げるなどとは。
勝ち抜き戦ならまだ希望はある、だが
「じゃかましいわっ、黙れおどれら!!」
そのとき、声を上げてくれたのは。リング上の青空でも生野でもなかった。
夕華の隣にいた元が大声を張り上げ、辺りの野次がやんでいた。
元はリングに跳び乗り、さらに声を上げる。
「わりゃヤクザもんどもが、普段は仁義だの筋通すだの言いおって、恥ずかしゅうないんかっ! 恥を知れ恥を!」
「なんじゃこのガキは――」
「何を言うとんの――」
「じゃかあしいっっ!! 黙らんかったらおどれら全員ソバの代わりにお好み焼きに挟んで食うぞっ!」
再び起こりかけた野次を、元の怒声が制する。
「おどれらが痺れ薬盛ったせいで他の奴は来れんのじゃ、おどれらじゃ、おどれらじゃ、おどれらのせいじゃ! 許さん、許さんぞわしゃ……!」
歯を剥き出し、震える拳を握る元。
生野が元と、凄まじい形相の観客を見回す。
「ちょ、おい、元……! それ今言っていいのか……?」
青空は生野の肩を叩き、次に元の肩を叩いた。
「強ぇな、お前。心の強さが違ぇ」
観客らに向き直り、青空は声を上げる。
「聞いたとおりだ。俺たちの兄貴分は一服盛られた、そのせいで来られねえ。決してビビって逃げたんじゃねぇ」
野次が上がりかけたが、そのとき。
青空は拳を振り上げた。天へ向けて高々と。そしてその拳を、リングへと叩きつける。
ぱん、と
観客の誰もが口を開いたまま黙る。
その無音の中で青空は言った。
「だがよ! 試合は試合、逃げも隠れもしねぇ! 俺らだけでカタをつけてやる! 見せてやるよ五人だろうが何だろうが、俺らでブチのめすところをよ……! 俺らは! 心が強ぇからよ!」
ざわめきの後、野次が上がる。
「な……なんだぁっ」
「その状況から、勝ってみせるじゃと……?」
「面白え、やってもらおうじゃねえか!」
「たった二人に負けるわけがねえ、やったれや!」
「広島極道のメンツ潰すなや、そいつらに負けたら承知せんぞ!」
夕華は目を瞬かす。そして、黒岩がかつて言っていたことを思い出した。
青空は、何度でも立ち上がるその男は。観客の心をも燃え上がらせる、最高のエンターテイナーだと。
それが今、敵地の観客の心すら燃え上がらせている。
今放った拳もそう。かつて青空の父親、大神夕日が放った拳『全てを諦めさせる力』の真逆。――全てを、奮い立たせる拳。
青空は息を強く吹き出し、ウォームアップに拳を振るってみせる。
その動きに観客らはさらに野次を上げたが。それでも、誰もが青空を見ていた。
生野は頬を引きつらせた。
「だが、だがよ……実際勝てんのか、二人で五人相手によ」
ウォームアップを続ける、青空の視線は揺るがない。
「じゃあ
「いや
青空は口の端を吊り上げて笑う。
「じゃあ。同じじゃねぇか」
何か考えた後舌打ちし、生野も拳を振るい始めた。
「強ぇな」
つぶやいた青空の頭を、生野の太い右腕がはたく。
元が言う。
「ほうじゃほうじゃ、その意気じゃ! 心配しなさんな、わしも
「……ん?」
「え?」
青空と生野が目を瞬かせる中、元は拳を振るう。
「わしも
「いやお前、そこまでは……だいたい素人だろ」
生野がそう言うが。
夕華は真っ直ぐに元を見つめる。
「……元。あたいは今こう考えてる。『五人対二人で乱戦の理不尽な試合』『相手に囲まれて殴られりゃそれで終わる』『だから。的が増える分、素人でも突っ立っててくれりゃあ御の字』」
両拳を打ち合わせ、元はうなずく。
「ほうよ、わしも同じ考えじゃ。おばはんとは気が合うのう」
わずかに苦笑した後、夕華は表情をこわばらせる。
「けどね。……あたいら、それに充分な礼をできるって保証は無い。どころか、あんたが無事にリングから降りられるって保証もね。……それでも――」
元は、どん、と胸を叩く。
「ごちゃごちゃ言わんとわしに任さんかい! わしはただの素人じゃないわい……踏まれて強くなる麦のように何度でも立ち上がる! ド級の素人! ド素人じゃ!!」
生野が目を瞬かせる中。
青空は拳を掲げ、元へと突き出した。
「……頼むぜ」
「おう!」
元はその拳を叩く。
そのとき、リングサイドで。
未だリングに上がっていない、西日本側五人の選手。入念なウォームアップ後のためか、全員がタオルを頭にかけており、顔も定かではなかったが。
そのうち一人、二十歳前と思われる選手が、元に目を向けて歯軋りをした。
「あいつは……中岡、元……!」
右拳を握り、つぶやく。
「返してやる……百倍にして返してやるぞ、中岡元……この右手の借りをのう……!」
歯軋りの音が、再び響く。