※前半、ハリー視点
「こうすると体が暖まるんだ。君にはまだ早いけどね」
そう言ってペティボーンさんは自分のティーカップにブランデーを注いだ。バーノンおじさんが紅茶にブランデーを数滴垂らすのなら見たことがある。ただ、ペティボーンさんがやっているように、酒瓶から直接カップにドボドボ注ぐのは見たことがない。これじゃあ紅茶のブランデー割りだ。生徒の目の前なのに、言い訳をしてまで飲みたいのだろうか。
ハーマイオニーはペティボーンさんは優しくて頼りがいのある、素敵で経験豊富な大人の男性だと言っているけど、僕にはあまりそういう風には見えなかった。むしろ、その経験に押し潰されてしまった大人に見えた。
僕も差し出されたお茶に口をつけた。カップを手にほっと一息つくと、薄暗い部屋を見回した。ペティボーンさんの部屋は予想以上に質素だった。古びた机に、箪笥、小さな椅子がひとつ。それにベッドがあるだけだ。部屋の主の人柄や過去を知る手がかりになりそうな物はほとんどなくて、どちらかといえば冷たい感じのする部屋だった。ただ、僕たちが部屋に入った時から暖炉だけは明々と燃えていた。
僕は椅子に、ペティボーンさんはベッドに腰かけて、二人ともしばらくは黙ったままお茶をすすっていたけれど、突然ペティボーンさんが口を開いた。
「ポッター、何か聞きたいことがあるんじゃないか。ほら、ご両親のこととか――」
確かに元々そういう約束はしていたし、みぞの鏡で父さんと母さんの姿を見て、二人のことを知りたいという気持ちがますます強くなったのも本当だ。でも、正直今ペティボーンさんに両親の昔話をせがむつもりはなかった。
あの空き教室でペティボーンさんは泣いていた。理由はわからないけれど、あの鏡を見ることはペティボーンさんにとってとても辛いことだったに違いない。そんな人に我が儘を言うのは申し訳ないように思ったのだ。それに、目の前でお酒を飲んでいる人と二人きりでいる居心地の悪さが長居したくない何よりの理由だった。
「いえ、今日は時間も遅いですし、また今度に――」
「遠慮しなくていい、ダイアゴン横丁で約束してから随分先伸ばししてしまったし、丁度いい機会だ」
「でも――」
それから何度か押し問答を繰り返したけど、ペティボーンさんは強情だった。お酒が回ってきていたからかもしれない。どうしても今話すと言って譲らなかった。でも僕の目にはペティボーンさんが本当に話したがっているようには見えなかった。どっちかと言うと、さっさと話して肩の荷を下ろしてしまいたいという感じだった。
ペティボーンさんはカップの底に少し残ったお茶にブランデーまた注いで一気に飲み干した。バーノンおじさんは飲めば飲むほど真っ赤になっていったけど、ペティボーンさんは段々青ざめていくように見えた。泣いていたせいか、アルコールのせいか、目だけが赤かった。
「君のご両親とは、はじめは険悪な仲だった――二人はグリフィンドールで私はスリザリンだったからね――」
***
ペティボーンさんが語る両親の学生時代は、みぞの鏡で見た姿なんかよりずっと生き生きしていた。
父さんもクィディッチ選手だったこと。成績も優秀だったけど、規則を破ることにも熱心だったこと(透明マントがどれ程役に立ったことだろう)。母さんとは学生時代から既に付き合っていたこと。学内でも有名なケンカップルだっこと。
元々スリザリンだったペティボーンさんの記憶にある両親の姿は、少し距離があったけれど、鏡の中の青白い幻とは比べ物にならないほどに輝いていた。話に夢中になっているうちに、さっきまで感じていた居心地の悪さは吹き飛んでしまっていた。
特に嬉しかったのは、父さんがグリフィンドールにふさわしい、とても勇敢な人だったということだった。なんと、ペティボーンさんは湖で溺れかけていた時、父さんに助け出されたのだった。
「―――真冬のとても寒い夜だった。下手したら自分も命を落としかねなかったのに――そう、君のお父さんには感謝してるよ」
命を懸けて人を救うなんて、すごい!強力で邪悪なヴォルデモートと戦ったのだから勇気のある人だとは知っていた。でもその面影は学生時代からあったのだ。僕はほとんど記憶にない父親を誇りに思い有頂天になった。だから、その時ペティボーンさんがどれ程複雑な表情をしていたか気付かなかったし、感謝の言葉も絞り出すように口にしていたことにも無頓着だった。
昔話はペティボーンさんに寮まで送ってもらっている間も続いた。途中見回り中のフィルチが難癖をつけに来たけど、ダンブルドアの名前を出したら大人しく引き下がった。
自分のベッドに戻ったとき、僕は興奮で全く眠気を感じない程だった。物心ついてから、知りたくてたまらなかった両親の話が聞けたのだ。それにペティボーンさんは別れ際に言ってくれた。
「またご両親のことが知りたくなったら私の所においで。もうあの鏡を探したら駄目だよ」
多分もうみぞの鏡を見に行くことはないんじゃないかな。あの幻に惑わされることはないような気がした。何となくだけど自信があった。それくらい、その時の僕は嬉しさで一杯だった。何時でも両親の事を教えてくれる人がいるのだ。
でも、ペティボーンさんがどんな気持ちで過去のことを話してくれたのか、舞い上がっていた僕にはちっとも分からなかった。このホグワーツがペティボーンさんにとって辛い思い出のつまった場所であることは、数ヵ月間の噂話を少しでも思い出していたら気付けるはずなのに。翌朝目を覚ましてからその事に思い当たった僕は、少し後悔した。ペティボーンさんに謝った方がいいのだろうか。でも何となく、そうするべきではないような気がした。
そうこうしているうちに、ニコラス・フラメルの正体を突き止めたことで頭が一杯になり、この夜のことはすっかり忘れてしまったのだった。
***
ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズの話をしようとすると、思い出したくない過去のあれこれが否応なく意識を遡上してくる。だから、今までハリー・ポッターを避けていたわけだが、ダンブルドアがわざわざハリーと二人きりにしたということは、もう潮時だということだろう。早晩話さなければならないのなら、さっさと済ませてしまいたかった。
とはいったものの、苦い思い出と戦いながら十一歳の少年が聞くにふさわしい内容と言葉を選んで話すのは随分骨が折れた。
ジェームズ・ポッターの人物を伝えるのに欠かせない存在であるシリウス・ブラック――唯一無二の親友でありながら、闇との戦争でその友を裏切った男。父親の死の引き金となった人物の話は暖炉の炎とブランデー入りの紅茶が暖かいこの場にはそぐわないだろう。そしてセブルス・スネイプ――死んだ父親が同級生をいじめていたなんて話は十一歳にはまだ早いだろう。それに、スネイプのグリフィンドール内でのなけなしの名誉に配慮する必要もあった。
結局フィニアスが中心とした話題に選んだのが、ジェームズが自分の命を救った時の話であった。ハリーには、湖に落ちた自分をジェームズが命懸けで救助したとだけ話した。
間違ってはいない。だが、助ける者と助けられる者の関係は通常とは異なっていた。
あれは自殺未遂だったのだ。
ホグワーツ六年目の二月のある夜、フィニアスは母の死の知らせを受けた。赤ん坊を産んだそのベッドの上で母は亡くなったのだという。その時フィニアスは自分が今味わっているのが絶望というものであることをはっきりと悟った。
魔力を失い、家とほとんど絶縁状態になってから、何度も死を考えたことはあった。しかし、母が人目を忍んで手紙を送ってくれる度に思い止まっていた。しかし、最後の拠り所だった母は亡くなった。自分が情けない息子だったばっかりに、病弱な体をおして、代わりの跡継ぎを産まねばならなかったのだ。母が死んだのは自分の責任だ。その考えがフィニアスの足を極寒の湖へと向かわせた。何も止めるものはなかったはずだった――
あとはハリーにも語った通りである。何故かその場に居合わせたジェームズに水の中から引きずり出され、医務室に担ぎ込まれた。そのおかげで自分は今もこうして息をしている。彼には感謝すべきなのだろう。
しかし、救われたことを恨みこそすれ、喜んだことはない。あの時、死ななくてよかった、そう心から思ったことは、あれから十年以上の間一度もなかった。それだからか、結局、ジェームズ・ポッターに礼は言わずじまいだった。
今晩、する必要もないこの昔話をハリーにしたのは、この事が心に引っ掛かっていたからかもしれない。死のうと思っていたのを邪魔されたとはいえ、自分のために命を張ってくれた人に感謝の一つも伝えないままなのは、やはり気がとがめていたのだ。
「――そう、君のお父さんには感謝してるよ」
義務的に絞り出した言葉は狭い部屋に白々しく響いたのだった。