「写真?」
フィニアスは剪定鋏を手に首を傾げた。目の前ではルビウス・ハグリッドが庭園の色とりどりの花をバックにニコニコと人の良さそうな笑みを溢していた。その笑顔は初夏の日差しのもとで花に劣らず輝いていた。
「ああ、そうだ。ジェームズとリリーの写真を集めてハリーにやろうと思っとるんだ。ええ思いつきだろう?二人の友達ざっと二十人にさっきふくろう便を飛ばした。お前さんも二人の写真、持っとらんか?」
「いや、昔の写真は残してないよ」
自分の思いつきにあからさまに興奮して目をきらきらさせていたハグリッドは、落ち込みぶりもまた正直だった。
「そうか。お前さん、あいつらとようつるんどったから、一枚くらいは持っとるんじゃないかと当てにしとったんだが。捨ててしまったんじゃ仕方ねぇ」
「悪いね。だけど元々そんなに写真は持っていなかったよ。無理矢理撮られたのが何枚かあったくらいで」
庭仕事の手を休めて、ハグリッドの去っていく姿を見送りながらフィニアスはタオルで額に流れる汗を拭った。
「写真か」
ハグリッドにも言った通り、フィニアスは学生時代の写真は全部マグル界に出るときに焼き捨ててしまっていた。魔法にまつわるものは全て忌まわしく思えた頃のことだ。その時灰燼に帰した写真のうち何割かは不仲だったはずの「悪戯仕掛人」達と撮ったものだった。
実際、そのホグワーツ生活の後半において、魔法力を失いペティボーン家を追われてスリザリンでの居場所を失ったフィニアスはジェームズ・ポッター達と一緒に過ごす時間が増えていた。
切っ掛けはフィニアスの起こした自殺未遂事件だった。それ以来その境遇に同情したのか、彼らはフィニアスに声をかけるようになった。スリザリン生からの嫌がらせを受けていたフィニアスに「忍びの地図」を貸したり、時には彼らのイタズラに参加させられることもあった。やれハロウィンだクリスマスだと、無理矢理一緒に写真に写ったことも一度や二度ではない。
今思えば彼らは精一杯自分を元気づけようとしてくれていたのだろう。だが、その余りにもグリフィンドール的な行動は、当時のフィニアスには受け入れ難かった。放っておいてくれた方がどれだけ有り難かったことか。だから、ホグワーツを去る日、それらの写真を暖炉に放り込んだ時もそれほどためらいはなかった。
少しでも逡巡したとすれば、それは、その写真の中で、彼が笑っていたから――
***
数日後、フィニアスが食堂で朝食を食べていると、ハグリッドが手に持った封筒を振り回しながら駆け込んできた。
「フィニアス!来たぞ、早速送ってきた!誰だと思う?」
「さあ、誰かな」
ハグリッドは空いた椅子にドスンと音をたてて座った。食事の席で埃を立てられたフィニアスは顔をしかめてパンを引きちぎった。
「驚くな、リーマス・ルーピンだ」
フィニアスの持っていたバターナイフがパン皿に触れてカチンと音がした。フィニアスは悟られぬようにそっと逸る心臓の辺りを手で抑えた。リーマス――最後に会ってから十年になる。ホグワーツで一番親しかった友人――そう、友人だった男だ。ただの友人の名前を聞いただけで、私は何故ドキドキしているんだ。
「リーマスが?」
フィニアスの様子は動揺を取り繕ったのが丸見えだったが、ハグリッドは気付かず、封筒を破いて中の写真を忙しく繰った。
「おお、そうだ。あいつら仲良かったもんな。見ろ、お前さんも写っとるぞ」
送られてきた写真の一枚。この写真が撮られたのは確かフィニアスがホグワーツを去る少し前だったと思う。写っているのは手を取り合うジェームズとリリー、彼らを冷やかすように笑うシリウス・ブラック、その隣にはオドオドとはにかむピーター・ペティグリュー、満面の笑みで此方に手を振っている写真の送り主リーマス・ルーピン、そしてその脇でしかめっ面をしている自分自身だった。写真の中のフィニアスは隙を伺ってはフレームの外に出ようとしていたが、その度にルーピンに連れ戻されていた。
フィニアスはチラリと写真を一瞥しただけで、また朝食を再開させた。
そこに写った人々にその後これまでに起きたことを一度に回想しようとしても様々な感情が混乱するだけで、何一つ纏まった感想は思い浮かばなかった。悲しくもなければ、勿論嬉しくもなかった。ただ、何となく苦しいような気分がするのは、きっと、リーマス・ルーピンの笑顔のせいだ。人狼の癖に、素晴らしい寮の友人に支えられて、失いかけていた未来へのささやかな希望に胸を膨らませている。後年、どんな苦しみを味わうのかも知らずに。
――バカな奴だ。期待なんかするから裏切られるんだ。光など見ずに、私と一緒に落ちるところまで落ちる道を選べば良かったのに。
私は、一生彼の傍に居たいと思っていたのに。
***
朝食から事務室に戻ったフィニアスをふくろうが出迎えた。足には手紙を括りつけている。フィニアスは訝った。ふくろうで自分に手紙を出す人など居ないはずなのに。封筒の裏にある名前は――
「リーマス――?」
途端に手紙を開ける手が震えた。今朝ベッドを出てからまだ一時間しか経っていないのに、二度もリーマス・ルーピンの名前を目にするとは何という日だ。封筒を投げ捨て、いびつな形をした穴だらけの便箋を開くと、懐かしい筆跡が目に飛び込んできた。
「親愛なる友よ――
友、か。私達の間柄はそんな短い言葉で表せるような簡単な関係だったか、リーマス?
「――ハグリッドから手紙をもらった時は驚いたよ。ジェームズとリリーの息子がもうホグワーツで一年を過ごしたってことにね。
そうだろうな。もうあれから十年経つんだ。
「――でもそれ以上に、フィニアス、君がホグワーツで働いていると書いてあったのには目を疑ったよ。
私だって信じられないさ。二度と魔法界に戻るつもりはなかったんだから。
「――最後に会ったのはブラックの裁判の時だったね。あれから君は上手くやっているかい?私は何とか元気でやっている。平和な世も思ったより悪くない。
嘘つけ。
「――君にこうして手紙を書いていると、色々思い出されてきて、懐かしくてたまらない。今思えば、自分の心の内を底の底までぶちまけることが出来たのは君だけだった。
そうだ。分かってるじゃないか。人狼とスクイブ。その辛さを他の連中が理解できるわけがない。ジェームズ・ポッターやシリウス・ブラックがいくら良き友人であったとしてもだ。 私達はお互い支えあっていた。お互いを必要としていた。「忍びの地図」にも載っていない「必要の部屋」で、夜遅くまで心に秘めた辛い思いを泣きながら語り合った。平凡な同級生達への醜い嫉妬も、友人達の好意を素直に喜べない自分の卑屈さも、全て洗いざらい吐き出した。それで、慰められていた。二人だけの時間はとても居心地が良かった。なのに――
「――こっちに戻っているならまた会いたいな。
会いたい?会いたいだと?よく言えたものだ。自分から私の手を振り払った癖に。ポッターやブラックという、人狼に偏見を持たない稀有な友人に甘やかされて、リーマスは何を勘違いしたのか、愚かにも社会に虚しい希望を抱いてしまったのだ。リーマスは私を捨てたのだ。明るい未来を夢見るようになってからは、落ちぶれたスクイブなど足を引っ張る邪魔者でしかなかったのだ。
フィニアスは手紙を机に置いた。これ以上は読むに耐えなかったからだ。しかし、それでも一度開かれた記憶の倉庫から溢れてくる思い出をとどめることは出来なかった。始めて言葉を交わした一年生のハロウィンの夜。人目を忍んで一緒に慰めあった数々の晩。リーマスが悪戯仕掛人との仲を深め、フィニアスとは段々疎遠になっていった頃のこと。
そして、別れの夜のこと。忘れたくても忘れられなかった――「必要の部屋」はいつもの通り、二人を受け入れた。満月から三日と経っていない夜だった。月明かりに映されたリーマスのやつれた横顔には絆創膏がいくつも貼られていた。フィニアスはブランデー、リーマスはバタービール。二人ともいつもより激しい飲みっぷりだった。最後の大切な時間だというのに、フィニアスはあっという間にへべれけになっていた。
その頃リーマスは、卒業後は不死鳥の騎士団で戦うことをすでに決めていた。忌み嫌われる人狼としてではなく、立派な魔法使いとして一歩を踏み出そうとしている。ホグワーツを退学し、魔法界を追われる身である自分の手には届かない存在になろうとしている――いや、そんなことはどうでもいい。兎に角、もう会えなくなるのだ。
フィニアスは隣に座り込んだリーマスの、バタービールを飲みこむ度に動く喉を見つめていた。青白い喉仏が上下するたびにフィニアスは妙な気持ちになった。そして、リーマスの横顔を眺めていると、腹の奥から何か切ない感覚がじわじわと沸き上がってきた。これが最後の夜になると思うと、益々胸が締めつけられた。
「リーマス」
此方を向いた彼の唇は濡れて光っていた。瞳は潤んでいた。フィニアスはもう何も考えて居なかった。ただ衝動の赴くままに、自分の唇をリーマスの唇へそっと押し付けた。
衣擦れ以外は無音だった。リーマスは身動ぎ一つしなかった。フィニアスが身体を戻した後も、二人とも言葉を発しなかった。どちらかが何かを言えば、きっと明日は予定した明日ではなくなることが分かっていた。しかし、二人ともこの張り詰めた空気を破ることは出来なかった。
転機は二人の目の前を静かに通り過ぎた。そして何事も無かったかのように、夜は更けていった。
それから十年以上が経った。今再びリーマス・ルーピンとの関係が始まろうとしているのだろうか。そうであってほしいような、思い出は思い出としてそっとしておきたいような、どっち付かずの気持ちをフィニアスはもて余した。
フィニアスは手紙の残りに目を通した。しかし、そこに並んでいたのは昔を懐かしむ、靄がかかったような言葉だけで、未来の計画については社交辞令以上に具体的なことは何も書かれていなかった。フィニアスは手紙を机の引き出しにしまいながら、決断を今すぐ迫られなかったことにホッとしている自分に気付いた。