新学期早々、ロックハートに熱烈な愛の告白を受けた挙げ句、壁ドンまでされるという悪夢のような経験をしたフィニアスは、その日からロックハートとの鬼ごっこに興じる羽目になってしまった。ロックハートは中々の神出鬼没ぶりで、場所や時間を問わずフィニアスの前に現れるのだった。実質フィニアスが安心して出歩けるのはロックハートが授業をしている時間だけだった。それ以外は早朝から深夜まで、いついかなる時にロックハートに出くわすかフィニアスは気が気ではなかった。
九月が始まって最初の土曜日、まだ夜の明けきらないうちからフィニアスは庭園へと向かっていた。城から死角になる場所を選んで進んでいるので、庭園までたどり着くのに普段の倍の時間はかかる見込みだった。何故こんなにも慎重かというと、数日前の晩、日が落ちた後だからと油断して校庭を横切ったら、運悪くロックハートに見つかってしまったのだ。
キョロキョロと辺りを見回し、ロックハートの姿が無いことが分かると、フィニアスはホッとして仕事道具を下ろした。何故自分が泥棒のような真似をしなければならないのかと憮然としながらも、誰の目も無い場所で長居は禁物と、早速仕事に取りかかるフィニアスであった。
日が昇りきり、気温が上がり始めて、フィニアスは額に浮かんだ汗を拭った。本格的に暑くなる前にそろそろ城に戻ろうとした時、ツタに覆われた石壁の向こうから生徒達の言い争う声が聞こえた。見ると、クィディッチピッチの入り口で、グリフィンドールとスリザリンのクィディッチチームが赤と緑の二つの塊となって揉めている。
なるべくなら面倒は避けたいフィニアスは仲裁に入るべきか迷った。しかし、女子生徒の甲高い悲鳴が聞こえてきたので、割って入らざるを得なくなった。
「ロン、ロン!大丈夫?」
ハーマイオニー・グレンジャーのひきつった声は、相手を気遣う以外に微妙なニュアンスを含んでいた。フィニアスは近づいてみてその理由が分かった。
グリフィンドール生に囲まれて、ロン・ウィーズリーが大きなナメクジをひっきりなしに口から吐き出していたのだ。皆気遣わしげな顔をしているが、あまり近付きたがっていないのは明らかだった。一方スリザリン生たちは遠巻きにしてゲラゲラ笑っている。
スリザリン寮生に対してはフィルチにすら遥かに劣る権威しか持たないフィニアスは、彼らを前にして既に及び腰だった。それでも職員の義務を果たすべく、スリザリン生の集団に問いかけた。
「誰がこんな呪いをかけたんだ?」
しかし、彼らはバカにしたように笑うだけで答えようとしない。フィニアスが早々に諦めてグリフィンドール生の方に向かうと、彼らは口々に訴え始めた。
「先にピッチを押さえたのは俺たちなんです!」
「マルフォイの奴、ハーマイオニーのことを『穢れた血』なんて言ったんですよ!?」
グリフィンドール生の訴えを総合すると、クィディッチピッチの使用権をスネイプのサイン一つで奪われた上に、マルフォイの暴言にキレたウィーズリーが呪いをかけようとして失敗し、逆に自分がナメクジを吐く羽目になったということらしい。
いきり立つグリフィンドールチームをなんとかなだめて寮に返し(教授のサインの前にはなす術がなかった)、ポッターとグレンジャーにウィーズリーをハグリッドの小屋に連れていくように指示した。
スリザリン生達にお咎めを与える勇気はフィニアスには無かった。何かを言っても、「面汚し」の癖にと言い返されれば、フィニアスはそれで黙るしか無いのだ。はじめから余計な波風は立てないに限る。ニヤニヤ笑いながらピッチに去っていくスリザリンチームを見送ってから、フィニアスは自分もハグリッドの小屋に向かった。
鮮やかに晴れた青空の下で、情けなさがフィニアスの全身にしみ渡った。
***
校庭の中程でポッター達に追いついたフィニアスは、ハグリッドの小屋の前にいる人物に気付いて、それまでの憂鬱も一瞬で吹き飛んでしまった。そして同時に顔色も失っていた。
「げっ、ロックハート」
三人の生徒達は、普段はスネイプにすら敬称を忘れないフィニアスが教授を呼び捨てにするのを聞いて少なからず驚いたようだった。しかし、ポッターには思いが通じたらしく、ウィーズリーを引きずって近くの茂みに隠れた。
「ペティボーンさん、教授を呼び捨てにするのは良くないわ」
ヒソヒソ声でハーマイオニー・グレンジャーが抗議したが、フィニアスは苦虫を噛み潰したような顔で切り捨てた。
「あいつだけは構わないんだ」
ハーマイオニーは一言物申したげな顔つきだったが、ハリーは隣で大きく頷いていた。ロンも頷いていたが、そのたびに小さなナメクジを一メートルも先に飛ばしていた。
ロックハートが立ち去った後、ハグリッドの小屋に落ち着き、ウィーズリーにバケツをあてがった彼らは、ようやくマルフォイへの非難を始める余裕が生まれたのだった。
ハリーとハーマイオニーは寛いだようだったが、フィニアスはあまり落ち着かなかった。何故なら小屋に入った時から鼻がムズムズして仕方がないのだ。ドラゴン騒ぎの時に気付いたのたが、この小屋に入るといつもそうなのだ。くしゃみを我慢して、ロンの背中を擦ってやっていると、ファングが人懐っこい目をして、寄ってきた。これは、フィニアスがハグリッドの小屋に寄りつかないもう一つの理由だった。犬が苦手なのだ。
「まさか、そんなこと言うはずがねぇ!」
人の好いハグリッドはマルフォイがハーマイオニーを「穢れた血」と呼んだことが信じられないらしかった。ハーマイオニーが暗然として言った。
「言ったわ。どういう意味かは知らないけど。もちろんすごく失礼なんだってことは分かったわ」
解説を加えようとしてナメクジの波に襲われたロンの背中を擦りながら、フィニアスが答えた。
「『穢れた血』っていうのはね、マグル生まれの魔法使いの蔑称なんだ――魔法界には、魔法使いの血を尊び、決してマグルの血を入れずに所謂「純血」を守っている人々がいる。例えばマルフォイ家みたいにね。マグルの血を下等なものだと考えているんだ。そういう手合いがマグル生まれの魔法使いを蔑んで『穢れた血』と呼ぶ」
これを聞いたハーマイオニーは少なからず傷ついた顔をした。きっとまだこの子は本物の悪意を知らないのだな、とフィニアスは思った。
ナメクジから一時復帰したウィーズリーが付け加えた。
「そんなの全く関係ないって、ほかの魔法使いはみんな分かってるよ。ネビル・ロングボトムを見ろよ――あいつ、純血だけど鍋を逆さに火にかけかねないよ」
「それに、俺たちのハーマイオニーに使えねえ呪文は一つもねぇ」
「そう、私の同級生でもマグル生まれで優秀な人はたくさんいた」
ハリーがちらりとフィニアスの方を見やった。自分の母親の事を言っていると気づいたのだろう。ハーマイオニーは顔を真っ赤にして微笑んだ。
「――結局血筋なんて関係ないんだよ。純血でも私みたいなのもいるしね」
急に沈滞ムードに陥った空気を感じて、フィニアスは失言だったな、と思った。血気盛んな若いグリフィンドール生には、こんな自虐は好まれないのだろう。ハリーが微かに眉をしかめたのが分かった。ハーマイオニーは気まずそうに体を揺すった。ロンはナメクジを吐き出している最中でフィニアスの言葉など耳に入っていないようだった。
と、ハグリッドが咳払いとともに、わざとらしく話題を変えてくれた。
「そういやフィニアス、ロックハート先生がお前さんを探しとったぞ。こんなとこまでわざわざ聞きに来よった。随分気に入られとるようだな。そういや奴さん、またここに来るっちゅうとったぞ」
場の空気が変わったのは有り難いが、恐ろしいハグリッドの言葉にフィニアスは震え上がった。慌てて立ち上がり戸口に向かう。
あからさまに逃げ出そうとしているフィニアスを見て、ハーマイオニーが不思議そうに首を傾げた。
「またいらっしゃるなら、ここで待っていたほうがいいんじゃない?」
「冗談じゃない!」
フィニアスが悲鳴に近い叫びを上げたので、他の四人は目を丸くした。こんなに声を荒げるフィニアスを見るのははじめてだったのだ。外の様子をドアを薄く開けて確かめてから出ていくフィニアス。その影が裏口の方に回るのが窓越しに見えた。まるでスパイのような念の入れように、四人はただただ呆気に取られるのであった。