スリザリンの面汚し   作:減らず口

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目覚め

 フィニアスは暗闇をフワフワと漂っていた。前も後ろも、上も下も分からない真の闇に囲まれてる。体は金縛りにあったように動かず、声も出せなかった。ただ揺蕩う闇の、居心地の悪いリズムに身を任せることしか出来なかった。ああこれは夢かな――

 

 フィニアスの耳が微かな声を捉えた。

 

「ようやく襲われたんだねー、ペティボーン!」

 

「ほんとほんと、殺されなかったのが残念だけどな」

 

 それは、かつての同級生、マルシベールとエイブリーのおぼろ気な声だった。研ぎ澄まされた聴覚は一言も洩らさず言葉を拾い上げた。

 

「さっさと退職しとけば良かったのにねー」

 

「これでようやく逃げ出すんじゃねーの?」

 

 言われなくても、こんなところ直ぐにでも辞めてやる――そう思ったが、声は出なかった。そこに第三の声が混じる。聞くだにムカムカするボソボソした声だ。

 

「恥さらしがホグワーツにのこのこと戻ってきただけでも迷惑なのに、その上また酒びたりでは継承者が放っておかないはずだ」

 

「おっ、セブルス辛辣ー」

 

 フィニアスは耳を塞ぐことも出来ず、ただ好き放題に自分を責め立てる声を聞いていた。

 

 きっとこれは自分自身の声なのだ。自分にとって自分は殺されても当然なくらい価値の無い存在なのかもしれない。魔法界に戻ってきて、なおも往生際も悪く酒に逃げようとする情けなさ。「面汚し」がさらに恥の上塗りを重ねているこの現状。

 

「――その通りです。これ程までお前が不甲斐ないとは思っていませんでした」

 

 低く、しっとりとした、しかし冷たい突き放すような女の声。フィニアスの全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出した。心臓が激しく脈打ち始め、動かない体にますます重い枷がはめられたようだった。息をするのもままならない。

 

 母上!

 

「私は、貴方の成長を楽しみにしていました。夫は忙しくて滅多に帰ってこないし、たびたび病に倒れては、一人ぼっちでベッドに縛りつけられる――そんな不自由な身にとって子供の成長は唯一の喜びでした。それなのに――」

 

 ああ、聞きたくない――

 

「期待を裏切られただけでなく、私は貴方のために命まで落とした――それなのに、貴方はまた酒に溺れ、恥も知らずホグワーツを堂々と歩き回っているのね」

 

 分かっている、全部分かっているから――

 

「――湖に飛び込んだ時死にきれなかったのはお前にとって良いことではなかったかもしれません」

 

 闇が消えた。しかし渇望していた光は、何だかどんよりとした緑色をしている。

 

 水だ――冷たくて、ドロッとした、腐った臭いのする湖の水だ――フィニアスはゆらゆらと漂った。そうか、この緑色は湖に飛び込んだ後見た光景だ。満月の光を受けて鈍く輝く水面を下から眺めていた――

 

 鼻から水がどっと流れ込んできた。苦しい、息が出来ない!その時不意に今までフィニアスの体を押さえつけていた力が消えた。フィニアスは薄れ行く意識の中で無我夢中で水面に向かって手を伸ばした。

 

 

***

 

 

 次にフィニアスが見たのは、見覚えのある天井だった。何処かに横になっているのだ。肺に入りそうになる水を吐き出そうと咳き込みながら、訳もわからずにいると、頭の上から声がかかった。

 

「ああ、気がつきましたか」

 

 声の主はマダム・ポンフリーだった。左手に何やら怪しげなチューブ、右手にはゴブレットを持っている。どうやら医務室のベッドに寝ているらしい。私はバジリスクに石にされて、でも体が動いているということは、マンドレイク薬が完成して――

 

「バジリスクです!怪物の正体は、」

 

 力の入らない体を捩って必死に訴えるフィニアスとは対照的に、マダムはいつも通りの堂々たる落ち着きぶりだった。

 

「ええ、ええ、その通りです。バジリスクですよ!あんなものが城を徘徊していたなんて、とんでもない話です――起き上がれますか、ペティボーンさん」

 

 戸惑う患者をよそに、マダムはせかせかとベッドに近づくと、フィニアスを手伝って体を起こした。シーツにボタボタと鼻から落ちた緑色の滴が垂れる。マンドレイク薬だろうか。どうやら、噎せた原因はこれらしい。しかし何故、薬を鼻に入れたのだろうか。

 

「ぴったり口を閉じたまま石になってるものだから、鼻から薬を流し込むしかなかったのですよ。普通は驚きで口は開いているものですが」

 

 そういえば、バジリスクの目を見る前、ぐっと歯を食い縛ったような気がする。

 

 横からマダムが手を伸ばしタオルでフィニアスの鼻の下を拭った。白いタオルが濁った緑色に汚れる。フィニアスは気分が落ち着いてくると、鼻の奥にマンドレイク薬の強烈な悪臭が残っていることに気付いて顔をしかめた。マダムはフィニアスの体を隅々まで検分している。

 

「ゆっくりと体を動かしてみてください。ゆっくりとですよ。なにせ二ヶ月間も石になっていたのですからね」

 

 ベッドに腰かけたフィニアスの全身はミシミシと音をたてて軋んだ。鈍い痛みを堪えながら、ぎこちなく体を動かしていると、ようやく自分の体が元に戻ったと実感することができた。それにしてももう二ヶ月も経つのか――事は全て解決したのだろうか。

 

「あの、マダム」

 

「まだ髪の毛の先が石のままですね。もう一口薬を飲まなくては」

 

 フィニアスはマイペースに治療を進めるマダムに振り回され、あれよあれよという間にクソ不味い薬をゴブレット一杯飲まされることとなった。

 

「――石から回復したのは人間では貴方が最後です。生徒に優先して薬を飲ませましたので。後はミセス・ノリスだけが残っています。ゴーストの方は――前例がないのでどうなることやら」

 

 マダムは再びフィニアスが口を開くより先に、要領よく状況を説明していく。石にされた生徒たちが回復する度に同じ説明してきたのだろう。

 

 どうやら事件はほんの二日前に全て解決したところらしい。秘密の部屋の怪物はやはりバジリスクで、ハリー・ポッターに倒され、継承者であるヴォルデモート卿ことトム・リドルがあの日記帳を介してジニー・ウィーズリーを操っていたらしい。

 

 正体が暴かれたのはスリザリンの継承者だけではない。ギルデロイ・ロックハートの欺瞞も白日の元にさらされた――

 

 ようやくマダムから解放されたフィニアスは、一人ベッドの中でまんじりともせず天井を眺めていた。もう真夜中らしい。カーテンの外側は静まり返っていた。バジリスクに襲われた他の生徒たちは、元に戻った安堵感に包まれて眠っているのだろうか。

 

 しかし、フィニアスは目覚める直前に見ていた悪夢の余韻から中々抜け出せなかった。心の奥底の自分の叫びを聞いてしまった。不甲斐ない自分自身への呪詛を。ホグワーツを退学した後、マグルとして生活していたことに後ろめたさがあったのは確かだ。苦境に立ち向かわず、逃げ出したような感覚があったからだ。

 

 だからダンブルドアにホグワーツの管理人にならないかと誘われた時、気が進まないながらも引き受けることを決めたのだ。心のどこかに、けじめをつけなければならないという思いがあったのかもしれない。

 

 しかし、二年間ホグワーツで暮らしても、結局何も変わらなかった。やはりスクイブは蔑まれるし、止めていた酒の量も増えるし、挙げ句の果てには石にされ、二ヶ月もベッドの上に転がっている羽目になった。

 

 辛いものは辛い。目を背けたい。それを臆病だと責められても、自分の力ではどうすることも出来ないことではないか。魔法力を取り戻す為の手は既に学生時代に尽くしたのだ。

 

 これなら、尻尾を巻いてマグル界に逃げ戻り、苦しみに背を向けた方がマシだ。狡い考えかもしれないが、自分の心を守るために逃げ出すことがそれほど悪いことだろうか。

 

 退院したらダンブルドアに辞表を提出しよう――そう決めて、フィニアスはゆっくりと目を閉じた。

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