「ええ、ですから、今年度限りで退職したいのです」
「君がいなくてはアーガスがさぞ困るであろう」
「私が来る前はフィルチさんお一人で問題なかったのでしょう?」
物分かりの悪いジジイめ。フィニアスは心の中で毒づいた。
フィニアスが辞意を伝えに校長室を訪ねてからかれこれ三十分、こうして押し問答が続いていた。目の前の机越しに座るダンブルドアは、半月型の眼鏡の奥からじっとフィニアスを見つめている。フィニアスもここで目を反らしては負けだとばかりに見つめ返す。
「しかし二人体制で来年度のスケジュールも組んでしまっておるからのう。もう少し早く来てくれれば対応も出来たのじゃが」
「それは申し訳なく思っています。ですが、まさか二ヶ月間も石になってしまうとは考えていませんでしたから」
ダンブルドアは軽く笑って「それもそうじゃ」と呟いた。しかし、笑みを見せたからといって油断ならないのがダンブルドアである。椅子から立ち上がると、止まり木の上の不死鳥を構い始めた老魔法使いは、宥めるように言った。
「君は辞めたいと言うがのう、君の造った庭は大変評判がいい。誰でもあの庭を見れば心が落ち着き、リラックスできる。魔法省のうるさがたたちでさえ、あの庭に連れ出せば、融通というものを思い出してくれるんじゃ」
「でも、私にしか出来ない仕事じゃないでしょう」
フィニアスは不機嫌に言い放った。しかし、校長の方は相変わらず落ち着き払っている。
「そうでもないよ。君がバジリスクに襲われてからというもの、庭は様変わりした。ミスター・ディゴリーをはじめハッフルパフの面々の庭を維持するための努力は称賛すべきじゃが、君のレベルには追い付いとらん。君の庭の持つ独特の癒しの力までは維持出来なかったようじゃ。そのおかげで、ほれ、わしはルシウス・マルフォイを説得し損ね、校長職を追われてしもうた」
「だとしても、私より優秀な庭師なんていくらでも見付かるでしょう」
「簡単に言うてくれるのう。リクルートというのは中々骨が折れるんじゃよ。今年はロックハート先生の後任も探さねばならんしのう」
のらりくらりとして中々首を縦に振らないダンブルドアに次第にジリジリしてきたフィニアスは、声を荒げそうになるのを堪えながら迫った。
「どうしてそれ程までに私を引き留めようとするんですか?私は自分で自分がこの城にどうしても必要な人間であるとは思えない。皆に蔑まれて、命まで狙われて、それでもここで仕事を続けなければならない理由が分からないんです」
不死鳥の頭を撫でていたダンブルドアが不意にこちらを振り返った。その瞳からはそれまでの冗談めかした色は消えていた。
「フィニアス。十五年前に君をマグル界に送り出したとき、既にわしは再び君をこちらに呼び戻すことを決めておった」
「なんですって――」
急に過去の話が始まったことに戸惑い、口を挟もうとするフィニアスを制してダンブルドアは続けた。
「あの時の君は自分の境遇に絶望しきっておった。とてもこちらで生活を続けられる状態ではなかった。だから一度マグル界に出るべきだと判断したのじゃ。君の傷付いた心が癒え、同時にマグルとして生きる術を身につけた暁には、魔法界かマグル界か、改めて生きる場所を選ぶ事ができる、そう考えたのじゃ」
フィニアスにはダンブルドアが話をはぐらかそうといているようにしか思えなかった。
「そのお心遣いには感謝します――ですが、自分の居場所を選ぶ権利を与えて下さったのなら、私がマグル界を選ぶことに何の問題があるんですか?」
「わしとて君が考え抜いて決めたことに口出しするつもりはない。しかしだね――」
聞き分けのない子供を諭すような校長の身振り口振りにフィニアスはついにカッとなって捲し立てた。
「私は十分考えました。二年間です。その間に何がありました?相変わらず面汚しとバカにされ、今年はほとんど一年間、いつ命を奪われるか分からない状態で暮らさなくてはならなかった。全て私がスクイブだからです。だけどそれは私のせいじゃない。私が魔法力をなくしたのは私が悪いんじゃない!ここにいる限り、自分の過ちでもないことを責められ続けるんです――こんなところに留まりたいと思う理由が一つでもありますか?ありませんよ、明らかじゃないですか」
ふと見上げたダンブルドアの瞳には思慮深さと計り知れなさの影が落ちていた。その影は明るいブルーの瞳を深い海の色に変えていた。フィニアスは全てを吐き出し終えた瞬間、自分の主張がダンブルドアの心を動かせなかったことを悟った。
「ならばフィニアス、君にはマグル界に生きる理由が一つでもあるのかね?」
「それは、こっちに居られないなら仕方ないじゃないですか」
フィニアスはダンブルドアの真っ直ぐな眼光から逃げるように視線をさ迷わせた。
「二年前、君にホグワーツの管理人職を打診したとき、君はマグル界から離れ、こちらに戻ることを驚くほどあっさりと承知した。正直、十年以上暮らしていたのならもっと未練があると思っておったんじゃがのう――」
「貴方の頼みを断れるほど私は恩知らずじゃない――」
フィニアスは何か言葉を口に出す度に、ダンブルドアに丸め込まれようとしていることに焦りを覚えた。そんなフィニアスを諭すようにダンブルドアは続けた。
「フィニアスよ、生きる場所を選ぶこととは決して逃げ道を選ぶことではないのじゃ。仕事でも、家族でも、ペットでも何か一つだけでよい、そこに留りたいと思わせるような強い――そう、絆を見つけることじゃ――フィルチさんはミセス・ノリスと離れられんでもう二十年以上ホグワーツにいらっしゃる」
自分の言葉がほとんど無力であることを知りながら、フィニアスは足掻いた。
「そんな絆に恵まれる人なんて僅かだ。特に、私のような者には、とても望めないでしょう。綺麗事で生きていけるほどこの魔法界はスクイブに優しくはない」
フィニアスの儚い抵抗をあくまで優しく、ダンブルドアは打ち砕いた。
「そうかもしれん。しかし君はまだその綺麗事に見切りをつけてしまうには早すぎると思うのじゃ。考えてみてごらん。本当にこの二年間君の回りには君を蔑み排除する者しか居なかっただろうか?ミス・グレンジャーは?ミスター・ディゴリーは?」
フィニアスは口を閉ざした。相手が淡々と説く甘い正論が自分の心を融かすことに恐怖を覚えたのだ。セドリック・ディゴリーの裏表のない好意が心に侵入してくる時に襲われる感情と同じだ。ここで頑なにならなければ、自分が崩れてしまいそうな気がした。
俯いてしまったフィニアスにダンブルドアは微笑み、最後の一撃を放った。
「ではこういうのはどうじゃ?後一年、ここに残るというのは?これからの一年でやはり君がマグル界に戻りたいというのなら、その時はわしももう何も言うまい」
フィニアスに逃げ場は無かった。ここで駄々をこねるのはいかにも大人げないではないか――
「いいでしょう。ですが一年ですよ?それより後のことは何もお約束できません」
「かまわんとも」
ダンブルドアは嬉しそうに一つ手を叩いた。フィニアスは校長室を退出し、扉を後ろ手に閉めた。疲れきって、頭の中はごちゃごちゃだった。このまま来年もここで過ごすのか。やりきれなさのやり場が見つからなかった。
生徒が帰省した後の城はしんと静まり返っている。外は綺麗に晴れた夏空である。明るい日差しが空っぽの廊下に影を作っている。
フィニアスはおもむろに踵を返した。
とりあえず、これで第二章は完結になります。次章ではついに因縁のあの人と再会となりますので、お楽しみに。年明けからぼちぼち交信できればと思います~