スリザリンの面汚し   作:減らず口

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迷いはじめて

 ある晴れた日の午後、庭仕事に励んでいたフィニアスは、ふと顔をあげると、植え込みの向こうでキョロキョロしているセドリック・ディゴリーの姿を見つけた。程なくして目が合うと、少年は笑顔をパッと輝かせたが、フィニアスの方は呆れ顔を隠しもしなかった。

 

「また手伝いに来たのかい?」

 

「来ちゃいました」

 

 あっけらかんと言ってのけるセドリックは、早速シャツの腕を捲り始めている。去年、フィニアスがバジリスクによって石になっていた間に庭の世話の代理を買って出てからというもの、フィニアスが完全に復帰してからも、こうしてセドリックは度々手伝いに訪れていた。

 

 正直なところ、セドリック・ディゴリーというハッフルパフ生を絵にかいたような人間がフィニアスは苦手であった。あまり二人きりになりたくはなかったが、好意を無下にできないのも本心だ。帰れとはっきり言えない以上、どうしても否定的なニュアンスを含んだ物言いをすることになってしまう。

 

「今年はふくろう試験で勉強が忙しいだろう?それにそろそろクィディッチの練習も始まる頃だし。こんなところで油を売っていていいのかい?」

 

「確かに、あまり余裕はないですけど、アグアメンティ」

 

 セドリックの杖の先から湧いた水がジョウロに溜まっていく。ジョウロを使ったマグル式の水やりが、最近彼のお決まりの仕事になりつつあった。

 

「クィディッチはまだ大丈夫です。第一戦はグリフィンドール対スリザリンですから。本格的な練習はこれからです」

 

「そうか」

 

 それきり、二人の間に透明な沈黙の壁ができた。

 

 セドリックは、傾けたジョウロの先から広がる水が勢いを失うまで、黙りこくったまま水やりを続けた。まとまった時間を共に過ごすようになって初めて分かったことだが、セドリック・ディゴリーは思いの外、口数の少ない少年だった。ただ、無言でもそれほど居心地が悪くないのは、セドリックの方に、話し下手な人間に特有の「何か喋らねば」という焦りがないからだろう。

 

 再びセドリックが口を開いた時には、既に十分が過ぎていた。

 

「ここからだと吸魂鬼が見えるんですね」

 

 フィニアスが顔をあげて、セドリックの視線の先を辿ると、高い秋空の中に黒い点がポツリとひとつ見える。遠くの方でゆらゆらと動くその不気味な姿はかなりの距離があるのに、彼らの心胆寒からしめるに足りた。

 

「ここはホグワーツの敷地の外れにあるから。君もここに来るなら気を付けた方がいい。本当は用がないなら城に居るのが一番いいんだけどね」

 

 暗に帰れと言っているようにも聞こえるフィニアスの口ぶりに、セドリックは言葉を返さなかった。二人が無言になることはしばしばだったが、今回は様子が違った。セドリックは何故か顔をひきつらせてフィニアスの背後の一点を見詰めている。

 

「ペティボーンさん、それ――」

 

 セドリックの言う「それ」が何を指すのか、目が捉える前に、体が覚った。十月の爽やかな涼しさが急に氷点下まで落ち込んだ。快晴の空には俄に暗雲が垂れ籠め太陽を遮り、庭園の草木にみるみるうちに霜が降りていく。

 

 フィニアスが振り返ると、薄暮のような暗がりに紛れて、崩れた石壁の向こうから吸魂鬼が底の見えない古井戸のような顔でこちらをじっと観察している。ジクジクと体を苛めるような湿った冷たさがフィニアスの全身を蝕んだ。

 

 逃げ出そうにも脚が凍えてしまっている。吸魂鬼は動かない。フィニアスは形の無い不安と恐怖、そして孤独感が胸から迸り、全身に広がるのを感じた。吸魂鬼は人間の幸せな記憶を奪う――魔法力を失ってから、幸せなど感じたことなどないと思っていたが、そんな自分でも彼らが糧とするだけの物を持っていたらしい。そして、感謝することを怠っていたそれらの感情に自分が守られていたことも知った。肋骨の奥深くに仕舞われた苦しみが吸魂鬼によって剥き出しにされると、理性は凍りつき、考えることもままならず、ただ怯えることしかできなかった。

 

 少し離れた所にいるのに、あの黒い衣に包まれ瘡蓋だらけの腕で、体だけでなく頭蓋の中身まで捕まれたようだった。こいつ、いつの間にこんなに近付いてきたんだ――それがフィニアスの最後のまともな思考だった。

 

 ただ一人、闇の中を歩いている。側には誰もいない。誰も――誰か居ないのか?居ない。分かっているんだ。私の寄り添うものなど居ない。父に見捨てられ、母も自分のせいで死んだ。リーマスは――グリフィンドールの愉快なお友達とよろしくやっている。湖がある。満月に照らされぼんやりと灰色に見える湖が――微かな期待を持って振り返る。誰もいない。突然あたりの薄闇が重くのしかかってくる。これは水だ。氷のように冷たい、湖の濁った水だ。そうだ、飛び込んだんだ。まず水を吸ったローブが体にまとわりついて、凍えて体が動かなくなって、肺に水が流れ込んで、息が出来なくなって――息が――誰か、誰か――

 

「ペティボーンさん!」

 

 闇が吹き飛んだ。我に返るとフィニアスは自分が両手で胸をつかんで膝から崩折れているのに気付いた。セドリック・ディゴリーに体を支えられて、呼吸のできない苦しさから逃れようと、空気を求めて必死に肩を上下させていた。吸魂鬼はどこかに消え、辺りは何事もなかったように元の明るさを取り戻している。

 

「大丈夫ですか?もう吸魂鬼は行ってしまいましたよ」

 

 声をかけられて、フィニアスはセドリックが隣にいることを急に思い出した。一人でないことがこれ程有り難いと感じたことはなかった。そのあたたかい灰色をした瞳をフィニアスは無我夢中で覗き込んだ。セドリックは少し驚いたように目を見開いたが、何も言わずフィニアスの目を見つめ返した。

 

 フィニアスは助けを借りながら、ベンチに腰を下ろすと、ようやくセドリックの顔も真っ青であることに気付いた。リーマスの助言に従って庭園に来るときはいつも持ち歩いているチョコレートをセドリックに渡し、自分も包みを開く。しばらく二人で黙々とチョコレートをほお張った。

 

 人心地ついたところで、セドリックが気遣わしげな視線を投げかけた。

 

「医務室に行かなくて大丈夫ですか?」

 

 セドリックの瞳をもうフィニアスは直視することができなかった。

 

「ああ、うん、もう大丈夫だ。すまないね。情けない姿を見せてしまった――大人なのに」

 

 思わず口にしてしまった自虐的な言葉だったが、セドリックの反応はフィニアスにとって意外なものだった。

 

「大人だからでしょう?」

 

「え?」

 

「ルーピン先生が仰ってました。吸魂鬼に影響されやすいのは心が弱いからじゃなくて、人より辛い記憶を持っているからだって。それなら子供より長く生きていて、苦しい経験もたくさんしている大人の方が影響されやすくて当然でしょう?」

 

「――まあ、そういうものかな」

 

 なんとなくはぐらかされたような気分がしたが、セドリックは至って真面目なようだった。フィニアスとしては、自分自身の弱さを責められた方がよほど説得力があるのだが――

 

 夕焼け色を帯びはじめた庭園にさっと風が吹き抜けた。

 

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