スリザリンの面汚し   作:減らず口

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あの人は今、再び

「毎度毎度ご足労頂きまして、ありがとうございます。これでロックハートさんもしばらくは落ち着くでしょう」

 

 そうストラウト癒師がハキハキと言うのを、フィニアスはジャケットの肩に乗った雨粒をハンカチで払いながら半ば聞き流した。その無愛想を彼女がどう思ったかを計り知ることはできなかった。既にフィニアスに背を向けて、廊下の先を歩いていたのだ。

 

 聖マンゴ病院に入院中のギルデロイ・ロックハートをフィニアスが訪ねるのも、もう何度目かわからなった。今回も担当癒師であるミリアム・ストラウトから突然訪問を乞うふくろう便が送りつけられ、いやいやながら参上した次第である。

 

 記憶を失う前も後も、一方的で変態的な愛を押し付けてくるロックハートがフィニアスにとって鬼門なのは変わりがない。むしろ聖マンゴの患者となってからは、下手に足蹴にすることもできず、かえって扱いに困るばかりであった。

 

「フィニアス!」

 

 フィニアスが病室に入ると、ベッドの上で半身を起こしていたロックハートは、造作の整った顔に、母親を見つけた幼児のような笑みを広げた。

 

「さあ、ペティボーンさんがいらっしゃったのだから、いい子にしていなきゃ駄目よ」

 

 ストラウト癒師が諭すように言うと、ロックハートは「さあ見ていて!僕、お行儀よくしているよ!」というような、すまし顔を作るのだった。

 

 今のロックハートに邪気は無い。人の記憶を改竄して手柄を横取りするという浅ましい考えも無い。しかし、大の大人から子供のようなむき出しの好意を向けられるのはフィニアスとしては、かえってぞっとさせられるのだった。

 

 ふと、こんな奇妙な空想が頭をもたげた。人間は記憶を失うと、生きてきた時間そのものを失ってしまうのだろうか。犯した罪を忘れ、自分が記憶を失っていることさえ気付かず、無邪気な子供に戻ったロックハートのように。いや、この男は運が良いのかもしれない。もし、自分の記憶に空白がある自覚があるとするなら、その恐怖はいかばかりだろう。過ごした時間の重みだけは感じるのに、そこにつまっている物の正体が分からないというのは――ひょっとしたら、それはとんでもない化け物なのかもしれないのだ――

 

 この日もロックハートの熱心だが空虚なおしゃべりにフィニアスが相槌を打っているうちに面会は終わった。切々と別れを惜しむロックハートの涙声を背に、早いところ退散してしまおうとフィニアスは病室を後にした。階段を小走りに降りようとしたとき、追いかけてきたストラウト癒師に呼び止められた。

 

「ペティボーンさん、お帰りの前にお伝えすることが」

 

「――何でしょうか」

 

 ロックハートとの面会を無事終えたフィニアスは、癒師の呼び掛けに答えるくらいには愛想を取り戻していた。癒師は声を落として囁いた。

 

「ロックハートさんがあなたを恋しがるあまり、止められない癇癪を起こしたり、しばしば暴れだすということは今までもお話ししていましたけど――」

 

 深刻な顔つきのストラウト癒師を見て、フィニアスは一体これ以上どんな悪いことが起こり得るのだろうかと、胸騒ぎが抑えられなかった。

 

「実は昨日、ロックハートさんがあなたに会いに行こうと病室を抜け出して――いえ、これだけならいつも通りなんですけど――それが昨日は急患が多くて。グリンゴッツでトロッコの接触事故があったんです。それでちょっと目を離した隙に、病院の外まで出てしまって」

 

 ロックハートが恋の病をそんなにこじらせていたとは、フィニアスも驚かざるを得なかった。ストラウト癒師はさらに続けた。

 

「今回は通りの向こうの食堂の辺りで貴方の名前を叫んでいたので直ぐに連れ戻すことが出来ましたが、厄介なのは昔からの自己顕示欲で。貴方を探すついでに自分のサイン入りの写真もばらまいていたんですの――しかもマグルの街ですから尚更大変で――うちの忘却術士を総動員してようやく事なきを得ましたわ」

 

 最後の方はほとんど愚痴になっていた。ストラウト癒師はコントロールのできない感情に負けてしまったようだった。それなりの人格者であるはずの癒師でも、給料以上の仕事が積み重なれば愚痴の一つもこぼしたくなるだろう。

 

「ですから今日もあなたをお呼びした訳ですけど、このままロックハートさんの症状が改善されなければ、これからもこうして来ていただくことになるかもしれません」

 

 なんてことだ、まだロックハートの野郎にかかずらわなければならないのか。

 

 

 憤懣やる方ないままフィニアスは聖マンゴ病院を後にした。外に出ると、もう雨はやんでいて、厚い雲の切れ間から弱々しい日が差している。細い路地は高いビルにはさまれて、完全に日光が遮断されていた。にわか雨の水溜まりは鈍く黒光りするだけで、空を映すこともない。道の入り口には例の安食堂モリソンズ・カフェが今日もさえない姿でたたずんでいる。ああ、ロックハートはここまで来て騒ぎを起こしたのか。よく車に轢かれなかったものだな――

 

 フィニアスは何気なく店内を覗きこんだ。路地に面したガラス窓はもはや磨りガラスに見える程に汚れている。少し近づいてみると、窓際の席に陣取っている一人の男と目があった。相手はすぐに目をそらして、手元のペーパーバックに視線を戻したが、汚れた窓ガラスのせいで、相手の顔立ちは判然としなかった。思いの外近くで見つめあう形になって、フィニアスはぎょっとした。

 

 もうホグワーツに帰ろう。なんだか食事をする気は失せてしまった。フィニアスは漏れ鍋に足を向けた。

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