スリザリンの面汚し   作:減らず口

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嵐の前

 ベッドの上で目を覚ましたフィニアスが、見慣れない天井に戸惑っていると、ドアの開く音がして、鼻先にココアの匂いが漂ってきた。そしてその甘ったるいベタベタした匂いに吐き気を覚えて初めて、自分が酔い潰れて眠り込んでしまったことを思い出した。

 

「あ、起きた?」

 

 声のした方へズキズキと痛む頭を巡らせると、案の定、湯気の上がるマグカップを両手で後生大事に抱えたリーマス・ルーピンが笑っていた。

 

「大変だったんだよ?あの後ハリーが訪ねて来てさ、ソファで寝ちゃった君を慌ててベッドルームに隠さなくちゃならなくて」

 

「それは、悪かったな」

 

 フィニアスは喋りながら、乾いた口の中の不愉快さに顔をしかめた。

 

「まあ、僕が無理に飲ませたわけだし。気にしないでよ」

 

 確かに、自分の部屋で飲まないかとフィニアスに声をかけたのはリーマスだ。休日で、しかも生徒たちはほとんどホグズミードに出払っているとはいえ、学校の教職員が昼間から酒はまずいのではないかと一応抵抗してみたものの、夜だと見回りとかで都合が合わないでしょ、それにそろそろ満月だし、と言われてしまうと、フィニアスとしては断る術は無かったのだ。それに、今日、十月三十一日は二人にとって特別な日でもあったのだ。

 

「僕たちが初めて話したのもハロウィンだったし。あの時のフィニアスのネコミミ、可愛かったよねぇ――」

 

 一年生のハロウィンの夜、カップル向けの魔法キャンディをうっかり食べてネコミミを生やしてしまった話は、フィニアスにとっては闇に葬りたい一件である。飲んでいる最中も、意地悪く執拗に繰り返したこの恥ずかしい思い出話をまたも始めようとするリーマスをフィニアスは牽制するように咳払いした。

 

「可愛かったのは本当だよ?」

 

 悪びれもしないリーマスを睨みつけながら、ようやくフィニアスはベッドから起き上がった。少しでも楽な姿勢になるように布団の中でモゾモゾ動くが、ちっとも吐き気と頭痛は落ち着かない。一方リーマスはニヤけながら涼しい顔でココアをすすっている。

 

「酒の後にココアなんてバカじゃないのか。私ならそんなものとても飲む気になれない」

 

 フィニアスが悪態をつくと、リーマスは苦笑した。

 

「これはね、さっきトリカブトたっぷりの苦ーい脱狼薬を飲んだからその口直し」

 

 フィニアスは返す言葉を選ぶのに数秒を要した。リーマスが人狼であることを知ってから随分経つが、未だにこの話題をどう扱えばよいのか分からないのだ。リーマスは人狼である自分自身に恐怖と嫌悪を抱きながらその一方で、妙な気軽さで自らの秘密にわざわざ触れたがる癖がある。フィニアスとしてはこれ程困惑することはない。そして結局、当たり障りのない言葉で冗談めかしてしまうことになるのだ。

 

「ブランデーに薬にココアって、君の胃の中はとんでもないカオスだな」

 

 リーマスは何がおかしいのかクスクス笑っているが、その姿はどこかやけくそのようにも見える。やはり少し酔いが残っているらしい。しかし、すぐに真面目な顔になると、フィニアスを見つめて呟いた。

 

「今日は付き合ってくれてありがとう。実のところ毎年ハロウィンは憂鬱だったんだ――リリーとジェームズのことを思うとね。でも今日は楽しかった」

 

「そうだな。下らないネコミミの話でも役に立てたなら幸いだ」

 

 それきり会話が途切れて、フィニアスは時計を見るいとまを手に入れた。思ったより時間は経っていて、そろそろ夕飯が始まろうかという時刻だった。そわそわと時計を盗み見ているフィニアスの様子を察したリーマスがドアに歩み寄り、それとなく尋ねた。

 

「宿酔いの薬あるけど飲んでいく?」

 

「いや、自分の部屋にあるから遠慮する」

 

「ああ、そう?」

 

 フィニアスはリーマスの微妙な声音に首をかしげたが、自室に帰り着くまで、その理由に気付かなかった。それが分かったのは、棚の一角を占めているマグル製の薬瓶を開けた時だった。

 

 宿酔いの薬を持ってるなんて、禁酒を破っているのがバレバレじゃないか!リーマスは間違いなく気付いていた。一度止めた深酒してるって分かってリーマスはどう思っただろう?意志の弱い情けない奴だと思っただろうか?

 

 薬を飲み、宿酔いの頭痛が去ってからも、フィニアスはしばらく頭を抱えていた。

 

 

***

 

 

 シリウス・ブラックがホグワーツ城に侵入した。ハリー・ポッターをその手にかけるべくグリフィンドール塔への侵入を図ったものの、結局『太った婦人』の肖像画を引き裂いただけで逃走したらしい。

 

城に戻ったフィニアスが最初にこの報せを耳にしてから、安全な大広間で全生徒が一夜を過ごす準備が整えられ、教職員と監督生による城内見回りの体制が作り上げられるまで一時間もかからなかった。フィニアスはフリットウィックと城中を見回りながら、思いを巡らせた。

 

本当にシリウスはこの学校に忍び込むことに成功したのだろうか?吸魂鬼の恐ろしさは自分も身をもって体験した。たった一匹でさえ、しばらく立ち上がれないほどの打撃を与えることができるのが吸魂鬼だ。それがこの学校の周りには何十となくうようよしているのだ。すでに長年のアズカバン暮らしで身も心もボロボロになっているはずのシリウスが、万が一にも吸魂鬼の壁を突破することができるのだろうか?仮にそんなことが可能だとするならば、ひょっとすると――

 

 見回りを終え、真っ暗な大広間の敷居をまたいだ瞬間、一つの可能性にフィニアスは行き当たった。

 

 動物もどき。学生時代何度も目にしたあの黒犬に変身すれば、もしかすると吸魂鬼の目をすり抜けることができるのかもしれない。まっすぐ視線の先にはダンブルドアがいた。スネイプと何やら低い声で話し合っている。シリウス・ブラックは動物もどきである。このことをダンブルドアに教えるべきだろうか。いやいや、動物もどきが吸魂鬼を出し抜くことができると決まったわけではない。そもそもシリウスは何故ホグワーツに入り込まなければならないのだ。ハリー・ポッターの命を狙っているというのが専らの見方ではあるが、フィニアスにはそうは思えなかった。親友を裏切ってヴォルデモートに仕えていたのは、シリウスではなく、ピーター・ペティグリューであったとフィニアスは考えている。

 

アズカバンから逃げ出すのはわかる。苦しみから逃れるのはどんな人間にも共通する望みだ。だが、なぜ危険を冒してまでホグワーツに入り込まなければならないのだろう?今や立派に成長した親友の忘れ形見に会うためだろうか。ありそうなことだ。感情の赴くままに、危険に飛び込んでいくのはいかにもシリウスらしい行動に思えた。

 

 ブツブツと何かを訴え続けるスネイプとの話を打ち切ったダンブルドアが歩いてきた。

 

「フリットウィック先生、異常はありませんでしたかな?」

 

 フリットウィックが小さな体をいっぱいに使って異常なしの旨をダンブルドアに報告している間に、フィニアスは心を決めた。

 

「ペティボーンさんも、何も気づかなかったかの?」

 

「ええ、おかしな点は何も」

 

フィニアスがようやく自分の部屋に戻ったのは夜が明け、その日最初の授業が始まってからだった。結局シリウス・ブラックが見つかることはなく、すでに城から脱出してしまったものと結論付けられた。とりあえずホッとしたフィニアスを夜の間中悩ませたのは、興奮して寝るのも忘れた生徒たちにひそひそ話をやめさせることだった。

 

 くたくたになった体をベッドの上に大の字に投げ出して、フィニアスはため息をついた。シャワーを浴びて、ひげを剃って、ああ腹も減ったなあ――やるべきことの多さにうんざりしながら、襲い来る睡魔を追い払うのに難儀していたが、ついに落ちてくる瞼に抵抗することをあきらめたのだった。

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