スリザリンの面汚し   作:減らず口

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苦いチョコレート

 フィニアスの記憶の中のシリウス・ブラックは強情で執念深い男だったが、アズカバンの吸魂鬼たちが十数年をかけても、その類稀なる性質を変えることはできなかったようだ。クィディッチの試合でグリフィンドールがレイブンクローをコテンパンにしたその晩、ブラックは再びホグワーツ城に姿を現した。そして前回は「太った婦人」に阻まれたグリフィンドール寮への侵入を、二度目の試みでついにやってのけたのだった。

 

 しかも危うく未遂で終わったものの、奴は就寝中の生徒を殺そうとしたというではないか。襲われたのはロン・ウィーズリー。ハリー・ポッターをその手にかけようとして間違ったベッドを襲ったのではないか。夜が明けるや否や、この噂はあっという間にホグワーツ中に広がっていくとともに真実の衣をまとい始め、広大な城の片隅にある管理人事務室に届く頃には、ほぼ事実として誰もが口にしていたのだった。フィニアスとってはどこか腑に落ちない話だったが、ブラックの凶暴性を信じる大半の人々は疑うこともなく、頭から信じ込んでいるようだった。

 

 リーマス・ルーピンはどうかというと、フィニアスの期待とは裏腹に、ブラックがハリー・ポッターを殺したがっていると考える向きの一人だった。もちろん大方の人々とは違い、無知と下世話な好奇心ゆえにその結論に至ったわけでないことは明白だった。フィニアスはルーピンの顔を見かける度に、ブラックがホグワーツに侵入する目的は何だと思うか議論を吹っ掛けた。ルーピンの言葉や態度の中に、ブラックの無実を信じるほんのかすかな気配でも読み取れないものかと期待していたのだ。

 

「もうこの話はやめにしよう」

 

 二月も終わりに近づいたある日の朝、教員塔で顔を合わせた時、ついにルーピンはそう叩きつけるように言い残し、足早に歩き去ろうとした。フィニアスは反射的にルーピンのローブをつかんだ。

 

「君はシリウスが本当に裏切り者だと思っているのか?」

 

 振り向いた時のルーピンの顔は、フィニアスがハッとするほど怒りに満ちていた。それはしつこく食い下がろうとする友人に辟易していたという以上に、諦めの境地に安住する今を乱されることへのいら立ちのように見えた。

 

 ルーピンはそっと、だが有無を言わせぬ力強さでフィニアスの指をローブから外した。そして去り際に一言残し、今度こそ立ち去ってしまった。

 

「君には分からないことだよ、君にはね」

 

 

***

 

 

「まさか君が門限を破るとはね」

 

 寒さに顔を紅潮させ、白い息を立て続けに吐いているセドリック・ディゴリーを前に、フィニアスはどのような顔をすればよいのか、かつてなく戸惑っていた。

 

 ホグズミード休暇の夕方だった。日はとっくに暮れており、村の喧騒とバタービールのぬくもりにあてられて浮足立っていた生徒たちもとっくに城に戻り、夜が明ければ再開する勉学の苦しみに思いを馳せている頃合いであった。

 

 門限を破る不届き者はいないかとエントランスで待ち構えているフィニアスとフィルチの前に門限を一時間過ぎても姿を見せない生徒がいた。それがあのハリー・ポッターとその友人たちであるというのなら驚きはしないのだが、ホグワーツでも指折りの優等生であるセドリック・ディゴリーであったのだから、フィニアスは怒るよりかえってその身を案ずる気持ちが勝った。イライラしているフィルチを置いて、スプラウトに報告に行こうとしたその時、重い扉が開き、セドリックが粉雪を巻き込みながら転がり込んできたのであった。そして、その背後から、マントをすっぽりかぶったリーマス・ルーピンが姿を現した。

 

「すぐそこで鉢合わせたんだけど、門限を随分すぎているはずだね。話を聞きたいんだけど、まずは暖まりたいな」

 

 犠牲者にどんな制裁を加えてやろうかと手ぐすね引いていたフィルチは、思いがけず教授が現れたことで、気勢をそがれたようだった。フィルチの舌打ちを聞き流し、フィニアスは管理人事務室に場所を移すことを提案した。暗く冷たい廊下を三人とも無言で歩き、部屋に入ると、ひとりでに暖炉にあたたかな炎が起きる。冷え切っているであろう手をこすり合わせ、物欲しそうな顔をしているセドリックを、やむなく暖炉の前のソファに座らせる。

 

「ルーピン先生、ペティボーンさん、聞いてください。これには訳があるんです」

 

 悪事を暴かれた生徒の顔には、罪悪感からくる気まずさや、不首尾を悔いる怒りの表情が浮かぶものだが、セドリックの様子はとても落ち着いており、彼の日頃の行状の良さも手伝って、疑り深い管理人をして正当な事情があったのではと思わせるのに十分だった。リーマスが続きをうながした。

 

「こんな時間までホグズミードの何が君をとらえて離さなかったのか、私も気になるね」

 

 どうやら彼も同じように感じたのだろうか、セドリックに言い訳のチャンスを与えるつもりのようだった。フィニアスとルーピンが話を聞く姿勢であることに安心したのか、セドリックはゆっくりと話し始めた。

 

「もちろん門限に間に合うように帰ろうとしました。その途中で『叫びの屋敷』の近くを通りかかったんです。『叫びの屋敷』はご存じでしょう?」

 

 知らないはずがない。学生時代、リーマス・ルーピンが月に一度姿を隠した場所だ。近づきたくても近づけない――グリフィンドールのご友人たちは動物の姿でズカズカと踏み込んだわけだが――まるでリーマスの心そのもののような場所。横に立つリーマスの顔を覗き見たが、揺らめく炎の火影に邪魔されて、その表情は読み取れなかった。しかし、口から出た言葉は少し硬いようにフィニアスには聞こえた。

 

「もちろんだよ。でも城に戻るのにあの辺りは通らないはずだけどね。」

 

「近道が通っているんです。普段は使わないですけど。ちょっとハニーデュークスで時間を使いすぎてしまって、遅くなりそうだったから」

 

 なるほど品行方正な優等生とはいえ、たまにはそういうこともあるだろう。それにしても、脱獄囚と吸魂鬼がうろついているこのご時世に人気のない道を通るとは、思慮が足りないと言わざるを得ない。ルーピンも眉をひそめて、言葉にもとげが出始めた。

 

「近道したなら、なぜこんなに遅くなったんだい」

 

「道のわきで倒れている人がいたんです。男の人でした。たぶん吸魂鬼に出くわしたんだと思います。もう薄暗くなっていて、そろそろ彼らが動き出す時間帯だったし、それにあのうすら寒い気配があたりに残っていましたから」

 

 セドリックはそこまで話して、自ら説教の種をまいていることに気づいたのか、ちょっと言葉を詰まらせ、すがるような視線をフィニアスによこした。フィニアスが続けるよう目線で促すと、気を取り直して再び口を開いた。

 

「とりあえずチョコレートを食べてもらって――ハニーデュークスで買い込んでいてラッキーでした――それから落ち着く場所が必要だと思ったのでホッグズ・ヘッドに連れて行ったんです。一番近い家がそこだったので。本当はもっときれいなところがよかったんですけど。ともかくホッグズ・ヘッドの主人に面倒を見てもらうよう頼んで、急いで帰ってきました」

 

 正直なところ、フィニアスはセドリックの態度に驚いていた。もし自分が学生時代に同じ立場に置かれたなら、人助けを理由に少しでも罰則が軽くなるよう言葉を尽くして言い訳しただろうし、グリフィンドールの連中なら、規則を破ってまで人助けをしたことを臆面もなく誇っただろう。だからこそ、誇張も嘘偽りもなく事実を述べ、後のことは大人の裁きの手に任せるような、恬淡として潔いセドリックの姿勢に驚きを禁じ得なかったのだ。

 

「なるほど、門限に遅れた理由は人助けだったというわけだね」

 

 と思わず口に出してしまったフィニアスとは対照的に、リーマスはさほど感心したとも見えず、追及の手を緩めなかった。

 

「君が嘘をついているとは思わないけど、それだけで一時間も遅れるなんてことはないんじゃないかい?」

 

 ああそれはですね、とセドリックは言いよどむことなく答えた。

 

「その人、どうしてもホッグズ・ヘッドには行きたくないって、頑として動かないから、説得するのに時間がかかったんですよ。その間にもどんどん顔色は悪くなるし、動けなくなって。しかも」

 

「しかも?」

 

 セドリックは眉をひそめて首をひねった。

 

「『叫びの屋敷』の方に行きたいと言うんです。『あっちに家があるからって』って言い張るんだけど、あちらの方には家も宿もないはずなのに。吸魂鬼がいるかもしれないから、って随分言ったんですけど中々聞き入れてもらえなくて。おかしいと思いませんか?」

 

「きっと吸魂鬼の影響で錯乱していたんだろうね」

 

 リーマスは間髪入れずに答えを出したが、その顔つきを見るに、あっさり言ってのけたその口調ほど、自分の答えに納得しているわけではなさそうだった。

 

「うーん、そうでしょうか?」

 

 セドリックは、もう己の罪の告白をしている意識は薄くなり、直面した謎の方に気が向いてしまっているようだった。セドリックがつぶやいた。

 

「やっぱり、ホッグズ・ヘッドの主人に預けるより、闇払いに通報したほうがよかったでしょうか。ホグズミード中、一見いつも通りなんですけど、目つきの鋭い人たちがあちこちで警戒していました。三本の箒のカウンターの端とか、郵便局の隅っことかで。あれ闇払いの人たちでしょう?」

 

 確かにセドリックが助けたという男の言動は不思議ではあるが、この場で明らかにしないといけないのは、セドリックの規則違反の真相である。そのことを今一度目の前の少年に思い出させなければなるまい。リーマスはそう決意したようだ。

 

「そうだろうね。本当は今回のホグズミード休暇は中止を要請されていたのに、ダンブルドア先生が『なるべく普段通りにするべきだ』と言って強行したんだ。だから私たちも、一人帰ってこない生徒がいるだけでとても心配してしまうんだよ」

 

 この言葉がセドリックには一番堪えたようだった。

 

「ああ先生、本当にごめんなさい」

 

 しかし、リーマスは容赦なかった。

 

「それに人助けは結構だけど、君が助けたというその男がシリウス・ブラックの協力者である可能性もあったんだよ。体調が悪いふりをして、近づいてきた君に危害を加えようとするかも、とは考えなかったかい?」

 

 覿面しょげてしまったセドリックを前に、フィニアスは同情を禁じ得なかった。

 

「ルーピン先生、ミスター・ディゴリーも反省しているようだし、夜も遅いですから。そろそろ寮に返してあげては?」

 

 助け舟を出したフィニアスに、リーマスは一度は抗議しようと口を開きかけたが、結局矛を収めることにしたようだった。

 

「ミスター・ディゴリー、ハッフルパフは三十点減点。罰則は追って伝えるからそのつもりで」

 

しょんぼりしたまま立ち上がり、部屋を去ろうとしたセドリックがふと立ち止まって振り向いた。

 

「あ、忘れるところだった。ペティボーンさん、また城の周りの吸魂鬼が増やされたみたいですから、これ、念のため持っていてください」

 

 そして大きな袋を差し出した。受け取った袋にはハニーデュークスの文字がキラキラと揺らめいている。中をのぞくと、いろいろな種類のチョコレートが袋の半分くらいを埋めている。忘れるところだった、というのはもしかしてこれは自分のために?

 

「ハニーデュークスの店で時間がかかってしまったのって」

 

「ええ。外の仕事が多いペティボーンさんはチョコレート持っていたほうがよいでしょうから。選んでいたらあっという間に時間がたちますね。助けた人にあげてしまって大分減ってしまいましたが」

 

「賄賂のつもりなら、ルーピン先生に渡さないとね」

 

 その行為になんの下心もないことはフィニアスにもよくわかっていた。だがセドリックのまっすぐな誠実さは刃のようにフィニアスの心に刺さった。思わず冗談めかすことで防御の姿勢をとってしまう。大人げなく、みっともないことは百も承知だ。案の定、セドリックは苦笑いで否定した。リーマスがあきれたように首を振った。

 

「罰則に手心は加えないからね」

 

「覚悟しています」

 

「それはよい心がけだ。そういうことなら、受け取っておくよ。ありがとう」

 

 セドリックが去ったあと、もらった袋の中身を空けてみると、半分ほどチョコレートで埋まっていた。そのどれ一つとして同じものは入っておらず、どれも小ぶりで屋外での仕事に持っていくのに都合がよいものばかりだった。きっと一つ一つ丁寧に選んだに違いない。

 

「いくつか頂戴、というのは駄目だろうね」

 

 ソファに横並びに座ったリーマスが手を伸ばした。

 

「君は昔から甘いものには目がないな」

 

 フィニアスが適当につかみ取った数個のチョコレートを受け取ると、リーマスは食べるでもなく、ポケットに仕舞うでもなく、キラキラした銀紙の包みを掌の上で長いこと弄んでいたが、ふとその手を止めると、

 

「フィニアス、罰則は何がいいと思う?」

 

 そのごく真面目な調子に、フィニアスは奇妙な印象を受けた。そういえば、二人きりの時に仕事にかかわる話はほとんどしたことがなかった。今も、互いに息がかかるほどの距離にいながら、野暮な話題を振るとは珍しい。

 

「さあ、それを決めるのは君の仕事だろう」

 

 リーマスの唇の上に浮かんでいた微妙な笑みが一瞬消え、より深い笑みが戻ってきた。

 

「それじゃあ、明日からひと月、放課後に授業の準備を手伝ってもらおうかな」

 

「ひと月はちょっと長すぎるんじゃないか?」

 

「そんなことはないよ。このご時世に自分勝手な行動を取ることがどれほど危険か、生徒たちにわからせるにはこのくらいじゃないと」

 

 もっともかもしれないが、やはり相場に照らせば随分厳しいと感じざるを得なかった。とは言え、フィニアスには感想以上の口を出す権限はない。そう思っていると、リーマスがすっと体を寄せてきた。

 

「ごめんね、フィニアス」

 

「はあ?」

 

 何に対する謝罪なのか、フィニアスは首を傾げた。罰則を決める権限は教授にあるのだから好きに決めればよいのだ。フィニアスが答えにたどり着く前にリーマスが正解を提示した。

 

「彼、温室で君の仕事を手伝っていただろう。しばらく手が足りなくなるかも」

 

 なんだそんなことか。フィニアスはいささか拍子抜けした、と同時にひと月温室で一人きりになることを想像して不意に寂しさがこみ上げてきた。隣に信頼できる連れがいることや、一時間もすれば忘れてしまうような他愛無い会話に徒花を咲かせることが孤独な仕事にどれほど彩を与えていたのか、あまりにも急に悟ったために、フィニアスは身震いを止められなかった。

 

「いや、問題ないよ。そもそも一人でこなすべき仕事だしね」

 

 感情のひらめきをリーマスに悟られたかもしれない。そう思うと、何気ないふうを装いつつも、フィニアスの耳はカッと熱くなった。しかし、リーマスは何も気づかない様子でソファから立ち上がった。

 

「ふうん、ならよかった」

 

 その時、見回りを終えたフィルチがミセス・ノリスを抱えて事務室に戻ってきた。廊下から吹き込む冷たい風が、フィニアスとリーマスに奇妙な会話を打ち切るように促した。フィルチの一睨みがさらに拍車をかけた。リーマスはちょっと肩をすくめてみせると、そのまま事務室を後にした。

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