スリザリンの面汚し   作:減らず口

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真実薬

 心づけのチョコレートは役に立たなかったのか、リーマスの宣言通り、セドリック・ディゴリーはその後しばらく温室に姿を現すことはなかった。フィニアスは暑くて土のにおいが満ちた温室の中から暗く冷たい雪空を眺めては、セドリックの戻りを春の訪れと同じくらい待ちわびてため息をついた。それでも丹精込めたヒヤシンスの球根が無事育っていることは、雪に閉ざされた庭園の鍵を再び開くまでの大きな希望であった。

 

 ある夕方、温室から引きずってきた頬のほてりと、ローブの裾に絡まる冷たい外気を道連れにフィニアスが管理人事務室に戻ってきた時のことだった。温かいお茶で一服する間もなく、ついたばかりの暖炉の炎が不自然に燃え上がり、そこからくぐもった声が聞こえてきた。リーマス・ルーピンの声である。

 

「フィニアス、戻ったばかりのところ悪いんだけど、防衛術の研究室に来てくれないか。話したいことがあるんだ」

 

 聞きなれた誘い文句だった。リーマスが自分勝手にフィニアスを呼びつけ、フィニアスが文句を言いながらも応じるのはよくあることだったが、今日のリーマスの声はいつもより落ち着きがなく、少し緊張しているようにも聞こえた。それに普段指定されるのはリーマスの私室なのに、今日は研究室だという。

 

 管理人事務室の近くの暗く人気のない廊下から、闇の魔術に対する防衛術の研究室に近づくにつれ、すれ違う生徒の数が増えていった。授業も夕食もとっくに終わった時刻とはいえ、まだまだ城の中心部は灯火と人のぬくもりに満ちていた。防衛術の教室の扉を開くと、暖かい空気とともにリーマスの話し声が流れ出てきた。

 

「――これでもう分るね。耳鳴りの呪いの場合でも同じことだ」

 

 そっと部屋を覗き見ると、レイブンクローの生徒二人がリーマスを挟むようにして、教科書を手に熱心に質問をしていた。扉が開いたことに気付いたのか、一斉にこちらを振り返った。

 

「お邪魔でしたかね、教授?」

 

 君が呼びつけたくせに、と言外ににじませたフィニアスの剣呑な声音に感づいたのか、生徒の一人がもう一人のローブの裾を引っ張って、もう行こうと促した。リーマスは何食わぬ顔でそれを押しとどめ、フィニアスに先に研究室で待つように言った。

 

 フィニアスが防衛術の研究室に入るのは、今年に入ってからは初めてのことだ。前回入ったのは、まだあのギルデロイ・ロックハートがこの部屋の主であった頃のことだった。部屋の内装は様変わりしていた。フィニアスの記憶の中では、壁を埋め尽くしていた写真の数々が部屋の主のゆがんだ自己愛を主張していたが、それらは完全に取り払われて、壁はむき出しのままだった。それでも寒々しさを感じさせないのは、カーテンと絨毯が赤色でそろえられていたからだ。この色はリーマスにとって大事な色なのだろう。

 

 部屋の手前には、ロックハート時代から変わらずテーブルとソファの一式があったが、見るだにむかつきを覚えるようなどぎついピンク色やすみれ色のクッションは姿を消し、より落ち着いた色調の赤色のものに取り換えられてあった。そして気が利くのか利かないのか、すでに二人分のティーセットが揃えてあり、ポットの注ぎ口からは白い湯気が立っていた。

 

 部屋の奥に据えられたどっしりとしたデスクには、積み上げられた本や、羊皮紙の束、チョコレートの包み紙が散乱していた。その周りに大小さまざまの写真立てが飾られている。ほとんどが学生時代の「悪戯仕掛人」の写真だった。どの写真も被写体である人たちは楽し気に笑っている。仕事に行き詰った時も、目を上げさえすれば過去の思い出に力をもらえるというわけだろうか。

 

 ふと、一つの写真立てが伏せられたまま開きっぱなしの教科書の下敷きになっているのが目に留まった。他の写真立てと比べても、ごく小さいものだったが、一つだけ机に座った時、手元に近い場所に置いてあるのだった。フィニアスは好奇心から上に乗っている教科書をそっとずらして、その写真立てを引き抜いた。勝手に人の机をあさるのは気が引けなくもなかったが、待たされている苛立ちが罪悪感を薄めた。しかし、写真立てを裏返して、フィニアスは自分の出来心を後悔した。

 

 質素な木枠の中に収まっていたのは、他でもない学生時代のフィニアスだった。五年生か六年生くらいの頃だろうか。肘掛け椅子の上でいぎたなく眠り込んでいる姿だ。おそらく、フィニアスが「必要の部屋」で酔いつぶれていた時にこっそりと撮ったものなのだろう。カメラは被写体に近づいたり遠ざかったり、舐めるように映している。リーマスが自分のカメラを持っていた記憶はないから、きっと「必要の部屋」がいらぬお節介を焼いたのだろう。

 

 リーマスは何のつもりでこんな写真を手許に置いていたのか。考えを巡らせているうちに、フィニアスはリーマスに最初で最後のキスを仕掛けた夜のこと思い出した。魔法力を失った後、長期間にわたる治療にもかかわらず回復する見込みが立たず、ついにホグワーツを退学することになった前の晩のことだ。そのキスは、片やマグルとして、もう一方は不死鳥の騎士団の一員として、別々の方角に歩を進めようとしていた二人の道を一つにする最後のチャンスだった。そのチャンスをふいにしたのはリーマスの方だったのだ。それなのに、奴はこんな写真を後生大事に残していたのか。フィニアスは、写真立てを元通りに戻した。

 

 結局リーマスが研究室に戻ってきたのは、たっぷり十五分は経った後だった。飄々として悪びれもせず、とうに湯気の切れていたティーポットに向かって杖を一振りすると、冷え切ったお茶は再び飲み頃の温かさを取り戻した。

 

「熱心に質問してくるものだから、教える方もついつい熱が入ってしまってね」

 

「ご立派な教授殿だな」

 

「まあまあ、わざわざ淹れたんだからお茶でも飲んで落ち着いてよ」

 

 フィニアスは言われるがままにお茶をすすったが、いつもは出涸らしのティーバッグで淹れた茶に大量の砂糖をぶち込んだものを勧めてはばからないリーマスが、なぜ今晩に限って手間暇かけて茶葉から淹れたのか、ふと疑問が頭をよぎった。肝心のお茶は温めなおしたからか、風味は落ちており、砂糖もいつも通り溶け残りが出るほど投入されていたので、ティーバッグと大差ない仕上がりであった。

 

「で、わざわざ呼びつけて一体何の用だ?」

 

 リーマスは自分のカップをテーブルに置いて、口を開いた。

 

「実はね、ブラックの件についてなんだ」

 

 リーマスのいつになく真面目な表情を見ると、待たされたことによる怒りは、埃のように軽く飛んで行ってしまった。自分が呼ばれたのには何か抜き差しならぬ事情があるのだろうか。フィニアスの表情が硬くなったのに気付いたのか、リーマスは取り繕ったような笑みを浮かべた。

 

「ああ、あまり深刻にとらえないで。何か手がかりになりそうなことがないか、教職員からは一通り聞き取りしておきたいとダンブルドアに頼まれてね」

 

 脱獄囚に学生寮への侵入を許したことを考えれば、その必要はあるのかもしれない。またダンブルドアの意向ならば致し方ないのだろうが、疑われているようで正直あまり良い気持ちはしなかった。何より、この張り詰めた空間に息がつまりそうだった。リーマスとは生ぬるい現在と、他愛のない未来を共有していればよいのだ。シリウス・ブラックなどという過去の亡霊を呼び覚ましてなんの得があるだろうか。

 

「何も思い当たることはないんだがな」

 

「まあまあ、焦らないで。ゆっくり思い出してよ。あのハロウィンの晩のことだけど――」

 

 リーマスの尋問は微に入り細を穿った。そして質問はフィニアスに考える暇を与えないかのように矢継ぎ早に繰り出された。感情のない冷酷なそれらに一つ一つ答えるたびに、フィニアスはだんだんと頭がぐらぐらするような奇妙な感覚を持ち始めた。親友に疑われていることが自分で思っているよりもショックだったのだろうか?

 

 脳にもやがかかったようであるにもかかわらず、質問によって呼び起こされる過去の記憶は嫌に鮮明で、それがそのまま言葉になって口から飛び出していく。妙だと思いながらも、口だけが勝手に動いてしまうのだ。息が詰まる。それでも質問が飛んでくれば答えてしまう。

 

 ブラックが侵入できそうな抜け道は知っている?――頭が痛み始め、冷汗がこめかみを伝う。自分が何を答えているのか分からない。これはもしや――ある疑念が頭をもたげたが、すぐに繰り出される質問にあっという間に流されて行ってしまった。

 

 このままでは夜が明けるのでは、と思い始めた頃、リーマスはついに黙り込んだ。実際どのくらいの時間が経ったのかはわからなかったが、フィニアスはようやく酸素が肺に広がるような安堵を感じた。

 

「ありがとう、フィニアス」

 

 自分はこの尋問を乗り切ったのだろうか。何かまずいことを口走ってはいなかっただろうか。いまだに朦朧とする頭に鞭を打って思い出そうとしたが、徒労に終わった。せめてリーマスの顔つきから何か読み取れないか、額の汗をぬぐいながら表情を盗み見たが、少しうつむいたその顔は全くの無表情だった。フィニアスは喉の渇きに耐えられず、カップに残った冷めた紅茶を飲み干した。

 

「聞いていただろう、セブルス!」

 

 黙りこくっていたリーマスが突然声を上げた。鈍った脳みそではその意味するところが理解できず、フィニアスは戸惑った。セブルスだと?スネイプの名前がなぜここで出てくるのだろう?

 

 リーマスの呼びかけに答えるかのように、傍らの暖炉の炎が緑色に燃え上がると、セブルス・スネイプがのっそりと姿を現した。リーマスが繰り返した。

 

「聞いていただろう、フィニアスはブラックについて知っていることは何もない。まったくもって無関係だ」

 

 テーブルに茶が乗っているのにもかかわらず、スネイプはローブにかかった灰を黙って払いながら、座っている二人を睨みつけている。リーマスがため息をついたが、吐かれた息の中には苛立ちが混じっていた。

 

「まだ納得できないのかい?聞きたいことがあるなら、今ここで直接聞けばいい」

 

 スネイプが唇をゆがめて笑みを浮かべた。意地の悪い、面白がるような顔だ。

 

「いや、君は十分に尋問をしてくれた。それに、我輩は己の魔法薬には大いに自信を持っている。調合の困難な薬だが効き目に疑いはない」

 

 うすうす感づいてはいたが、薬、そう聞いてフィニアスは愕然とした。リーマスは薬を盛ったのだ。おそらく、真実薬を。フィニアスの心臓の鼓動はさらに速まった。それは薬の副作用なのかどうか。フィニアスの視線を避けるように、リーマスは身動ぎした。

 

「なら、もういいだろう。ダンブルドアに報告するかは君に任せるよ。僕としてはその必要はないと思うけどね」

 

 リーマスの声はかすれていた。スネイプは嘲笑いながら――その軽侮はフィニアスにも向けられていた――暖炉の中に姿を消した。再び燃え上がった炎が元通りになるや否や、リーマスはすぐさま立ち上がり、フィニアスの横にひざまずいた。そして汗にまみれた額をぬぐい、荒れる呼吸に上下する肩を抱き、「ごめん、フィニアス」と繰り返した。

 

「セブルスは私も疑っていた。だから真実薬を使わなければ信じないと言われたら、断れなかった」

 

 謝罪も言い訳もむなしかった。フィニアスの耳には、さして後悔しているようにも聞こえなかったのだ。学生の頃のリーマスは、多分にずる賢くも正義感の強い、感受性の強い子どもだったはずだ。だから、真実薬を友人に盛ることも辞さない冷酷さは、ヴォルデモートとの闘いという壮絶な過去の置き土産なのだろう。いつ何時裏切られるか分からない緊張に、いつしか心も無感覚になっていく――フィニアスには理解できないことだ。

 

 もう何も聞かないでくれ。ただ薬が切れるまでそっとしておいてほしい。フィニアスはそう願ったが、リーマスは動こうとしなかった。そればかりか、白々しくも「大丈夫かい?」などと聞いてくる。大丈夫なわけがあるまい。口でもその通り答えながら、フィニアスは立ち上がろうとして、よろけて座り込んでしまった。

 

 そうだよね、とリーマスはつぶやくと、おもむろにフィニアスの体を抱え上げた。

 

「なら、僕の部屋で休んでいきなよ」

 

 力んだ拍子なのか、それとも何か思うところがあったのか、リーマスの声は少し上ずっているように聞こえた。フィニアスは抵抗できるはずもなく、リーマスに体を預けたまま、暖炉の炎をくぐった。

 

 

***

 

 

 見慣れているはずのリーマスの私室も、真実薬に曇った目にはどこか異様に映った。ベッドに横たえられ、枕もとのランプが灯されてもその印象は変わらなかった。ランプの温もりとその周りを包む闇は、いつもなら限りない安らぎをもたらすはずだった。しかし、今夜は光の届かない部屋の隅に残された闇は不気味に淀んでいるように見えた。

 

 リーマスが水の入ったグラスを差し出した。ふざけるなよ、と思った瞬間、鈍った頭に急に血が上り、耐え難い頭痛がフィニアスを襲った。お前の出す物が飲めると思うのか。フィニアスはグラスを押し戻した。その力が予想外に強かったのか、グラスはリーマスの手から落ちて床に叩きつけられた。それきりフィニアスは頭を枕に置いたまま起き上がれなくなった。

 

 リーマスの濡れた手がフィニアスの頬に触れた。不届きな指が、荒れた息に震える顎を愛おし気になぞる。

 

「あの時は、君からキスしてくれたんだっけ」

 

 独り言とも質問ともとれる言葉だ。そうだったな、とフィニアスは答えながら、これは薬の力なのか、自らの意思なのか疑問に思った。リーマスがぐっと顔を寄せてくる。

 

「今日はしてくれないみたいだね」

 

 それもそうか、とリーマスは自嘲しながら、一方でフィニアスの髪をゆっくりと指で梳いている。

 

「あの時は君にキスさせて、ちょっといい気になってたんだけど。今は逆転してしまったね。今度は僕のほうが嫉妬でどうにかなってしまいそうなんてさ」

 

 いったいリーマスは何を言っているのだろうか。その表情から読み取ろうにも、フィニアスの目は濁り、あまつさえランプの灯影がリーマスの顔の上に複雑な陰影を描いていて、笑っているのか泣いているのかさえ判断がつかなかった。

 

 リーマスはおもむろにベッドに這い上がり、フィニアスに覆いかぶさった。その体重が全身に直に伝わり、リーマスが何を望んでいるのか、フィニアスにもようやく知ることができた。それは十二年前のあの晩の続きだ。自分の意志をフィニアスが悟ったことは、リーマスも感じ取ったようだった。

 

「構わないよね?」

 

 絞り出すような問いに答えようとフィニアスは口を開きかけた。しかし、リーマスはその答えを聞くのを恐れるように、自分の唇でフィニアスの口を塞いだ。それはいったい自分がどのように答えようと思っていたのか、フィニアス自身が自覚するより前のことだった。それから少しずつ深くに潜り込もうとするリーマスの動きを受け入れるうちに、自分の本心などどうでもよくなっていったのだった。

 

 

***

 

 

 フィニアスが目を開けた時、すでに夜は明けていて、開け放たれたカーテンから朝の光が差し込んでいた。指を動かすのも億劫なほど体が重く、眩しい光を浴びているのに、目覚めているのか眠っているのかさえ分からなかった。ただベッドの上で自分が一人きりであることだけは、寒々とした半身で感じることができた。

 

 無理矢理に起き上がろうとした途端、激しい頭痛が脳髄を貫き、フィニアスは呻いた。

 

「ああ、起きたかい。フィニアス」

 

 フィニアスの声を聞きつけたのか、新聞を読んでいたらしいリーマスが振り返った。もうきっちり着替えて、片手にはマグカップを持っている。甘い香りが漂ってきた。きっと中身はココアだろう。「君も飲む?」などと何事もなかったかのようにふるまうリーマスからフィニアスは顔をそむけた。

 

 結局のところ、夜を通してリーマスが核心に迫る質問、すなわち二人の過去と未来にかかわる質問をすることはなかった。その代わり、「今」に関する質問を執拗に繰り返した。フィニアスの体に触れるたびに、その指がもたらす効果をしつこく聞きたがった。真実薬によって暴かれる浅ましい本心と羞恥とのはざまで理性はいとも簡単に押しつぶされ、官能は否が応にも研ぎ澄まされて――

 

 少しずつ思い出される昨晩のありさまをフィニアスは頭を振って追い払おうとした。むかむかと吐き気がするのは、真実薬の副作用か、それとも昨晩の己の痴態に対する嫌悪なのか。甲斐甲斐しくいたわろうとするリーマスの手を振りほどいて、フィニアスはよろめきながらも早々に部屋を辞して、私室に戻った。今日は日曜日だ。フィニアスはベッドに倒れこんだ。気が緩んだ隙に胃から生暖かい物がせり上がってきて、トイレに駆け込んだ。

 

 吐瀉物のにおいに悶絶しながら、この最悪な体調がもとに戻るまでは、当面現実から目を背けることができることにほっと息をつくのであった。




真実薬ってこんな感じではない気もしますが、大目に見てください…。
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