※本作はpixivとのマルチ投稿作品です。
1
「ふわぁ……」
私──古関ウイのあくびが古書館に響く。我ながら間抜けな声。
館内のフロアは大きな木組みの書架に囲まれていた。
私以外には図書委員ぐらいしか触らないであろう本がずらりと並んでいる。
それらは若干の埃っぽさと紙の匂いを漂わせ、照明や木工の調度品と混じって不思議な雰囲気を醸し出していた。
……私にとってはこれが普通なのだけれど、そばのソファでくつろいでいる先生にとっては「不思議な雰囲気」らしい。
作業机に目を下ろすと修復中の本がある。
図書委員会から依頼されたもの。
急に寝起きに呼び出されあまり気が乗らなかったのだけど、居合わせた先生が手伝い──もとい気晴らしに古書館へ行きたがっていたので、私は仕方なく了承した。
まったくこれだから外の人はわからない……いや、先生やごく一部の人はいい人だとわかっているのだけれども。
「ウイ、調子はどう」
「あぁ……まあ悪くないです。もうすぐ終わります」
先生は返事を聞いて再び本を読み始める。
古書館が不思議というなら、私にとっては先生が不思議だ。
外の人がみんなこんな風に優しかったらな……と妙な空想に耽りそうになる。
しかし今は作業中、不注意で本を傷付けたりしてはいけない。
早くこの修復を終えよう、とようやく最後の本に手をかけた時。
「ん……?」
何かが本のページから滑り落ちた。
見覚えのあるカード状のそれを拾ってみると、トリニティ総合学園の文字や生徒名に加え顔写真が印刷されている。
……それは学生証だった。
2
何とも奇妙な話だった。
本から学生証というのもおかしいのだけど、それは直前の借り主が何かの拍子で挟んだままにしてしまったのだ、と思えば不思議ではない。
何よりも変わっていたのは、その本と学生証の写真に写る人物の釣り合わなさだった。
本は重めの長編古典小説で、読書家でなければ興味も示さないであろう内容。
対して学生証の顔写真には今風のお洒落な女の子が写っていて、失礼ながらとても古典小説を読むようには見えなかった。
これも私が外の人を知らない故の偏見なのだろうか。
思い悩んでいると先生がまた、
「ずいぶん苦い顔をしているね」
と話しかけてきたので、私は事情を説明することにした。
「なるほどね。それなら私がその生徒に学生証を届けてこようか」
話を聞いた途端こんなことをのたまう。
「そんな……先生の手を煩わせなくても図書委員に任せておけばいいのに」
私が反論すると今度は、
「この子も生徒だからね。どんな子か気になるし挨拶がてら……」
本当に先生はお人好しが過ぎる。
それにしても何だろう、はっきりしない居心地の悪さが私の中にある。先生といる時間を取られたくないとでも思っているのだろうか?
気持ち悪い……先生は先生なのだから生徒と関わるのが仕事なのに。
そこまで考えた時、突飛な考えが頭の中で弾けた。
あまりに突然で、省みる間もなく口から出てしまったほどの提案。
「そ、それなら……私もついて行っていいでしょうか……?」
焦って飛び出た言葉は、これこそ最も不思議で奇妙なことかもしれなかった。
3
「あぁう……」
「ウイ、大丈夫?」
「……うぅ」
明る過ぎるほどの晴天がトリニティ郊外を淡く照らしていた。
陽に晒された街路はきらめき、通る人々はすがすがしく談笑し。
控えめに言って地獄だった。
学生証を返す先生について行く、その提案にはもう少し一緒にいたいという思い上がりも無くはなかった。認めたくはないけど。
でも、いくら先生がいても私を外にいざなうのは容易ではない。
私が外に出たもう一つの理由は……
「学生証のひと、一体どんな人なんでしょうね」
彼女への好奇心だった。
気持ち悪さを抑えながら通りを歩いていくと、私の様子を見かねて先生が言う、
「少し休憩しようか。あそこのパーラーなんてどうかな」
街路樹の木陰にテラス席を構えた軽食店があった。
すでに体力を消耗していた私はその誘いに応じ、店内で少し休むことにする。
薄暗い店内は人影もまばらで、外に比べるとまだ心地よかった。
先生がわざわざ選んでくれたのだからここまで計算に入れていたのかもしれない。
いや……それもまた自意識過剰なのかもだけど。
運ばれてきたアイスアメリカーノを飲みつつ一息ついていると、先生が店員と話しているのが聞こえた。
「先生は今日もお仕事ですか」
「うん、ちょっとね……」
冗談を交え親しげに話すその様子は、私には出来ないという尊敬の念とやはり先生も「外の人」なのだなという寂しさを感じさせた。
そんな勝手な思いを抱いていると、
「……ええ、あの子がそうです。古書館で……」
耳に入る会話の内容にぎくりとする。私の話をしている……?
私の外嫌いを知っていてなぜそんなことを。
嫌悪感と恥ずかしさがないまぜになる。気持ち悪い。
外の人を嫌う私を外の人がどう思うかなんて明白で、私はただ頭を抱えることしかできなかった。
……けれど。
「ウイ?」
先生の声に顔を上げると、にこにことした表情の店員と目が合う。
「古書館の担当なんてすごいです。昔わたしも図書委員を手伝ったことがあるんですが大変で……」
なぜか羨望のまなざしをこちらに向ける店員。お世辞なのだろうか。
やはり外の人はよくわからない。とはいえ、
「あぁ、いえ……」
情けない相槌を打つ私も私だった。
そうして珍しい讃辞をもらった後、私たちは店を出た。
入る時の気持ち悪さとはまた別の浮遊感が、それからしばらく私を包んでいた。
まあ、うん、ちょっとだけいい人だった……かもしれない。
4
そうして休み休み進んでいくと、もう例の生徒の家の近くまで来たようだった。
あっさりと目的地にたどり着きそうで、なんだ外は案外狭いんだな、とよく分からない感慨が湧いてくる。
もちろんとても気疲れはしているのだけど。
その頃、陽の光には濃い赤みが混じり始めていた。
夕焼けが広がっていく、夜の訪れる前触れ、それにともない外も暗さを帯びていく。
街灯の下にできる影が薄暗い古書館を思わせて、快くも恋しい気分。
やがて目的の家に着く。
トリニティらしいレンガ造りの外装で、良く言えばお洒落で悪く言えば没個性だった。
また偏見になるけれど……やはりあの学生証が挟まっていた古典小説とはイメージが結びつかない。
少なくとも古書館とは似ても似つかない家だった。
もしかして、あの人は単に誰かの頼みで本を借りただけなのだろうか。
それならばこの外出はただの徒労で、期待外れに終わってしまう。
なんだかなあ……と思ったその時ドアが開き、学生証の顔写真そのままの女の子が姿を現した。
「あ、シャーレの先生……」
5
わざわざ来てもらったので、と女の子の部屋に通された私たち。
出された温かいコーヒーを飲みながら先生が話し始める。
「この本に君の学生証が挟まっていたんだ」
女の子は学生証を受け取り、何やら神妙な面持ちで本を見つめている。
明るい金髪が眩しい。
「これは君が借りたものなのかい?」
先生が聞く。
私は──どうせ本に興味なんか無いのだろう、親に頼まれでもしたんじゃないか、とそれこそ彼女に興味を失いつつあった。
そうだ、外の人は所詮外の人なのだ。
ちょっと愛想のいい人はいても私のことを分かる人、分かろうとする人なんてそうそういない。
先生やほんの少しの人達だけなのだ。古書館に引きこもる私に理解を示すのは。
図書委員ですら分かり合えない人はいる。
ましてや本に興味の欠片もない外の人なんて……
「そうです。……全部は読めなかったんですけどね」
自意識に囚われかけていた私には、女の子の発したその一言が青天の霹靂だった。
6
「同じ教室に本好きな子がいて」
彼女は語り始める。
その子はいつも教室の隅で静かにしていて、よく本を読んでいて。
おとなしく近寄りがたい雰囲気があるのか誰も寄り付かない。
学校以外の時間は家から出ないらしく、とても白い肌をしている。
賢いようだけど話すのが苦手なようで、孤立して困っていることもある。
「私はなんだか気になって。知りたかったんです、その子のこと」
あちらは当然話しかけてこないしこちらもなかなか話しかけられない。
派閥性の強いトリニティだからつい他人を警戒しがちになる、というのもあるのだろう。
そんな日々が続いていたところ、彼女は偶然その子が独り言を言うのを聞いた。
それが──
「この本が気になる、って言っていたんです」
先生の持つ本を、数時間前まで学生証が挟まっていた本を指さし彼女は言った。
「私はすぐにこの本を借りに行きました。見つからなかったらどうしようと思ったんだけどそんなことはなくて……」
トリニティの中央図書館を使うのは初めてで少し怖かったが、問題なく借りることができたという彼女。
しかし安心したのも束の間、いざ読み始めてみると難しくなかなか読み進められない。
また普段本を読まない彼女はしおりを持たなかったため、財布に入っていた学生証をその代わりに使っていた。
「なるほど、それで挟みっぱなしのまま返却しちゃったんだね」
「はい。頑張って読んでいたんですが返却期限までに読み終えられず……」
なんていい加減なのだろうと私は思った。しおりの代わりに学生証だなんて……
けれどすぐに思い直した。
少なくとも返却されたあの本は、ページが折られたりメモ書きされたり汚されたりということが無かった。
補修の必要があったのは古びた表紙の装丁とちぎれてしまった栞紐のみ。
図書館の本を大切に扱っていない訳ではない。
そんなことを考えていると、彼女が溜息をついて続けた。
「結局、ただのおせっかいなのかなって思うんです。私のしていることは。こんな風にちょっと無理して相手に合わせようとしたりとか、相手のこと分かりたいなって思ったりとか……」
うなだれて長い金髪に影ができる。その下の表情は痛ましく翳っている。
そのまま沈黙が広がり、先生は考えるように顎に手を当てていた。
その様子を見て私は……
この人を、この子を。放っておいてはいけないと思った。
7
「……あの」
急に喋りだした私に、先生と女の子が顔を向ける。
自分の顔が赤くなっているのが分かった。
「あ、し、失礼しました。私は図書委員会のもので……」
なぜ私はこんなことをやっているのだろう。
「その本は、とても難しい本で……本読みの方でも、挫折する人は少なくないと思います」
どうして初対面の人に、苦労してあえぎながら話しているのだろう。
「だから、気を落とさないで……読みやすい本を読んだって、良いと思います」
どうしてこんなにも、他人におせっかいを焼いているのだろう。
それはたぶん……この子が、外と内をやわらかく繋ごうとしてくれているからだ。
この子が気にかけている本好きの子は、私なのだ。
外嫌いの私を、この子はなんとか分かろうとしてくれているのだ。
先生が私を尊重してくれたように、この子も、私たちのような外でなく中に住む住人を分かりたがっているのだ。
「もしよければ、合いそうな本を……お教え、しますから」
最後の一言は息も絶え絶えで、我ながら見苦しく思ってしまうほどだった。
部屋にはいつの間にか月の光が差し込んでいた。
窓の外では闇が広がりつつあり、その間を縫うように街路の仄かな灯りが点いている。
何だかとても遠いところに来てしまったような気がする。
けれど。
「……ありがとう。図書委員さん、とってもやさしい」
目の前の女の子が、揺れる金髪の優雅なその子が。
書物なんて一顧だにしないように見えたその子が。
外に住んでいるはずの女の子が。
私のことを優しいと言ってくれた。
それだけで私は──外に出て良かったな、と思った。
本当に少しだけ。
けれど、少しだけ本当に。
8
今日も古書館は静かに佇んでいる。
紙の匂いに満ちたこの空間こそが、やはり私の家であり世界なのだとも思う。
それは生まれながらに変わらぬ性質で、外が嫌いなのも変わることはないのだろう。
しかし外からの人間でも、この本に囲まれた中を踏み荒らさずに来てくれる人はいる。
それは先生であり、あの子であり……きっと他にもいるのだ。そんな人が。
「ウイ、今日そっちに行ってもいいかな?」
「ウイちゃん。教えてもらった本、楽しく読めたよ」
先生から、そしてあの子から連絡が来る。
外の人とこうしてやり取りするのはとても奇妙だったけれど、不思議と少し嬉しくもあった。
さあ、先生をもてなす準備をしよう。
そして、次にあの子へお薦めする本を考えてあげよう……
換気しようと開け放った窓から、ゆるやかな微風が舞い込んだ。
それは古書館の内をわずかに巡って、やがて外へと還っていった。