「…………! ……!」
…………。
「……ツ! リツ!」
あ……?
ぼやけた視界は黒しか映さない。
引き伸びた不明瞭な思考も、焦点を定めず宙を舞う。
瞬きすれば、空色が目に飛び込んでくる。
何だろう、これは。
「しっかりして! リツ!!」
「ぇぁ……?」
「くそ、もう一回……! “
ス、と不明瞭な思考が形を取り戻していく。幾許か後、彷徨っていた視線が焦燥に歪むバディの顔を捉えた。空と黒の戦乙女は、煤と塵に衣装を塗れさせ、頭から血を流していた。満身創痍。まさしくそんな有様。
「シアン……? 何が、どうなったのです……?」
己は仰向けに寝転がっているらしかった。シアンを除けば、積み重なった瓦礫に切り取られた真っ黒な空、死傷黒雲だけが見えている。
「あぁ、よかった……。思い出せる? さっきまでのこと」
「…………確か、貴方を庇おうとして……」
ああ、そうだ。
空から投槍のように降ってきた光の裁きは、リツの左半身を消し飛ばしなお威力を減じさせず、地下深くで爆発した。そこで視界が純白に染まり、一度途切れている。
そしてシアンが魔法で起こしてくれるまで、意識を落としていたのだ。
「うん。そのお陰であーしはまだこの程度で済んだけど。……下を見てみて」
言われるがまま視線を動かせば、巨大な鉄骨が見えた。
おかしい、なぜこんな至近に見える? まるで……。
いや、そうか。
「……なるほど。串刺しに……なって、しまっている、わけですか」
「そう。魔法で傷による影響を切ったけど、いつ死んでもおかしくない。左半身も吹っ飛んじゃってるから。魔法少女が頑丈だから辛うじて保ってるんだと思う」
シアンの魔法で、いやに鮮明になった思考が冷静にものを考える。腕を動かそうと脳が指令を送るも、応えたのは右手だけだった。
自分のことだというのに全く危機感が湧き上がってこないのは、脳内麻薬で痛みを感じないからか、この状態に現実感がないからか。しかしだからこそ――冷えた思考で生き足掻ける。
「ねぇリツ。前に義手を作ってたよね。あの魔法で、失った体を補完できる?」
「……恐らく、は」
「なら、あーしがこの鉄骨からリツを引っこ抜くから、急いで体を修復して。やれそう?」
「……ええ。やり、ますよ。このまま……死ぬつもりなどッ、ありません……ッ!」
――“
こんな状態でも魔法が発動するか、のテスト代わりに、機械の左腕を作り出す。マゼンタ色の粒子が集まり、爆弾騒ぎの時と同じ、どこか紫かかった黒鉄の腕が現れる。
シアンは伸びる鉄骨をリツのすぐ上部で切り落とし、横倒しにどこかへ追いやる。
そしてリツの上半身の下に手を入れ、鉄骨から外す準備をした。
「いい? 三カウントで行くよ」
こく、と頷く。
「三、二、一、ゼロ!」
ぞぶ、と体の中から異物が抜けていく悍ましい感覚。逆流し、口から溢れる血。
リツの魔法で致命傷の影響を無くしてなお、叫びたくなるようなそれを押し殺す。
「ガフッ、ゴボ……“
悲鳴じみた声で紡いだ魔法は、しかし十全に結実した。
削れ落ちた体を、魔法の機械が補完する。違和感も無く、人のものには見えないことを除けば己の体そのもののように動かせる。
「ハァ、ハァ、……ぐぅっ……。……助かりました。ありがとう、ございます」
「いいの。あーしも庇ってもらったし。……や、ホントに危なかったよ。瓦礫を切り分けて探してたんだけど、見つけるのがもうちょっと遅かったらどうなってたか」
肩を借り、なんとか立ち上がる。今になって、傷と失った体からつんざくような痛みが響いてくる。機械で体を補完しても、血を流しすぎた体はふらつき言うことを聞かない。脂汗を滲ませつつやっとの思いで外に這い出せば、ようやく状況が把握できた。
ここはクレーターの底。その瓦礫の隙間、小さな谷の下で死に瀕していたようだ。
最悪の自由時代を齎した魔法少女――ディバイン☆フリューゲルが放った、ただ一撃。
半球に陥没した破壊の跡。コロニーの町並みはもうどこにもなく、頑丈なはずの防壁までもが巻き込まれ、荒々しい断面を晒しているのが見えた。
「うわ……すごいことになってるね……」
「これを受けても、生きているとは……。魔法少女の、頑丈さに救われた形ですね……」
「あーしはふっ飛ばされただけだったし。……だけって言っても気ぃ失ってたけどね」
などと宣うシアンだが、どう見ても無事ではない。携帯医療キットで最低限の応急処置はされているようだが、時折痛みに顔を顰めている。
空を見上げても、そこには黒い雲しかない。フリューゲルは一発だけ光を放ち、そのままどこかに行ったらしい。――恐らくは、絶望郷に。
「とりあえず……ディストピアに帰らないと」
「……そう、ですね。こんな状態では……情報収集も、ままなりません。生きている、データが、あるかもしれませんが……」
「や、そんなことよりもリツの怪我だよ。マジで死ぬよ? 顔、土気色じゃん」
グッと力を入れリツの肩を支えるシアン。
「“
「……“
シアンが背に生み出した翼は常と同じ大きさだったが、リツは翼のように並んで浮かぶ重力制御ユニットの一つを作れただけ。体を覆う魔法の機械に能力のリソースを割かれ、まともなものなど作れはしない。
それでも重力補助により軽くなった二人を、シアンの翼が空に持ち上げる。比翼の鳥のようにゆっくりと浮かび、断裂した線路の上へ。
そのまま、滑るようにして二人は飛んでいく。
「……施設の、損害を、気にしないと……思っていましたが……」
「最後に、フリューゲルの攻撃で情報を消し去る算段だったんだろうね。リツちゃんがかばってくれたお陰で辛うじて生き残れたからよかったけど、あんなもの直撃したら蒸発だよ蒸発」
「ファントムが、焦っていたのは……」
「や、あれは多分、空中戦艦とかの準備じゃないかな。このままあーしらが絶望郷に情報を持って返ったら全部パーだから。そうなるぐらいなら準備が整ってなくても動き始めよう、って考えたんでしょ。で、動かせる戦力じゃあーしらを止められないから、証拠隠滅も兼ねてフリューゲルで爆撃、って感じじゃない?」
ファントムにとっての最悪は、捨て身で空中戦艦の発進を邪魔されること。だからそれに気づかれないよう、情報を盗んだ下手人に追手を差し向け、逃げさせた。
二人に潜入されたことを察知した時点で、情報が絶望郷に伝わっている想定で動いていたのだろう。だからこそ、即座に動き始める判断を下した、と見るべきか。
呟いた思考を引き継ぎ、纏めてくれるシアンの声から、リツは気遣いの色を感じ取った。
「……アイツの話が事実かどうかは分からない。リツ、怒るのも分かるけど……冷静にね」
「……ええ。どのみち、奴は、殺します……。理由が、増えただけです」
痛みと共に、ジクジクと脳を焼く復讐心。
産みの両親の記憶はない。覚えてもいない魔法少女化施術で消えてしまった。
だが、あんなことを言われて平気でいられるはずもなかった。
絶対に殺す。
回らない頭に、決意だけが反響する。
しばらく飛び続け鉄道の通る谷間を抜ければ、遙か遠方に白む地平、そして輝く疑似太陽が見えてきた。絶望郷の夜明かりだ。暗黒の世界で、光を灯す都市など一つしか無い。
その輪郭が徐々に鮮明になり始めた瞬間。
上空から、パッと一条の光が落ちた。流れ星のような、と創作物で見たそれを思い起こすような光は、立ち並ぶビルのギリギリで傘のように開いた超巨大な氷に受け止められた。炸裂する破滅の光は建物を傷つけることなく消えていく。
続いて、絶望郷が強く光を放った。瞬きの後、幾万幾億のレーザーが都市から伸びる。ジグザグに好き放題に伸びているように見えたそれは、ある程度の高空まで達すると唐突に曲がり、急加速してただ一点……先の光条の根本を狙い撃った。一拍後、直径数キロはあるだろうピンク色の爆風が広がる。
フリューゲルと、絶望郷のオリジナル魔法少女達の戦いが始まったのだ。
それを見ても、何かを言う気分にはなれなかった。まさしく次元の違う、超常の存在だ。何か行動が違ったからといって、あれをどうこうできるとは全く思えない。
それよりも。引き裂かれるような痛みに苛まれる中、リツはふと呟いた。
「……貴方が、助けて、くれるとは」
「え? ……本気で言ってる?」
「もう、無理だな、と諦めをつけるような……状況だった、でしょう」
「そこまで血も涙もないわけじゃないよあーし」
憮然と唇を尖らせるシアン。
「ですが、貴方は……必要とあれば、できるでしょうし、するでしょう? 私を復帰させるのに、どれだけの魔法と、時間を使ったのですか」
表面上は平静を装っているが、シアンとて重傷なのだ。救えるかどうかも分からない死に体のリツを救おうとするより、一人で報告に戻ったほうが時間はかからず、いち早く絶望郷に脅威を伝えられるだろう。
死傷黒雲の上に行った空中戦艦や、サテライトイレイザーだけではない。フリューゲルの存在についても、先に伝えるだけで備えることができる。
「……まあね。もう、こうやって絶望郷に帰るのがやっとってぐらい。もうハルバードすら作れないぐらいには力を使ったよ。助けるのに少なくとも二時間はかかったし」
苦痛により途切れ途切れになった言葉に、合理と効率の酷薄を覗かせシアンが答える。
二時間。
空中戦艦とオリジナル魔法少女が絶望郷に迫るあの状況では、致命的とも呼べるロスだ。
絶望郷の戦いは続いている。
疑似太陽の上部が、中から伸びるように膨張したのが見えた。
卵の殻を突き破るようにして、ここからでもそうと分かる巨大な黒竜が産声を上げる。緑と青の炎が体の各所から吹き出し、広がる翼はオーロラじみた色合いだ。遠く、遠く、遠雷のような轟きは小さくなろうとも二人の耳にまで届いた。
薄橙の疑似太陽と違い、チェレンコフの光を纏うあれが、ドラゴニック☆ニュークリアの真の姿なのだろう。原子の魔竜は空を舞う天翼に狙いを定め、核エネルギーを凝縮した熱線のブレスを吐く。白い魔法陣に捻じ曲げられたそれは遙か遠方に着弾。死傷黒雲の下、黒い空を爆風で真っ青に染め上げる。
「リツを見捨てて報告に行っても、リツを助けた場合より後々効率よくなる要素が多くなかった……って答えれば納得する?」
それもシアンの思考の一部ではあるのだろう。
だが、それだけではないのは語り口調からして明白だ。
「リツが本当は遊んで暮らしたいって言ってたみたいに、あーしだって効率だけじゃなくて感情を優先したい時だってあるよ。リツがどうだか知らないけど、あーしは友達と思ってるし」
「……そう、ですか。……遊んで、暮らしたいとまでは、言ってませんが」
「似たようなもんでしょ?」
確かにそうだが。
だが、そうか。
自分が彼女の根幹指針よりも重いと判断されたのは、悪い気はしない。
「そういう意味じゃ、リツの方が不思議だよ。あーしが嫌いなんじゃないの? なのに庇ってくれたし、遊びにも連れ出してくれたし。戦闘中に余計な感情を持ち込まないようにしてるみたいだけど、それにも限度があるでしょ」
「……別に、嫌っては、いません。初対面の時……空を見たいのは、何故かと聞いた時、自由って感じがするから……とかいう答えが、返ってきて、何だコイツ、とは思いましたが」
リツは自由という言葉が嫌いだ。
だがシアンが『遊んで暮らしたい』と表現した『リツのやりたいこと』は、まさしく『自由に暮らす』と言い換えられる。だから、自由という状態、概念自体に思うところはない。
「結局、……貴方は、なぜ青空が見たいのですか?」
「……我ながら、子供の憧れそのものだよ。物語の中のそれみたいに、青空の下、生き物が当たり前にいる世界で。美味しいもの食べて、皆で仕事して、休みの日には友達と遊んで。そんな世界を生きてみたいんだ。空はさ、その象徴だから」
『自由って感じ』という一言に集約されたそれは、絶望郷の誰もが持つ、当然の夢だった。
あの戦争がなければ、あの雲がなければ、青空はフィクションにならなかったのに。
「私が、嫌いなのは、以前も、言いましたが……現実を見ず、己の欲望だけを軸に動く、クソ野郎です。貴方は、そうではないでしょう?」
「まあ、そのつもりではいるけど」
「なら、奴らとは、違います。嫌う理由は、ありません」
「……そっか」
言葉が途切れ、二人はものも言わずに線路を進む。
絶望郷まで、あと少し。