「よかったの? みんなに言わなくて」
リフトの中でミサトが口を開く。
すぐ横に座っているタローは、小さくミサトに笑いかけた。
「はい、ただの起動実験ですから。余計な心配を掛けたくないですし」
「そっか。それがタロちゃんの選択なら、私はそれもいいと思うわ」
ミサトが普段ネルフで勤務する時の服装であるのに対して、タローはプラグスーツ。
しかし、いつも着用しているものとは異なり。今回特別に用意されたテスト用のプラグスーツ。
必要最低限の機能と素材でフィット感を重視して作られているため、黒を基調とし一部は灰色になるほど薄いそれを、本来ならタローは今揺られているリフトの中で着替えるはずだった。しかし、これから行われる実験が心配でしょうがないとミサトがついてくるのを見越し、あらかじめ服の下に着用していた。
「不安があったら何でも言って頂戴。今回の実験は完全に米国支部の主導だから、いつもとは空気感も何もかも違うと思うの。心配事があるなら私が話をつけてあげる。それに、じきにリツコも来るし」
リフトの中で生着替えを、と企んでいたのを見透かされて回避され、十数分前まで落ち込んでいたとは思えないほどに頼りがいを見せるミサト。
切り替えの速さに感心しつつ、タローは一番心配に思っていることをこぼした。
「出席日数、大丈夫かな......」
「いや真面目かーい! もっと他に無いの!?」
学校の出席日数を気にしていたタローに、ミサトは両肩を掴んでツッコミを入れる。
実際、有事の際にエヴァパイロットたちはどうしても学校を休まなければならないことが多い。直近ではユニゾン攻撃のとき、練習のためにアスカと揃って数日間欠席している。
それ以外にも、実験のための早退等もある。事情を知っているトウジやケンスケにヒカリはなんとなく察するが、それ以外の生徒には『家の用事で』だ何だと言って各々抜ける。それが続くとはじめのうちは良くない噂をされることもあったが、今ではその逆。
過去の三者面談の時にタローとレイはとてつもない美女が保護者で、シンジに至ってはネルフの偉い人が父親である、という話が広がり。憶測が憶測を呼んで白露、碇、綾波、そして彼らと交流の深い惣流は華麗なる一族なのだとするのが中学校での定説。
そのため、エヴァパイロットであることを知らない生徒たちからは『良いとこの生まれってのも大変なんだなぁ』と、違うベクトルで同情と応援を受けていたりする。
「他の心配ごとは特にないですよ。これから乗るエヴァも、実験の進行も、全部米国支部ですけど。英語はわかりますし、それに本当に危険だったらミサトさんたちが許すわけないでしょう?」
普段通りのテンション感で言い切るタロー。ミサトはその姿に彼の状態がいつも通りであることと、彼からの信頼を感じ取り頬を緩ませた。
「......ええ。今日何回ダボォーチェック! って米国支部の職員に言ったかわからないわよ。二回じゃ不安だし、トリプォーチェック! ォオケェイ!? ってちゃんと圧掛けてきたわ」
「うわ~お、まるで米国支部を信頼してないじゃないですか」
「リツコがね、結構右寄りというかなんというか、愛国心に満ち溢れてるものだから。つい私も先入観で......テヘッ」
「まあ、オレも気持ちは純日本人ですからわからなくもないですけど......」
とりわけアメリカに対して疑心暗鬼なリツコ、彼女の話を聞かされ続けたミサトはタローが心配であることも重なって現場で暴れまくっていた。
当然それだけ暴れれば意識を改めるネルフ米国支部の職員も居るが、中には己の技術力を信じて疑わない職員も居るわけで。ミサトは「トリプルじゃなくてクアドラプルにしとけばよかったかしら」と念には念を入れ転ばぬ先の杖を持たせて石橋を叩かせたほうが良かったのではと考えはじめた。
「にしたって都合のいい話よ、松代の実験場を貸りた挙句に全てを米国支部が担当するなんて」
「科学者としてのプライドがあるんでしょうかね。オレの知ってる科学者にはそういうタイプの人は居ませんけど」
「まったくよ。イェーナさんに至っては名指しで出禁だし......まぁ、そもそも忙しいから難しかったでしょうけど」
現在、イェーナはドイツ支部の職員たちと共に壱型の改修作業に注力している。相変わらず彼女たちは定時になればパッと作業を切り上げて帰宅するのだが、業務時間中の集中力は凄まじく進捗は予定よりもむしろ先を行くほど。
しかし、裏を返せば一日でもスケジュールが崩れれば立て直すために残業しなければならなくなる。決められた時間の中で全力を出し尽くす、というスタンスで作業をしているドイツ支部職員としては残業などモチベーションとパフォーマンスを下げる以外のなにものでも無い。
それでもイェーナはこの実験に立ち会いが出来なくとも、リモートで参加する気満々ではあったが。
「やっぱり不安ですか? 米国産のエヴァっていうのは」
「えっ?」
タローの問いかけに、ミサトは眉をひそめて聞き返す。
彼女がそれだけ米国支部とそこで建造されたエヴァに不信感を持つ理由。それを知らないわけでは無いぞ、とタローは畳み掛けた。
「エヴァ4号機とその周辺、米国支部の一部消滅。それが気になってるんですよね」
「な、なんでそれを......」
米国第二支部での稼働時間延長実験の失敗、そして悲劇。これはネルフ職員の間で厳しく情報統制がなされ、特にそのエヴァに乗るパイロットたちには知らせないように、とネルフ本部で厳重に管理されていた。
しかし、それをタローが知っていることにミサトは顔を青くしながら彼の手に自らの手を重ねた。
「タロちゃん、それは」
「大丈夫ですって」
重ねられた手を握り返し、タローはミサトと目を合わせる。
「ここにはミサトさんとリツコさんが居てくれるし、本部もモニタリングしてくれてる。それにただの起動実験、何も心配事はありませんよ」
落ち着かせるように深い声色でタローは言う。その姿に、ミサトは居ても立っても居られなくなり彼を抱きしめた。
「ほげっ」
「実験が終わったら、松本に。第二新東京市で美味しいものでも食べて帰りましょうか。いずれは第三新東京市が首都になるけど、今はまだあそこが首都だから色々あって楽しいわよ」
「そっ、そうですね......ちょっとミサトさん、くるし......」
たんたん、とミサトの背中をタップするタロー。ようやく解放されると、肩でゼーハーと息をして呼吸を整える。
(ミサトさんの胸の中だヤッホーイ! っていつもなら喜んでたけど......流石に死ぬかと思った......)
普段以上の膂力でミサトに抱きしめられたタローは、僅かに歪んだ視界でミサトを捉える。
ミサトはただ優しく笑いながら、タローの頭に手を伸ばす。
「あなたのことは何があっても守って見せる。私たち全員で」
「......それは、嬉しいんですけど......ミサトさん、手が震えてるし目が血走ってるしでちょっと怖いんですが......」
「そんなことないわよ~。今すぐにでも押し倒したい衝動を堪えるのに必死なだけ」
「てオイ、思い切り欲望が口に出てるじゃねえかッ!?」
「もうそろそろリフトが目的地に到着するわね。ちょっと速度落とそうかしら」
「やめてよミサトさん! そんなサバンナの捕食者みたいな目しないでよ!!」
まるでぽっかりと穴が開いたかのように丸く見開かれた瞳でタローに迫るミサトと彼女の肩を抑えながら助けを求めるタロー。
この場にアスカが居ればミサトに飛び蹴りの一つでもかますであろう場面。茶番劇とわかりきっているからこそ両者は力を入れずに均衡する。
迫る側がいくらか本気であることにタローは気付いていないのだが。
「着てた服は回収しとくわね」
「なんでですか!?」
「下にプラグスーツを着てきた罰よ。スーツが破れたりしたらどうするの」
「エヴァの中で破けないのに移動くらいで破けるわけないでしょう!? ここで着替えたら貴女に破られてたかもしれませんけどッ!」
「あらぁ、よぉくわかってるわね。流石私のタロちゃん」
「ねっとりした声やめてください!!」
そうこうしているうちに、リフトが目的地に到達。ガンッ、と僅かに揺れて止まる。
ミサトは「ちぇっ」と小さくしたうちすると立ち上がり、乱れた前髪と襟を整える。タローもまた、立ち上がって前髪を流して頬を張った。
「よし」
一度ミサトと目線をあわせるタロー。頷いた彼女を見てから扉を開けると、米国支部の職員数名が待っていた。
一歩外に出て、タローは振り返りリフトの中に目線を向ける。いつの間にかタローが着ていた服を手に持っていたミサトに思わず苦笑する。
「行ってきますね、ミサトさん」
「ええ......あっ、ちょっち待って」
振り返り歩きだそうとしたところで、ミサトがタローの手を掴む。もう一度振り返ったタローの額にミサトは唇を落とした。
「頑張ってね」
「......はい」
不意打ちに、流石のタローも耳まで赤くなる。ミサトはそんな彼をやけにトロンとした瞳で見つめたあと、後ろにいる米国支部の職員にも目を向ける。
(赤くなっちゃって可愛い......でも、人前でこれくらいできるほどに彼を私たちは大切に思ってるのよ)
タローを見ているときとは一転し、ミサトの急な鋭い眼光を受けた米国支部の職員たちは思わず後退りしたり息を呑む。
彼女の放つプレッシャーを受けていないタローは後ろでそんなことになっているとは知らず、呼吸を整える。それが終わると、ミサトはまた彼に優しい瞳を向けた。
「そういえば、どうしてタロちゃんはあのことを?」
ミサトにとって最大の疑問。どうして4号機の件を知っていたのか。
最後にそれだけ聞いておこう、と彼女が尋ねると、タローはまだ少しうるさい心臓のせいで何も考えずに口を滑らす。
「加持さんが......あ」
「は?」
情報の提供者は加持。しかし、下手したらミサトやイェーナにアスカを筆頭とし、その他職員数名から殺されるだろうから彼のためにそれは隠しておこうと決めていたタローだったが。
おでこに口づけをされたことへの動揺でついその名前を口にだしてしまう。当然、それを聞いたミサトはタローが額に薄っすらとリップの跡を残しているのに対し、立派な青筋を作っていた。
「あのヤロー、ほんと余計なことしてくれるわねぇ」
「......アーメン、加持さん」
般若のような形相になったミサトを見て、ネルフ本部に居るであろう加持に対して十字を描くタロー。背後に居る米国支部の職員数名も、なぜだかやっておいたほうが良い気がしてそれに習った。
「ま、それは置いといて。待ってるわよタロちゃん、実験頑張って」
「はは......はい。任せてください」
それだけ言うと今度こそ踵を返し、職員たちについていくタロー。
ミサトはその背中が見えなくなるまでリフトの中で彼の姿を焼き付けると、彼女の携帯が鳴った。
「もしもし?」
リフトの扉を閉め、ボタンを押して移動させながら電話にでるミサト。
その相手は遅れてやってきたリツコだった。
「着いたわよミサト。悪いわね、少し遅くなったわ」
「まだ実験開始までは時間があるし平気よ。タロちゃんも、さっき米国支部の職員に連れられていったとこ」
「そう。ところで、今どこにいるのよ」
「ん~? リフトの中」
ミシッ、とリツコの持つ電話が軋む音がした。
「貴女、変なことしてないでしょうね。直前になってパイロットの精神が乱れたりしたら無事に終わる実験も終わらないわよ」
「変なことなんてするわけ無いじゃない。いつも通りにしてたわよ」
「いつも通りって、アスカが居なかったら駄目じゃない......無理を言ってでも着いてきてもらうべきだったかしら」
「ちょっと! 少しは信用しなさいよ」
呆れた様子のリツコにムッとするミサト。しかし、片手に電話、片手にタローの着ていた服を持っていては弁解の余地は無かった。
「タローくんのことは良く知っているだろうし、ミサトが送り出したならこれ以上は言わないわ。まさかパイロットたちには知らせず極秘でやりたい、だなんて彼が言うとは思わなかったし」
「そうかしら、私としては割と妥当だと思ったわよ。あの子って結構自分で抱え込んじゃうタイプだし」
「......確かにそうだったわね。抱え込んで、全部自分で解決してしまうからこそ私たちは何も知らないまま。今日も、そうやって終わってしまうのかしら」
エヴァ3号機の起動実験。そこにタローが思っていること、抱えているもの、その全てがわからないことにリツコは声の調子を落とす。
先ほどまで会話をしていたミサトでさえ全てがわからないのに、直前で顔を合わせていないリツコがわからないのも仕方のない話だった。
「自分のことを多くは語らないのが彼なのよ。その癖して言われたほうが嬉しくなるような言葉はどストレートで伝えてくるけど」
「また何かあったわね、その言い草。とにかく、私たちは残り時間で不審点が無いかのチェックを確実に行うわよ」
「もちろん。ダボォーチェック、二人合わせてクァドラポォーチェック! ね」
「なによそれ」
癖が強すぎてネイティヴを通り越している発音のミサトに、リツコは困惑する。
そしてリフトが地上につくと、ミサトはリツコと合流して実験のオペレーター室に入り待機。
数十分して、実験開始時刻。オペレーター室では英語が飛び交う中、リツコが持参したノートパソコンから強引にタローとの通信をつなげた。
「タローくん」
「やっほー」
「ん? あれ、リツコさん? ミサトさんも」
急に聞こえてきた聞き馴染みのある声に、目を閉じて集中していたタローは驚いたような笑顔を見せる。
オペレーター室の映像は見えないが、エントリープラグの中の映像はノートパソコンで確認できるため。誰にも見られていないと油断していたタローの笑顔は二人にバッチリ見られていた。
「調子はどうかしら」
「変わりませんよ......いや、今リツコさんの声が聞けたから、良くなったかもしれません」
「あら、良かったわ。ミサトに襲われてないか心配だったから」
「ちょーいちょいちょい、リッちゃん? 私そんなことしないわよ?」
「しかねないじゃない」
リツコとミサト、二人の絡みにタローは声を上げて笑う。
はっはっは、とよく響くいつもの笑い声に二人は顔を見合わせ彼の調子がいつも通りだろうと頷きあった。
「タロちゃん、そっちにも米国支部職員の音声が行ってるだろうけど、もうすぐ第一次接続に入るわよ。いつも通り、動かなくっても気にしないでね」
「起動しないのは貴方の責任ではなく米国支部の責任よ。伸び伸びとリラックスして待っていればいいわ」
「はい! ありがとうございます!」
今回の実験、リツコはほぼ確実に起動しないだろうと見ていた。
壱型のコアを移植したわけでもない3号機。以前にネルフ本部で行われた相互互換実験、パーソナルパターンが酷似している零号機と初号機をそれぞれシンジとレイが起動できるのはともかく。僅かに類似している壱型と弐号機をそれぞれアスカとタローが起動できたのは奇跡に近い。
米国支部はそれを当てに3号機パイロットにタローを指名してきたが、事前の情報では3号機のパーソナルパターンは壱型とはかすりもしない。それどころか、ゲンドウが『3号機にこちらで手を加える必要はない』とリツコに伝えたため、タローへの最適化もされていない。
リツコにとっては今回の実験は、ただ米国支部の予算と人手、時間を使うだけの無意味なもの。第一次接続をクリアしても、第二次接続でシンクロ率が届かず動かないだろうと予想していた。
とはいえ、機密にしていた使徒のネルフ本部侵入。その経路が搬入部品への寄生であったため、彼女もまた機体チェックをするようにと再三米国支部に厳しく訴えていた。
「ここから先は私たちの通信が禁じられているわ。タローくん、またね」
「リツコがいじめる......」
「元気出ました、感謝です!」
「よかったわ。それじゃ」
ピッ、と通信を終えてリツコは米国支部の職員たちの動き、モニタリングされたデータとグラフをじっと見る。
いじけていたミサトも、それはタローをリラックスさせるためのお芝居。通信が終わればシャキッと背筋を伸ばし、腕を組んで見張っていた。
そしてタローは、第一次接続に入ったエヴァ3号機のエントリープラグの中で拳を鳴らす。
「いよーし、負けないぞ」
パキパキと指の間接を鳴らし、エントリープラグの先を見つめるタロー。エントリープラグが挿入され、第一次接続が開始されると順調に進み周りの風景が何度か切り替わり3号機が見る視界が共有される。
聞き慣れない米国支部職員の「Secondary connection」という単語が耳に入ると同時に、第二次接続が始める。そして、視界の先から赤黒い何かが現れた。
「ハッ」
それを見て、タローはニッと片方の口角を上げる。
視界の先にある赤黒い何かは、パシャパシャと薄氷を砕くような音と共に侵食していき、エントリープラグに映る視界全てを飲み込む。
周囲が真っ赤な液体、血液のようなものに飲み込まれたところでタローは立ち上がる。頭は天井スレスレ、その中で拳を掴みツンと前に伸ばした。
「それじゃあ今から」
目線の先では、真っ赤な視界の奥から青白い光が向かってくる。
その光を、運命を殴りつけるかのように。タローは自ら飛び込んだ。
「殴りに行こうか!」
物語の密度と1話ごとの文字数について
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