ボクは脇役A 作:アップルパイ
諦めようとするたびに再確認させられる恋心。
昨夜の説教が効いてるのか、未だに足を摩りながら楽は朝起きていた。朝食を作りながら、必死に小咲さんの誤解をどうやったら解けるかしか考えていなかった。
その影響もあってなのか、普段の楽なら珍しいことにだし巻き玉子は焦げていたし、お味噌汁はしょっぱかったりとなかなかのミスの連続。
合流した千棘さんでも、楽の様子が変なことに気付いているようだったが、彼女も彼女で昨日の出来事があってなのか僕に話題を振ることはあっても、楽とはいつものような喧嘩以外の会話はなかった。
やはり楽が何かやらかしたのではと思ったが、よくよく考えたら千棘さんが楽と喧嘩なしでの会話した姿を見たことがなかったため、これは僕の気の所為だと悟った。
二人の喧嘩はいつもの事、そのまま何事もなく今日も終わると思っていた中で僕の携帯が着信を表示する。
しかも相手は滅多に電話なんてかけて来ない相手で、何かあったのではと僕はすぐに電話を出た。
「もしもし」
「ごめんなさい、楓くん。明日って空いてるかしら」
「今のところ空いてますが何かあったんですか?」
「ちょっとね、今日と明日お願いしてた人が体調崩しちゃったみたいでね。今日はまだ平日だからどうにかなるけど、明日は休日で店が回らくなりそうなのよ」
「分かりました、明日朝から向かえばいいですか?」
「えぇ、お願い。本当にありがとう、お代もちゃんと出すから!頼んだわね!」
電話相手はまさかの先生である菜々子さん。
前々から先生を含め、職人さんの何人かと共にやっていた和菓子屋だけど年齢層が高めなのもあってか、ときどき先生は人手不足に悩んでいた。
ある日はギックリ腰、また別の日もギックリ腰と僕が教わりに行った何回かもそのような事があって、その度に菜々子さんが悲鳴をあげて僕の指導に熱が入っては、早く婿に来いというのはお決まりパターンとなっていた。
今日の最後の授業が終わり、明日の朝と夕食の担当は僕だったけど楽に変わってもらおうと考えながら鞄にノート類を入れていく。
全てを入れ終わり、忘れ物がないことを確認してから楽に話しかけようとした瞬間、何故か怖い顔をした楽に腕を掴まれる。
「え、なに?」
「…なぁ、水着って持ってるか」
「そろそろプールの授業始まるって聞いたから、もうロッカーに置いてるけど」
「よしっ!行くぞ!」
「はぁ…?って、説明ぐらいしてくれよ!」
「宮本から女子水泳部のプールに来いって呼ばれたんだよ!一人は死ぬ!だから楓も来い!」
「はぁ!?」
もうそんなの既に嫌な予感しかしないじゃないか。
今すぐにでも僕を巻き込もうとしてくる義兄の手を振り払おうとするものの、力強く握られていて逃げられずに僕はいつの間にか水着が入った袋と帰り支度が終わっていた鞄を持たされる。
そして、そのまま僕の訴える声など聞こえていないのか楽に引き摺られながらプールに連れていれる。
連れていかれた先は女子水泳部のプールで、僕は無理やり楽に水着に着替えさせられる。僕は半分諦めながらもラッシュガードを腕に通しながらプールに行けば、僕達の存在に気付いて嫌そうな顔をする千棘さんと既に準備万端のるりさん。
「…何でもや……ダーリンと楓がいるのよ」
「…楽、流石に説明ぐらいしてくないと困るんだけど。僕、今んとこただの巻き込まれ事故だよ」
「お、俺だって宮本に呼ばれただけなんだよ…!」
「一条兄くんには、また別で頼みたいことがあってね。まぁ、そちらはおいおい……。一条弟くんも悪いんだけど、もし予定が無いなら手伝ってくれる?」
「ここまで来たし、僕が手伝えることなら」
「る、るりちゃぁん!」
それにしても、いったい何を楽に手伝わせる気なのだろうか。
千棘さんは知らないけれど、るりさんが女子水泳部に所属していることは僕も知ってはいるが、うちの高校が強いという話はあまり聞いたことがなかった。
それどころか人手不足の影響もあり、他校との練習試合を組むことすら大変らしく、るりさんが顧問の先生とよく話をしてると小咲さんから聞いたことがあった。
もしかしたら、千棘さんが水着姿であるのは彼女の運動神経の良さを知ってるるりさんが助っ人として呼んだのかもと推測し、僕は転校してきて数日間で千棘さんの運動神経の良さを思い出しながら考える。
そう考えていれば、よく知る声であり、またこのプールという場所ではあまり聞くはずのない声が聞こえ、僕らは驚いて振り返れば水着姿の小咲さん。
楽が隣で悶絶しているが、僕はそれよりも彼女が水着姿でここにいることに驚いて唖然とする。
小咲さんは僕が知る限りカナヅチであったはずだ。
というのも、中学でプールの授業があった時に僕が何回か一身上の都合で見学を余儀なくされ、プールサイドにあるベンチに座ったり、先生の手伝いに駆り出された際に彼女が僕にだけ零したのだ。
泳ぐのが苦手でカナヅチであること、泳げたらいいなと思って頑張ってみたいけれど、水が少し怖くてなかなか踏み出せないこと。
それ以来、プールの授業の自由時間に行われるるりさんによる鬼の水泳訓練で僕が授業を見学していた時は手伝っていたから彼女がここにいることに驚いた。
「な、何で私が選手登録されてるの…!?私、カナヅチなのに…!私じゃ戦力になんか……あれ、楓くんと一条くん!?」
「…やっほ、小咲さん。僕たちも今来て話を聞いたばかりなんだけど大丈夫?」
「う、うん。桐崎さんが来るってしか聞いてなかったからびっくりしちゃった……」
顔を赤くしてる小咲さんに声をかければ、どうやら彼女もるりさんから僕達というより楽が来ることは聞いてなかったようだ。恐ろしいるりさん。
小咲さんに厳しいなぁと苦笑いをしながら、僕は未だに隣で悶絶してる義兄に呆れて脇腹を殴る。
「うっ!楓さん、突然殴るのはやめ……って、お前も殴んな!」
「何ジロジロ見てんのよ!変態!」
「何すんだよ!」
「うっさい!変態!楓を見習いなさいよね、鼻の下なんて伸ばしちゃって!」
「はぁ!?」
いつまでもみっともない顔で、ジロジロ女性の水着姿なんて見るなと意味を込めて殴ったのだが、どうやら僕と同じタイミングで千棘さんも楽の頭を殴っていたようで早々に喧嘩に発展する。
このプールだって室内とはいえ、外から見えない訳では無いというのに二人が喧嘩していて僕はクロードが見ていたらどうするんだと頭が痛くなってくる。
深い溜息を吐きながら、どうしようかと思っていれば近くにいた小咲さんが何処か浮かない顔をしていて僕は首を傾げる。
水が怖いと前に言っていたから親友であるるりさんの頼みで、ここに来ていたとしても気は乗らないだろうし、僕が知らないだけで水に対して何かしらのトラウマでも持ってるのかもしれない。
「小咲さん」
「ぁ、う、うん!なに?」
「大丈夫?」
「へ?」
「いや、浮かない顔をしてたからさ。ほら、前に泳ぐのが苦手だって言ってたでしょ?もしあれなら無理しなくてもいいと思う」
「う、ううん!大丈夫!」
「ならいいけど、怖かったら無理しなくていいから」
「…うん、ありがとう楓くん」
まだ何か彼女の中で引っかかってるのか、表情は硬いままだけどふにゃりと優しい微笑みを浮かべ、大丈夫だと言われてしまったら僕が出来ることは何も無い。
それでも彼女がこんな表情してるのは気になるもので、どうしようかと思っていればるりさんと目が合い、彼女は彼女で僕の隣から小咲さんの様子に視線を移した後深い溜息を吐く。
るりさんはきっと小咲さんのこの状況を把握してるんだろうなと、親友ってやっぱり大切だなーと考えながら持ってきていたペットボトルの蓋を開けて飲み物を飲んでいた時だった。
それはもうサラッと、まるで昨日の放課後何してた?ぐらいのトーンで爆弾を落下させてきた。
「ところで、二人は昨日あの蔵で何やってたの?」
「っ!?!?」
「あんな"暗がり"の"密室"で、"二人っきり"で"あんな体勢"で何を…?」
「る、るりちゃぁぁん!何聞いてるのー!」
えげつないストレートをぶち込んだるりさんに、当事者では無い僕ですら飲んでいたお茶を吹き出しそうになるものの、何とか堪えて僕の隣でアワアワと顔を赤くして親友を止めようとする小咲さんを見て察する。
さっきまで浮かない顔をしていたのは、昨日の出来事を小咲さんが気にしていて、るりさんもそれを知ってるから今聞いたのだろう。
変なところに入ったお茶に噎せつつ、僕はタオルを取りだして口元を押えながら慌ててる小咲さんに声をかける。
「ゲホッゲホッ…!こ、小咲さん落ち着いて」
「大丈夫!?楓くん!?」
「うん、僕は平気……。その多分昨日の事だけどさ、ウチの人たちのイタズラだと思うよ」
「イタズラ?」
「…まぁ、僕も説教しちゃったからあれなんだけど。楽、そうなんでしょ?」
「…ハイ、ウチのモンのイタズラで……。ただの事故というか、体勢崩しただけというか……いやでも楓の言う通り、俺の体幹の無さも原因っつーか……」
「うぅ……」
「…というわけなんだってさ、小咲さん」
「…事故なんだとさ」
僕は口元を押えていたタオルを取り、苦笑いを浮かべる僕といつものクールな表情に戻ったるりさんを交互に見ながら小咲さんはキョトンっとさせる。
僕もイタズラの可能性があると思いつつ、人に勘違いされるような状態でいれば疑われること間違いないからこそ説教したものの、片思い相手のあんな姿を見て小咲さんだって辛かっただろう。
僕は大丈夫だという意味を込めて頷いて笑えば、小咲さんは僕たちの考えに気付いたのか、小さくだけど頷いてから恥ずかしそうに笑った。
「そう言いつつ、本当はいかがわしいことしてたんじゃ…?」
「してねーよ!!」
「してないわよ!!」
「いやいや、るりさん。千棘さんは分からないけど、うちの義兄にそんな度胸ないから。1000円賭けてもいいよ、無理な方に」
「鼻で笑うなよ!しかも地味に賭け金高けぇな!?」
あるわけないと僕は肩を竦め、無理無理と首を横に振れば楽に訴えられるものの片思い相手の連絡先すら聞けず、ろくなアピールすらも出来ずに過ごしてる姿を誰よりも近くで見てる僕からしたら説得力なんて皆無だ。
無理だろと目線だけで訴えれば、僕の視線に言葉に詰まって頭を抱えてる姿に思うのだが本当にいい加減ヘタレを卒業して欲しい。
10年前の女の子を探して追いかけるのもいいけど、目の前の今の自分が好きな人を大切にしろと常々思う。
誰にもバレないように、僕はまた小さく溜息を吐き出せば突然肩に腕を回されて驚いて視線を向ければ、何やら楽しげに笑ってる集の姿。
「おーすっ!楽!楓!」
「しゅ、集?」
「桐崎さんと小野寺が女子水泳部の助っ人やるんだって〜!?見に来たぜー!」
「…楽、集も呼んだの?」
「よ、呼んでねぇぞ!?」
「おー!おっほほー!」
「……集、君、何してるんだい」
「なんだよ楓クン、君だって男だから分かるだろう?」
「…男かどうかは関係なく、今の君がろくでもないことを考えてる事はわかるよ」
「ちっちっち、何ともつまらない男ではないか。楓くん、だから君はダメなのだよ」
「…はぁ?」
半分暴走し始めてる幼馴染に呆れ、るりさんの逆鱗に触れる前に止めようと先回りするものの、集は僕の肩から腕を外す気は無いのか、何故か僕は無理やり女子たちの前まで連れていかれる。
こういう時の集は経験上、ろくでもないことを考えてるか、ろくでもないことをしでかす前触れのため、僕はるりさんの逆鱗に触れませんようにとだけ願う。
「これはこれは、何とも素晴らしいですなぁ〜。ん?」
「……。」
「…ふぅ」
千棘さん、小咲さんと順番に視線を向け、最後にるりさんを見た瞬間に僕と楽ですらわかる失礼な態度を取った集だけを狙った見事な蹴りにより、僕の腕から集の腕は離れ、そのままプールへぶち込まれる。
もがもがと今にも溺れそうになってる集に僕は自業自得だと呆れ、るりさんの怒りの矛先が自分に向かないようにそっと視線を幼馴染から逸らす。
こうなると分かっていながら何故やったんだ集。
「…早速だけど、一条兄くん。貴方にお願いしたい事と言うのはね、明日の練習試合までに小咲を泳げるようにして欲しいの」
「!?」
「一条弟くん、貴方も連れてこられたところ悪いのだけどこの人を監視してくれる?何なら今すぐにでも連れ出してもらってもいいから」
「…あぁ、うん。集のことは僕に任せてよ」
死んだ屍のようにプールに浮かんで死にかけてる集を回収し、僕はプールサイドの端に寝っ転がらせながらボーッとプールを眺める。
カナヅチである小咲さんの指導担当は呼ばれた楽と運動神経抜群であり、明日の練習試合の助っ人でもある千棘さんが担う事になった。
それにしても、るりさんもかなり強引に二人の距離を縮める作戦に出たなぁと他人事のように考えていれば、いつの間にか僕が寝っ転がらせていた集がいないことに気づいて慌てて探す。
「あー、これこれ。そこのマドモアゼル?室内とはいえ、水着と言えばサンオイル!わたくしめが塗って差し上げましょうか?」
「何やってんのさ集!!」
「邪魔しないでくれ、楓クン。これは男であるわたくしめの……!」
「舞子くん、邪魔するなら帰って貰える…?一条弟くんには別のことを頼むから問題ないけど…?大丈夫?桐崎さん」
「う、うん」
「も〜、るりちゃんはノリが悪いなぁ〜」
「…ごめん、るりさん。こっちで預かるよ」
「えぇ、お願い」
「一揉み10万でどうです?出世払いで」
「集、君は死にたいのか!?僕まで怒られるんだ!」
今さっき蹴られたばかりだと言うのに、幼馴染がとんでもないことを鼻血を出しながら千棘さんに言うものだから僕はすぐに捕まえて、また邪魔にならないようにプールサイドに急いで連行させる。
いつの間にか用意していたらしいロープをるりさんから預かり、縛れという視線に抵抗できるはずもなく、僕は今も尚また女子たちに飛び込みそうな集の身体を縛ってプールサイドに転がしておく。
そして遂に小咲さんへの指導が始まり、泳ぐことが得意だという千棘さんの見本を見てから始める流れになったようだけど、千棘さんの見本はカナヅチの小咲さんからしたらハイレベルな実技で参考にするのは難しかった。
「と、飛び込みかぁ……」
「すげー、桐崎さんまじで何でも出来るんだなぁ」
「…あはは、あれは小咲さんにはハイレベル過ぎるかな」
「楓ってさ」
「ん?」
「小野寺に優しいよな、お前がそこまで気にかけてる女子ってあんまいなくね?」
「…別に。親しくしてる子だからじゃん、僕は楽みたいなお人好しじゃないしね」
「ははっ、そらそーだ」
「…千棘さんのところ行ってこようかな」
「え?なんで?」
「だって、ほら、あそこ」
僕の言葉に集は身体を動かして、僕が見てる方向に視線を向ける。
そこには小咲さんの為にと張り切っていたのが嘘のように、落ち込んでしまって背中しか見えない千棘さんの姿。
彼女は意地悪をしたかったわけでもなく、本当にただ困っていた小咲さんの力になりたくて善意で見本を見せてくれたのに、あのまま放置というのは良くない。
ここでどうしようかと悩むのは、るりさんが楽と千棘さんが偽物の恋人だということを知らない人だからだ。
もし、ここにいる全員が二人の本当の関係性を知っていれば僕が落ち込んでる千棘さんの所へ行って励ましても何ら問題ない。
だが、第三者から見て恋人がいる女性に対し、恋人でもない別の男が彼氏を差し置いて彼女を慰めるのはいいことでは無いだろう。
「……集」
「ん?」
「…ここで僕が楽と交代したら邪魔になるかな」
「いんや?偽物とはいえ、自分の彼女があんな落ち込んでんのに放置して別の女の子といる彼氏の方が問題あるだろ」
「……だよなぁ」
「楽も分かってねーなー。あれじゃ、るりちゃんにバレるのも時間の問題だぜ?」
「…はぁ」
「お?俺を一人にしてもいいのかい、楓クン」
「君が自制を働いてくれればいい話だしね」
「俺はいつも自制してるぞ〜」
「…どの口が言ってるんだか」
ケラケラと笑ってる幼馴染に僕は呆れつつ、行ってくると言えばお気楽な返事が返ってくる。
でもロープは取る気がないので、僕が離れてそれに気付いたのか後ろで慌ててるが僕は聞こえていないフリをし続ける。
楽と変わると決めたのはいいものの、僕と小咲さんの関係性はただの友達だ。目の前で繰り広げられてるような楽と小咲さんのように手を繋いで教えるというのは、僕が同じようにやるのはあまり宜しくない気がする。
一人離れて練習してるるりさんには申し訳ないけど、彼女に来てもらって僕は補助、るりさんメインの指導に変えた方がいいかと思っていた時だった。
突然、僕の前で泳ぐ練習をしていたはずの小咲さんの手をあの馬鹿な義兄が離して溺れそうになってる小咲さんが視界に移り、僕はすぐにプールに飛び込む。
「小咲さん!僕の腕に掴まって!」
「けほっけほっ…!か、楓くん…!」
「馬鹿!何やってんだよ楽!」
「わ、わりぃ!小野寺大丈夫か!」
「大丈夫かじゃない!泳ぐの苦手な小咲さんの手を掴んでたんだろ、急に離すって何考えてんだ!」
「楓くん、私は大丈夫だよ…!少しびっくりしちゃって」
「…大丈夫ならいいけど少し休憩した方がいいよ。身体がびっくりしてるだろうから」
「…すまん、小野寺も悪い」
「う、ううん!私こそごめんね、少し休憩してこようかな」
プールサイドにゆっくり上がるのを見送り、僕が溜息を吐けば楽はビクッと身体を震わせて僕から視線を逸らす。
どうせ楽の事だ、小咲さんの水着姿に見惚れて咄嗟に手を離してしまったとかそういうことなのだろう。
けれど、苦手な小咲さんの指導を担当するのにそんな邪な気持ちは正直ただ危ないだけだ。
海水浴だとかで遊びに来てるならまだ分かるが、今の状況で何を考えてるんだと僕は呆れてしまう。
僕はもう一度溜息を吐いてから楽の名前を呼び、今も落ち込んで沈んでいる千棘さんの方に視線を向ける。
「…落ち込んでる彼女を放置すんな、彼氏でしょ」
「俺は彼氏じゃ!」
「…るりさんは知らないでしょ、二人の関係を。彼女が落ち込んでるのに別の女子とイチャイチャする彼氏とかどうなのさ」
「うぐ…!」
「それに、今の楽に小咲さんをちゃんと教えられるとは思えないんだけど」
「…めちゃくちゃ怒ってるじゃねえか」
「怒るだろ、もし小咲さんに何かあったらどうすんのさ。いいから、さっさと彼氏として千棘さんを慰めてこい愚兄」
「…おう、すまねぇ」
僕の言葉が分かってるのか、申し訳なさそうな顔をしてからプールから出て落ち込んでる千棘さんの方に向かう楽の姿に僕はまた溜息を吐く。
遠くから視線を感じて顔を上げれば、多分事の成り行きを見ていただろうるりさんと目が合う。
間違いなく、小咲さんと楽の距離を縮める作戦の邪魔をしてる自覚はあったから僕はごめんっとジェスチャーをすれば、彼女は溜息を吐いた後に首を横に振って何かを口パクで伝えてから視線を逸らされる。
待って、よろしくって何がよろしくなんだ。
僕が楽と同じように小咲さんを教えるのは色々不味いから、るりさんに手伝って欲しいと目で訴えるものの、るりさんは僕の視線に振り返ってもサムズアップだけして目線だけの会話が終わる。
「……え、嘘だろ…?」
「楓くん、どうしたの?」
「あ、いや」
「ふふ、変な楓くん。はい、これ、どうぞ」
「…コーヒー?」
「あれ、楓くんこのコーヒー好きじゃなかった?」
「好きだけど、わざわざ楽に聞いて買ってきてくれたんだ。ありがとう、後でお金返すよ」
「ううん、聞いてないよ」
「…え?」
突然るりさんに見捨てられて呆然としてれば、急に後ろから話しかけられて振り返った先には休憩していたはずの小咲さん。
その手に自動販売機に行っていたのか、お茶とコーヒーが握られていて僕に渡されたのはミルクの入ったコーヒー。
コーヒーは砂糖を入れない派の僕はいつもブラックか、カフェラテも無糖のものを選ぶし、特にこのシリーズのコーヒーが好きだったけどそれを知ってるのは楽と集ぐらいだ。
わざわざ聞いて買ってきてくれたのかと思って、貴重品からお金を取り出そうと思えば予想外の言葉が聞こえて僕は固まる。
「楓くん、コーヒーはブラックか無糖の物を飲むよね。特にこのシリーズの無糖カフェラテ!泳いだりするからお茶の方がいいかなって思ったんだけど、学校内だとプール近くの自販機しか無いからこれかなって」
「……。」
「楓くん?」
「…僕の好み、知ってくれてたんだ」
「ふふ、うん。一条くんや舞子くんには負けちゃうけど、私も楓くんとずっと一緒にいるから」
少し自慢げに笑って言うものだから僕は顔が熱くなってくることに気付き、小咲さんに違和感を感じられない程度に視線を逸らす。
まさか、こんな形で小咲さんが僕のことを知ってくれてたなんて知るとは思わなかったし、何より僕のことなんて全然見てないと思っていた。
それこそ、アニメや漫画とかで出てくるモブと同類だと思っていたし、楽が主人公で彼女がヒロインなら僕は好みすら知られてないぐらいの立場だと思っていた。
あぁ、ずるいな。叶わないと分かってるから諦めたいと思ってるのに、そんな時ほど彼女が嬉しい言葉を僕に向けてくれるから僕は一向にこの感情を捨てられそうにない。
「…ありがとう、お金あとで返すよ」
「ううん、気にしないで?これから泳ぐの教えてもらうんだもん、そのお礼だから」
「その事なんだけどさ、ごめん」
「うん?」
「…せっかく、楽と二人でやってたのに邪魔しちゃって」
「ふふ、どうして謝るの〜?」
「やっぱりいくら友達とはいえ、好きじゃない男に教えられるの嫌でしょ?るりさん呼んでくるよ」
「…楓くんがいいな」
「え?」
「私ね、楓くんが傍にいてくれると安心するんだ。だから、楓くんに教わるじゃダメかな…?」
「……。」
「一条くんも上手だったけど緊張しちゃって」
恥ずかしそうに笑う彼女を見て、僕は何とも言えない複雑な感情になる。
その安心するって言うのは、きっと異性としてでなく、友達として頼れるとかそういう事だと分かってる。だから僕と彼女が同じ気持ちなわけが無い。
でも、それでも好きな人から安心できると言われたら嬉しくなってしまうのも仕方がなくて、るりさんを呼びに行こうとしていたのを辞め、僕は近くに置いていたビート板を手に取って小咲さんに微笑む。
「楓くん?」
「…僕で良ければ教えるよ」
「ふふ、うん!お願いします!」
「どういたしまして、まずは水に慣れることから始めよう」
「はーい、楓先生」
「僕は厳しいよ」
「あ、そういえば楓くん」
「ん?」
「どうしてラッシュガード着てるの?肌が弱かったりする?」
「いや、これは────」
集英組の仕事などで出来た傷などが見えないように、ラッシュガードで隠しているだけだと言おうとした時だった。
落ち込んだ千棘さんを慰めに行ったはずの楽がしゃがみ、誰かのタオルから何か鍵のようなものを手に取っていた姿を見て、僕は何してるんだと声をかけようとした時だった。
「あれ…?一条くん、それ女子更衣室の鍵どうするの…?」
「何やってんだ馬鹿愚兄ー!!集だけでも勘弁して欲しいのに情けない!恥を知れ!!」
「違うんだー!!話を聞いてくれー!」
「何が違うんだ!現行犯だろ!」
小咲さんの言葉を聞き、僕は問答無用で鍵を持つ愚兄の手から鍵を奪って小咲さんに渡して僕は正座をさせた。
国境超えてました。
誤字報告等ありがとうございます。