ウマ娘の寿命が現実の馬と同じ世界線の恋愛事情 作:daidains
ここは寿命世界です。悩みましたが、これが私の出した結論です。
あとハーメルンで投稿を始めて半年くらい経ちましたが、今でも読んでくださっている方に向けてこっそり私のXアカウントをご紹介します。就活用アカウントとファン活動用アカウントを兼ねているという意味わからん運用をしていますが、それでも良ければフォローをお願いいたします。
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死はいつも他の誰かの死であって、自分の死であることはあり得ない。
自分が死んだら自分はもう存在していないのだから、死というものを感じることもない。
生きている自分と対比されるのは、いつだって自分自身の死ではなく、他人の――それも身近な人間の死だ。知らない人が死んだところで、生きている自分を確認することに繋がりはせず、自分の生の足場を確かめる術は、大切な人の死を踏みつけることでしかありえない。
僕は走っている。ウマ娘でもないのに。
痩せた土の上では、2年前に植えたはずの芝生が既に枯れてしまっていて、僕は時折それらを踏みつけながら足を取られそうになる。このあたりはまだ整備が不十分で、目に入ってくる人工物は、高さの揃っていないフェンスくらいだ。このフェンスの隙間を通っていった方が早いかな、いや、多少なりとも道が整備されているんだから、ここから回った方がむしろ早いかな、と迷いながら走り続ける。
日本のメジロ本家がどうにも最近経営難らしく、グループの現代表者であるメジロブライトの夫から連絡をもらったのが一週間ほど前のこと。僕は急遽メジロ本家の屋敷で開かれる会合に出席することになった。旧交を温める、というにはいささか重い雰囲気の会合で、自分の方も苦しいができる範囲で援助はする、という旨を伝え、僕は中国へと戻ってきた。
メジロアルダン――僕の愛する妻だ――が死んだという連絡が届いたのは、ちょうど帰国して空港から家に向かう車に乗っている最中だった。ポケットの携帯電話がいやにけたたましく鳴った。
出てみると電話口で家の使用人が涙声で何事かまくし立てていたから、最初僕は混乱して、何のことかさっぱりわからないまま聞き返してしまった。声の背後にはせわしなく人が動き回る物音が響いていて、それがまた僕の混乱を加速させた。
「旦那様、大至急お戻りください! アルダン様が、突然心停止してしまって……亡くなられました」
「な……え?」
使用人のその声で、僕はようやく事の次第を理解した。理解はしたけれども、感情は理解してくれなかった。
運転手に自宅へ急いでくれと伝えると、運転手は「アルダン様になにか……?」と心配そうな顔をした。アルダンは使用人たちにも慕われていたから、ただならぬ雰囲気の会話の中でアルダンの名前が出ていたのが気になったのだろう。詳しいことは後で話す、とにかくなるべく早くしてくれ、と繰り返してそれきり僕は口を噤み、ただじっと手の中の携帯を握りしめた。運転手はそれ以上何も言わず、アクセルを踏み込んだ。
比較的開発が進みつつある人里を通りすぎ、自宅のある平原へと入っていく。この平原の中、なだらかにうねる丘陵地帯の合間を縫うようにしてぽつりぽつりと家が建つ土地に、僕の家はある。アルダンは、まるでその丘陵に埋もれるようにして暮らしたいと願い、それで土地を切り開いたのだった。最初にこの土地を買い付けに来たとき、地元の人間は皆してしぶっていた。ここを開墾して牧場を開きたいのだと言う僕に、現地の作業員たちは一様に苦笑していたものだった。実際彼らは正しかったのだろう。土壌一つとってみても、芝を植えたそばから枯れてしまうほどの力の無さだ。この環境で牧場を営むことにどれだけの困難が伴うか想像に難くなかった。しかし、それでもアルダンがそう望んだ。
結婚を間近に控えた頃、二人で庭に寝っ転がりながら、アルダンが僕に言ったのを憶えている。
――この地を、私たちで切り拓いていきましょう。トウィンクルシリーズでも出来たのです。私たち二人でなら、きっと。
アルダンとは15年前に知り合った。結婚の話が出るまでは随分長くかかったけれど、それからはずっと二人同じ屋根の下だ。
やがて敷地を示す門を車体が越え、牧場の外れに出たあたりでのことだった。
突如車がパンクした。急いで降りて確認してみると、釘が刺さっていた。最近は敷地の整備のために業者がひっきりなしに出入りしていたから、そのうちのどこかが落としてしまったのかもしれない。
よりにもよってこんな時に、と歯嚙みする。新しい車を呼べないかダメで元々携帯を確認してみたが、案の定圏外だった。この平原は人里から離れていて電波がほとんど通っていない。一刻も早く帰りたいのに。アルダンを待たせてなどいられないのに。
立ち止まっている暇はない。そうだ、僕の右側にある柵を乗り越えて、牧草地を東の方に突っ切り、下り坂に出て、最近整備を進めている小川沿いの道を進んだ後、今度は小高い丘を登っていけばよい。そうすれば家が見えてくるはず。多少距離は伸びるが、ほんの数キロだ。何より今は時間こそが第一優先だった。
だから僕は走った。木柵を俊敏に跳び越え、牧草地の中に踏み入っていく。
僕らの思い出の大地だ。僕とアルダン、二人で相談しながら木柵を挿し、開墾し、少しずつ少しずつ牧場の体裁を成していった場所。僕は思い出を踏みしめながら、自然とアルダンのことを想った。
彼女と知り合ってから15年が経った。ヒトの人生の5分の1で、ウマ娘の人生の2分の1だ。最初は噓みたいな話だ、と思ったけれども、本当にいろんなことがあった。喧嘩もしたし、仲違いした期間は長かったし……でも、生涯でただ一人愛した女性だった。彼女より素晴らしい女性はこの地上に居なかっただろうし、これから出会うこともないだろうと思う。そんな彼女を幸せにできているのか、常々心苦しく思っていたし、結婚した後もその不安が完全に拭えたことはない。
僕は下り坂を転げ落ちそうになりながら走った。
最後にアルダンを見たのは、出発直前の朝のこと。なるべく早く帰る、と言ってベッドから出た僕を追いかけてきて、頬にキスをしてくれたのを憶えてる。その唇の感触を、僕はまだ今日のことのように思い出せる。ネクタイも締めてくれた。4年前の誕生日にプレゼントされたその水色のネクタイは、メジロアルダンという人間の色そのもので、僕の一番のお気に入りだった。そうして準備を終え、玄関を出て坂を下っていく間も、ずっとアルダンは見送ってくれた。彼女はいつも、僕の姿が見えなくなるまでそうしてくれている。
坂を下り終え、小川沿いを東へと走る。風は幾分冷たく、日暮れ前ということもあり肌寒い。しかし、僕の身体は熱かった。
この川も、僕ら二人で整備したものだ。このあたりは本来川が無い。川があれば新しい土砂や栄養分を運び込んでくれるのだが、その川が無いのだから、土地が痩せるのは当然の理だ。でもアルダンは諦めなかった。
――川も、私たちで作りましょう。
そう言って、彼女は自分の持ちうるツテやコネを使って国に掛け合い、この土地の川として使える水を引き込む許可を取り付けてしまった。
川べりには、雑草の群れの中に花がぽつりぽつりと咲いており、少し湿った香りが漂ってくる。アルダンが好きだった香りだ。時折この川辺で、僕らはピクニックをしてはのんびりと昼寝をしたり読書をしたりと、長い間そうして二人で過ごしたものだった。アルダンはお弁当を入れたバスケットを、僕は水筒や敷布の入ったリュックを持っていった。夏の暑い日は麦わら帽子を被って出掛けたけれど、あの時に被ったものは全部アルダンが編んだものだった。それを身に着けて川辺を歩く間中、僕らは互いをからかいながら、同時にくすぐったさを覚えてくすくすと笑い続けていた。麦わら帽のアルダンの前で、景色ごと抱くように僕が目一杯両手を拡げると、彼女の澄んだアメジストの虹彩が爛々と輝いて僕の顔を映していた。「もう、何ですか、それ」と彼女は微笑みながら僕の胸に頭を埋めた。押し出された彼女の身体はひどく軽くて、でもその軽さは彼女をさらに軽くしてしまいはせず、逆に密度を濃くした。僕の腕の中で静かに脈打つ彼女の身体の存在を、僕はかけがえのないもののように思った。川辺には他に誰も居なくて、だから僕はアルダンの唇を奪った。
僕は今走っている。僕を育ててくれたこの大地を、最愛の女性が待っている我が家に向かって遮二無二駆けている。彼女の死出の道が拓かれていく様が見える気がする。彼女が愛したこの丘陵地帯だ。僕には彼女がどういった景色を最期に目に焼き付けたかったのかがなんとなく分かるような気がした。
川べりを過ぎ、小高い丘の麓に辿り着いた。ここからは坂を上っていくことになるが、その道すがらも僕はアルダンとの思い出を反芻する。
ここに来る前、日本でもたくさんの時間を共に過ごした。
ある日には猫カフェでアルダンと一緒に猫と戯れた。手の中の小さな生命のやわらかさに触れ、アルダンを想う気持ちの中にさらに強い想いが上塗りされていった。
別の日には、道端で配っていた試供品の化粧水をあげようとおもったら、お返しに超有名店のケーキを渡されてしまい、プレゼントの釣り合わなさにとても焦った。なんだかんだで化粧水に喜んでくれていたので、今度は試供品でなく、ちゃんとした製品を贈ることを決意した。
また別の日には、夕焼けを共に眺め、オレンジ色の意味を再発見した。落日は、大切な一日が終わってしまうという事実を否応なしに突き付けてくる。それでも、その暴力的なまでのオレンジ色に、僕はアルダンと一緒ならば綺麗な時間を過ごせる確信を新たにした。
アルダンが退院した日には、一緒に海辺へと出向いて、レースへの思いや本心をぶつけ合った。ダービーで敗北し、傷つき、苦しみ、本当は諦めてしまいたかったであろうアルダン。それでも僕は、彼女を傷つけてしまうことを承知の上で、あえて本音をぶつけあった。そうだった、アルダンの涙につられて僕も大泣きしてしまい、そして最後には二人で大笑いしたんだった。僕らはあの日、もう一度出会った。
僕は息も絶え絶えに坂を駆け上っていく。丘の頂きには、家が見えた。僕はやはり、アルダンと一緒に過ごした時間を思い出していた。けれども、記憶はどれも断片的で、僕はアルダンとの日々を今一度なぞることはできなかった。あんなにずっと一緒だったはずなのに。彼女のことを世界で一番想って、生涯かけて幸せにすると誓ったはずなのに、僕は全部を覚えていない。有限な数のエピソードを記憶しているだけで、あんなに大切だったはずのたくさんの時間は、細切れに切り刻まれたまま海馬の片隅で埃を被ってしまっている。
アルダン、もうすぐだ。玄関の扉はすぐそこだ。僕は走る。小高い丘の頂、ついに家の前に辿り着いた。その扉を乱暴に開けて、僕は玄関に倒れ込みそうになりながら中に呼びかける。
「僕だ!今帰った!」
同時に使用人たちが奥からどたばたと駆けて来て、僕を取り囲んだ。「そのお姿はどうなさったのですか!?」と驚く使用人たちに、僕は「色々あって走ってきた」とだけ答え、すぐさまアルダンの下へと案内させた。彼女の傍らにはずっとお世話になってきた主治医が佇んでいた。主治医は、僕に向かって静かに一礼した。
アルダンはベッドの中に居た。アルダンは眠っている。その顔には全く血の気がなかった。しかしそれ以上に、ただ寝ているときと何が違うかと言えば、それは胸が上下しないというその一点だった。僕は膝から崩れ落ち、アルダンの亡骸の前で、僕は呆然と立ち尽くしているしかなかった。主治医が、僕の肩を支えてなんとか椅子に座らせてくれた。
僕はアルダンの顔を眺めた。彼女は、美しいひとだった。その顔の造形は勿論のこと、彼女の内から輝くような生の輝きが彼女にはあった。キキョウのような清らかさを持つ彼女だが、僕はたまに嗅ぐことができたその清純さの奥に潜む、陽炎のように揺らめく熱をこそ愛した。
もう、会えないのか。あの大輪の花が咲いたような笑顔は見ることはできないのか。彼女との日々を思い返すと胸がいっぱいになるけれど、でもそれはアルダンが隣に居なければ何の意味も成さない。
僕はもはや自分の命には未練を持てない。アルダンの居ない世界に、僕が存在する意味なんてありはしない。僕はその傍らに突っ伏して泣いた。声を上げて泣いた。だがこの僕の悲痛の叫びですら、もう永久に彼女に届くことはないのだ――
そんな中、ものすごい音を立てながら、扉の外から誰かがこちらに向かってくるのが分かった。そして突然、けたたましい音を立てて扉が開け放たれ、僕は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をあげる。
「おばあさま!」
そう叫んで入ってきたのは、僕らの孫だった。彼女は先ほどまでの僕と同様、息を切れ切れにしながら、体から湯気を立ち上らせていた。服は乱れているうえに汗でびしょびしょで、その額には前髪が張り付いている。
「お嬢様も走ってこられたのですか!?」
使用人が問うと、彼女はぜえぜえ言いながら頷いた。
「車でぐねぐね曲がりくねった道を通るくらいなら、自分で一直線に走ってきたほうが早いですわ。私だってウマ娘ですもの」
彼女は、息を整え、それから改めてアルダンの亡骸を見つめる。そして、その瞳にみるみる涙が溜まっていくのが分かった。
だが彼女は大粒の涙をその両目から零すことはなかった。その代わりに、僕の方に向き直り、ポケットからあるものを取り出して手渡してきた。
「これは?」
「おばあさまが愛用していた色付きリップクリームです。おばあさまみたいにおしゃれをしてみたくて、無理を言ってお借りしていたのですけれど……ここに来る直前、これが必要な気がして、これだけは持ってきてしまいましたの」
彼女はそう言って、その色付きリップクリームを僕に握らせた。僕はそれを開けた。ポケットに入れっぱなしだったせいでここまで走ってきた彼女の熱が伝わったのか、中身は生あたたかくどろどろに溶けていて、甘い香りがした。僕は蓋を開け小指を突っ込み、中のリップクリームを少量取った。そしてアルダンの唇にそっと塗った。
今思っても、あの子は正しかった。とっさに彼女がひっつかんできたものは、まさにこの時必要なものだった。アルダンの唇が、淡い桃色に色づいく。それはまるで、アルダンが息を吹き返したかのようだった。口元や頬のしわが消えて、顔がかつてのアルダンのように見えた時、僕は間に合ったのだと思った。
彼女は、僕らの子孫は、間に合わせてくれたのだ。メロスのように。
包帯みたいに真っ白い顔。元から色白だったアルダンだけれど、今はただ無機質で冷たい。でも、そのアルダンの身体に、僕は再び命が宿るのを見た。アルダンの顔には、ちょうど今日の春の日のようなあたたかな色が一点だけ灯っていた。
ずっとアルダンと二人で立ち向かってきたから知っている。現実は無情だ。
アルダンはもう二度と目を開けないし、声を発することもない。僕はその事実を受け入れなければならなかった。彼女との日々の記憶は、すでに多くが断片化してしまっている。それでも、今こうして彼女に触れることで、その断片の一つが蘇った気がした。
アルダンとの思い出の全てを辿り直すことはできなくても、確かなものはきっとある。彼女が僕に与えてくれたものは、この唇に残る淡い色付きリップクリームのように、確かに僕の心に色付いている。
そして、そのリップクリームを持ってきたこの子に、僕は泣きながらそっと微笑んだ。お礼を言おうと思ったけれど、嗚咽が漏れるばかりでうまく言葉にならず、ただただ僕はこの子の頭を撫で続けた。
「おばあさまは、本当に幸せ者ですわね。こんなにたくさんの人に想われて」
彼女もまた、アルダンの一部を引き継いでいる。
やがて、彼女が静かに僕の肩に手を置いてくれた。その手の温かさに、僕は少しだけ未来を信じられる気がした。