ブラックマーケットは言わずと知れた危険地帯である。チンピラ、マフィア、ギャング、前科者、指名手配犯などの屯する場であり、スラムもある。治安は最悪で、犯罪の頻度も全キヴォトスでダントツに高い。私のように戦う力を持たない市民はそうそう近寄らない所だ。
だが同時に、ブラックマーケットは掘り出し物が見つかる金の鉱山でもある。中古でもいいから、とネットを探って最安値の取り扱いがあったお店で、私は遂にお宝を手に入れた。超合金合体ロボのプレミアムエディションを紙袋にぶら下げて、私は路地裏でホクホク顔だ。予想していたより財布のダメージも少ない。後はこのまま襲撃を受けずに自宅まで帰れれば、明日の仕事が四倍になったとしても笑顔でそれを受け入れられる。
「……おっと」
ライフルを抱えた三人組とすれ違いそうになって、私は角を曲がった。猫背になり、下を向き、伊達眼鏡をかけて、存在感を消そうと努める。存在感を誇示しようとすれば、私はたちまち悪党のターゲットにされてしまう。何しろ、シャーレのwebサイトを見れば私は顔も名前も出ているし、クロノススクールに何度も取材を受けている。銃撃から守ってもらえるようシッテムの箱を懐に携えてはいるものの、誰かに狙われたら自力では撃退できない。
できるだけ、灯りのある所を、車の通る所を。それでいて、最寄りの駅への近道を。そうして路地裏から脱出を図っていると、大通りに出た瞬間、人とぶつかりそうになった。
「すみません――って、あれ?」
「……先生」
ツバを下げた紺のキャップに、鼻から下を覆い隠すマスク。人相を見せないようにしていても、三白眼の鋭い目つきで、私にはすぐピンと来た。錠前サオリだ。宵闇に目立つ白のコートではなくデニムジャケットを着ているせいか、町の人波にも馴染んでいる。
「やあサオリ。こんな所で会うなんて」
「それはこちらのセリフだ。先生がブラックマーケットを一人で出歩くとは、何を考えている」
おそらく、キヴォトスで最も私の肉体の弱さを知っているからだろう。一も二もなく、私は壁際に寄せられ、サオリに庇われる形になった。
「バイトの帰り?」
「そうだが。先生は何の用が」
「あぁ、ちょっとした買い物かな……」
紙袋から見える箱に、サオリが視線を落とした。
「子ども向けの玩具か」
「ま、まぁ、こういうのは趣味だから、なんていうか、うん」
「……?」
取り繕う私を見て、サオリは首を傾げる。
「何か後ろめたいことでもあるのか?」
「いや、無いけど……こういうオモチャには、みんなあまりいい顔をしないからね」
シャーレの当番に来て苦い顔をした生徒達の顔が、次々と頭に浮かぶ。なんなら、順番に名前を出すことだってできるぐらいだ。しかしサオリは、気まずさを打ち明ける私を見ても、なおキョトンとしていた。
「個人の嗜好ならば、好きにすればいい。他人の趣味に口出しする方が無粋というものだろう」
「あはは……それもそうだね」
思わぬ所から正論が飛んできた。どうやら味方をしてくれるらしいサオリに安堵しつつも、私はつい苦笑してしまった。
「先生は、帰る所か?」
「うん、そうだけど。サオリもでしょ?」
「腹ごしらえをしに行こうと思っていた所だ。もうすぐ店が閉まってしまう」
「……へぇ」
興味があった。彼女の口ぶりからするに、外食をしているようだ。履歴書に書くための住所も実態はカラの家屋だし、定住先が見つかっていない現状であれば、それも致し方ないことなのかもしれない。キヴォトス全土の危機に瀕してからのゴタゴタで、スクワッドへの追跡は有耶無耶になっているような気もするけれど。
「ご一緒してもいい? D.U.に帰る頃には、夜遅くなっちゃうから」
「構わんが、いいのか? 値段の安さで選んでいるだけの店なのだが……」
「似たようなものだよ。よかったら、連れていってほしいな」
「だが――あぁ、分かった」
サオリはなお遠慮しようとしたが、腕時計を見直すと、それを翻した。現在時刻は午後八時半。どうやら、閉店時間まで本当に間もなくのようだ。自分より決して前に出ないように、と釘を刺しながらも、サオリは同行を許してくれた。
* * * * *
警護されながら歩くこと数分、裏通りに戻ってすぐの所に、その店はあった。蕎麦屋を示す暖簾が夜風になびいている。引き戸の外の立て看板に貼られたメニューは所々破けており、表通りにあったテナントビルの飲食店と比べても古めかしい外観だった。再開発や土地の買収でもあれば、砂のように消えてしまいそうに儚い。
「まだやっているだろうか」
「おや、いらっしゃい。今日は遅かったなァ」
「仕事が長引いたんだ」
よほど頻繁に来ているのだろう。ロボット頭のおじさん店主ともサオリは顔なじみのようだ。券売機で注文を出すタイプのようで、「麵の量はカウンターでお申し付けください」と黄ばんだ張り紙がされている。受け取り口のカウンターには、薬味のネギがどっさり盛られたザルが置かれていた。
「麺を無料で増やしてもらえるんだ。ネギも好きなだけ自分で盛れる」
「なるほど、コスパがいいんだね」
「ああ。腹を満たすにはうってつけだ」
たぬきそば、きつねそば、月見そば、カレー南蛮にカツ丼……そういった数々のメニューには目もくれず、サオリはノータイムでかけそばのボタンを押していた。天丼セットの食券を買って交換してあげたくなったけれど、彼女の日常にお邪魔させてもらっている以上、そうはしなかった。私もかけそばの赤い食券を持って、カウンターに向かう。
「お嬢ちゃん、特盛でいいかい?」
「ああ、頼む」
「そっちのお兄さんは?」
「普通盛りでお願いします」
「……それで足りるのか、先生?」
「うん、きっとお腹いっぱいになるよ」
サオリの目が微かに戸惑っていて、私は口元が緩んだ。アリウスにいた頃は満足に腹を満たすこともできない日々が続いていたそうだが、いい意味で世俗に慣れつつある証拠なのだと思われた。
閉店直前の店には私達以外誰もいない。そのせいか、ほんの数分も経たない内に二人とも受取口へ呼ばれた。サオリの丼は縁から山の頂上が見えるほどに蕎麦が盛られており、そこへネギがこれでもかとドカドカ盛られていく。ツユが溢れてしまいそうな丼が転倒しないよう、サオリは慎重に盆を運んでいた。横並びに私達は腰を下ろした。
「いただきます」と声を揃えて、箸を割る。左隣のスツールに腰掛けるサオリの手元をちらりと見てみると、いつの間にか箸の持ち方が矯正されている。長い黒髪をヘアゴムで纏めている所も、彼女の職探しに同行していた頃では見られない仕草だった。
「……どうした、先生」
「ちゃんとメイクしてるんだな、って」
「!」
サオリの箸から麺が滑り落ちた。
「き、今日はホールに出る日だったから、チーフからも言われてそうしているだけだ。いいだろう、それぐらいっ」
「別に咎めてるわけじゃないよ」
ずぞぞ、ずぞっ、と大きな音を立てて、サオリが口に蕎麦を詰め込んでいく。憎悪を植え付けられて荒んだ環境で育ってきた彼女にも、年頃の女の子らしい美意識の萌芽がある。アリウスを出て少しずつ外の世界に染まっていくサオリを見ていると、温かい気持ちになった。持ち上げるには少々熱い丼に入った蕎麦も、体を温めてくれるのにいい塩梅だ。
「そうだ、サオリ」
「ん゛」
「以前お仕事で着ていたドレスって、今も持っているの?」
「ほれなんらが」
「飲み込んでからでいいよ。口の中に物を入れたまま喋るのは、お行儀がよくないから」
「ん」
しゃくしゃくネギを咀嚼する音がした。頬が膨らむほどに詰め込んでいたものを嚥下して、サオリはグラスの水を呷った。
「持っているが、処分すべきかどうか迷っている」
「処分? どうして?」
「あれは支給されたものだが、先生も知っての通りだ。修繕に出せば足がつく可能性があるし、ギャング連合の残党につけ狙われるかもしれない。それに……」
これを見てほしい、と言って、サオリはひび割れたスマートフォンのモニターを見せてきた。
「……試着したときに撮ってもらったものだ」
白い花弁に包まれたかのようなドレス。線の細いながらも鍛えられて引き締まった体のラインが剥き出しの、美と艶の同居した姿。ざっくり開かれた肩と背中から漂う色気に一瞬動揺してしまったのが、記憶に新しい。あの時のように私の唇は誉め言葉を紡ごうとしたけれど、物憂げな眼差しと目が合って、喉まで出かかっていたものを胃の底へ押し込めた。
「これって……」
「この姿を見ると、私は
「――あぁ」
裾の大きく広がったマーメイド型の白いドレス。こちらを振り向くポーズで撮影された写真はまさに、私とサオリと、一部の人間しか知らないあの大人を想起させるものだった。サオリを、アリウススクワッドを――未来ある若者たちの一度しか無い人生を確実に歪めたであろう、あの
「私の好みで選んだ。気に入っていた。だが、これに気づいてしまってから、自分の選択を呪いたくなる」
大人のドレス姿を無意識下に刷り込まれていたのは、無理もないことだろう。おそらく彼女が知っていた大人はあの人物だけであり、生き延びていくためにどれだけ嫌でも矢面に立って言葉を交わし、頭を地面に擦りつけて慈悲を乞わなければならなかったのだから。
だけどこれは、誰かの命令でもなく、唆されたのでもなく、サオリ自身の自由意思で
私は箸を置いた。足枷を外してやらなければ。
「いいかいサオリ。これは自分で決めて選んだものだよね?」
「ああ、そうだ」
「だったら自分の選択を信じてほしい。これからきっと、もっともっと、これは
「そうだろうか」
「そうだとも」
「……そうか」
納得したように口では言っているけれど、サオリの箸は止まったままだ。もう一押し必要だろうか。
「スクワッドのみんなには見せたの?」
「い、いや、見せていない」
「見てもらいたいって、ほんの僅かでも思った?」
「…………」
葛藤の末、サオリは小さく頷いた。
「よし、じゃあモモトークで送ろう。今すぐ」
「えっ、今!? 送るにしたって、何と言えば」
「じゃあ、ちょっとスマホを貸して。文面を作るから」
「……分かった」
「大丈夫。変なことはしないから」
トークの履歴が多少見えてしまうことは了承しつつ、サオリは端末を委ねてくれた。画像の添付をセットする所まではやってもらって、文面を打ち込んでいく。
【見て!】
【ドレス】
【凄いでしょ!】
「な……あっ!?」
到底サオリでは打ち込みそうにない語調で、矢継ぎ早にグループ通話へメッセージを送った。即座に既読がついたと思いきや、ヒヨリがスタンプをいくつも送りつけてきた。アツコのメッセージが入力中になった瞬間、端末に着信が入った。発信してきたのはミサキだ。
「ど、どうした?」
『姉さん、どうしたの!? 狂った!?』
「いや、狂ってはいないが……」
『じゃあ、誰かに端末を操作された!? どこかに捕まってるとか……!』
「…………っ」
サオリにしては珍しく、狼狽した目線が送られてきた。手を差し出した意図が伝わり、端末が差し出される。
「もしもし。びっくりした?」
『――先生!?』
「今、サオリと一緒にいるんだ」
『……はぁ、何してんの。イタズラにしては悪質でしょ。人のスマホを勝手に弄って』
「一応、許可はもらったよ。それより、どうだった?」
怒気を孕んだ声を刺してきたミサキが、一瞬押し黙った。
「正直に、思ったままの感想を送ってあげて」
『……私みたいなのにそれを期待するの?』
「うん。率直に、ミサキなりのをお願いね」
『意味分かんないけど、まぁ、うん』
尻すぼみな返事を最後に、通話が終わった。端末をサオリに戻すと、私が促すまでもなく、各々からのメッセージが届いていたようだった。サオリは食い入るように端末を見つめ、伸びかけの蕎麦を口の中に詰め込むと、またモニターに視線を落とす。何度かそうしてから、スッと端末をこちらへ押しやってきた。
「見てもいいの?」
頷くサオリが、そうするように促してきた。
【うわぁん!私の貧しい頭じゃこの尊みを表現できません!スタ爆で許してください!】
【とってもお姫様だね、サッちゃん。可愛くて、カッコいい】
【綺麗なの似合うね、やっぱり】
「ほら」
「…………」
「みんな、
「そうか――そうだな」
いつの間にか、サオリは丼の中身を食べ切っていた。決壊寸前まで盛られていた蕎麦とネギは、スリムな体のどこに行ったのやら、不思議なぐらいだった。
* * * * *
「ドレス、どうするか決まった?」
「ああ。明日修繕とクリーニングに出してくる。多少の出費になるだろうが」
「出そうか?」
「いや、いい。
「うん。そう言うと思ってた」
サオリはまだ温かいツユを少しずつ飲みながら、私が食べ終えるのを待っていてくれた。二人で店を出る頃にはもう外の看板ももう中にしまわれており、私達の後ろで入口のロックがかかった。温かい蕎麦を食べて体がポカポカしていたが、それでも日が暮れきった時間では外の肌寒さが厳しい。マフラーをしっかり巻き直していると、サオリが何か言いたそうに距離を詰めてきた。
「また先生に恩ができた」
「ん、何が?」
「心の
「そんな大袈裟に考えることはないよ。ただ……」
「ただ?」
「自分で選んだドレスだから、大事にしようね」
「……ああ」
マスクを付け直す直前、サオリは涼し気な微笑を見せてくれた。
終わり
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