「ごめん、ね……」
「ホタルっ!」
伸ばした手。抱きしめられない彼女。
眼の前で泡となって消えた彼女は、最後にそう言い残した。
ピノコニーでの一件以来、まだ片手で数えるほどしか見ていない夢。そのはずなのに、もう何度も見たような気のする夢だ。
「――た。ねえ――――きてるでしょ?」
聞き馴染んだ声が無意識の世界に割り込んで、現実へと引き上げる。
目を覚ますと、俺は列車の中にいた。仮で与えられた客室だが、もう何度も寝泊まりをしているから、ここは俺の部屋だと言っても差し支えないだろう。
「ねえ、ほら。早く行かないとパムに怒られるよー?」
扉を叩く音と共に聞こえてくる元気な声は、なのかの声だ。
時計を見ると、いつも起きる時間から随分と離れている。星穹列車の車掌であるパムの決めたルールで朝食は乗員全員で食べることになっている。もっとも、同じ開拓者である丹恒は寝ていることも多いし、俺やなのかは出かけていることも多い。本当に全員が揃って食事をする機会は滅多にない。
「待ってくれ、すぐに支度する」
そう声をかけてから、慌てて身支度を整える。とは言っても、服を着替えるだけだから三分もかからない。
「ごめんなの、寝坊してた」
「おっそーい! 早く行かないと……って、あんた」
ぷく、とフグのように膨らんだなのかは俺の顔をみるなり、たちまちしぼんで真剣な顔になった。
「どうした? 俺の顔になにかついてるのか?」
顔ぐらいは洗うべきだったか、なんて考えていると。
「あんた、泣いてたの……?」
「えっ?」
ぴと、と頬に触れる。しっとりと湿った感触と、涙の粒が指先を濡らした。
「ピノコニーを離れてから、ずっと落ち込んでるみたいだったし……。やっぱり夢境のせいで身体がおかしくなっちゃったとか? どうしよう、姫子かヨウおじちゃんに相談する?」
涙の理由はすぐに分かった。
「……いや。大丈夫だ、原因は分かってる」
「そう? 具合が悪かったら言ってね。あんたが調子悪いと、うちまで調子狂っちゃうんだから」
袖で目元を拭ってから、食卓まで向かう。
その日は丹恒も食卓に着いていた。
なにも変わらない、いつもの朝のルーティン。それなのに、ピノコニーで起きた事件以来、胸にぽっかりと穴が開いたような感覚がずっと残って消えない。ヴェルトと姫子に一度身体検査をしてもらったけれど、胸に埋められた星核に異常は見られなかった。
それもそのはずだ。俺の胸に開いた穴は彼女の――。
「君に手紙が届いている」
食事を終えた後、ヴェルトが一通の手紙を渡してくれた。
真っ白な差出人不明の封筒。中には一枚の写真と手紙が入っていて、手紙には『待ってる』と女性の文字で書かれていた。そして、写真に映っているのは二人の男女。片方は俺で、もう片方は。
「ホタル……?」
二人で撮った、大切な思い出の記録だった。
「ラウンジの角にある机に置かれていた。中を確認させて貰ったが、姫子たちには見せていない」
「…………」
「……ピノコニーに行くんだな?」
「罠だと思わないのか?」
「もし君を誘う罠だとしても、君は行くだろう? それに、ファミリーは君の身を必ず守ると保証してくれる。向こうには『忘れ物を取りに行った』と連絡しておこう」
「ありがとう、ヴェルト」
封筒をポケットにしまい、皆には内緒でピノコニーへと向かった。
†
ピノコニーのロビーは前に来た時よりも多少は静かだが、それでも相変わらずの盛況っぷりだ。
「あ、ナナシビトさん!」
小さな身体を大きく見せようと手を上げながら走ってきたのは、ピノコニーのドアボーイ、ミーシャだった。
「お待ちしておりました。本日は『忘れ物』があるとのことで。本来は我々スタッフが取りに行くのですが……。ナナシビトさんには恩がありますから、特別ですよ」
「すまない、迷惑をかける」
「いえ。それにドリームボーダーは奇妙な場所ですから。我々スタッフやドリームサポーターでさえ迷ってしまうこともありますし、ナナシビトさんが直接向かわれる方が早いでしょう」
「忘れ物がなにか聞かないのか?」
「お客様のプライバシーですから」
そんな話をエレベーターに乗りながらしていると、エレベーターはVIPラウンジの階に到着した。
「夢境に入れるなら、わざわざVIPルームじゃなくてもいいんだが……」
「空いている部屋がひとつしかなくて、申し訳ございません。ご不便をおかけします」
ミーシャは丁寧にお辞儀をする。さすが、超一流ホテルのドアボーイ。本来なら謝罪するべきところではないだろうに。
着いた部屋は以前訪れた時に来た部屋と同じだった。今回は部屋の中に誰もいないが、代わりに扉には『清掃中』の札が掛けられていた。部屋の中は清掃中であるにも関わらず綺麗に片付いている。
「それじゃあ、ボクはここで待っていますから。終わったら、また旅の話を聞かせてくださいね、ナナシビトさん」
扉の前で再びお辞儀をして、ミーシャは小さく手を振る。
ぱたり、と扉が閉じて部屋の中でひとりになる。部屋にはソファーと机、そして一番目立つ中央には真珠貝を模した大きなバスタブ――ドリームプールがある。一度使っているから、使い方はもう分かっている。
俺は服を着たまま、ドリームプールの中へと入る。じわりと温かい不思議な泡が身体を包み込む。ぽこぽこと鳴る泡の音。リラックスできる音楽に身を委ねていると、いつしか身体の力は抜け落ち、瞼も閉じて――。
†
目を覚ますと、夢境の中。黄金の刻に着いていた。
夢境のホテル・レバリーのエントランス前広場。後ろにあるレバリーは相変わらず改装中で、正面の遠くには彼女が憧れた劇場が見える。ビルに取り付けられた様々な広告と色とりどりのネオン。彼女の秘密基地があるドリームボーダーへの道はもちろん、彼女と通った道程も不思議と覚えていた。
「……行こう」
誰に言うわけでもなく呟いた言葉は、大型モニターで流れているクロックボーイのアニメの音にかき消された。
バブルピンボールマシンを使ってカフェまで向かい、マンホールを潜って、ドリームレンズを使って進んでいく。
全部、彼女に教えて貰ったことだ。彼女と共に歩んだ道程を、足跡を辿る。界域アンカーを使う気にはならなかった。道中にいた何体かのナイトメア劇団が道を阻んだが、バットでぶん殴って押し通った。もはや障害にすらならない。
息を切らしながら階段を登る。
彼女の『秘密基地』にたどり着く。
手すりの近くに一人、後ろ姿が見えた。
「ホタル!」
見間違える筈がない。
俺が来たことに気づいて振り返った彼女は、一瞬驚いたような顔をして優しく笑った。
「来てくれたんだね」
「……待っていたのか?」
「ううん」
見つけたら今度こそ抱きしめようと思っていた。けれど、身体が動かない。もっと話したいことはいっぱいあったはずだ。彼女に再び逢えたらなにを話すか、道中いくらでも考えたはずだ。なのに、なんと声を掛けるべきか思い浮かばなかった。
お互いに口を開かず見つめ合ったまま、時が止まったかのように――けれど屋上に吹く風は優しく髪を揺らして、確かに時間は過ぎていく。
なにか、なにか話さないと。
焦燥感が心音を鳴らす。
「「……あの」」
二人の声が重なった。
「あっ」
「ご、ごめん……」
慌てて謝るとホタルは「ぷっ、ふふ」と楽しそうに笑う。
あの時、ふたりで一緒に黄金の刻を回った時に見た笑顔。そんな笑顔を見せられたら、俺の口元まで緩んでしまうじゃないか。
「ねえ、ここでの事覚えてる?」
「忘れるわけがない」
「よかった。君はナナシビトだから、いろんな冒険の中で忘れてしまうんじゃないかって心配だったんだ」
「そんなことはない。絶対に、ホタルのことを忘れたりなんかしない」
「……そっか」
…………また、沈黙が流れる。
心臓の音は高鳴ったまま、鳴り止まない。
このまま時間ばかりが過ぎてしまえば、次はもう会えないかもしれない。なにせ、死んだはずの彼女ともう一度話せていることが奇跡なのだから。
だから、伝えないと。
「なあホタル、一緒に星穹列車に乗らないか?」
「えっ?」
驚いた彼女を前に、一度話し始めてしまったら止められない。胸の内に留めていたことが次々にあふれ出してくる。
「ホタルはなのかと気が合うはずだ。丹恒も頼りになる仲間だし、姫子やヴェルトだって必ずホタルを歓迎してくれる。もちろん、車掌のパムもだ。それで、みんなでいろんな星を旅するんだ。夢の世界よりも、もっと楽しい冒険になる。ホタルの身体のことだって、ヤリーロⅥにも仙舟にも腕利きの医者がいる。きっと、なんとかしてくれるはずだ。だから――」
「私が、ナナシビトに……?」
「そうだ。それで、もっと俺と一緒に……」
「…………」
気づけば視界がぼやけて、大粒の涙を流していた。おかしい、星核の異常か? だって、俺はもう一度彼女と、ホタルと逢えたら、それだけで幸せで。嬉しいから泣くことなんてないはずなのに。
「一緒に、行こう――」
「……それは、できないよ」
「なんで、そんな事を言うんだ……」
「君には分かるよね」
「っ――」
彼女が死んだことなんて、分かっている。もう何回も理解した。咀嚼して、飲み込んだことだ。第一、もし仮に彼女がまだ生きていたとしても、叶うことのない夢だということも、全部分かっている。
「でも、でもっ……!」
それでも、彼女と一緒に行く未来が欲しくって。俺は――。
「君を呼んだのは、ね。忘れものがあったからなんだ」
「……忘れ、物?」
彼女は俺を抱きしめて、唇にキスをする。
流れていた涙がぴたりと止まり、微かに頬が紅潮するのが分かる。
「『ありがとう』……言えて、なかったから」
その言葉を聞いた途端、なにかが終わるような気がして。
「ホタル、待ってくれ。いかないでくれ」
抱き返した彼女の体温を感じられない。鼓動も、脈も感じない。
まるで温かい空気に抱きしめているような、不可思議な感覚だった。それでも、微かにでも感じるぬくもりを手放さないように、強く、強く抱きしめる。
「ううん、ダメだよ。君はナナシビトだから、旅を続けないと。君の終着点はピノコニーじゃないでしょ」
「そんな、ことはっ……!」
溢れる涙を堪えようとするけれど、涙の止め方なんて知らない。
「……君と初めて会ったとき、危うく捕まるところだった私を君は助けてくれたよね」
「美少女を助けるのは当然だからな」
「それで、お礼にご飯を奢ったっけ」
「あぁ、そうだ。一人で食べるオークロールはやっぱり味気なく感じる」
「その後は一緒に劇場を見て、エディオンパークにも行ったよね」
「スロットで遊んでいても、お前が隣に居てくれないと寂しいんだ」
「それで、それから……それから……」
「ホタル……」
「ダメなんだよ。旅を続けなくちゃ、だって――」
彼女は今にも崩れてしまいそうな、儚くも美しい笑顔を見せる。
「だって、開拓を続ける君が私は大好きなんだから。だから、ね。『開拓者』。お願い、こんなところで立ち止まらないで。私はいつでも君のことを見守っているから」
掴んでいたホタルの身体が薄くなっていく。ぬくもりも、少しずつ手の中から消えていくのを感じた。
俺は涙をぐっと堪えて。視界をにじませる涙を袖で拭う。
そして、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「……わかった。それがホタルの願いなら」
「うん」
彼女は背を向ける。沈みゆく夕日と、流れる星々。夢と現実の境目、ドリームボーダー。他の誰もしらない、俺と彼女だけの秘密基地で。ふたりで並んで、その光景を目に焼き付ける。
「ねえ、穹」
「……?」
「大好きだよ」
瞬きをすると、隣から彼女の気配が消えた。
きっと、もう二度と逢うことはないのだろう。
――けれど。もしかしたら、いつかどこかの星で再び巡り逢うことがあるのかもしれない。
「……俺も、お前が大好きだ」
そんな未来を思い描きながら、遠い星空を眺める。
俺はあの場所に、星々を巡る旅を続けに帰らなきゃいけない。
本当はもう少しこの場所に留まっていたいけれど。
秘密基地に背を向けて、新たな一歩を踏み出す。
開拓の旅へと、歩き出す。
この旅が、いつか群星に辿り着くことを願って。