短編1話完結。
後世には屋島の戦いと呼ばれる。
武蔵坊弁慶は海岸線を一歩ずつ歩く。雨に濡れた砂が踏まれ、鈍い音を鳴らした。
頭上から笛の音が聴こえる。雨音をすり抜け、遠くまで響く。そばにある屋根を見上げた。笛を吹く源義経。
弁慶以下ごく少数の手勢で、平氏が滞在する屋島を、雨に乗じて強襲した。源氏内部の反対を振り切り、平氏を撹乱する。
喧騒。風雨。源氏と平氏。人間と妖怪。あらゆるものに縛られない。まさに笛の音のように。
「音楽が聴こえてくれば、平氏方はさぞ大軍が攻めてきたと思うであろう」
笛から口を離し、流れていく音を見送る。
「戦とはなんと愚かであるか。笛に感じられる人間は……おるまいな」
身をひるがえす。天狗の半妖である義経は、こともなげに屋根から着地した。
開戦からしばらく経つ。混乱により、平氏を足止め、あるいは退却させ、後続の源氏本隊で叩く算段でいた。
思いのほか平氏の抗戦が強い。義経は巧みな軍略で応戦。正面衝突を避け、数で劣る兵力を隠した。狙い通りに退却した兵もいる。
大軍と見まごう源氏。不意を突かれた平氏が逃げずに迎え撃つ裏には、歴史に残らない力の支えがあった。
「……霊石か」
義経が顔をしかめる。
いずこから入手したのか、平氏はアムリタ霊石を実戦投入していた。屋島でも妖怪の姿を見かける。霊石の力があれば戦局の不利は覆せる。
認められない外法。しかし、源氏もまた霊石を用いている節がある。義経は極秘裏に調査を進めている矢先だった。
「深追いせずに時間を稼ぐ。本隊の到着を待ち、挟み撃ちにするぞ」
軍議を思い出す。
「あの者達にも、少しは手柄を譲ってやらねばな」
笑う。焦燥などないかのように。
不気味な風が吹いた。
荒魂の混じった、禍々しい潮風。弁慶は海の方角を振り向いた。義経も感じ取る。
「何事だ?」
海だけではない。付近にある平氏の屋敷から、兵が現れた。人間に混ざり、妖怪が歩を進めてくる。
弁慶は刀を抜いた。人間の背丈よりも長い大太刀。弁慶の剛力であれば二刀流すら難しくない。
「霊石と、荒魂の先に、なにがあろうよ、人間」
平氏と戦おうとする弁慶。義経は背を向けた。
「奴らを足止めしろ。私は海を見に行く」
海には源氏の船がある。兵も配備されており、平氏には気付かれていない。比較的安全なはずだが、あきらかに不穏な気配が流れてくる。
弁慶は大太刀を構える。
「弁慶」
背中合わせのまま、義経が言う。
「頼んだぞ」
雨音より、笛の音より、確かな声が、弁慶の全身に響いた。
弁慶が次々と吹き飛ばす。無双の荒法師を前にして、人間も妖怪も変わりはない。
大太刀を持ち替える。
弁慶は陶器製の筒を背負っており、中には多種多様な武器と、戦の中で必要になる道具が収納されていた。
取り出すは仕込棍。複雑な変形機構により、多彩な戦闘を実現するが、使いこなすための技量も相応に要求される。
すでに囲まれていた。頭上で仕込棍を振り回す。鎖が走り、仕込棍が伸びる。勢いを乗せて周囲を飛び回った。
「ぐぉあ!」
頭を正確に打ち抜かれ、兵が吹き飛ぶ。弁慶の背後から斬りかかろうとしていた。
一見して無造作に振り回している仕込棍が、周囲の兵を着実に弾き飛ばしていく。
「なんだ、なんだと!」
「こやつは背後にも目があるのか?」
平氏が狼狽する。取り囲んでいた兵は瞬く間に数を減らした。
「さ、下がれ! 後方と合流する!」
増援が来ていた。思いがけない痛手に、立て直しを図る。後方に新手の兵と、蟹の妖怪が見えた。
平氏の後退によりわずかな余裕ができる。
弁慶は筒から火薬玉と油壷を取り出す。四方八方に投げつけた。戦闘用に作られた火薬と油は、雨の中でも燃え上がる。
「焼き討ち? 源氏か?」
付近の屋敷にも油壷を放り込んだ。まだ状況を知らない者は、源氏の軍勢が侵攻してきたとすら感じる。
動乱の中で、弁慶は地に落ちていた刀をつかむ。片手で拝みながら拾うと、筒に入れた。周囲には平氏の刀や槍が散乱している。
瀬戸大将。道具の思念が息づく付喪神。武蔵坊弁慶の、知られざる正体。
義経と同じく、弁慶もまた妖怪だった。
付喪神は思念を感じ取る。背後にいようとも、手にした武器と、殺意が伝わる。
思念の宿る道具が力の源になる。中でも武器は、人を殺し殺される道具。強い思念が宿っている。武器を集めるたびに、弁慶は強くなる。
荒法師単騎にして、思念の進軍。
変形する仕込棍。包囲戦を押し返す。屋敷の爆破炎上。大立ち回りが止まらない。源氏の兵力を見誤らせるに充分な剛力無双だった。
「坊主が。我らの恨みを思い知れ!」
平氏の先頭には、大型の化け蟹がいた。怒りの形相で弁慶を睨みつけている。霊石により蟹の妖怪となった、平氏の侍の成れの果て。
弁慶は筒から薙刀鎌を取り出す。仕込棍との二刀流で構えた。
本来どちらも両手で用いる。重量だけではない。変形武器であるため、片手では扱えない。弁慶はそれぞれを片腕で抱えながら、指先で器用に変形機構を動かした。
薙刀から鎌に形状を変える。弁慶は外見に惑わされない。大きく踏み出し、化け蟹の後方に鎌を落とすと、一気に手元に引いた。
化け蟹の面は甲羅。実際は背を向けている。真の顔である裏面には装甲がなく、容易に両断された。
動揺を隠せない平氏。弁慶は止まらない。仕込棍と薙刀鎌を縦横無尽に振るう。さらには火薬玉を地面に叩きつけた。
強い火の手が上がる。
雨でもすぐには消えそうにない。義経に命じられた足止めを果たした。
周囲の様子をうかがう。突破される危険はないようだった。
落ちている武器を拾う弁慶に思念が走る。そう遠くない位置。大きく、あるいは多くの、荒魂。常世から妖怪が呼び出された。
源氏の、義経の、敵になる。
思念の方向をたどる。屋敷の中に続いていた。
屋敷を進む。平氏の数はさほど多くない。戦い、武器を奪い取る。思念を追いかける。
中庭に出た。
荒魂が浮遊する。思念は怨念だった。巨漢の弁慶より、さらに大きな体躯をした、凶悪な赤鬼。怨霊鬼。
霊石により人間が妖怪になる妖鬼とは異なる。
多くの死者による怨念が、鬼となって現世に生み出される。いかにしてこれほどの死が積み重ねられたのか。源氏なのか平氏なのかすら、もはや知る由はない。
思念が集まる瀬戸大将。怨念が集まる怨霊鬼。
見合ってから、怨霊鬼が突進する。
弁慶は仕込棍と薙刀鎌を水平に構えた。二本の槍にして突き刺す。胸に刺さったまま、怨霊鬼は止まらない。勢いに任せて弁慶を張り飛ばした。
中庭の壁まで吹き飛ばされる。起き上がった眼前に怨霊鬼の手が広がる。つかまれる紙一重。身をすべらせて腕の外側に逃げる。
弁慶らしからぬ、まるで小兵のような戦い。武器を拾って再び起き上がる。
姿勢を低くして距離を詰める。仕込棍を地面に突き立て跳び上がった。空中で薙刀鎌に持ち替え、斬り落とす。着地。手応えはあった。
すでに怨霊鬼が頭上にいた。巨体を叩きつけ、押し潰そうとしている。弁慶は仕込棍を軸にして横に飛び出す。仕込棍の特殊な性能は、熟練すれば機動力にも応用できる。
弁慶に避けられた怨霊鬼は、地面に激突したまま無防備に倒れている。薙刀鎌を変形。特に威力が高い鎌形態にしてから、全身をひねり、回転しながら何度も斬りつけた。
血を流しはするものの、至らない。起き上がりながらの拳が襲いくる。
手筋は心得ている。仕込棍を二本に分離して弾いた。一方で防ぎ一方で叩く。間違いのない型。しかし弁慶の技を怨霊鬼の力が上回った。防いだ仕込棍ごと吹き飛ばされる。
弁慶もまた、負傷しながらも立ち上がる。向き合い、仕切り直す。
瞑想。
僧であるがゆえの思考法。怨霊鬼が動き出す次の一瞬までの間に、自身の時間を止め、自問自答した。
剛力には絶対の自信がある。怨霊鬼を叩き伏せる力はある。
力任せの怨霊鬼と違い、武術による優位もある。隙を作れば刃は届く。
不利ではない。劣ってはいない。全力を打ち込む機を見出す。技に始まり力につなげる法。
開眼。
久方ぶりに対峙した怨霊鬼が、まるで一瞬前まで戦っていたかのように感じられた。
仕込棍の端から鎖を出し、薙刀鎌と組み立てる。長柄長刃の鎖鎌。違和感はない。本来の形状を作り出せた。
握り直した時には、もう怨霊鬼は眼前にいた。
飛び込む。
自身の縦回転が鎖の横回転になる。刃の大車輪。薙刀鎌の大振りな刃は、弁慶の身を守りながら怨霊鬼を斬り刻んだ。
無防備な懐に入る。飛び上がる。仕込棍と薙刀鎌を同時に振り回す。叩きつける。乱天龍。
怨霊鬼がのけぞる。
弁慶は筒から刀を取り出し、怨霊鬼の胸に突き刺した。次の刀を取り出し突き刺した。刀を取り出し突き刺した。取り出し突き刺した。突き刺した。突き刺した。突き刺した。
数え切れないほどの刀が突き立てられる。怨霊鬼の強靭な身体を貫くには至らず、浅い刺さり方の刀が多い。だが、殴り返せないほどに押されていた。
踏み出す。
突き立てた刀を拳で叩く。打ち込む。刀が怨霊鬼を貫くまで、何度でも叩く。すべての刀を深く打ち込む。
怨霊鬼が仰向けに倒れた。
刀はどれも深く突き刺さっており、何本かは地面に貫通した。弁慶の拳は、陶器の原形を失うほどに割れている。
怨霊鬼の姿が薄くなる。崩れ落ちて、アムリタの輝きに包まれる。怨念のアムリタが宙に浮かび、消えた。
弁慶は両手を合わせ、拝んだ。
散乱している武器を回収する。
怨霊鬼が消滅したあとには、数本の刀が残されていた。殺された者の怨念を武器からも集めていた。
弁慶は一本ずつ刀を拝んでから、筒に入れた。拳は元に戻っている。瀬戸大将は陶器でできた付喪神。衝撃で破損するが、力の源である思念がある限り自然に修復される。
戦の行方が気がかりだった。
足止めは成功したのか。海でなにが起きているのか。義経は無事なのか。急いで調べなくてはならない。
まずは屋敷を出ようとした瞬間。思念を感じる。再び異質の思念。知っている、間違いようがない思念。
源氏の至宝、ソハヤマルの思念だった。
ソハヤマルは源義経が継承している。屋島の戦いにも持参していた。海とは逆方向に思念がある。
義経の思念ではない。何者かがソハヤマルを持って、近付いてくる。
動揺しつつも、自分に言い聞かせる。
義経の無事がなにより重要だが、確かめるすべがない。主を信じて、家臣に恥じない働きをする。
ソハヤマルを盗んだ咎人。許さない。