少女と二人、大きなチューブを降るエレベーターの中で外を眺める。
先程の彼は自身が若返った事に気を取られて気が付かなかったが、ここはかなりの高層ビルらしい。自然の中、隠遁していた時間が長かった彼にはあまり似合わない。蛇とは、自然の中でこそ生きていける……いや、蛇はもういらないのだった。
どうにも若返ったせいか、落ち着かない自分がいる。
蛇から人へと還った時、やりたい事は確かにあったが、それでも満足して逝けたはずだった。自らの内から湧き出る若さが、沢山の可能性を提示している証拠だ。
現に、今だって娘ほどの歳のリンの後ろ姿を年甲斐もなく見てしまう。ここに友とその養子がいなくて良かったと、彼は心の底から思っただろう。
リンから軽くだが、ここキヴォトスの説明を受けた。
数千の学園が集まる学園都市。そして、彼がこれから働く場所……
最初こそ、突然の就職宣言を受けて驚いて否定しかけた彼だったが、悪くないとも思った。
どうせ、自分は死んだのだから。今はもうあの世で、目的もない。なら、この可愛らしい少女と働くのも悪くはないと思ったのだ。頭に何やら幾何学模様が浮かんでいるのも、きっとあの世の住人だからなのだと言い聞かせる。思えば、彼も散々超能力やら非現実的なものを見てきたのだ。今更なんだというのか。
性欲を持て余すとは、いつの言葉だったか。あれは単なる冗談だったが、これからは冗談で流せるだろうか、なんて一人せせら笑う。
「きっと先生がいらっしゃったところとは色々な事が違って、最初は慣れるのに苦労するかも知れませんが……」
「気にするな。
そう軽口を叩きつつも返答すれば、彼女は少しだけ安堵したように言った。
「……あの連邦生徒会長がお選びになった方ですから。あまり、心配しすぎても良くありませんものね」
「……ああ」
話を合わせておく。
連邦生徒会長とやらに会ったことなど一度も無い。
だがここで否定して話をややこしくする必要も、メリットもない。とりあえずは、彼女の言われたままにやってみる事にする。人生を重ねた者の余裕というやつだ。
「……それは後でゆっくり説明することにして」
ふっと笑うリンの様子を見れば、どうやら彼が何も分かっていない事を悟られていたらしい。
そのことが少しばかり恥ずかしくなり、咳払いして誤魔化す。いくら余裕はできても、大人のプライドというものは邪魔をする。けれどプライドがなければ大人ではない。
そのうち、エレベーターが目的の階に辿り着く。
自動ドアが開けば、飛び込んできたのは姦しい喧騒だった。フロアで少女達が何やら言い争っている。
それを見てため息をつくリンの後について行ってみれば、少女の内の一人がこちらに気がついた。目線は彼ではなく、リンに向けられていて。
「ちょっと待って! 代行、見つけた! 待ってたわよ! 今すぐ連邦生徒会長を呼んできて!」
珍しい菫色の長髪をツーサイドアップにした、小さな少女がズカズカと駆け寄ってくる。表情と口調からして強気なんだろう、その少女は自分よりも背の高いリンに物怖じする事はない。彼女の頭上にもやはり何やら黒いリングが浮かんでいる。人それぞれ、個性があるのだろうか。
その時、ようやく少女は彼に気がついたのだろう。不思議に思ったというか、何やら珍獣を見るような目つきで彼を眺めた。
「隣の大人の方は?」
菫色の少女が尋ねたと同時に、もう一人の少女がやって来る。
黒髪のロングヘアーとそれを強調する頭上の赤い模様。幸薄そうだが、この手のタイプの女は怒ると怖そうだ。だが何よりも、彼と並ぶほどの身長と……大きな胸元に目が行った。
「おお……」
小さく、本当に小さく、漢としての感嘆が漏れる。リンも大きいが、彼女のはもう、奇跡と言って差し支えがない大きさとバランス。
そして何よりも、日本らしい学生服のミニスカートから覗く太腿が、何とは言わないが持て余す。
「主席行政官、お待ちしておりました」
目の前のナイスバディがクールに口を開けば、我に返る。流石に自分の歳を考えろと自らを戒めながら空を仰いだ。
「連邦生徒会長に会いに来ました。風紀委員長が、今の状況について納得のいく回答を要求されています」
三人目は、メガネを掛けた緩くウェーブした金髪の少女だった。菫色の少女よりも少しだけ背の高い彼女は、真面目なんだろう、そんな雰囲気が滲み出ている。とんがった耳を除けば、どこか彼の友と重なるとも思ったが、これでは彼と二人纏めて怒られるだろう。
リンは額を押さえ、
「ああ……面倒な人たちに捕まってしまいましたね」
と率直に感想を述べた。確かに三人とも、友好的には見えない。それでもいきなり撃たれたり、命の取り合いをしなくて良いと考えれば、まだマシだ。
と、そんな折三人の後方からゾロゾロと少女達が集まってくる。人気者のリンはクールに表情を顰めた。
「こんにちは、各学園からわざわざここまで訪問して下さった生徒会、風紀委員、その他時間を持て余している皆さん。こんな暇そ……大事な方々がここを尋ねてきた理由は、よく分かっています」
思わず、おい、と彼は小声で突っ込んでしまった。気持ちは分からんでもないが、わざわざ反感を買う必要はないからだ。
「今、学園都市で起きている混乱の責任を問うために……でしょう?」
嫌な予感がしてきた。そして長年、その嫌なことに巻き込まれてきた彼の予感は大体当たるものだ。野生の勘、と言ってもいいだろう。
「そこまで分かってるならなんとかしなさいよ! 連邦生徒会なんでしょ!?」
菫色の少女が猛々しく抗議する。
「数千もの学園自治区が混乱に陥ってるのよ!? この前なんか、うちの学校の風力発電所がシャットダウンしたんだから!」
見た目通り元気いっぱいの菫色の少女が問題を述べると、わいのわいのと他の少女達も自分の学園自治区とやらで起きている事象を口にする。生憎、リンや彼はかの有名な聖徳太子ではない。
だがどの問題も断片を聞いていればかなり物騒である。やれスケバンとやらが学生を襲っただの、戦車などの兵器が不法流通しているだの、お前ら学生だろと心の内で突っ込んでしまうのも無理はない。それ程までに、彼の中の学生像とキヴォトスの実情は異なっていた。
要するに、治安が悪い。学園生活どころか、国が傾いているに違いなかった。
「こんな状況で連邦生徒会長は何をしているの? どうして何週間も姿を見せないの? 今すぐ会わせて!」
噴出する不満がリンと、その隣にいただけの彼を襲った。バツが悪そうに彼は顔を逸らす。だが総じて、例の生徒会長とやらに会わせろということだ。
しばらく沈黙して、リンはようやく重い口を開いた。
「連邦生徒会長は今、席におりません。正直に言いますと、行方不明になりました」
その一言は、皆が驚愕のあまり一瞬で沈黙するのに事足りていた。彼も思わず流行りの猫のように、は? と声に出してしまう。
「結論から言うと、サンクトゥムタワーの最終管理者がいなくなったため、今の連邦生徒会は行政制御権を失った状態です」
サンクトゥムが、神聖な、という事を示すことは神を信じない彼にも分かる。
「認証を迂回できる方法を探していましたが……先程まで、そのような方法は見つかっていませんでした」
八方塞がり。何やら大変そうだな、と他人事のように思ったが、よく考えればここで働くということは彼の今後にも関わる事だった。
だがリンの言葉に引っかかりを覚えたのだろう、ナイスバディの少女は尋ねる。
「それでは、今は方法があると言う事ですか、主席行政官?」
雲行きの怪しい流れに、思わずタバコが吸いたくなってきた。禁煙して二年ほど、しかし身体はニコチンを求めている。若返ったのならば尚更だ。決して、吸いはしないが。
リンはその質問を肯定する。なんだろうな、なんて彼は耳を傾けていると。
「この先生こそが、フィクサーになってくれるはずです」
不意に、リンが彼を指した事で視線が一気に集まる。
思わず後ろを振り返った。だが誰もいない。横を見ても、あるのは遠くにエレベーター。
彼は一度落ち着いて、リンに問う。
「……俺がぁ?」
リン以外、気持ちが一つで繋がっていた。指名された彼でさえ、まさか自分が? と思う。
「ちょっと待って、そういえばこの先生は一体どなた? どうしてここにいるの?」
「俺が聞きたいんだがな……」
菫色の少女に、聞こえないくらい小さな声で反論する。
「キヴォトスではないところから来た方のようですが……先生だったのですね」
違う、と小さく呟いてももう遅い。皆が皆、彼をそういう目で見ているのだから。リンの回答にまた、視線が集まる。
「はい。こちらの先生は、これからキヴォトスの先生として働く方であり、連邦生徒会長が特別に指名した人物です」
また彼に視線が集まって、耐えきれず組んだ腕をそのままに、手だけをあげて苦しく挨拶する。聞いてないぞ、と笑顔のまま。
「行方不明になった連邦生徒会長が指名……? ますますこんがらがってきたじゃないの……」
泣きたいのはこっちだ、と混乱する菫色の少女に言いたくなった。
「ウ゛ゥン! ……あー、先生の、ス……デイビッドだ」
そう挨拶する。危うく蛇の名を出しそうになったが、今はもう人だ。人として、生きている。
自分の名乗りに、一番近くにいた菫色の少女が頭を下げた。
「こ、こんにちは先生、私はミレニアムサイエンススクールの……い、いや挨拶なんて今はどうでもよくて……!」
コロコロと態度と表情を変えるその少女に、少しばかり面白さを覚える。
「そのうるさい方は気にしなくていいです。続けますと……」
リンが割り込むように中断する。けれど少女はまたキーッと怒りを露わにすると、
「誰がうるさいですって!? わ、私は早瀬ユウカ! 覚えておいてください、先生!」
「フっ、よろしくなユウカ」
低めの渋いボイスは思春期の少女には少し毒だったのかもしれない。少女、ユウカは、はい! と、元気よく返事をすると同時に顔を赤らめた。自分の顔が存外悪くないことを、彼は知っていた。
「……先生は元々、連邦生徒会長が立ち上げた、ある部活の担当顧問としてこちらに来る事になりました」
「そうなのか?」
「……」
知らなかったことを聞き返せば、リンに少し睨まれる。黙っていろと言う事らしい。
「……連邦捜査部、シャーレ」
「単なる部活ではなく、一種の超法規的機関。連邦組織のため、キヴォトスに存在するすべての学園の生徒達を、制限なく加入させることすらも可能で、各学園の自治区で、制約無しに戦闘活動を行うことも可能です」
逃げたくなってきた。今この子は、戦闘と言ったのか。
自分はもう、戦うことをしない。そう決めたし、それこそが使命だ。
余命はもう使い切ったが、それでも戦い以外に人生を見出す。それは、ある種の約束だった。
リンが続け様にあるものだとか何かを言っているが、耳に入る余地は無かった。
彼は、もう戦わない。
「モモカ、シャーレの部室にヘリを──」
見慣れない携帯電話を取り出し、話をとんとん拍子に進めようとするリンに、しかし彼は制するように言った。
「待て」
低く、けれども言いようのない覇気を含んだ彼の言葉はリンだけでなくその場にいた全員を黙らせるに十分だった。
携帯電話を手にするリンは、思わず言葉を止めてしまった。そして、彼の怒りとも取れる表情に動くことができなかった。
「子どもが困っているなら喜んで手を貸す。だがな、戦いには手を貸すつもりはない」
彼はキヴォトスのことを知らない。けれど悲しいことに戦争のことは誰よりも知っていた。
その悲惨さに手を貸すつもりはない。ましてや、部活など、子どもが戦いなど、するものではない。
脳裏に浮かぶのは、何度も命を預けた白髪の男。不器用で、孤独で、誰よりも自分の闇を忌み嫌っていた男。
「……先生、まずは話だけでも聞いていただけませんか? 何か、勘違いされているかもしれませんし」
リンの冷静な言葉に、彼は黙る。正論だったからではない。それは誰もが理解していた。