水族館はD.U.内の海岸沿いに存在している。
アビドスから電車で揺られること一時間程度、キヴォトスの名所でもある大規模な水族館は、砂漠に慣れた少女達を魅了した。
「ほら! 早く早く!」
何だかんだ、セリカが一番楽しそうだ。水族館へと繋がる階段を我先にと走る。
「転ぶなよ」
そんな元気一杯の少女を見て、オタコンの養子である少女を思い出す。今、彼女は元気だろうか。こっちに来てからは彼女にも会っていない。そもそも、こんな非現実的な状況に置かれている自分のことを報せても混乱するだけだ。誰かの重石にはなりたくはない。自分は、過去の人間なのだから。
エイハブは一時間も電子葉巻を吸えなかったからか、しきりに辺りを見回している……喫煙所を探しているのだろう。だが学生主体のこのキヴォトスでは、喫煙所の存在は稀だ。
「帰るまで諦めろ。タバコは健康に悪い」
スネークがそう諭すと、エイハブは苦笑してみせる。元々メディックだったというから、やはりタバコによる健康被害については分かっているのだろう。
それよりも、驚いたのはホシノの喜びようだった。いつもは飄々としているか、昼行燈な様子の彼女が、年相応にはしゃいでいる。そして余程海の生き物が好きなのか、海洋生物の知識を後輩達に伝えている。
『ホシノがあんなにも魚介類について詳しいだなんて』
「オタコン、その言い方だと食い物みたいだぞ」
大人では少女達の感性のスピードについていけない。楽しそうに喋り、そしてすぐに目移りする彼女達について行くのが必死だ。それはエイハブも同じことだった。
『ボス、そういえばあんたはよく釣りをしていたな』
「どうした突然」
葉巻が吸えないので仕方なくスネークからガムを貰い、それをくちゃくちゃしているとカズが言ってきた。
『いやなに、カリブでもセーシェルでも、あんたは暇になると、ぼーっと釣りをしてたのを思い出してな』
「ああ。
懐かしい話だ。急ぎの用事がない時は、釣り好きのスタッフから釣竿を借りてやったものだ。スタッフとのコミュニケーションにもなったし、何よりあのゆったりとした時間は嫌いではなかった。オセロットも、そしてクワイエットも。動きのない釣竿を手に何時間も海を眺めたものだ。
それからみんなで、イルカショーを観る。よくもまぁあそこまで調教したものだ。イルカ達が縦横無尽に駆け巡るのを見ると、ホシノ達も歓声をあげていた。
「私は、ホシノ先輩の力になりたい。昔ホシノ先輩が、私に手を差し伸べてくれたように」
それは、イルカショーが終わってからのこと。シロコとホシノが二人きりでどこかへ消えた。
最近のこともあって、少しだけ心配だったのだろう。エイハブはそっと、彼女達をつけていた。二人がやって来たのは、鯨の水槽の前。大きな体躯が水に浮かび、その前で二人は何かを話していた。
「いい子だね、シロコちゃんは」
「先輩……?」
シロコはずっと、ホシノを案じていた。ゲヘナの襲撃の時も、対策委員会の中でシロコだけはホシノの異変に気がついていた。
「そういうシロコちゃんのこと、おじさんはだぁいすきだよぉ!」
そう言って、今までの雰囲気を壊すかのようにシロコへと抱きつくホシノ。きっと、シロコに気を遣わせたくないのだろう。
そんな二人の元へ、対策委員会のメンバーとスネークがやって来る。彼女達はお土産コーナーに行くらしい。
ホシノはもう少しだけ鯨を見たいと言って、一人残った。エイハブは苦笑した。どうやら、自分が潜んでいた事がバレていたらしい。
対策委員会のメンバーとスネークがいなくなったタイミングで、エイハブは鯨を見上げるホシノの横へと並ぶ。親子くらいに背丈が違う二人は、しばらくその白い鯨を見上げた。
「先生。ありがとね」
「ん?」
「シロコちゃんとの会話、聞いてたでしょ? シロコちゃんは私と話したかった。先生は、気を遣ってくれた」
ハッと、エイハブは笑う。大した少女だ。よく彼のことを理解していた。
「私さ、鯨が好きなんだ」
そうなのか、とエイハブは問う。
「大っきくて、包み込んでくれそうで、優しそうで。まるで、先生みたいで」
そして、彼女が大切にしている思い出の中の少女でもあって。彼女は心の中の幻影と、エイハブを重ねているのかもしれない。似ても似つかない二人を。
エイハブは白鯨を見上げる。巨大な白鯨は、まるで海の王者のように、大きく泳いで見せる。
不意に、その巨大な瞳と目が合った気がした。まるで、この白鯨はモビーディックだ。
「俺は……そうだな。鯨をずっと、追いかけていた」
あの日、カリブの海で沈んだ仲間達。その無念を晴らすために。
失くした腕を。決して消えない痛みを。共生するしかないというのに。
「だが鯨は大きくて、追えば追うほど、自分達がどれだけ弱いかを思い知らされるようだった」
スカルフェイスは殺した。けれど、それは一時的な復讐でしかない。成し得た復讐は、しかし新たな報復心に上書きされる。
きっと、
けれど、そのために追った白鯨は、あまりにも大き過ぎたのだ。
「それは、先生がビッグボスだった頃のこと?」
エイハブは思わずホシノを見下ろした。彼女はそのオッドアイで彼を見詰めている。まるで自分を見ているようだった。
「ホシノ、それは」
「先生、ごめん。カズヒラ先生との話、聞かせてもらったよ」
彼女はポケットからカセットテープを取り出す。まさかこの御時世に、そんなアナログを使う者が自分以外にいるとは思わなかった。
カズが耳のスピーカーで唸る。どうやらこの少女に、大人二人は出し抜かれたようだった。電子的諜報の対策をしていたから、流石にカセットテープ対策はしていなかったのだ。
「ホシノ」
「私は、大切なものを失くした。そして先生も、大切なものを失くして、ずっとその幻肢痛に苦しめられてきた。デイヴィッド先生……ソリッド・スネークに殺されて、こっちの世界に来てからも。……私達は、似てるんだよ。どれだけ戦って、その傷を癒やそうとも逃げられない。共生するしかない」
エイハブは唸った。どうやら、彼女が銀行強盗の時にアルに語ったアウターヘブンも、自分達が蒔いた種らしい。
イーライの時といい、自分達は本当に子供を相手にするのに向いていない。
「ホシノ、お前は俺とは違う。俺たちとは違う」
「いいや、一緒だよ。私は、私達は……楽園には住めない。天国の外側で、私達だけの居場所を作るしかない」
「いや。お前はまだ地獄に堕ちていない。俺たちのように、鬼になっていない」
参ったな、とカズヒラは悔しい思いをしていた。そんな風にするつもりはなかった。彼はただ、アビドスを救ってやりたかったのだから。あまりにも、彼女達は自分達に似ていたから、大人としてやれることをしたつもりだった。
だが、違ったのだ。エイハブも、そしてカズヒラも。結局は大人という、子供から見たら大きな影響力を振り翳していただけなのだ。
「ホシノ。お前にはまだ、戻るべき場所がある」
「戻るべき場所……」
そうだ、とエイハブは頷く。
「シロコ達だけじゃない。今じゃキョウコ達元ヘルメット団もお前の居場所だ。そこは天国の外側じゃない。俺たちには辿り着けなかった、楽園なんだ」
何かに、気がついた気がした。ホシノは目を見開いてエイハブを見つめた。
ホシノと対策委員会の皆に追い付くと、スネークが少女に詰め寄られていた。今や懐かしい、早瀬ユウカだ。
彼女は白髪の少女、生塩ノアに宥められるも、その怒りを伝説の英雄にぶつけている。そしてその英雄は、明らかにたじろいでいた。
「せ〜ん〜せ〜い〜!!!!!! 仕事を私達に押し付けてこんな所で何をしてるんですか〜!!!!!!」
「ユ、ユウカ……! ちょっと待ってくれ!」
着ているワイシャツをぐわんぐわんと引っ張られる。力が強過ぎて、強靭な肉体を持つはずのスネークもおもちゃみたいに揺さぶられてしまっていた。
「モモトークもスタンプだけで返事してぇ! そんなんで許されると思ってるんですか〜!」
『はぁ〜……だから言ったじゃないかスネーク』
やれやれと呆れるオタコン。だがユウカは手をピタッと止めると、片手でスネークを掴んだままオタコンを指差した。
「ハル先生もです! のらりくらりと私の言及を躱したと思ったら大間違いですからね!」
『わわ……僕にまで飛び火してきちゃった……』
ユウカとノアには早い段階でオタコンのことは告げていた。二人はよく
伝説の英雄がこんな可憐な少女に詰められているとは、エイハブもカズヒラも、そしてホシノも今は笑ってしまう。
「楽しそうだな」
「エ、エイハブ……」
ユウカはようやくエイハブの姿に気がついたのだろう。その手を止めて、見慣れぬ大人の男性に対しノアと会釈する。
「あ、初めまして、ミレニアムの早瀬ユウカです」
「同じく生塩ノアです。貴方は……」
なんと言えば良いか。アビドスでは先生と偽っているようなものだが、他の学園の生徒相手にそう名乗るのも気が引ける。
「こちらはうちのエイハブ先生。私はアビドスの小鳥遊ホシノ、よろしくね、ユウカちゃんにノアちゃん」
ホシノが助け舟を出してくる。エイハブはよろしくな、とだけ言うと彼女達も納得してくれたようだ。
その後、セミナーの少女達にアビドス集合写真を撮ってもらう事になる。スネークは俺はいい、なんて言ったが、シロコが手を引いた事でこの天邪鬼の男も仕方なく映る事となった。
帰りの電車で、アビドス廃校対策委員会の少女達は眠りについていた。いくら戦い慣れていると言っても、まだ少女だ。すやすやと眠る彼女達は穏やかな表情をしている。
スネークはユウカにみっちりと怒られたせいで疲れ果て、天を仰いでいる。不意に、彼はエイハブを見た。
その顔は、浮かないようだった。
「……何かあったのか」
「……いや、なんでもない」
スネークが尋ねるも、彼はこの様子だ。言いたくないことは誰にでもある。過去に雷電と呼ばれた若者に色々と聞かれた際、スネークは割と雑にあしらってしまった手前、聞くに聞けない。
陽はもう沈もうとしている。ただ、彼女達は今だけは何事もなく帰路についた。
次の日。シロコは愛車のロードバイクで通学をしていた。
ふと信号待ちの際に、見知った姿が路地裏に入るのを見た気がして、不思議に思って後を追ってみれば、そこに彼女はいない。見間違えたのだろうか。
だが、一台の黒塗りの高級車が通り過ぎていった。このアビドスで、そんなものは珍しい。
「……ホシノ先輩?」
不意に。その後部座席にホシノがいた気がした。だがそんなことあるのだろうか。明確な答えが掴めないまま、シロコは学校へと向かう。
校門で新生アビドス生徒達とすれ違い、対策委員会室へと向かう。そうそう、今まで校舎の空き教室にて過ごしていた新生アビドス生徒達だったが、数日前にようやくアビドスへの編入が認められ、それに伴い住居も与えられたのだ。
対策委員会室の扉の前から、既にノノミやセリカ達の黄色い声が響いている。どうやら昨日の水族館で撮った写真について話しているようだ。
扉を開け、挨拶を済ませると部屋の中を見回す。どうやらホシノも、そしてエイハブもいないようだ。スネークが何やらノートパソコンと向き合い渋い顔をしている。仕事をしているのだろうか。
「ホシノ先輩ならまだ来てないわよ? どーせまだどこかで寝てるんじゃない?」
しばらく少女達は写真を見せ合う。モモトークのグループチャットに写真を共有し合っていると、ようやくホシノがやって来た。
「やぁやぁみんな、ごきげんよう〜」
「ホシノ先輩! 遅いじゃん!」
セリカの文句に彼女は笑って答える。
「ごめんよ〜、お布団が気持ち良過ぎて中々出られなくってさ。ところでみんな何してるの?」
「昨日のアクアリウムで撮った写真を見てたんです」
「うぉうぉういいねぇ、おじさんにも見せてよ〜」
少女達はしばらく楽しそうに話す。本当に、仲が良さそうだ。
だがそんな少女達の仲で、ホシノだけは笑みを浮かべつつもどこか達観した目で彼女達を眺めていた。そしてそれに、シロコも気がついていた。
授業や定例会議も終わり、 皆は帰路に着く。エイハブは珍しく休みらしい。ホログラムのカズヒラがそう言っていた。
「ふぁ〜、おじさんも帰って寝よ〜」
そう言って帰ろうとするホシノに、シロコは話しかける。
「ホシノ先輩。今朝、どこにいたの?」
意を決した質問だった。あまり聞くのはよろしくないとも思ったが、それでもあの先生のように一人で無茶をしがちなホシノが心配だった。
「さっき言った通りだよ、どこもなにも、寝坊して遅れそうになっちゃっただけ〜」
いつものように、緩く彼女は言う。
「……本当に?」
「? どしたのシロコちゃん、何かあったとか?」
「……うん。今朝、先輩を街中で見かけた気がして」
その瞬間。ほんの一瞬だが。ホシノの瞳が鋭くなった。だがすぐにいつものように朗らかな笑みに戻る。
「人違いじゃないかな、多分? おじさんみたいな子その辺にいっぱいいるしさぁ、見間違いをするなんて、シロコちゃんも疲れが残ってるんだよ〜」
「先輩、私に何か隠して……」
ホシノが立ち去ろうとし、シロコは反射的に問い詰めるように腕を掴んだ。
瞬間、ホシノも反射的に動いてしまったのだろう。掴まれた腕をCQCの応用で振り払う。モーションの少し大きな振り払い。それで、肩に掛けていたバッグが落ちる。
床にぶちまけられた中身が、見えてしまった。
「先輩、これって……!」
「えへへ……ただの書類だよ。今はまだ何にも意味がないから安心して?」
その中の物。一枚の書類を、シロコが見逃すはずがなかった。拾い上げ、彼女はホシノに突きつける。
ホシノは困ったように笑うだけだ。
「安心できるわけがない! 今はまだって、どういうこと!?」
ホシノは困りつつも、黙る。その時だった。喧騒を聞きつけたノノミとスネーク、そしていつの間にか帰って来ていたエイハブが、やって来た。
「おいどうした、二人とも」
落ち着かせるように両手を出し、尋ねるエイハブ。シロコは焦ったような表情で口籠もる。
「これは……その……」
「一体なにがあったんですか?」
ノノミが尋ねるも、彼女達は答えない。スネークが気になったのは、二人の表情の差だ。焦るシロコと対照的に、ホシノはやたらと達観しているようにも見えた。まるで、死に場所を見つけたかのような、そんな顔。
「言えないか?」
「悪いけど、二人きりにして」
スネークの問いに、シロコは拒絶を示す。その時、ノノミがうーんと悩んで、突然笑顔を見せた。
「それはダメです!」
キッパリと、シロコの要求を否定する。全員が驚いた。
「対策委員会に二人だけの秘密、みたいなのは許されません。なんと言っても私たちは、家族なんですから!」
──俺達は家族だ。
かつて、自分がマザーベースで言った言葉が脳裏に反響した。ノノミのように笑顔ではなかったが。
「でも……!」
「ごめんごめん、本当に大した事じゃないから大丈夫。シロコちゃんは心配性だなぁ」
ホシノがエイハブ達の横を通り過ぎる。
「ま、その気持ちは本当に嬉しいんだけど」
それだけ言うと、彼女は扉を閉めて立ち去る。まるで追ってくるなと言わんばかりに。
「ホシノ先輩、まだ話は……」
「待て」
エイハブの義手が、シロコを制した。
見上げれば、自分よりも余程心配そうな顔をしているエイハブが、ホシノがいなくなった後も扉を眺めていた。
「一人にしてやろう。人間、言いたくない事の一つや二つ、あるものだ」
その横で、スネークも先生として助言する。
屋上で、シロコと先生二名は向き合っていた。どうやらノノミにも伝えられないことらしい。
珍しく激情していたシロコも今は落ち着いている。彼女はスカートのポケットから、丸められた紙を取り出した。何かの書類のようだった。
「先生、これ……」
スネークがそれを受け取り、内容を確認する。
同時に、その顔が歪んだ。それほどまでに書類の内容は過酷だった。
「これは……っ、」
エイハブに、その書類を渡す。義手が紙を掴む。
眉間に皺が寄る。悲しいような、けれど怒りのような。そんな複雑な表情だった。きっと、その怒りはホシノに向けた物ではない。
「ホシノ先輩、私達に何かを隠してる。でも、私は……」
「シロコ、君が信用されてないわけじゃない」
スネークがシロコの肩を叩く。
「案外身近な人間にこそ、言えないことがあるものだ」
「うん……」
シロコは明らかに気を落としていた。大人として、先生として。やらなければならないことがある。
「一先ず、この件は俺たちに任せろ。それでいいな、エイハブ」
ずっとその書類を見ていたエイハブも、ようやく顔を上げた。
「……ああ。心配するな、あいつのことだ。きっと何かの手違いだ。な? シロコ」
わしゃわしゃと、エイハブはシロコの髪を撫でる。
「先生達が、そう言うなら」
安心させるように、エイハブは左の口角を上げて微笑んだ。だが、すぐに義手の持つ書類に目が行ってしまう。
退学届。
たった一枚のその紙きれは、アビドス全体にヒビを入れようとしていた。
真っ暗な家の中で、ただベッドの上に横たわる。
彼女の瞳は、撮ったばかりの写真を見ていた。
水族館……若い少女達の間でいう、アクアリウム。そこで撮った集合写真。
ホシノの隣には、笑みを浮かべたエイハブ。彼の大きな生身の掌が、ホシノの頭の上に置かれている。そんな写真だ。
「……先生」
写真立ての上には、破られた後に復旧した砂祭りのポスター。
ホシノは、追い詰められていた。