補習 1
「我々には使命があります」
薄暗い部屋で少女は呟く。
誰に言い聞かせるでもなく、一人粛々と、まるで自分に対して戒めるように。
少女は窓際に立てば、高層ビルという高台より広がる街を見下ろす。まだ日が登りきっていない早朝。こだわり抜いた豆を使ったコーヒー片手に彼女は静寂なキヴォトスを視界に入れた。
「つまらない己を捨て。より良い世界を、望む世界を創るために」
それは一種の儀式のようなものだった。
彼女が何者で、何のために戦うのか。そのことを再認識するために必要な儀式だった。
ブルーマウンテンの匂いが鼻腔をくすぐる。良い香りだ。これだけでも仕事をしている甲斐がある。
一口含むと、暖かさと共に頭の中を彼女の使命が満たしていくのが分かる。苦味と使命はよく似ている。どちらも苦痛なくしては達成できない。
「朝に飲むブルーマウンテンの味は別格ですね」
桃色の髪を揺らしながら、彼女はいつもの取り繕った笑顔を作る。そして机上にあるPCモニターに映る写真データを見ると、今度は魔性を感じさせる笑みを浮かべた。
「さて、
デイヴィッド。そう書かれた写真データの横には、ソリッド・スネークとも書かれている。
防衛室。部屋の扉にそう書かれた内側で、少女はただほくそ笑んだ。
アビドスの件から数週間。スネークとオタコンはまた仕事に追われていた。
あの数週間で仕事だけしていたわけではない。ミレニアムのゲーム開発部から依頼を受け、一人の少女……アンドロイドを救出したり、その挙句にミレニアム最強の生徒と戦うことになったり、オタコンとゲーム開発部が結託してメタルギアソリッドという自分の自伝のようなゲームを作って、ミレニアムプライスというコンクールで審査員をボロ泣きさせて特別賞を取ったり……まぁ色々とあったものだ。
今ではユウカとノアだけではなく、一度は敵として戦ったミレニアムの
そうそう、シロコやノノミといった生徒も、時折来てくれる。流石にホシノはアビドスを纏めるのに忙しく、セリカはバイト、アヤネは運用で来れないとのことだ。
「……先生、ちょっと休憩しないか」
今回はアリスが当番で、ギラリと睨みつけるようにスネークへと進言する。どことなく、スネークの親友のようだ。
「……そうだな。何か飲み物を淹れよう」
「ジュース! 待っていたぞ、ジュース!」
「……」
何とも言えないため息をつきながら、スネークは立ち上がるとキッチンに向かう。
『アリス、すっかりフォックスが気に入ったようだ』
「心臓に悪いからやめてほしいがな、まったく。元はと言えば、お前がアリス達に色々吹き込んだせいだぞ」
アリスの口調。それは彼女達ゲーム開発部がミレニアムプライスのために作成したメタルギアソリッドに原因がある。オタコンが妙にスネークの人生をゲームに残したいと力説し、スネークが折れたせいで、シャドーモセス事件をゲームで再現したのだ。しっかり声優までやらされて。
制作途中に数回スネークもオタコンも心が折れそうな場面があったが、何とか完成したそれをテストプレイしたアリスが稀にお気に入りのグレイフォックスの真似をする。
『でも、フォックスの事を覚えている人が増えることは良いことじゃないか?』
「……一概にそうとは言えんだろう。この世界じゃともかく、そっちじゃ俺やフォックスはただの戦争屋だ」
『世界を救ったのには違いないさ。それに、ゲーム開発部から次回作の打診があったよ?』
「そろそろオリジナルの物語を作れと言っておいてくれ」
そうこう言っているうちにジュースをコップに注ぎ、アリスまで持って行く。彼女はそれを飲み干すと、目を輝かせながら言った。
「もっとだ! 俺に生きる実感をくれ!」
「おかわりだな、わかった」
スネークは項垂れながら空のコップを持ってキッチンへと向かう。そんな時だった。
『先生、トリニティのティーパーティーから連絡が来てます!』
不意に、アロナが言った。その言葉にスネークは立ち止まる。
「……トリニティから?」
まさかこの連絡が、後々とんでもない騒動の発端になるのだとはこの時のスネークは知る由も無い。
──ありのままの世界を残すために最善を尽くすこと。他者の
メタルギアソリッド4 ガンズオブザパトリオットより、ビッグボス
目の前の少女はティーカップをソーサーの上に置くと、余裕を持った笑みをスネークに向けた。
一方でスネークは、差し出された紅茶を、コーヒーの方が好みだな、なんて考えながら飲み干す。
「こうしてお話しできることを光栄に思います、デイヴィッド先生。私はティーパーティーのホスト……」
「桐藤ナギサ。トリニティを統括する君にそう言ってもらえるとはありがたい」
そう言うと、ナギサは翼をぴょこっと動かして驚いた素振りをみせる。
「あら。では、こちらの方も?」
ナギサが手を向けるのは、桃色の活発そうな少女だ。
「聖園ミカ。ティーパーティーにしてパテル分派の首長だな。トリニティを握っているのがこんなに可憐な少女達だったなんて、夢にも見なかった」
「え〜! 先生もしかして口説いてる?」
「ミカさん……これは驚きました。ご存知なのですね。流石は
年相応にはしゃぐミカと、どこかこちらを警戒しているナギサ。アンバランスにも見えるが、アビドスの殺伐とした空気よりはよほど女学生らしいのかもしれない。
「改めまして、私達がトリニティの生徒会、ティーパーティーです」
皮肉なものだ。大英帝国のやり口に対し反旗を翻した者達が起こした事件。それがティーパーティーだというのに。当の本人達はまるで貴族なのだから。
ふと、ミカがそのキラキラした瞳でスネークを品定めするように見つめる。
「……へー、これが噂の先生かぁ。あんまり私たちと変わらない感じなんだね? なるほど、ふーん……うん、私は結構良いと思う! 大人って感じで! ナギちゃん的にはどう思う?」
スネークは苦笑する。首長だなんだと言っても、彼女はまだ少女だ。大人が珍しいのかもしれない。或いは、それすらも演技なのかもしれないが。
「ミカさん……初対面でそういった話は礼儀がなっていませんよ。愛が溢れるのは結構ですが、時と場所は選びましょうね」
ナギサから注意され、ミカがへこむ。
「うう、それは確かに……ごめんね先生? とりあえず、これからよろしくってことで!」
「気にしてないさ。よろしくな」
子供はこれくらい元気があった方がいい。脳裏に浮かぶのは統制されたアビドスの生徒達。スネークがあそこを去る時にはもう、彼女達は規律を重んじた軍人と化していた。当のホシノは相変わらずのほほんとしながらも、眼光は鋭く、髪型も何もかも変わってしまったようだったが。
ナギサ曰く、トリニティの外の人間がティーパーティーの場に招待されたのは初めてのことらしい。そもそも、トリニティの生徒ですら招待されることは稀なのだと。
ミカがそのことを茶化してナギサに注意され、再度話が進むと。ナギサはスネークに言う。
「こうして先生を招待したのは、少々お願いしたいことがありまして」
「お願い?」
何だか嫌な予感がする。相も変わらずまたミカが何か茶々を入れているが、それを気にしている場合では無いのかもしれない。
何やらスネークを他所にミカとナギサが軽く論争になっている。いきなり本題に入ったやり方が、ミカ的には気に入らないらしい。ティーパーティーとは元々社交界なのだから、と。
「君達が生徒会長なんだな?」
その質問に、ミカが空気を読んでくれたと喜ぶ。
「仰る通り、私達がトリニティ総合学園の生徒会長たちです」
「たちってのは、あまり聞き慣れないが……」
そのことについて、ナギサが丁寧に説明してくれる。トリニティの生徒会長というのは代々、複数人で担っているのだそうだ。
その昔、トリニティ総合学園が誕生する前。各派閥の代表達は紛争を解決する手段として、ティーパーティーを開いたことからこの複数人代表制度は始まったのだ。
パテル、フィリウス、サンクトゥス。この三つの学園の代表を中心としてティーパーティーが開かれ、今に至ると。
隣でミカが自分を無視するナギサに文句や泣き落としを敢行しているが、それすらも無視して話を続けるナギサ。だがとうとう耐えきれなくなったのか、
「うるさいですね! 今私が説明しているんですよ!?」
ナギサが怒ってしまう。
「まぁまぁナギサ……」
「それなのにさっきから横でぶつぶつと……どうしても黙れないならその小さな口に……ロールケーキをぶち込みますよ!?」
硬直するミカとスネーク。少ししてようやく落ち着いたのか、元のクールなナギサは言う。
「……あら、私ったらなんて破廉恥な言葉遣いを……失礼しました先生、ミカさんも」
「いや……」
なかなか本題に入らない。だが不意に、ナギサがその事について触れた。
「そろそろ本題に入りましょうか。私達が先生にお願いしたいのは、簡単な事です」
「簡単だけど、重要な事だよ?」
そう念を押すミカ。一体何をお願いされるのだろうか。
ナギサは真剣な目つきでスネークを見ると言う。
「補習授業部の、顧問になっていただけませんか?」
去って行くスネークの姿を眼前に見下ろし、ナギサは一息吐く。紅茶はとうに冷めてしまったが、淹れ直すのも勿体無い。ミカもパテル分派として忙しく、早々に去ってしまった。
一先ず、計画の第一段階はうまくいった。問題ごとを、あの
「指導者はいついかなる時でも堂々とするべきだぞ、ナギサ」
不意に、どこから現れたのかスーツを着た男性が、先程スネークが座っていた椅子へと腰掛ける。その光景に既視感を覚えた。
「……ミスター」
「どうだね、彼は?」
「きっと信用はされていないでしょう」
「それはそうだ。奴も私と同じく裏の世界の住人だ。容易に他人を信用などせんよ」
そう言うと、冷めてしまった紅茶をカップに注ぐ。
「ふむ。紅茶が冷めてしまったようだ」
「すぐに手配を……」
「いや、いい。たまにはアイスティーも悪くない」
そう言って彼は冷えた紅茶を飲む。だがコーヒーの方が彼は良いのだろう、少し顔を顰めた。
「それで、どうだった。あの先生は」
そう尋ねる男性に、何とも言えない表情を向けるナギサ。こういう時は包み隠さずに言ってしまうのが良い。
「何というか……その、お声がそっくりでした」
「ふふふ、だろうな。だが性格までは似てないだろう?」
ええ、と肯定するナギサに、男性は笑う。
それはそうだ、と男性が言うと彼はクッキーに手を出した。サクッと美味そうに食べる男性を見て、ナギサは言う。
「それと、例の件ですが」
「何か進展はあったかね?」
手についたクッキーのカスを払う。見た目は完璧な紳士なのに、こういう仕草はどこか少年らしい。
そんな彼に、ナギサは何かのファイルを差し出す。それを手にすると、男性は中身を一瞥した。
「……ほう」
飄々として、けれどどこか威厳のある彼の雰囲気が変わる。得体の知れないその空気に、ナギサは窒息してしまいそうだった。
「そうか。まぁいい」
そう言うと、男性は元の雰囲気に戻りファイルをナギサへと手渡す。
「諜報部に御苦労と言っておいてくれ」
「わかりました。その、ミスター」
「おっとナギサ、あまり深入りしない方がいい」
シーっと、ジェスチャーすると彼は牽制する。
ティーパーティーの現ホストである彼女すらも入り込めない闇。知りたくもあり、知りたくはないなにか。
ナギサはそれ以上、尋ねることができなかった。
「補習授業部、か」
ティーパーティーでのやり取りを知らず、スネークは一人呟く。ナギサから渡された名簿には、彼もよく知る人物が載っていた。
阿慈谷ヒフミ。あのペロロ好きの、自称普通の少女。
『全員裏は取っている。理由はそれぞれだけど、どうやら本当に成績が悪いようだ。間違えて二年生のテスト受けたり、全問間違えたり……こりゃ酷いね』
「ナギサも何か隠しているようだ。ミカもまだ手の内が分からん。だが……」
困っている生徒を見捨てることはできない。
スネークは先生なのだから。彼女達を導くのが、彼の役目なのだから。