篝火の消えぬキヴォトスより   作:ぞんぞりもす

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楽園への始発点
プレゼントの皮を被った宣戦布告


 一人の少女が風紀委員会本部の階段を上っていた。委員長の部屋を目指していた。一段いちだんを軽やかに、半ばスキップのように進む。金色のショートボブが動きに合わせて揺れる。ワイシャツに鮮やかな水色のネクタイを留め、黒のスラックスの出で立ち。ベルトを隠すように巻かれたホルスターには、無骨なハンドガンが収められている。

 名前を望月(もちづき)カガリといった。下腹のゆらゆらがなくなってから一七年、空崎ヒナと出会ってから少なくとも一二年が経っていた。

 

 階段を上り切って右に曲がって、委員長室はすぐそこだ。自然、雪のような肌に柔和な笑みが浮かぶ。

 くたびれた運動靴が暗い市松模様の上を進んでいく。硬質な床だ。そこはアコやヒナが歩けば材質にふさわしい音を出す。

 

 

 右手でグーを形作り、鉛筆で文字を書いたら真っ黒になる場所で三回ノックした。黒檀か何かのがっしりした扉は雑なノックに悲鳴のような大きな音をあげる。カガリは右頭部の折れていない巻き角にかかった髪を払った。

 

 

「失礼しまーす!」

 

 

 許可は出されていない。

 ヒナがため息をついた。アコが闖入者を睨む。

 

 カガリは二人へ笑顔を振りまく。次いで真っ赤な瞳がヒナに注がれた。

 

 

「提案があります!」

「却下」

 

 

 カガリはヒナの机まで歩く道中で声を上げた。三人しかいない委員長室にふさわしくない声量だが、誰も注意することはない。

 机までたどり着いたカガリは、その上に広がる無数の紙に触れないように手を叩きつけた。

 ヒナはカガリに目もくれない。頬杖をついた彼女の視線は眼前の紙に向けられている。

 

 

「山奥で演習をしよう! 合宿だ!」

「いってらっしゃい」

「さあ、現実から駆け落ちだ!」

「却下って言っているのだけれど……というかそれ、命の保証ないわよね?」

 

 

 ヒナはやっと顔を上げた。カガリは溌剌とした笑みでヒナに手を差し出している。

 

 アコが二人の間に割って入ろうとしたが、カガリがわーわー騒いだせいで、言い合いをヒナに止められたせいで、委員長室は再び二人が見つめ合う空間となった。

 アコが睨みつける先で繰り広げられる、机を挟んでのしょうもないやり取り。多忙な委員長の時間は有意義に使われなければならない――それを信条に掲げるアコにとって、やるせなさばかりが募る時間だった。

 

 

「エデン条約の調印式まで、もう少しだよね?」

「……ええ、そうね」

 

 

 圧のあるカガリの笑顔。

 カガリが前のめりになった分だけ、ヒナは体を後ろにやった。椅子が軽く音を立てる。ヒナは嫌な予感を覚えながらも頷いた。幼馴染の思考は読めないが、間違いなく余計なことを考えている。ヒナには確信があった。が、頷くしかなかった。

 

 

「僕さ、トリニティとの友好の証に、カタルシス(浄化作用)()()()シスターの銅像を送ろうと思うんだけど……。これって名案じゃない?」

「それは、どっちのかたる?」

「ご想像にお任せします。ちなみにですけれども、カタルシスというのは抗いがたい負の衝動や欲求が開放された心情を表すので、観点を変えれば、官能的な表現にもなり得ますね!」

 

 

 両拳を握りこんでの力強い発言。自信に満ちた表情。

 

 カタルシス――快感を語るシスター。

 カタルシス――精神の浄化作用を騙るシスター。

 カタルシスを語るシスター。

 

 ヒナは素早く思考を巡らせる。ここで重要になってくるのは、犬猿の仲であるゲヘナからトリニティへ贈られる品だということ。最後の意味だったらいいなと思いながらも、ヒナの表情には疲れが滲んでいる。付き合いの長さが『最後だけはない』と理性に訴えかけていた。首を振って余計な思考をふるいにかける。

 

 

「形は? その銅像の」

「M字開脚とか――」

「却下。宣戦布告をプレゼント形式でやらないでちょうだい。問題が起きたら解決する……それが私たちよ。問題を起こす側に回らないで」

 

 

 カガリは天井を見て唸り始めた。

 その様子にヒナは安堵の息を吐く。染み一つないそこを見上げたところで回答は浮かんでこないだろう。

 

 

「……困ったなあ。ちらっ、ちらっ。ヒナが演習に来てくれないと何かの手違いで贈ってしまうかもしれないなあ。ちらっ、ちらっ」

「擬音を声に出されたら絶妙に気持ち悪いからやめてちょうだい。あと動作に合わせて大げさにこっちを見ないで」

「目を見て話すのはコミュニケーションの基本だよ。僕は基本に忠実に話している」

「それならまずは却下された提案を推し進める()()()を見直したほうがいいわ」

「分かった。それなら山奥での演習じゃなくて海辺での演習にしよう」

「私が見直してほしいって言ったのは提案じゃなくて性格のほうなんだけど……」

「僕の性格のどこが問題だって?」

 

 

 返答は成されない。ヒナは頭が痛いと言わんばかりに首を振っていた。機械が同じ規格の製品を作るときのように、正しい角度と回数、秒数での動作だった。紫がかった白髪だけが不規則に空を切っている。

 

 

 カガリは表情の豊かな少女だ。それは特に笑顔のレパートリーの多さに起因している。ヒナの眉間のしわが深くなるほど、カガリの笑みは爽やかになっていく。

 カガリは今、柔らかな午後の日差しに手で影を作り、秋風が肌を撫で、紅葉を背景にしているような表情だ。季節や天気は一致しているが、ここは委員長室である。女子高生が、缶詰状態で業務に追われている、フローラルとは言いがたい香りが漂う委員長室である。

 

 

「この論争、出口が見えないわね」

「出口の見えない迷路に二人きり……冷めた結婚生活の実演?」

「妙に現実味のあるボケはやめてちょうだい」

 

 

 ヒナは紙をまとめて机の隅に重ねた。表情は険しいままだ。

 

 

「それで、合宿? 演習? をしたいのは分かったけど、その計画の内容は?」

「今のところ『無計画けいかく』を立てているよ」

「ええと……。つまり、行き当たりばったり? そんな……カガリ?」

 

 

 困惑をあらわにするヒナ。

「つまりですね委員長!」アコが割りこむように入ってきた。カガリを押しのける。カガリとはまったく異なる必死の笑顔だった。胸に抱いていた資料を、風を切る音が聞こえそうなほどの速さでヒナに渡して説明しだした。

 

 押しつぶされていた豊満な胸が突如として開放され揺れていた。カガリはその様子に一瞬だけ気を取られたが、意識して視線を外し、応接スペースのソファに腰を下ろした。思い出したように立ち上がって換気扇のスイッチを入れてソファに戻った。

 

 

 沈み込む体。カガリの動きに合わせて良質なソファから弾力で答えが返ってくる。容器からコーヒーを注ぐ。背もたれに身を委ねて、磁器のマグを顔に持ってくる。酸味のあるコーヒーの香りだ。

 二人は秋の演習について、ほとんど完成している計画をさらに煮詰めている。

 

 カガリは何度もボケをふっかけて満足し、それを黙って聞いているうちに寝てしまった。非番だから気ままに過ごしている。

 ヒナが最初に声のトーンを下げた。ため息をついたアコも、ときおり熱くなっていたが、基本的には静かに話し合いを進めていた。

 

 

 秋合宿。夏休みに海へ行ったにもかかわらず追加のように演習計画が立てられたのは、主にカガリのわがままのせいだった。ワーカホリック気味なヒナに少しでも休んでほしいと、エデン条約に関してのもろもろが九割決まったころに、アコに持ちかけた。その話は急速に現実味を帯びていった。

 

 缶詰で仕事をするのと自然と触れ合える環境下で仕事をするのでは、圧倒的に後者がいいだろう。集中力は長続きし、メンタルは回復し、風紀委員会で過ごす思い出も作れる。結束力につながる。

 

 カガリは心理方面での効果を説き、アコはできるかどうかを説いた。アコが持っていたのは、それが形となった資料だった。

 

 

 委員長室には三人しかいない。そして日が沈むころには、合宿の人員以外はすべて決まっていた。

 目を覚ましたカガリが大きく伸びをする。いつの間にか掛けられていたブランケットが太腿の上でしわを作った。ヒナが手ずからアイロンをかけてくれるワイシャツは毎日ぱりっとしている。カガリはその伸縮性のなさを感じさせない動きをしていた。すっかり冷えたコーヒーを飲んで立ち上がった。終業の時間だ。

 

 

「明日すぐに出欠を取るわ。夏にもやったのだから、無理強いはしない。あくまで希望参加。あまり予算にも余裕があるわけでもないのだし……。カガリはそれでいい?」

「へ? 任せるよ?」

「あなたが提案したんでしょう……?」

 

 

 カガリはアコとヒナを交互に見た。カガリは財政にあまり詳しくない。計画のたたき台をぶん投げてあとは二人に任せるつもりでいた。

 気づけば換気扇が止まっている。部屋を照らすものは日差しから人工光に変わっている。

 

 怪訝な視線を受け、首をひねってうんうん考えたカガリは、思いついたことを口にする。

 

 

「自由参加でもいいかもしれないけど、人数は多いほうがいいんじゃないかな」

「それはどうして?」

 

 

 帰ろうとしてドアまで移動していたカガリは、ヒナの質問に首だけで振り返る。その表情もまた、困ったような笑い顔だった。少しのあいだ言うことを躊躇して、ヒナとドアへ視線を反復横とびさせて、やがて肩を落とす。体ごと、二人に向いた。遅れて動く金髪は力なく揺れている。

 

 

「エデン条約、無事にいくと思う? いや、いくに越したことはないんだけどさ……」

 

 

 うまくいかないだろう。カガリは言葉の外で雄弁に語った。聞いた二人は苦い顔になる。そして顔を見合わせる。

 薄々思っていたことで、他人には聞かせられないような内容。室内にいる三人は明言をしていない。それでも心境は共有された。

 

 

「ヒナの手腕は疑っていないよ。でも、イレギュラーを疑っているんだ。大きなことにはそれがつきものだから。……でもまあ、イレギュラーが起こったおかげでより二校の結束が深まることも考えられるんだけどね。それにトリニティへの不信があるわけでもないんだよ。ゲヘナの僕たち以外を疑っているわけでもない」

 

 

 カガリはたくさんの言い訳をした。けれど、つきまとってくる小さくて薄い影を手で振り払おうとしても、それは実態がないのだから振り払えない。マイナス思考が呼び水となって仮定のドミノが長くなる。いつかカタカタと陽気な音を立てながら心を決壊させる。長くなるドミノに、心が黒く塗り拡げられている。

 

 カガリの表情はよく話した。

 

 

「分かったわ。どちらでもいいと答える生徒にも積極的に参加させましょう。行きたくないと答えたメンバーは……仕方ない。場所は去年も行ったことだしね」

「敵の想定も、できればトリニティの自警団とか正義実現委員会だとありがたいんだよね……」

「考えておくわ。でも、それだとトリニティに話が入ったときに誤解されかねないから、おそらくなしになるわね」

「まあそうだよねー。僕の銅像と同じくらい喧嘩を売ってることになる」

「喧嘩を売ってる自覚はあったのね……」

 

 

 カガリは肩を竦める。

 そのあとしばらくドアの前で、ヒナとアコが帰り支度を進めるのをじっと待っていた。カガリが口を開いたのは、帰り支度がほとんど終わり、上着を羽織っている最中のことだった。

 

 

「うまくいくのが一番いいんだけどね~……。なーんか、なーんかね~……うまくいかなさそうなんだよね」

 

 

 キャッチボールのように山なりの弧を描くふありとした口調だった。

 アコがドアのほうへと歩きながら返答する。

 

 

「それ、私たちの前以外で言うのはやめてくださいね」

「おーけー。それなら明日、合宿の出欠を取るときにでも言ってみようか。アコもヒナも、ちゃんといるときだもんね?」

「人前で言わないでください」

「つまり、アコとヒナは人をやめていた……?」

「ですから!」

 

 

 からからと笑うカガリ。

 もう、と少しすねた様子を見せるアコ。

 ほほえんで見守るヒナ。

 三人の内心は一致している。エデン条約がうまくいけばいいが、その可能性は低いだろうと。そしてまた、エデン条約がうまくいくことを望んでいる理由もまちまちだ。

 

 合宿場所はヒノム火山近郊。これはカガリが絶対に曲げたくないと主張して飲ませた条件だった。

 射撃訓練場にカガリの荷物を取りに行ってから、アコと二人は別れた。カガリとヒナは同棲していた。

 

 

 残照が山の稜線を際立たせている。赤く色づき始めた豊かな生命は、今は影のせいで黒ずんでいるように見える。高い建造物や家、街灯の光がぼんやりとした輪郭をまとっていた。

 すでに、夕焼けと闇のせめぎ合いは後者が有利となっていた。じきに深い紺色が世界を包みこむ時間となるだろう。気が遠くなるほど繰り返された一日の終わりは、今日も同じように、機械的に繰り返されていく。

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