訓練に生きるものの執念。
カガリはそれを、アリウス分校の生徒が持つ飾り気のない銃器から感じていた。だから信用した。九発撃ち、リロードのタイミングが読まれていることを。
アツコが困惑する刹那のうちに狙いをつける。相手よりも早く、カガリの.357マグナムが火を吹いた。
足に三発命中。アツコの頭部を殴りつけるためにバランスを崩させた。獰猛な笑みを浮かべたカガリが銃身を振り上げる。
(――まず一人)
そのとき、スナイパーライフルの弾丸が銃身を貫いた。衝撃でカガリの手から銃身が飛んでいく。
驚くカガリに9mmパラベラムが注がれる。カガリは怯まない。.357マグナムを連射する。
威力減衰がほとんどない近距離での全弾命中は、両者に多大なダメージを与えた。
二人は弾き飛ばされるように距離を取った。
アツコはミサキのもとへ戻り、カガリは左半身を押さえながら、とにかくその場から撤退した。
クラスター弾が着弾した。爆風がカガリの背を押す。
なんとか通路を横切って――斜め後ろから変に殴られたような感じがした。つんのめったが両手をついて勢いを殺す。何が起こったのか把握しようと顔を上げたカガリ。その視界に、上から下へ、角が落ち、軽い音を立ててアスファルトに転がった様子が映し出される。
――また、やってしまった。
カガリの顔に一瞬だけ後悔が浮かぶ。反射的に角を回収し、コートにむりやり入れた。
次の攻撃が来る前に適当なビルに忍びこんだ。
地べたに座りこむ。耐えきれずに上体が前へと傾く。両手を支えにして堪える。今ここで額を床につけたら、終わってしまう気がした。冷たく固いものと同化してしまう。
反発をつけてなんとか起きた。
カガリのワイシャツには、べっとりとした赤い花が咲いている。
気を抜けば過呼吸になってしまいそうだった。深呼吸を意識する。ゆっくりと、ゆっくりと。つらいときに深呼吸を意識することには慣れていた。久しぶりにやったが、体が違っていても馴染んだ動作となって、徐々に心に凪が広がっていくのが分かった。
「……もう、嫌だよ」
限界を迎え、弱音を吐く。自分を構成している大切なものが、ぼろぼろとこぼれ落ちている。根拠のない確信だ。しかし、何かが脆く崩れていく。
あたたかな液体が視界をぼかし、頬を伝う。手に付着した生命が、透き通った液体を拭ったせいで薄れていった。
泣いて、泣いて、泣いた。
それは実際にはとても短い時間だったけれど、カガリの心を折るには十分だった。
痛い。苦しい。助けてほしい。
自分の過去と混ざり合い、意識がちぎれてどこか知らない場所に飛んでいってしまいそうだ。
薄赤くなった手のひらを見つめる。
ここまでなのか。
落ち着きを取り戻したからこそ、今度は深い絶望にさいなまれる。
感情で負けると思っている。
理性が負けると言っている。
勝ちようなど、どこにあるのだろう。カガリは細く淡く笑う。心には、もう十分ではないかという諦念が生まれていた。
ヒナを逃がすくらいの時間は稼いだだろう。
ここまで頑張って、最終的にヒナに心配をかけては元も子もない。
痛めつけてやりたいという気持ちは消えていないが、どうしてもというわけではない。
抵抗をやめる言い訳などたくさん思いつく。
しかし、諦めたら、また。生命が絶たれてしまう。
諦めなければ勝てることを、五歳のときにカガリは学んだ。
気がつけば涙は止まっていた。呼吸も落ち着いたものに変わっている。緩慢な動作で握り拳を作って、開く。何回か繰り返す。体は、動く。
何かが着弾する音と同時に大きな揺れが起こった。ガラスが割れた場所から煙と風が肌を撫でて、たちまち五感に
立ち上がり、愛銃を手にビルから飛び出す。
どうやらクラスター弾をランダムに撃ちこんでいたらしい。一部が崩落した建物がいくつか目についた。かくいうカガリのいた場所も、大きな音と塵を作り出して原型を失っていった。
「反射的に逃げて正解だったよ……自分が倒壊に巻きこまれてたら世話がない。まったく、危ないな」
再認識した。相手は殺す気できている。それならばこちらも、相応の歓迎をしなければならない。
細い意識の糸を手繰り寄せ、息を整えて心身をいたわる。やはり重い感じがする。積もり積もった極限状態による心身の疲労は隠せない。
でも、清らかに笑える。
死んでもいいことと、死にたいことは違う。
闘志が炭になっても、まだ、燃えることはできるはずだ。瞳が輝きを取り戻した。
まだまだ。まだ、まだ。
「散々我々を馬鹿にしたと思ったら、今度は泣いていたのか。意味の分からん愚かなやつだ。抵抗をやめれば、すぐに楽にしてやろう」
「嫌だよ」
「くだらん。すべて無駄だ。なぜそこまであがく? 我々アリウススクワッドが戒律の守護者を従えた時点で、貴様は終わることが決まったのだ」
「そうかもしれない。でも、抗うと僕が決めて、選んだ。たとえそれが不正解だったとしても僕は自分を曲げるつもりはないよ」
「ほざいていろ」
歩いてきた背の高い少女は、倒したと思っていたリーダー格の子だった。鋭い眼光だ。拭いきれない憤怒と絶望と憎悪がある。
「ゲヘナも、トリニティも……片付くのだ。きれいさっぱりとな。我々の憎悪とともに」
「好きにすればいい。滅ぼしたいのなら滅ぼせばいい。でも、僕は戦うことを決めたんだ。残念ながらね。だから、戦う」
「……話の通じないやつだ。記念すべき一人目にしてやろう」
「お前の
「貴様……!」
ウインクをする余裕すらあった。
もしもヒナに抱きしめてもらえなかったのなら、今ごろ自分もあちら側だったのだろうとカガリは俯瞰する。
だが、知ったことか。
サオリがアサルトライフルの照準を合わせるよりも早く、カガリは動き出した。
生気は薄い。勝ち目も薄い。分かっていながら、抗う。
それはサオリをメインに据えたパーティー戦のようだった。
サオリと距離を取ればロケットランチャーとスナイパーに狙われる。近距離戦を強いられれば、銃の性能差と格闘戦の実力で押される。
今だって、少しサオリとの距離が空いただけで大口径のライフル弾が風を切って通り過ぎていく感触があった。急いでサオリの近くにある街路樹へ身を寄せる。もしかしたら貫通するかもしれないので石材を探した。
カガリが先ほどまでいた場所に爆煙が立ち上る。地面が一部がえぐられ、地面だったものの破片が宙を舞い、あたりに散らばる。ビルの内部に隠れて狙撃しようとしても捕捉され続けているため、カガリは動きっぱなしだった。
後援のリロードの隙に息を整えようとするが、そこに近寄ってくる足音がある。
「また肉弾戦か……!」
銃を持ったままでの攻防だ。
サオリの鋭い拳が、鋭い蹴りが、カガリに降りかかる。ときに片手で銃撃される。
かわし、いなし、銃を撃って狙いを反らし、カウンターの瞬間をうかがう。
足場が悪いせいで動き回れない。まるで狭い円形の範囲をぐるぐると踊っているように二人は戦っている。
もしも足がもつれたら、もしも大きめの石を踏んでしまったら。カガリの想像が加速し、極度の集中を作り出す。体勢を崩すわけにはいかない。
サオリとカガリでは、リーチが違っていた。それがカガリの劣勢の要因だ。カガリはゲヘナの中では身長があるほうだが、それ以上にサオリのほうが大きい。
サオリはそれを分かっているから、無理に詰めてこない。一方的に攻撃できる位置にいる。今も優位を崩していないから、話しかける余裕が生まれている。
「よく動くな」
「そりゃどーも」
「だが圧倒的に実戦経験が足りないな。所詮ままごとの域を出ない」
「互角のお前もね」
虚勢だ。両者の視線がかち合う。
カガリはサオリの鋭い突きを見切り、避けた拍子に彼女の手首を掴もうとする。
「――ふっ」
ニヒルな笑みを浮かべるサオリは、カガリの思考を読んで伸びてきた手を叩き落とした。手首のスナップを利かせて威力を跳ね上げている。
痛みに悶える暇はない。銃撃で濁して、両者はサオリの間合いに戻った。
カガリが苦渋の決断を強いられる。崩すためには、相手に飛びこまなければならない。
その迷いをつくように左から繰り出されるサオリの回し蹴り。風を切る音がする。キヴォトス人の膂力がそれを可能にしている。
カガリは右手で、サッカーの上手いトラップのように、受け止める瞬間にサオリの蹴りの方向に運動を合わせて勢いを殺した。一瞬だけ怯んだ隙に銃撃。だがサオリも銃を持っている。互いに数発体に傷を負った。
「厳しい」
付かず離れずの距離で睨み合う。
カガリはコートのおかげで、ある程度攻撃の予備動作を隠せる。だがそれはサオリも同じだ。これで優位にはならないし、なんなら体の使い方や動作の隠し方を分かっているサオリのほうが優位になりうるだろう。
懐から角を取り出してナイフに見立てて構え、右足を前に出して半身になる。伸ばす射程は少しでいい。身を低くする。相手をまっすぐ見上げ予備動作を見逃さないようにする。トリガーに常に左手の指をかけておく。
右手に銃を持っているサオリはただ立っている。しかし
「――!」
ゆらっと体を斜め前に傾けて低姿勢。強い脚力による急加速。あっという間に距離が縮まる。
サオリの左脚が動く。カガリの太腿裏を狙ったローキック。カガリは角を防御に使い、刺そうとした。
しかしそれはサオリのフェイクだった。ありえない体幹で脚を地に戻し、着地の反動を体のひねりとして加えて銃で殴りつけてくる。カガリは上体を反らして避ける。その隙にサオリを狙って銃撃する。
「うわ――」
果たしてカガリの銃撃は当たった。サオリの腹から肩にかけて当たった。しかしサオリは怯まずに、身を低くして長い脚――正確には足首をうまく使ってカガリの踵に引っかけて刈り取った。もとより上体を反らして回避行動を取っていたカガリは重心が後ろに傾いており、足払いにかんたんに引っかかった。
だがカガリは、尻もちをつく動作の途中でさえ、サオリへ弾丸を撃ち続けた。近いせいで狙いは不要。連射――乱射もいいところ。
サオリは舌打ちをして後退した。カガリの銃撃が何発も当たっている。
一方でカガリは身を起こすとすぐにその場から離れた。途端に降り注ぐ銃弾と擲弾。
粉塵の立ちこめる視界。相手は正面、そう遠くない。どう動くか。
サオリは考える。
(デザートイーグルは多くても九発しか装填できない。ミサキやアツコの話でもそうだったが、あの絡繰はなんだ? 私が見落としているだけか?)
サオリの見る限り、カガリは戦闘中にマガジン交換をしていない。数十発撃ち続けている。武器は網羅しているのだ。だからこそ、なんの変哲もないデザートイーグルが異様に不気味なものに映った。
知識が恐怖を掻き立てる。それでも思考は鈍らない。
(残弾は無限ではないだろうが、無限と思ったほうが足元をすくわれないだろう。それなら、本格的に肉弾戦に持ちこむか)
相手にしか分からない土俵で戦うよりも、自分も相手もルールを分かっている土俵で。そして、自分のほうが有利であるほうへ。
粉塵は風に運ばれた。視界は金髪の少女を捉えている。
口もとを歪めたサオリは銃を天へ投げる。そしてカガリの懐へ駆け出した。
「なっ」
撃ってもサオリは怯まなかった。
カガリは迷う。自分も銃を投げるかどうか。一瞬の迷いのうちに肉薄してくる影がある。片手でサオリの――おそらく自分よりも格上の――攻撃を防げるか。無理だ。カガリも愛銃を手放した。戦闘中に見つけていた銃身のほうへ転がした。半身になって左手を引く。
リーチのわずかな差が、カガリを窮地へと追いこんだ。サオリはカガリの間合いに入ってこない。安易に詰めれば刈り取られる。しかし詰めなければそもそも攻撃のチャンスが生まれない。じりじりと敗北の色が濃くなってゆく。風を切る音とともに繰り出される突きをいなし、回避し、受け流す。ときおり瓦礫に刺さらないものかと誘導する。
カガリは肉弾戦の基礎を知らない。互角に戦えているように見えるのは、相手が動いたのを確認してから攻撃を予測し、今まで培ってきた体の動きで咄嗟に対応しカウンターを決めているからだ。自分から仕掛けられるわけではない。
サオリは滑るように後退してカガリの射程から出て、かと思えば前進。急加速。肉体の挙動を越えている。
攻撃の勢いを殺したのはいいが、反撃する前にまたしても範囲外に出られる。
余裕の表情を浮かべるサオリ。
顔を険しくするカガリ。
(殴られる覚悟で仕掛けるしかないか)
痛いものは痛い。殴られる趣味もない。慣れていないことは、怖い。人にはリミッターみたいなものがあるとカガリは考えている。たとえば、人を殴るときに無意識に力を緩めてしまうような。それが相手についているとは考えられなかった。
それでも一息で恐怖を吐き出して、相手が踏みこんでくる瞬間を待った。
ちらりと上に視線をやったサオリが再びカガリとの距離を詰めてくる。
(やるしかない――)
サオリの胴体を狙った一突き。
「甘いな」
さっと横に避けたサオリが、伸びてくるカガリの腕とワイシャツの襟を掴み一思いに背負って投げた。
柔道の技は基本的に、相手が受け身を取れるように配慮されている。これは、実践用の技だった。
勢いのままに体を地面に打ちつけたカガリが目を見開く。酸素がない。息が詰まる。角が乾いた音を立てて遠くに落ちた。
「脇が空いていた。投げずともいくらでもやれたな」
カガリはすぐさま起き上がったが、サオリから蹴り飛ばされた。胸を蹴られたせいで呼吸が止まった。ごろごろと地面を転がって必死の思いで立ち上がる。周囲を見渡すと、すぐそばにカガリの愛銃と銃身が転がっていた。
サオリの様子をうかがう。詰めてくる気配はない。移動しなければ追撃が来る。
(いや、待て? なんで銃が握られてる?)
カガリの視界には銃を持ったサオリが映っていた。首を傾げる間もなく結論にたどり着いた。
(まさか、狙って投げていた――)
カガリは敗北を悟った。この戦いは、負けだ。
ならば次に賭けるまで。コートにすかさず手を入れた。サオリ以外の敵の位置を目視で確認する。
「近距離は銃の間合いじゃない。そうだ、そのとおりだ。だが貴様は踊らされていたんだ」
勝ちを確信したサオリが愉悦の笑みを浮かべてご高説を垂れる。無慈悲な音が戦場に響いた。
サオリは踵を返そうとする。が、妙な悪寒が背筋を下から上へ伝わった。瞬間、何かが吹き出す音。振り返る。視界が煙に覆われる。
(まさかスモーク!? いったいいつ……)
考えているうちに聞こえる破裂音。どうやら自分の周囲で何かが爆発しているらしい。
「貴様――」
血走った目でカガリが吹き飛ばされた場所へ向かう。いない。いつの間にか転がっていた武器が消えている。油断――罰。浮かぶ苦い記憶を封じこめ、サオリは辺りを探し始めた。
その最中にアツコを見つけ、アズサと出くわしたのだった。
○
カガリは撃たれる直前、コートから取り出したスモークグレネードを転がしていた。発火炎と勝負が決まったという確信のせいでサオリはそれを捉えることができなかった。
あの発砲音は決して勝鬨ではない。弱者である利点は、相手を油断させられることだ。
撃たれた衝撃で飛ばされたが、なんとかデザートイーグルと銃身を回収した。度重なる被弾に加えて、近距離での銃撃と容赦のない蹴りに襲われ、体はぼろぼろだ。
拾っていた手榴弾をすべて煙に包まれた空間の奥へ投げた。これはアツコを狙っての投擲だった。狙った通りに投げられたかは自信が持てない。あまりにも体が痛い。
アツコの位置は捉えていたし、爆風で銃を手放してくれていれば万々歳。
タンクが目障りだった。タンクと一対一でやり合っているうちに後援は態勢を整えるし、タンクが離れれば準備を整えた後援からの銃撃が来る。それをいなしているうちに、今度はタンクが回復している。その無限ループは緩やかに決定される敗北だ。
状況を脱するには、不意打ちで一瞬のうちに叩くしかない。カガリはそう考えた。アツコになら勝てる。サオリは駄目だ。逃げ回りながら体力を消耗させ、細かく傷つけ、精神を摩耗させ、味方を減らし、仕留める。最後でなければ、彼女はやれない。カガリは経験に裏打ちされた直感に従った。
息と身を潜めて歩く。少しでもアツコがいたほうへ。銃が飛んでいっていそうなほうへ。
煙は風に流されつつある。視界が晴れたら最後、文字通りカガリの
かつん、と何かを蹴った。確認すればそれは、アツコの持っていた銃にそっくりだった。思わず口角が上がる。
(このあたりに潜めば……!)
アツコがどこから来るかは不明だ。だから瓦礫の裏や木の裏に隠れる必要はない。かといって建物に入れば、銃を取りに来たアツコを見逃すかもしれない。悩み、カガリは、銃を視界に収められるぎりぎりの平地で身を低くすることにした。
一秒、一○秒、一分。
呼吸に塵がまじらなくなってきた。引かなければ、いずれ見つかる。
(――あれは!)
カガリは薄紫のおさげを持ち、ガスマスクを着けた少女を捉えた。
ぬらり。緩やかな動から一気に加速、手首や腰のひねりを加え、渾身の力で銃身を振り下ろした。その一撃はフードに当たった。重力に引かれるまま倒れたアツコを見下ろす。
もう一撃加えるかどうかで、迷う。振り上げられた冷たい銃身が固まる。
銃弾が銃身を弾いた。
カガリがはっと顔を上げる。
(まずい! 時間をかけすぎた!)
弾かれた銃身を拾う時間すら惜しい。カガリは何もせずにその場をあとにした。
数秒遅れてそこまで走ってきたサオリは姫を優先した。
響いた叫び声は、離れていったカガリの耳にも届いた。
まずは一人だ。
ああ、どうしてこんなことをしているのだろう。
カガリの自問には、誰からの返答もなされない。