ゲヘナ学園の敷地外れにある、今はもう使われていない射撃練習場にカガリは来ていた。
新鮮なものを見る表情で、受付、廊下、更衣室と抜けていく。電気が通っておらず、どこもかしこも薄汚れている。カガリの歩いた場所にははっきりと足跡がついた。その歩幅は普段よりも広かった。
やがて野と繋がった開けた場所に出た。使い古されて傷だらけになった金属の丸い的と、穴と変色の目立つマンターゲットが至るところに置かれている。伸びに伸びた一年草の陰に、更にぼろぼろの的が投げ捨てられていた。
病院生活があまりにも暇だったこと、寝たきりでは体が衰えてしまうという恐怖があったこと、リコイルの感覚が手から抜け落ちてしまいそうな不安に駆られたこと。それらの感情に耐えるだけの数日を過ごしたカガリは、ふとここの存在を思い出した。
もちろんあの二人には勝手な外出を止められているが――多少なら許されるだろう。まして生死などかかっていないのだから。
カガリはそう考えて個室から抜け出した。決まった時間にセナとヒナがそれぞれ様子を見に来るだけで、ほとんど人の出入りがない場所だったので、抜け出すのはかんたんだった。
新しい銃すら買っていなかったが、辺りを散策すると整備状態の怪しいH&K USPがすぐに見つかった。開発されたのは昔だが、いまだに現役で生産されているハンドガンだ。9mmパラベラム弾もあった。
弾丸は化学反応を利用しているから、長年放置すれば劣化する。劣化した弾丸は非常に危険な爆発物となる。たとえばキヴォトスに普及している無煙火薬は、経年により中の成分が分離し、雷管を叩かれた瞬間の燃焼の圧力が極めて高くなり、銃口から弾が飛び出すまえに銃を破壊し射手を傷つけることがある。
カガリは少しだけ迷い、新品同然の小火器がないことに肩を落とし、まだなんとか新しそうなハンドガンと弾丸を手にした。マガジンを抜き、中の弾を入れ替え、装填し、構える。デザートイーグルよりもずいぶん小さく、軽い。
一番近くの的に命中した。軽い音と軽い反動に、カガリは自分が書き換わる恐怖を覚えた。スプリングが劣化していたらしく、装填不良が起こった。
ため息をついて手近なテーブルに銃を置く。足を出入り口に向けたとき、寒気を覚えて的のほうに視線を動かした。
背の高い一年草をかき分けて、人型の何かが近づいてきていた。
藪の中から一番遠くの的付近に出た。全貌を視界に収めたカガリの顔が歪む。
「何あれ……」
なんとなく見覚えのある雰囲気だったことが、余計に不気味だった。ヒノム火山のあれと酷似している。直感した。
途端に口の中が乾き、剃っているはずの産毛が逆立つ。正面から目が離せず、体が凍って動かない。
(こ、こっち来る……!)
応戦しなければやられる。ヒナとセナから口酸っぱく言われたことは、意識から滑り落ちていた。
手近なボックスマガジンを引っ掴んで、すっかりうらぶれてしまった風紀委員のコートの内ポケットに詰めていく。
銃を取って狙いを定める。最も近い人型は、近い的と遠い的の中間くらいまで進んでいた。
「あっそうだ――!」
引き金が固まってしまったH&K USPを反射的に投げ捨て、替えを探す。見つからない。
自分が扱えない種類の銃や、手榴弾が目に入る。
敵はその間にも近づいてくる。
カガリは投げ捨てたハンドガンを急いで回収し、手榴弾を持てるだけ持った。落とした衝撃で弾が薬室に正しく装填されたらしかったが、信用できないため、できるだけ撃たないと決めた。できれば交換したい。
屋内に戻る。空いている個室や更衣室を探す暇はなかった。廊下をきょろきょろしながら歩くので精一杯だった。
時間稼ぎのために投げた手榴弾はほとんどが不発だった。経年により内部が腐っているらしかった。
敵は建物を回りこんだりせず、ゆっくりとカガリを追った。練習場の玄関まで移動したとき、すでにカガリは息も絶え絶えだった。
体が内部から食われているような激痛に襲われる。
自分にかかる重力が膨れ上がったかのように体が重い。
これは調印式でかかった負荷よりも軽かったが、使命感もなく、恐怖に駆られており、神経物質にも頼れない今の状況では、カガリを非捕食者に変えていた。歯を食いしばって耐え、むりやりの笑顔を作り出す。
外は曇っていた。
秋風が吹く。鮮やかな紅葉と常緑樹が音を立てる。呼吸のたびに、毒でも吸いこんだみたいに体が痛む。
見晴らしのいい外で体が動かなくなるのは、まずい。
だが、籠城戦――長期戦は自分が不利になるだけ。カガリは思わず苦い顔になる。
玄関先で立ち止まっているせいで距離は縮まる一方だ。
コートの外ポケットをまさぐる。連絡が来たらどうしようという後ろめたさからスマホを置いてきたのだった。カガリは天を仰いだ。薄暗い天井が迫ってくるような感覚に襲われた。
不気味な存在に捕まったら何をされるか分からない。怯えが想像を悪い方向に加速させ、本能に訴えかける。
逃げなければ、生きられない。
新たに生まれた指標に従って、カガリは足を動かした。
練習場から出て間もなくのことだった。
結局カガリは、最初に装填不良が起こったハンドガンで応戦しながら後退していた。舗装された道をこのまま進めば間もなくゲヘナ本校舎付近に出る。
リロードの合間に手榴弾のピンを抜く。駄目元で投げると、それは運よく爆発した。
「――うわっ」
爆風に体が取られ、尻餅をついた。爆煙が風に運ばれる。気づけば敵は一体にまで減っていた。現れた人型の炭の中で唯一、額に角が生えている個体だった。
「もう少し……!」
じっと一体を見つめる。自然と口角が上がる。
立ち上がらずに狙いを定めた。軽い反動で弾がいくつも射出された。一五発撃ち切る。
足を止めない敵にカガリは首を傾げた。そういえば、他の敵も足を止めなかった。9mmパラベラム弾のストッピングパワーなどたかが知れているが、だとしてももう少しリアクションがあってもおかしくはない。加えて、目を凝らして着弾地点を見ても、貫通している様子がない。
カガリは怪訝な表情を浮かべて迫りくる敵を見上げた。
瞬間に背後から聞こえたクラクション。けたたましい音が近づいてくる。
「――えっ」
聞き覚えのあるエンジン音は通りを駆け抜けカガリを追い越し、敵に突っこんでいった。
ぼごん、という衝突音にカガリは顔を引きつらせた。その表情のまま、すごい勢いで宙を舞った敵を見送る。
「ご無事ですか?」
救急車両からセナが降りてきた。こくこく頷くカガリの様子に、セナの雰囲気が柔らかくなる。
「そろそろ脱走する頃合いと思いましたので。行く場所をメモにでも書き置きしてくれればもっと早く到着できたのですが」
「……それって、脱走なの?」
「その話は置いておきましょう。そもそも安静にしてしてください」
ぐうの音も出ない正論から顔を背けながらも、カガリは差し出された小さな手を取る。体の痛みをセナに悟られないよう弾みをつけて立ち上がった。
セナはすぐさま荷台へとカガリを案内した。
「ひとまず風紀委員に支給されている標準のハンドガンを持ってきました。H&K USPです。デザートイーグルを使っているカガリにとっては
カガリが手に同じ武器を持っていることに気づいたセナが顔をしかめる。
「それは、しっかりと整備されているものでしょうか?」
「いや。さっき装填不良が起こったから、おそらく中のバネがヘタってる……か、まあ変形か汚れか」
「いずれにせよ使わないほうがいいでしょう。応戦したかった気持ちは分かりますが」
H&K USPを持ち替え、マガジンも交換していく。内ポケットからじゃらじゃらとボックスマガジンや手榴弾を出したとき、セナはいかにも頭が痛そうに眉を寄せた。表情の変化に乏しい彼女がそこまで強く顔に出していることに罪悪感が膨れ上がる。
交換し終えたカガリがぼやく。
「なんか、軽いんだけど……これ本当にフル装備?」
「風紀委員の基準携行量です。一○マガジン、一五○発もあれば十分でしょう」
「手榴弾も少ないよ……?」
「カガリが持ちすぎているのではありませんか?」
「いや、まあ、確かに普段からかなり多めに弾薬類は持ち歩いてるんだけどさ……だとしてもこの軽さはちょっと」
カガリは中身の怪しい9mmパラベラム弾が詰まったボックスマガジンを見る。
「同じ弾薬とはいえ、使わないでください。危険です」
「予備の予備弾薬としてでも……」
「使わないでください」
「はい……」
内ポケットの弾薬をしきりに確認するカガリを見ながらセナが呟く。
「そもそも、これを使わずに解決できればいいのですが」
「さあ、どうだろうね……。けっこう応戦したんだけど、まだぴんぴんしてたよ」
「軽い」と首を傾げていたカガリが返答する。
それから拾った弾薬等を外に投げ、そのままの場所で敵が飛んでいった方向――練習場にセナとカガリは目を向けた。
少し間を置いて、練習場から足取り確かに歩いてくる角有りの敵。二人は目を細めた。
「まだ元気なのですか」
「らしいね」
風紀委員の大半はユスティナ聖徒会討伐のためトリニティ自治区へと向かってしまったし、それは救急医学部もおそらく同じだ。しかし、人がいないわけではない。規模を小さくしても定期巡回はしなければならないとヒナがぼやいていた。
早めにけりをつけないと、他の生徒に気づかれる可能性が高まる。その生徒が野次馬となり、さらに人を呼び、最終的にあれの存在が知れ渡るのは避けたかった。面倒事の種が大きくなってしまえば、処理するヒナの負担も大きくなる。
ただでさえ今の時期はエデン条約の後始末でてんてこ舞いなのだ。内密に処理したい。
カガリが不敵に笑ってセナを見る。
「一人で戦うなんて言わないよね?」
「負傷者は――」
「得体のしれない相手だよ。一人でやり合うのは危険すぎる。前には出るけど、ちゃんと生きることを前提に立ち回るから」
ややあって、不承不承にセナが頷く。「それでしたら」すぐさまグレネードのセーフティーに手をかけた。
「ひとまずもう一度轢いてみましょう。見晴らしの悪い森の中に飛ばせば多少は見つかりづらくもなります」
運転席と助手席にそれぞれ乗りこむ。その際にバンパーが凹んでいるのを見つけたカガリは唖然としたが、セナに急かされたため、見なかったことにした。早速セナがエンジンを吹かせ、乱暴にハンドルを切った。急なカーブを描いて救急車両は敵に突き進む。
慣性によりドアに押しつけられてカガリが悲鳴を上げる。
敵に近づくにつれて大きくなっていったカガリの声が、ぶつかった瞬間に最高潮に達し、稲妻のようになった。恐怖を顔ににじませながら、フロントガラス越しに空を見た。
「追います」セナがアクセルが踏んだ。
やがて救急車両は学園の郊外と言っても差し支えない森に入った。オフロードの道に車が跳ねる。
「無茶しすぎじゃない!?」
「あなたを見る私たちもそのように思っています」
「ぐ……」
緊急車両11号は戦闘が発生した際に何度も出撃しているが破損したことはない。そのため耐久性は高いのだとカガリは思っている。
それでも、木々の間を走り抜け、ときに枝をへし折る音が間近に聞こえ、軽快に車体が浮いて、まるで無重力を楽しめるアトラクションじみた挙動への負荷には耐えられないのではないか――そう思った。戦闘とは別種の恐怖だった。
この車はディーゼルエンジンだから引火の心配はないか……? とすら考えていた。ここは山の中である。引火しないことは重要だった。
「いやぁっ――!」
また宙に浮いた。悲鳴が裏返る。着地による衝撃で潰れたカエルのような声が出た。セナは一向に静かだった。アシストグリップをぎゅっと握りしめながらカガリは声を絞り出す。
「これ壊れたら誰のせい?」
「エデン条約で壊れたことにします」
「でも条約のあとも――うひゃぁまた跳ねたっぐえぉ――普通に動いてたよねこの車!」
「故障というものはある日突然訪れるものです。日々の摩耗の果てに、突然壊れるのですよ。人も同じように張っていた糸がぷっつりと切れてしまって動けなくなることがありますから、違いなどありません。定期的なメンテナンスができないほどに酷使されれば、蓄積した疲労は行き場を失い何かのゲージのように溜まっていきます。目に見えないゲージがあふれたときに故障する。突然と感じるのは道理ですよ」
遠回しにちゃんと休めと言われた気がして、カガリの心はちくりと痛んだ。そうだけど、と力のない笑みを浮かべる。
セナは横目でカガリを見て――よそ見して大丈夫なのかとカガリの不安が煽られた――口角を少しだけ上げる。それからいつものすまし顔に戻って正面を見据えた。
「……エデン条約が故障のきっかけとなった――とでも報告しておけば購入許可が降りるでしょう」
「ヒナに口添えしておくよ」
「最初から伝えてはあらぬ疑心を生むかもしれません。許可が下りなかった場合に初めてお願いします」
「ああ、うん……違いないね」
救急車両11号は森を抜け、大きなハンマーが振り下ろされたみたいに更地になっている場所に出た。
敵が仰向けで倒れているのが遠目に見えた。勢いよく地面にぶつかったはずだが、その角は折れていない。カガリは気を取られた。
「カガリ」
「あっ、うん」
カガリの目がセナの角に向けられた。光が当たっていないと黒っぽく見えるそれは、彼女の白髪によく映える。もう一度名前を呼ばれ、カガリはセナに謝った。
着地の衝撃で死んだのだろうか。二人は車内で顔を見合わせる。
手早く駐車し、装備の点検をする。それをしても敵は起き上がらなかった。それがカガリの安心に直結していた。
「僕の口添えでもどうにもならなかったり、事態が悪化したらどうするの?」
「風紀委員のためにこの車は無理をしたのだ、だから購入許可が下りなければ困ると伝えます。最悪、風紀委員のせいで壊れたと言ってもいいかもしれません」
「責任転嫁かー」
「えぇ。そのお金で買った緊急車両は『責任転
「名前としてどうなのそれ」
笑みを浮かべる二人を、むくりと起き上がって見据える有角。ゆっくりと立ち上がる。
カガリの銃口が頭を狙った。
「有効射程の外ですよ」セナから注意が飛ぶ。
「元気だね」
「同感です」
セナが曲射気味にグレネードランチャーを構えた。放たれた擲弾は地面にぶつかって爆ぜた。カガリからは、セナの狙い通りに敵のほとんど近くに着弾したように見えた。その間に各々が動き出す。
セナは荷台に戻り次弾の装填と予備弾薬いくつかを持った。
カガリはハンドガンを構えながら慎重に近づく。今までの動きを見る限り、敵は俊敏な動きをすることはない。もしも自分が体の痛みに引きずられても、接近しすぎなければ逃げ遅れることはないだろうと判断してのことだった。
「もう一発撃ちます」背後からセナの声がした。
寸分違わず一発目と同じ場所に着弾した。
爆風が草を倒し、うっすらと炎が曇天に上り、爆煙が風で流れる。爆発地点の地面はくぼみ、周囲が焼け焦げていた。
敵は横向きに倒れて動かなくなった。
「あ――っ」
地を這うように伸びた植物に足を取られてカガリが転ぶ。幸いぬかるんだ場所でないため、衣類が汚れることはなかった。が、セナが心配そうに声をかける。
「少し休んでは? 私が確認に行きます。私が来る前から戦闘が起こっていたのでしょう?」
「……そうするよ。気をつけてね」
重いため息をつくカガリの肩にとんと手を乗せ、セナは脇を通り抜ける。カガリは立ち上がって銃についた土を払い落とし、手やコートを叩いた。
小さくなる背中に嫌な予感を覚える。そういえば他の敵の死体はどうなったのだろう、とカガリは疑問に思った。
振り返っても人影はない。オフロードを踏破可能なごつごつした車が緑の中にあるだけだ。
「か――」
か細い声が聞こえた。カガリは正面に首を戻した。瞬時に左へと駆けた。
セナは有角の敵に首を掴まれていた。セナは敵の手首を両手で掴んでいるが引き離せないらしい。両足が宙に浮いている。
セナと敵が一直線にならない程度まで移動したカガリは、即座に全弾撃ちきった。慣れないリロードに時間がかかっているうちに物音がした。
敵はどさりと倒れていた。開放されたセナは地面に両手をついて咳こみ、荒い呼吸をしていた。
「――セナ!」
セナはカガリを見上げ、首を横に振る。危ないと伝えたかったのかもしれない。それを聞かずにカガリが走って近づいているうちに、敵は黒い靄となって霧散した。ヒノム火山で見たときと同じだった。
「大丈夫!?」
カガリは屈み、薄い背をさする。セナの首には赤い手形がついていた。炭のような残骸が、はっきりと付着していた。
それは靄となって秋風に運ばれた。冷たく湿った、校舎裏に吹きつけるような風だった。
「怖かったです」セナから抱きつかれる。カガリはバランスを崩して尻餅をついた。カガリは気が動転したままだったので顔面蒼白で、セナは首を絞められたせいで顔が赤い。
怖い夢を見た子どもがぬいぐるみを抱きしめるみたいに、セナの強い力には、決して離すまいとする念のようなものがこもっていた。
しばらくカガリは背中を撫で続けた。蜂蜜の香りが濃かった。ブラジャーの感触が、いやに生々しかった。
「申し訳ありません。人に触れることが苦手と聞いていたのに」
「いや、いいよ」
わずかな間が生まれた。
「怖い。死が迫ってくる瞬間は、とても怖いから」
至近距離で顔をつき合わせるセナとカガリ。
セナは大きな蜂蜜飴のような瞳を余すところなくカガリに向ける。
それに対してカガリは優しくほほえみかける。その視線は、セナの首元に注がれている。
「首を絞められて顔が赤くなるのは、体重以下の力が掛けられたせい。曖昧にしか気道が塞がれないから、ときおり呼吸ができて余計に苦しい。しんどいんだよね、それ。ちゃんと窒息すれば、むしろ顔は蒼白になる」
「なぜ、そこまで詳しいのですか?」
「昔、ちょっとね」
思わず聞いてしまったセナに、カガリは肩をすくめて返答する。
セナが再びカガリに体を預けた。大切なぬいぐるみを腕に抱くような優しく力強い所作で、抱きしめた。
長い間、そうしていた。
立ち上がる間際になって、初めてカガリのほうからセナを抱きしめた。ほんの一瞬だった。
「あと……その、ありがとう。注意……っていうか、その、そういう忠告をしてくれて」
セナは赤らんだ目もとを上に向ける。カガリがそっと、目尻を拭う。
「目を背けていたことを自覚させてくれて、ありがとう」
「もう一度お願いできますか」
「……恥ずかしい、です」
目をそらしながら、それでもしっかり、正面から抱きしめた。胸が変形する感触が、いやに生々しかった。力が弱かったらしく、セナからぐいっと抱き寄せられる。
下腹がぬめり気を帯びたのを感じた。カガリの体が強張った。
○
二人は落ち着いてから、緊急車両11号の荷台で応急処置をすることにした。
セナはカガリのメディカルチェックを先にしようとしたが、カガリは医者の不養生を避けたかったので、断固としてセナの次がいいと言い張った。銃を取り出しての議論は、カガリが自分の頭に銃口を向けて抵抗したことで最終的にセナが折れた。セナが折れたのは、カガリの弁にも一定の理屈を認めたからだった。
手鏡をカガリに持ってもらい、顎先を軽く前に出して首をさするセナ。手形は徐々に薄くなりつつある。
「問題はないでしょう」
「残ったりしない?」
「おそらく今日中には消えるかと」
「そっか」
カガリは目に見えてほっとした。セナはその点に踏みこまなかった。
今度はセナが手持ちの機械でカガリの至るところを診る。ぴ、ぴ、と電子音が響き、セナが画面の数字とにらめっこをしている中で、ふと呟く。
「生体エネルギーなどかもしれません」
「生体エネルギー?」
「先程の、あれです。便宜的な名前に過ぎませんが、敵……あれは鬼や悪魔の類なのではと思うのですが、ひとまず置いておきましょう。その敵が消える前に見たのですが、頭部に当たったはずの弾痕が確認できませんでした。弾かれたわけではないと思うのですが、何と言えばいいのか……物理的にありえないことですが、当たった時点でまるで吸収されているようでした」
カガリは赤ん坊を撃ったときの感触を脳裏に描きながら答える。
「手応えがない、みたいなってことだよね」
「はい。間違いなく当たっていたのですが」
どうやらメディカルチェックは終わったらしく、「終了です」とだけ言ってセナは機械を片付ける。後ろ姿を見ながらカガリが質問する。
「その生体エネルギーっていうのは、ゲームで言えば体力バーみたいなものってこと?」
「おそらく。ですから9mm弾や私の擲弾、爆風や地面を転がったダメージによってゲージが減っていき、体力がゼロになった時点で消えたのかもしれないと」
「何だかゲーム的だね」
何者かによって作られた世界。カガリはキヴォトスを、もしかしたらそう呼んでもいいのかもしれないと仮説を立てていた。今日起こったことも裏づけになる。動作をぴたっと止めて首を傾げたままの姿勢になった。
「少なくとも精密機械の類ではないでしょう。それこそ調印式で現れた存在と酷似しているように思います」
「破廉恥なガスマスクか」
「ユスティナ聖徒会です」
カガリに顔を近づけたセナが忠告する。
「とにかく絶対安静です。いいですね?」
「……はい」
二人は荷台を下りて車前方の座席に向かった。
超常的な力を持つ連中。ゴルコンダに今日のことを付け加えることをカガリは決めた。そういえばゴルコンダに送った報告書に返答が寄越されていないな、と思った。まだいくらかゴルコンダからもらったマガジンはあるが、報酬をもらえるなら早めにもらっておきたい。
カガリは内心をおくびにも出さずいつも通りの動作を心がける。
シートベルトをするときに、ぼろぼろのコートが目についた。
「このコートももう駄目かな〜……」
「戦闘時はともかくとして、普段使いは避けたほうがいいでしょう」
「アコから『風紀委員会の品性が疑われます!』とか言われそうだしね……ヒナは呆れて許してくれるんだろうけど、それにいつまでも甘えるわけにはいかないよな〜……」
セナを一瞥して、カガリは悩ましげに続ける。
「いつか何かのタイミングで買いに行く……かあ」
セナは仕方ないと言いたげに口もとを若干緩ませて答えた。「そのときはお誘いください。調べておきますので」
「ありがとう」二人の顔が、程度の差はあれど綻んだ。
晴れ間が差した。あたたかな光がキヴォトスに降り注いだ。