篝火の消えぬキヴォトスより   作:ぞんぞりもす

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かげを追って

 依頼の電話がかかってきたのは、カヨコがシャーレから戻ってきてすぐのことだった。夜八時のことである。

 カヨコはシャーレから電車を乗り換えてのりかえて歩き、事務所にて、すっかり冷えてしまった体をコーヒーであたためていた。視界の端でのんびり雑談をしていた三人は、着信を知らせる古風なベル音で静かになった。

 

 

「はい、便利屋68の陸八魔です」

 

 

 ほうっと息を吐きながら、カヨコはアルの応対に耳を傾ける。

 人探し、という単語が聞こえ、おそらく隠語なのだろうと予想する。アルと会話が噛み合わなかったらしく、ついに電話相手は捕縛という単語を使った。アルが驚きのあまりそれを復唱する。

 

 多少やり取りに齟齬があったが、話は着々と進んでいき、最終的にアルは「承りました。便利屋68にお任せください。作戦や報酬についてはこれからということで……はい、はい……え? 今日? 急ぐ……はい、承知しました」と言って電話を切った。

 話している最中にちらちらと三人の様子をうかがい、アルは全員が頷いたのを確認してから承諾した。

 

 カヨコ、ムツキ、ハルカはすでに外套を羽織って装備の点検をしている。

 アルが立ち上がって声をかけた。

 

 

「今から作戦会議をするそうよ。場所は便利屋宛てにメールを送ると言っていたから、これから確認するわ」

「本当に急ぎなんだ。変な依頼とかじゃないよね?」

 

 

 なんとなく裏がありそうだったので、カヨコはアルに確認を取る。急いでいることは、計画が煮詰まっていないことの言い訳にはならない。

 

 

「カイザー傘下の民間軍事企業と言っていたわ」

「軍事企業で人探し? カイザーPMCが?」

「えぇ、そうみたい」

 

 

 カヨコの疑念が大きくなる。アルは曖昧に頷き、「でも」と思い出したことを続けた。

 

 

「カイザーPMCじゃなくて、その下部組織……のようなものだと私は思ったのだけれど、違ったのかしら?」

「それってさ、カイザーが表立ってできないことを依頼されたんじゃないの?」

「どうなのかしら……カイザーの下部組織としっかり名乗っていたけれど」

 

 

 自信なげなアルの言葉に、ムツキとハルカは首をかしげる。

 カヨコとしても、カイザーの子会社の数は膨大なためによく分からない。不透明だ。

 

「ひとまず行ってみればよくない? そのほうが面白いことが起こりそう!」ムツキの言葉だった。彼女はすでにドアに手を掛けている。

 アルとハルカも外出の準備を終えた。

 

 

「人探しって、そもそも誰を探すの?」

「望月カガリよ。ほら、今日の夕方に来たじゃない?」

 

 

 

 

 もう、深夜の一時になる。作戦会議とやらに出ていった三人はまだ戻ってこない。

 事務所のベッドに全身を預けたカヨコは掛け布団から手だけを出す。闇に覆われた室内では一寸先の輪郭すらも捉えることができない。

 

 寝ようと思ってから数時間が経っているけれど、いまだに思い返してしまうやり取りがある。

 

 

『私はおりるよ。この依頼は受けられない。ごめん』

 

 

 その答えを聞いたアルの顔は、写真に収めたら一生語り継げそうなくらいに唖然としていた。きれいな顔なのに、それがもったいないくらいに変になっていた。

 

 

『感情に流されることがアウトローなの!?』

 

 

 普段のアルならそんなことを言わない。だからこそ、今カガリに起こっていることが異常なのだと認識させられた。

 

 カヨコがシャーレで業務をしているときにそのメールは来た。差出人が不明だったのでカヨコはそれを見なかったし、先生との話題にも挙がらなかった。

 だが、ムツキとアルは見たらしい。説明にあたってカヨコはムツキのスマホを見せてもらった。

 

 メールに添付されてきた写真には『キヴォトスの敵なのだ』という、意味は理解できるが、訳の分からないメッセージがあった。そしてその写真とメッセージを見た瞬間に、体の内側から濁りのようなものがあふれ出てきた。カガリを始末しなければならない。あれはそんな直感だった。

 

 カヨコはその衝動に抗いながらも口を開いた。

 

 

『感情に流されているとか、そういうわけじゃないよ』

 

 

 早く外に出たそうにしている三人を見つめる。時間は残されていなさそうだった。

 両手を上げて重々しく首を横に振る。

 

 

『私にはどっちも大切。そして、みんなにも生活があるのも知ってる。だからおりた以上はカガリにも手を貸さない。絶対に。私にも線引があるの』

 

 

 暴れ出しそうな内心でそれだけを絞り出して三人を見送った。

 

 何をどんなふうにシミュレーションしても、正解の返答は浮かんでこない。ただ時間だけが溶けていく。まとまりのない思考を闇に溶かして休もうとしても、必ずそれは凝固してカヨコの眠りを妨げた。

 

 

「はぁ……」

 

 

 数え切れないほどになるため息。

 信念のため、あるいは義理のためなんて思ったけれど。今の自分は果たせているだろうか。

 

 

 カヨコが二年に上がったときに、望月カガリは入学してきた。彼女は入学してそうそう風紀委員で一番の問題児となった。

 団体行動が苦手、目上の人の命令に納得がいかなかったら従わない、自分にも他人にも求めるものが多い――などだ。言動の端々から気を遣っているのは分かったけれど、致命的に空回りしていた。

 一人でいることの多かったカガリは、それでも毎日自分のやるべきことに向かっていた。訓練を怠っているところをカヨコは見たことがない。想像もつかない。

 

 いつしか窓の外から彼女を見ることがカヨコの日課になっていった。

 

 万魔殿(パンデモニウム・ソサエティ)という独裁政治をよしとするような場所にいたカヨコは、組織が大きくなる弊害で様々な対応が遅れることが腹立たしくて、また、トップの人柄が好きではないこともあって、やさぐれていた。

 やがて学校に行かなくなった。紅葉の早い秋だった。成績がよかったから三年には上がれたけれど、学籍はそこで止まっている。

 付き合いのあった便利屋に正式加入し、ブラックマーケットに出入りするようになり、思いもよらぬことにカガリと再会した。白い吐息と紅潮した頬のコントラストが美しくなる冬夜のことだった。それからいろんなことを話したつもりでいる。友好関係を築けたと思っている。

 

 

 はたして、自分はカガリに胸が張れる人物となっているだろうか。約束とかを重んじる性格っていいよね、と何気なく言ってくれた彼女の姿が蘇る。

 

 重いため息が止まらない。

 一度頭を冷やすために外にでも行くか、音楽でも聞こうか――そう思ってベッドから体を起こしたときに、事務所の扉が開く音がした。

 

 

「戻ったわよ――」

 

 

 アルの声が途切れる。

 寝室にいる自分を起こしてはいけないと思ったのだろう、とカヨコは思う。起きるかどうかなんて関係なく全部大声で通せばいいものを、とも思った。それがきっとアルが目指すアウトローだから。

 しかし、前後の声量の落差がその分だけアルの優しさを表しているようで、ほほえましくもあった。

 

 

「も〜。起こしちゃったらどうするの?」

「だ、だって……! しょうがないじゃない。カヨコなら心配して起きていると思ったのよ……!」

「くふふ。アルちゃんの気持ちも分かるけど、カヨコちゃんも今日は疲れちゃったんじゃないかな〜。だって私たちの他に、もう一人のことも心配していたんだから」

 

 

 がさごそとビニール袋の音がしている。遅めの夕食をみんなで取ろうと考えたのかもしれない。依頼に参加しなかった自分の分はあるだろうか、と考えたけれど、そもそもアルはカヨコが起きている前提で話していた。それに、アルが誰か一人を抜きにする姿は思い浮かばない。カヨコの唇が穏やかな弧を描く。

 

 カヨコはのそのそ立ち上がり、明かりのない寝室を不確かな足取りでドアへ向かう。アルが言い訳をし、ムツキがからかう。扉一枚を隔てた先では日常が広がっていた。

 カヨコの大切なもう一つのとなりは、日常を全うする権利を剥奪され、どこか冷たい影の底で耐えている。

 

 

「あぁ、ごめんなさい、起こしてしまったかしら」

 

 

 カヨコと目が合ったアルが申し訳なさそうに言った。

 カヨコは言葉を返せない。三人が、明らかに戦闘をしたことが分かる様子だったからだ。服に煤や火薬がつき、髪はぼさぼさで、どこか倦怠感を放っていた。

 

 インスタントラーメンが二つしか乗っていないテーブルに視線を落として、カヨコは言葉を絞り出す。

 

 

「……もとから起きてたから。それよりも、今からご飯?」

「えぇ。でも、その前に。カヨコにとって大事なことだから、少しいいかしら?」

 

 

 アルのほほえみは優しかった。カヨコが惹かれたアルの笑みは、何年経っても光を失わない。むしろ輝きを増している。

「うん」カヨコは頷く。おおよその見当はついている。それでも、ぽっと心の灯火の数が増えたような心地がした。

 

 

 ほんの少しの食事を終えて、三人がシャワーを済ませている間に、カヨコは洗い物や洗濯を済ませた。

 やがて訪れた睡魔と疲労感に従って休息を求める。掛け布団とベッドの間に体を挟みこんだ。入ったばかりのベッドは冷たくて、けれども、三人のぬくもりがあった。

 夢と現の狭間でアルの言葉がしんみりと反響する。

 

 

『みんなが笑って終われる結末じゃないと駄目でしょう?』

 

 

 本人は『いま私かっこいいこと言っているでしょう?』って感じの顔で言っていて。カヨコとムツキは思わず笑ってしまって、アルを「私何か変なこと言ったかしら!?」と慌てさせた。

 

 吐息が仄かな熱を帯びている。心の熱で体が十分にあたたまって、もう大丈夫だから他の場所をあたためなよって感じでこぼれた熱だった。

 カヨコはカガリを思う。きっと彼女は、孤独だ。カガリと深い関係にある二人は立場が立場なせいで動けない。組織が大きいことの弊害だ、とカヨコは思った。

 

 

「カヨコちゃん、もう寝た?」

「ううん、起きてるよ」

 

 

 ムツキが静かに話しかけてきた。

 

 

「明日の当番替わるけどどうする?」

「ん~……私はひとまず朝早くにシャーレに向かってみるから、ムツキはそのままでいいと思うよ。先生、仕事たまりすぎて大変そうだったし。二人いたほうがいいかも」

「分かった~。おやすみ、カヨコちゃん」

「うん、おやすみ」

 

 

 何かを言いたげな呼気がしたが、ムツキは最終的に言わなかった。カガリのことが心配かなどと聞こうとして、キャラじゃないからとやめたんだろうな、とカヨコはすぐに気づいた。ふっと笑う。暗闇の中から、とても珍しいムツキのため息が聞こえた。

 

 

 

 

 カガリとカヨコはD.U.地区の外縁部で待ち合わせをした。

 彼女を目にした瞬間にあの写真が蘇って、それと同時に内側からあふれ出すものがあった。ハンドガンをリュックにしまっていてよかったとカヨコは思う。

 合流したころには日付が変わっていた。カガリは目に見えて疲れている。クマがひどく、足取りが重い。

 

 

「眠れなかったの?」

「まあ」

「無理もないよ」

 

 

 ほほえんだカヨコに、カガリはゆっくりと肩をすくめた。警戒していても来てくれたことが、カヨコにとっては嬉しかった。

 イブキの歩く速さを考慮してシャーレまで向かった。会話は少なく、雑談をするという雰囲気でもなかった。

 

 シャーレビルの入口は煌々と光を振りまいている。カヨコは先生についたと連絡を入れ、イブキを先にオフィスに向かわせた。

 カガリは澄み渡った夜空を見上げている。

 

 

「今日ってずーっと晴れてたよね~」

「うん。朝は冷えこみがひどかったよ」

「それはスカートだからでしょ」

 

 

 二人でひとしきり笑った。

 それからカガリは「僕は受難だらけなのになー」と、ランドセルに教科書をぽいっとしまうみたいに軽々と言った。まるで、使わない教科書を家に持って帰るのは普通のことだからって、降りかかる災難を受け止めて。見えないランドセルには、どれだけの重さが詰められているのだろう。

 カヨコが盗み見たカガリの横顔は、寒さで磨き上げられた星空と同じくらいきれいだった。

 

 

「どこまで知ってるの?」

「それなりに多くのことは。原因もなんとなくは掴んでいるよ。写真一つで人を操るなんて魔法みたいなことができる人を、僕は一人しか知らないからね」

 

 

 遠ざかる友だちの背中を見送るような表情でカガリは笑った。道を違えたのだと知っていて、それでもその人の幸運を祈っている。

 カヨコは機微を察した。目を丸くしたカヨコを見つめるカガリの笑みは神秘的だった。

 

 冬の夜風が肌を刺した。となりでコートのポケットに手を突っこんでいる彼女の心にも同じものが吹いていそうだ。それは今のところ止みそうにない。

 

 

「先生にはどのくらいのことを話すつもり?」

「ほとんど話すつもりはなかったよ」

「……どうして?」

 

 

 カヨコは目尻を下げた。目の端をつり上げていれば言い合いに発展していた。

 心配が伝わってきたカガリは、きまりが悪くなって顔を横に流す。カヨコが縋るようにカガリに近づく。

 

 

「私を通して先生に伝えてもいいんだよ」

「話すのなら自分の言葉でやるよ。カヨコに伝えてカヨコも標的になったら嫌だし」

「でも、話す気はほとんどないんでしょ?」

 

 

 カガリはうんともすんとも言わない。大門の周囲にいくつもある庭園灯を見るともなく見ている。

 

 カヨコはアルに対して、自分とは正反対の補色のようなものだと思っている。一緒にいることによって互いを強く印象づけ、その力を引き立てあうものだ。

 

 一方でカガリに対しては、隣り合った色のような近しいものを感じていた。首輪がなければどうなってしまうか分からない、霧と野生を足して二つに割ったような危うさである。

 彼女にもストッパーはいるが、それで止まれるほどやわな速度ではない。だから、関わった人間それぞれで少しずつブレーキを調節するのがいいのだと思う。今回は自分にその役割が巡ってきたとカヨコは思った。

 

 

「……話してみない?」

 

 

 星空を仰いだままのカガリは、おもむろにまぶたを伏せる。呼気が聞こえた。それはため息となって冬の中空に白い空気を立ち上らせる。何度か繰り返された穏やかな呼吸によって、周囲の時間がゆったりとなったようだった。

 

 

「同じことは、したくないけどさ」懊悩の末の言葉だった。

「同じこと?」カヨコが聞き返す。

 カガリが遠くを見て力のない笑みを浮かべる。

 

 

「個人プレーをしすぎだって怒られたんだ。あと、できるだけ秘密主義なのもやめてほしいって。痛い言葉だよ、まったく」

「……私たちは、そういうところがあるもんね」

 

 

「そうなんだよね」カヨコの微笑にしみじみとした同意を示すカガリ。

 無言で空を見ていた。ぽつりとカガリが言う。

 

 

「少しだけ話してみるよ」

「うん。それがいいと思う。先生は信頼できるよ」

 

 

「どのくらい信用できる?」試すように、あるいは不安を押し殺して茶化すように。カガリはカヨコを見た。

 カヨコは目を閉じて溜めを作る。反転して自動ドアに向かう。未だに動く気配のないカガリを振り返って言う。「私がカガリに向ける信頼と同じくらいには」

 

 

 

 

 カヨコとイブキはシャワーを浴びてから仮眠室で休むことになったため、すでに居住区に向かった。オフィスから出る際にカヨコは心配そうに二人に視線を送ったが、最終的には何も言わずにイブキを追って去っていった。

 

 

「コーヒーでよかった?」

 

 

 カガリは礼を言って、差し出されたマグを受け取る。今夜は寝かせませんよってことですか、などと軽口を叩くこともできたが、相手がヒナではないため言わなかった。

 先生がカガリの向かいのソファに腰を下ろす。ガラステーブルを挟んで座る。二人の間には、二人分のマグしか置かれていない。

 

 

「あっ、そうだ」先生が軽い声を上げた。

 

 

「ヒナとセナは雑務に忙殺されているから動けないって。連絡はしてる?」

「いえ、何も。ただまあ、そうなっているだろうなーって予想はしていました。なんともないですよ。二人の命が狙われてるってわけでもありませんし」

「……本当に?」

「本当に」

 

 

 じっと視線を交差させる。先生が観察したのは、内心を何も反映させない義眼みたいな温度の瞳だった。濁っているわけではない。だが、光が差しているわけでもない。彼岸花のような赤さを持つ瞳。

 カガリが白々しく笑う。

 

 

「熱い視線ですね」

「まったく……一ミリも思ってないでしょ」

「そりゃまあ」

「あんまり大人をからかうものじゃないよ」

「からかってませんよ。話が進まなそうだったので口を開いたまでです」

 

 

 カガリはコーヒーの入ったマグを口もとまで持ってきて、それから何もせずにテーブルに戻した。温度の感じられないステンレスのマグだった。

 

 

「なんだか締まらない空気ですね」

 

 

 先生は苦笑してコーヒーを口に含む。馴染んだ味と香りに体の力が抜けていった。あたたかな吐息が口からもれる。

 カガリはそれを見て、また口もとにマグを寄せる。

 

 静かな冬のよる夜中。

 

 先生とカガリはマグで口元を隠しながら視線を交差させる。

 エアコンが部屋の温度を上げようと再び稼働し始めた。

 

 

「それで、今回の騒動の原因なんですけど」

 

 

 カガリが先に口を開いた。

 

 

「カガリはどのくらい知ってる?」

「さあ、全貌が見えていないので何割とも言えません。知っていることはありますよ、とだけ」

 

 

 先生が顔を険しくする。カガリが浮かべたものは、腹の探り合いをする気が満々の獰猛な笑みだった。済ました顔で嘘をつくタイプと満面の笑みですべてを隠してしまうタイプの生徒は、先生にとってやりづらい手合いだった。

 先生はため息をついて、マグを置く。困ったように笑う。首を振って両手を上げた。

 

 

「知っていることを教えてほしい。ヒナとセナから、なんとかしてもらえないかって頼まれているんだ」

 

 

「……ゴルコンダ、だろうなー、と思っています」毒気を抜かれたカガリが正直に話す。

「やっぱり……」カガリと目が合って、二人でこくりと頷く。

 

 

「実はこちらでもゲマトリアの動きを観測したんだ。だからゴルコンダ――今となってはフランシスが騒動の原因だと思っている」

「フランシス……」

「ゴルコンダのことだよ」

「え。け、結婚して姓名が変わったとか……? その、ゲマトリアさんと」

「ん?」

 

 

 神妙な顔で素っ頓狂なことを言うカガリに笑いをこらえながら、先生はゲマトリアというのは組織だと説明する。カガリに「黒服やマエストロって方もそこに所属しているんですか?」と質問されて頷いた。ゲマトリアの概要については何も伝えなかったが、彼女はそこを気にする素振りを見せなかった。

 ゲマトリアと生徒が関わることを先生は望んでいない。そのためにカガリへの情報を制限した。

 

 

「どこかにヒントが隠れているかもしれないから、カガリさえよければ、フランシスとの出会いから話してくれないかな」

 

 

 嘘だ。現状に関するヒントなど、カガリとフランシスとの出会いから見つかるわけがない。しかし先生がそれを口にしたのは、カガリという個人を知るためだった。

 カガリは律儀に「ゴルコンダです」と言い直してからテーブルを見据えた。

 

 

「拒否権は?」

「あるよ、もちろん」

 

 

 カガリは面倒くさそうにため息をついたあとで「話しますよ」とソファに深く身を沈めた。

「ありがとう」先生はほほえむ。カガリはやっぱり悪い子じゃないと思ってから、そんなことを口走ったらカガリから「甘すぎですよ」と叱られそうだと思う。そのため口にはしない。

 カガリは優しいと言われて照れる子ではなく、警戒心を強める子だった。

 

 カガリは何度もため息をついた。「出会いから、か」マグに伸ばしかけた手を引っこめては、落ち着きなく天井を見る。

 

 

「……強さが欲しかったんですよ。小さいころの話です。小学生とか、それくらい」

 

 

 脈絡なく紡がれる言葉。先生は頭の中で情報を整理しながら質問を投げる。

 

 

「小学生のときに出会ったの?」

「はい。低学年でしたかね。ブラックマーケットで」

「……そのころから出入りしていたの?」

「そういう顔されると思ったから言いたくなかったんですよ……流される分にはどうでもいいですけど、説教とかされたら面倒ですし」

「説教はしないよ。意外だっただけ」

 

 

 生徒の中には、ペロロ様のためにそこに出入りする少女や銀行強盗を計画したがる少女がいる。結果を予測したうえで責任を取る覚悟があるつもりだと感じた相手には、先生は傍観を貫く。

 

 

「カガリのことだから、そこに出入りすることへの責任を持って出入りしていたんでしょ?」

「それはそうです。知ったふうな口を聞かれるのは癪ですけど――ああいえ、なんでもないです。先生と話していると口が止まらなくなってしまうので黙りますね」

「カガリに黙られたら話が聞けなくなってしまうよ」

「さっきみたいに質問すればいいんじゃないですか? そうすれば僕は話しますし」

 

 

 嫌味な子だな、と先生は思った。それはマイナスの感情として思ったのではなく、揚げ足取りをするような性格を事実として形容しただけだ。話してほしいと言いながら質問を重ねる自分の姿を揶揄したのだろう、と先生は予想した。

 先生は気を引き締める。自分の話し相手は一人の生徒であり、同時に、現在キヴォトスを敵に回しているストレスを抱えた少女だ。安易に警戒心をほぐそうとすると余計に意固地になってしまうと考え、真心をぶつける。

 

 

「ごめんね。話し終わってからまとめて質問することにするよ。とにかく続きを聞かせてもらえないかな」

 

 

 カガリは野犬のような目つきで先生を睨んだ。カガリとしては睨んだつもりがなかったが、眼光の鋭さが先生にそのように感じさせた。

 

 

「……出会ってからの話、ですよね?」慎重に上目遣いをしたカガリに、先生は頷いた。

 

 

 違法のハンドガンや、ハンドロードの違法な弾丸――定義としては異なるけれど早い話が強装弾がほしくて、カガリはブラックマーケットに入り浸っていた。たくさんの失敗をした。カガリの中で見知らぬ人に対する不信と嫌悪は、強度と輝きを増していった。黒いダイヤモンドのように。

 そんな中で、ゴルコンダから声をかけられたのが始まりだった。

 

 

「『ブラックマーケットに流れた物品を私のもとに戻していただけませんか』」カガリは一言一句を鮮明に覚えている。

 報酬のことは先生に話さない。目を閉じていたのを開けて、先生にほほえみかける。

 

 

「最初は変な格好の人だなーって思ったんですけど、まあ人間と姿かたちが異なる人なんてザラにいましたし、契約を守ってくれればなんでもいいかって思ったんです」

 

 

 ゴルコンダはその点、とても信頼の置ける人物だった。そうして出会った二人は交流を深めた。

 

「僕が適当に話を振って、ゴルコンダが見解を話す。()の僕には半分も分からない内容でしたし、勉強を重ねた今でさえも分からない部分があります。でも、なんだか好きでした」カガリは柔らかく笑う。

 どうしようもないほどの善性を秘めた両親よりも、悪に傾倒した大人のほうが一緒にいて心地よかった。

 カガリはマグを両手で包む。手の温度でステンレスをあたためるみたいに優しく。

 

 

「どうして自分に声をかけてくれたのか聞いたことがありました。触れてはならないと思いながら、しかし不気味に思っていたから聞いたんです。……彼、なんて説明したと思います? 僕もほとんど覚えてないんですけどね~」

 

 

 満天の星空を脳裏に描いているようにカガリは天井を見る。

 

 

「覚えてないなりに『舞台装置』って言葉だけは頭に残っています。いずれ退場するものってイメージですね。僕はその言葉を聞いたときに、あの人のことを信じ抜くって決めたんですよ。何があっても(何をされても)

 

 

「それは、どうして」先生は目を丸くする。ゴルコンダはカガリに対して『お前は物語の一部としていずれ退場する存在だから、物語の大局に影響しないであろう存在だから、声をかけた』と言っている。カガリは死の宣告とも取れるそれを理解したうえで――理解したからこそ、ゴルコンダを信用している。

 

 

「嫌いを嫌いって明言してくれる人って、接しやすいじゃないですか。裏で何も言わずにいきなり攻撃してくる人よりもずっとずっと。だからですよ」

 

 

 一拍置いて、カガリははにかむ。調印式の日、たぶんあの人は敵側だったんだろうな、と今となっては思っている。

 

 

「ゴルコンダの話を誰かにしたことはなかったんですけど、振り返ってみると、僕の幼少期を支えてくれたのはヒナと、ゴルコンダの訳の分からない言葉だったのかもしれません。

 彼は僕を利用していました。僕もまた、諸事情により彼を利用していました。そんな関係の中で交わした言葉の数々が、ほとんど覚えていないけれど、不鮮明なパステルカラーの抽象画として僕の心にあるんです。思い出ってそんなもんじゃないですか」

 

 

 思い出したように続けた。

 

 

「で、だから、ゴルコンダのことを探さないでほしいんですよ」

「それは……できないよ。私は原因を突き止めなければならないし、カガリは困っているだろう?」

「困っては――まあ、はい」

「探して、止めてもらうだけにするよ。何もしない。約束しよう」

「でも」

 

 

 カガリは眉間にしわを寄せる。

 

 

「大人って責任を取るものなんですよね? 一人をターゲットにした悪意のある攻撃って悪いことだと思うんですけど、ゴルコンダにはあんまり責任を取ってほしくないっていうか」

「カガリはゴルコンダに――」

「裏切られた、かもしれないんですけどね」

 

 

 調印式でカガリの苛烈さを目の当たりにした先生は、カガリが底冷えのする怒りを抱いていると思っていた。復讐鬼になっているのをどうやって止めようか頭を悩ませていた。けれども事実としては反対で、彼女の感情は荒波どころか凪いでいる。

 カガリはもしかすれば、ヒナに「自殺してほしい」と言われたら、二つ返事で承諾するのかもしれない。先生の背筋に冷たいものが走った。

 

 

「これまでがこれからを保証するってわけでもありませんし、ゴルコンダにとって僕が邪魔になったってだけでしょう」

「そんなにあっさりと……」

 

 

 自分にとって特殊な立ち位置にいる人からは裏切られてもいい。カガリが浮かべているのは覚悟とも諦念とも見分けがつかない穏やかな笑みだ。彼女は始終、笑っている。

 起こってしまったのだから何を思っても仕方がないと割り切っている部分ももちろんある。しかし、それが占めている割合は小さかった。

 

 

「話はこれで終わりでいいですか?」

「……うん、わざわざ危険な中でここまで来てくれてありがとう」

「イブキのこともありましたからね。僕自身、いろいろと思うところもありまして」

「思うところ?」

「はい。二人から心配されているんだろうなって。だから事態の解決には程々に協力するつもりです。ここでやすやすと死んだら、きっと地獄と天国で離ればなれになってしまうでしょうしね。よしんば会えたとして、延々と恨みごとを言われる気がします」

 

 

 たはは、と笑ったカガリは両手を上にやって、しなやかに伸びをする。

 

 

「質問、なかったですね。方便ってのは把握しているつもりですけど。何か分かりました?」

 

 

 余計に歪さが分かっただなんて、答えられるはずもなくて。観念した先生が「敵わないな」ともらすと、カガリは満足げに笑い声を上げた。

 

「余談、なんですけど」立ち上がったカガリが窓際まで移動して、階下のキヴォトスを見下ろす。その佇まいはあの幻影をまとっている。

 

 

「この世界って作り物――みたいですよね」

「作り物?」

「はい。そう設定されている、みたいな? 僕はそこでも、ゴルコンダの見方が好きだったんです。物語(ストーリー)……? メタファー? ってやつ。僕はあんまり理解してないですけどね」

 

 

 先生はカガリのとなりに並ぼうとソファから腰を上げる。首だけで振り返ったカガリの視線に射抜かれて腰を戻した。「僕のとなりは特等席ですよ。何人かのね」カガリは嬉しそうに笑う。

 カガリが息を吸う。冷気を帯びた息を吐く。

 

 

「どうして僕たちは、数億年かけて進化した人間と同じように、脂質を求め、糖類を求めるんでしょう。脂質や糖類は生命の維持に必要不可欠な反面、過去では手に入りづらかったんです。だからそれを見つけたら接種するようにプログラミングされたんです。これが人間がチョコやハンバーガーに、つい手を伸ばしてしまう理由です。

 人間の進化と同じ過程を、キヴォトスの住人は辿ったんでしょうか?」

 

 

「どうして僕たちは、生身の人間とはかけ離れた身体能力を有していながら、ネガティブな思考を基礎としているのでしょう。現代人の九八パーセントはもともと脳みそがネガティブなように作られています。ポジティブ思考では生きていけないほどに地球に住む獣畜生は強かったんです。人間は非力だったんです。

 人間は、ね?」

 

 

「どうしてここにイチョウの木があるんだと思います? 生きた化石植物と言われるほど、それこそ恐竜の時代から今日まで種子をつないできた植物が、なぜここにあるんでしょう。イチョウ科の多くは氷河期とともに絶滅しました。現存するイチョウ科の木はイチョウ一つしかなく、起源は中国とされています。

 へえ、中国……中国?」

 

 

「どうして僕たちって赤、青、緑って三色見えるんでしょうね? 普通、哺乳類って赤色を見分ける細胞がないんですよ。恐竜がいたから、進化の過程で地上から追い出された哺乳類は視覚を捨てたんです。あとになって人間がその細胞を手に入れ直したってだけで。でも、恐竜がいたなんて情報、どれだけ調べても、キヴォトス周りには何もないんですよ。なのになんだか都合がよく、人間と同じような進化、構造をしている。

 人間ってなんなんでしょうね。分からなくないですか?」

 

 

 キヴォトスの歴史をまとめた書物や情報は、極端に少ない。数百年程度ならあったとしても、それより前のことはほとんど見つけられない。学園都市という形態の前となればなおさらに。

 設定されていないかのような世界の穴を見てきたから、カガリは、この世界が恣意的に作られていると思ってしまった。これは世界への八つ当たりにすぎないと頭では分かっている。

 けれど、数億年分の堆積が記録されていないこの世界は、きっとどこか歪んでいる。それこそ自分と同じくらいには。ガラス窓に、深い自嘲の笑みを浮かべたカガリが映っていた。

 

 

「僕はメタフィクション的に世界を見ている、って言えばいいんですかね」

 

 

 エアコンの稼働音ばかりが部屋に満ちている。外の冷気がガラスを通じてカガリに届く。

 

 数億年前の過去が生成され、進化の過程をすっとばし、それを読み解けるような資料もなく、今が生成されているような。前世の地球ふうに言えば、白亜紀以前とWW2以降しか確認できず、中世などが空白になっているような。キヴォトスはそんな世界に感じられる。

 

 しばらく黙っていた先生が口を開く。

 

 

「カガリはそれに気づいて、どうするつもりなの?」

「どうするつもりもありませんよ」

 

 

 先生を流し目で捉える。先生は深刻な表情をしている。

 

 

「作られた世界であると感じているとしても、僕がそれを知覚する方法はありませんし、僕はこの世界の住人がしっかりと意思を持っているように感じていますから。これは一つの、ものの見方にすぎません。作り物の世界に感じられるからすべてが虚構である――な~んて、言うと思いました? 言いませんよ」

 

 

「僕としては」視線を外に戻す。ガラスが室内の光を反射しているせいで、星空はあまり見えない。

 

 

「ヒナが笑って――ああいや、最近は少し人数が増えてきましたけど。それでいて自分も含めたほうがいいっぽいんですが」

 

 

 首に手を当て、腰に戻す。次いでネクタイごと胸元を抱きしめ、胃の中からぶわりとあふれてくる否定をおさえこんだ。

 

 

「まあおおむね、それぞれが笑っていてくれれば、それでいいんです。この世界が作られたかどうかは最終的にはどうでもいい。それだけのことです」

 

 

 そこでふと、思い至る。もしもこの世界が本当に何者かによって創作された世界ならば、その主人公は――後ろに控えている話し相手にほかならないのではないかと。数々の物事の中心にいて、不自然なほどに信頼を稼いでいるこの存在ではないのかと。

 

 悪役は、きっと悪役でしかなくて。それでも自分の中にいる師匠――あるいは主人公は。

 

 精いっぱいの皮肉をこめてカガリは振り返り、笑みを形作る。それは閉ざされた室内に届かない星あかりによく似合う、晴れやかなものだった。

 

 

「ねえ、この物語(ブルーアーカイブ)先生(主人公)さん。どうなるかは分かりませんけど、まあ、今回のこれもなんとかしてください。誰も傷つけない(・・・・・・・)ようにして、なんとか。お願いしますね」

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