篝火の消えぬキヴォトスより   作:ぞんぞりもす

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数年更新されていなかったモモトーク

 言いたいことを言ってさっさと退室しようとしたカガリが、ドアノブに手をかけて立ち止まる。

 

 

「そうだ、先生。ヒナとセナによろしくお伝えください。必ずまた会おうって。また一緒にご飯を食べようって」

「話さなくてもいいの?」

「だって、話したら恋しくなっちゃうじゃないですか」

 

 

 やることが終わればまた会えるのだから、それまでは互いのやるべきことを。生きることを前提にした成功を。今度は間違わない。カガリは気負って、それでも笑みを浮かべていた。

 

 話すべきことは話し終えた。そしてカガリは先生との雑談を好まない。了承の意を伝え、柔らかく口角を上げた先生がソファから立ち上がる。

 

 

「今日はもうゆっくり休んだほうがいいね」そして言い淀む。「……明日は朝が早いんだろう?」

「まあ」と返事したカガリの笑みは頼りない。

 

 

 未明に二人で(・・・)便利屋へと向かうのだ、とカヨコとカガリは話していた。

 先生は時計に目をやる。今からシャワーなどを済ませることを考えると、一時間休めるかどうかだ。

 

 

「もう少しシャーレにいてもいいんだよ?」

「いえ、明日――っていうかもう今日ですね――は他の人が当番じゃないですか。もしも僕たちが見つかって、先生がどちらの側につくか立場を表明しなくちゃいけなくなったとき、どうするんです? 僕は八方塞がりです。で、先生まで袋のネズミになってどうするんですか。行き止まりにチーズなんてありませんよ」

「だからといって、しょいこみ過ぎだよ」

 

 

 適当な笑いを返したカガリがドアを開ける。

 

 

「それでは」

「ひどく疲れているように見えるよ。今のカガリには生気がない」

「生きる気はあります。それともなんです? クマがひどい僕はかわいくない(・・・・・・)ですか?」

「……いいや。疲れていてもかわいいよ」

 

 

 先生は首を振る。カガリが廊下へと足を運ぶ。

 

 

「夜遅くまでありがとう。いい夢を見られるといいね」

 

 

 カガリは片手を上げて去っていった。多少は警戒心を解くことができただろうか、と先生は自問した。

 

 

 オフィスに一人きりになってから、先生はまだ仕事を続けていた。

 

 カガリと話していた時点ではなんとかしなければならないという使命感に駆られていたのだが、今となっては、ほんの少しだけ、もしかして面倒事を押しつけられたのではないかと疑いたくなっていた。

 先生としてあってはならない感情を抱いたことを自覚して、深いため息をつくと同時に、どうしてそんなことを思ったのだろうと疑問に思う。

 

 

『お疲れですね、先生』

 

 

「まあね」タブレットから聞こえてくるアロナの声に苦笑を返す。珍しく彼女が起きているようで、そんな姿を見たら自分が頑張らないわけにはいかないな、と思う。

 

 

 カガリの力がどの程度かも、現状をどのくらい深刻に捉えているのかも、内心のすり減り具合も分からない。彼女は徹底的に自分を隠そうとしている。情報の共有ができるくらいには懐に入れてもらえているが、それだけでは彼女が壊れてしまいそうで不安だ。かといって、自分がカガリのとなりに立つ未来は今のところ思い描けない。

 

「八方塞がりか」先生はテーブルのコーヒーに視線を落とす。カガリが口をつけなかったコーヒーだ。もしもこれがゴルコンダから渡されたものであれば――そう考えたところで、かぶりを振った。

 

 

「メタフィクション的……」先生自身はそんなことはないと思っているし、今までの経験を信じれば、この世界を覆っているルールのようなものが剥がれた時の記録は残りづらいということだろう。

 だとしても、カガリにその説明をするわけにはいかない。疲労の蓄積した頭がふわふわとした思考の環状線を形成していた。

 

 

『休んではいかがですか? 疲れているときに無理に考えようとしても、いい案は浮かびません』

「そうなんだけど……今から休んでしまったら二人を見送れないだろう?」

 

 

 心配そうな表情のアロナに「二人を送ったら必ず休むよ。幸い今日は外出しなくてもいい仕事ばかりだからね」と笑いかける。

 

 

「それよりも先に、カガリになんて説明するかを考えたほうがいい気がするよ」

『神話……たとえば、神様が大陸を五等分にして、などはいかがでしょう』

「信じる信じない以前に、カガリから相手にもされなさそうだ」

『……そんな気がします』

「これは私の出身地の理論なんだけど」

 

 

 すっかり冷えてしまったコーヒーを口に運ぶ。頭の霧が晴れていく。

 

 

「カガリの意見って総括すれば、この世界はあまりにも私たちにとって都合がよすぎるって話だっただろう? これって、当たり前の話なんだ」

 

 

『当たり前』アロナが小首をかしげる。

 先生は目を閉じて青い惑星を脳裏に描く。

 

 

「そう。まるで数十億の中で一つしか生まれないような確率の都合のよさって言えばいいのかな? 私のいた場所は、それくらい人類に都合がよくできているんだ。

 そして宇宙の中には数十億の惑星がある。その中でたまたま私のいた星が、生命が誕生できるくらい、生命にとって都合がよかったって説なんだ。惑星ガチャSSRだったからたまたま生き延びることができて、進化できたってところかな。

 

 この世界には宇宙と呼ばれるものが複数あり、加速度的に大きくなっていく宇宙の中に、新しい宇宙が生まれていると考えられているんだって。

 マトリョーシカみたいなものかな。大きなマトリョーシカの中に二つとか三つの宇宙が広がっていて、その中にさらに別の宇宙が広がっていて……って感じでね。たまたまその中の一つに、たまたま私たちは、たまたま生まれたんだ。

 そう説明すればカガリも納得するんじゃないかな。都合がいいのは当然のことなんだよって」

 

 

 笑いかけた先生。力強く頷いたアロナ。

 カガリにはいつか説明しようと先生は決める。目下の問題は、フランシスがどこにいるのか分からないことだ。アロナとプラナに捜索を依頼して先生は居住区へ向かう。

 空が白むにはまだ早い時間だが、夜明けはずいぶんと近づいてきていたからだった。

 

 

 

 

 カガリがイブキを横抱きにして運んでいる。カヨコがイブキの荷物を持ってとなりを歩く。女子の体に触れるのは避けたいが、かといって同年代の女子に、より重いほうを持ってもらうことも変な気分になるというカガリの瀬戸際の判断をカヨコが察することはなかった。

 静かな調子で、安堵を滲ませたカヨコがカガリを見上げ――すぐさま先の見えない正面の通りを見据える。

 

 

「見つからなくてよかった」

「本当にね。この状態で戦闘はしたくない」

 

 

「もうすぐだよ」笑みを浮かべたカヨコが顎で事務所を示す。カガリは便利屋の事務所を訪れた事自体はなかった。

 

 

「へえ~、意外としっかりした外観なんだね。高校生でこれを借りれるって相当すごくない?」

「毎月の家賃が大変だよ」

「あ、そういう……」

 

 

 肩をすくめるカヨコに苦笑を返し、二人は無事に事務所までたどり着いた。

 

 扉を開けてすぐの部屋は、雑多なもので埋まる応接間だった。品のいい調度品が並ぶ食器棚が部屋の奥部に鎮座し、光を反射する床が清潔感を与えている。仕切りのカーテンの奥には小さなキッチンが広がっているようだった。革張りのソファや光沢のある机の中に、『一日一悪』と書かれた掛け物や女子高生らしい私物が置かれていた。

 部屋の香りは爽やかというよりも、女子の私室のように、経年の生活感が放つ渋みと甘みがまざっていた。

 そこはまさしく女子高生と企業とが入り乱れた事務所だった。ドア先で立ち止まるカガリにカヨコが声をかける。

 

 

「イブキは奥の部屋に寝かせなよ。ベッドがあるから」

 

 

 カヨコはそれだけを言って手を洗い始めた。

 

 カガリは事務所から入ってくる明かりを頼りにして、隣室にイブキを寝かせる。寝顔は安らかだ。カガリはそれを無感動に見下ろす。

 

 

 奇妙だった。

 

 

 二人はイブキを起こすつもりがなかった。勝手に起きてきたイブキは置いていかれることを聞いて、買ったばかりのアイスを落としてしまった子どものように立ちすくんで、やがて現実を拒むように首を横に振った。

 そして移動する最中に電池が切れてしまったロボットみたいにくたっと倒れてしまい、今に至る。

 

 先生はともかくとして、イブキの言動も面倒くさいがまあ割り切るとして、カヨコがイブキの同行を許したことが意外だった。てっきり二対二の平行線に持ちこめるとカガリは思っていたからだ。

 

 訳の分からない理念から生まれている一つひとつの行動に対してなんて、理解が及ぶはずもない。信じたい気持ちと疑うべきだという気持ちが拮抗している。しかし疑いたくても、誰をどんなふうに疑えばいいのか分からない。吹雪の中を歩くみたいに不透明だ。

 

 

 頭をかいて、その拍子に小さくなった角に触れた。さわり心地が艷やかだった。本来であれば、昨日は角の手入れをしてもらう日だった。それを思うと自然とまぶたが下がった。

 

 

 どこかで間違えたのだろう。

 あるいは最初から間違っていたのだろう。

 正誤の分岐点がどこだったのか、カガリには分からない。

 

 

 ヒナの様子を見た限りでは、彼女もまた戸惑っていて。しかし、他の風紀委員はカガリを排除すべき対象として見ている。

 

 本人が抱いている感情を増幅させる――そこまでを考えてカガリは頭を振った。前世で孤立した経験を活かして、少なくとも嫌われないような立ち回りは意識してきた。小学、中学と続けていたが、もしかしたら風紀委員という力が必要な組織に所属したことで悪いところ――際限なく「もっと」と走ろうとする性格――が出たのかもしれない。

 思い当たった汚点らしきものに、天井を仰いだ。

 

 

「何かあった? 全然戻ってこないじゃん」

 

 

 ひょこりと顔をのぞかせたカヨコが数歩分部屋に入ってきて、イブキを見下ろす。

 

 

「穏やかな寝顔だね」

「状況が分かっていないみたいだよ」

それはない(・・・・・)と思うけどなぁ……」

 

 

 しみじみと呟いたカヨコは踵を返す。「ひとまず戻ろう、起こしちゃうとよくないし」

「だね」カガリも頷いてその後を追った。

 

 

 事務所のソファに腰を落ち着けたカガリにガラスのコップが差し出される。

「ごめんね、水しか出せなくて」カヨコはそう言ってカガリの斜向かいに座った。そのあと何かを思い出したような表情になって、銃を置き場に持っていった。丁寧な手付きだった。

 

 カガリはガラスのコップを両手で包んで、口に運ぶことなく黙っている。踵を床から離したり、床に着けたりしているので、膝が上下に動いた。

 その動作を見かねてカヨコが口を開く。

 

 

「先生とは……うんと、なんて聞けばいいかな。ちゃんと話せた?」

「それはさすがにね。同じ言語なんだから」

 

 

 苦笑したカガリが話を引き継ぐ。

 

 

「先生も原因は分かっているみたいだよ。ヒナとセナから頼まれたらしくて、なんとかするって言ってた」

「そっか。それならよかった」

 

 

 カヨコがほほえむ。つられてカガリもほほえんだ。

 やがて訪れた沈黙は、鉄の帳みたいに冷たくて重かった。カガリの頭に浮かんだ疑問のせいだった。

 

 便利屋は味方と言っていたけれど、それは、写真が効いた上で味方なのか、それとも、そもそもとして効いていないのか。

 孤独な冬の夜のような鋭利な視線がカヨコに向けられる。

 カヨコはそれを受けてもたじろがない。笑みを浮かべる余裕すらあった。

 

 

「鏡みたほうがいいよ」

「美人の真顔は怖いって言うよね」

「真顔って言うより睨んでたけど」

 

 

 カガリは近くの鏡に行って顔を思いきり揉み始めた。カヨコはその様子を眺めてメンタルは大丈夫そうだと水を飲む。

 カヨコもカガリ自身も、女の子を強調する言動が増えたことに気づいていなかった。実際には自分が女子であることを自覚して傷つく余裕がないほどに追いこまれているのに。

 

 ソファに戻ったカガリが状況の確認をしようとする。

 

 

「メールは届いた?」

「うん」

「実物を見せてもらってもいい? 僕自身のスマホにそれが届いたわけではないし、先生との話でも、お互いに何があったかは知ってるよねみたいな空気感で進んだから……」

 

 

 実際にはカガリの演説大会だったのだが、それは話さない。

 カヨコは首を振って「それはあまりしたくないかな」と言った。

 

 

「原因は分かっているんでしょ? だったら、わざわざ見なくてもいいんじゃない? 私もあまりあれを何度も見たくないし」

 

 

「それは――」カガリは喉まで出かかった言葉をむりやり押しとどめる。言葉に物理みたいな慣性が乗って、カガリは前のめりになった。

 カヨコは穏やかに笑って答える。

 

 

腹が立つ(・・・・)から、あまり見たいものじゃないかな」

 

 

 ソファに身を沈めたカガリは、しばらくしてから水を一息で全て飲み「信じます」と言った。カヨコは腹が立つ対象物を指定しなかったから、二択の自分ではないほうであってほしいと願いをこめて。

 

 

 数日は、追われていることを忘れることができる日々だった。発生した問題の中で最も大きなものはブラジャーについての問題で、もはやそれだけで平和の度合いは測ることができる。

 カガリは「ショーツはコンビニのものでいいしブラはつけない」と言ったが、カヨコがそれを「駄目だ」と言い、口論とまではいかずとも険悪なムードになった。

 イブキの助力により最終的にはカガリが折れることになり、しかし今度はサイズを言いたがらない。渋々答えた値は、アンダーはカヨコと同じで、トップはカガリの数値のほうが少しだけ大きいというものだった。カヨコが何気なくその内容を口にし、聞いたカガリが唇を引きつらせる。

 カガリはその日一日中、どこか申し訳なさそうにしていた。

 

 

 カガリは便利屋にいる間も神経を張りつめようとしていた。

 しかし五人それぞれの性格や、先生から五人が「よろしく頼む」と伝えられていたこともあって、カガリは心身が欲している深い睡眠を取れるほどまで回復していた。

 性に抵触する言動を繰り返していたことを思い出して自己嫌悪に陥るくらいには、事務所で生活しているうちに自分の心を見つめ返せる余裕が生まれている。

 

 

 夕方のことだった。事務所の掃除をしていたカガリに、ゴルコンダのスマホが着信を知らせる。『大丈夫?』と連絡してきた先生に「病んで発狂して虎になることはなさそうです」と返し、カガリは現在時刻を確認。そろそろ夕食を作り始めたほうがいい時間になっていた。

 イブキのお絵描きを見ていたカヨコに声をかけ、カガリはささっとエプロンを身につけた。「縦結びになってるよ」とカヨコから結び直された。

 

 初日をカップ麺一つで済ませたことを除いて、便利屋での生活は快適だった。匿名で――カヨコは風紀委員長からだと断言したが――食料や消毒液を始めとした日用品が事務所に届いたからだった。

 

 

「料理できるんだ?」

 

 

 これはヒナからの物資が届いた日に、食材を見ながら献立を考えるカガリを見たカヨコの第一声である。

 

 

「一応ね。数年前までは真面目にやってたから、なんとかなるはず」

「なんか、合ってない」

「合ってないって何? イメージの問題?」

「そう。カガリってそそっかしいから、なんか、そのうち手とか切りそうで」

「切りません~! こう見えてヒナより上手だったし!」

「ちょっと、声大きいよ。音がもれちゃう」

「なんで僕が悪いみたいになってるの?」

 

 

 このやり取りを契機として、カガリは数年ぶりに、毎日包丁を握っている。狭いキッチンに二人は連日立っている。こうした二人きりの時間に情報交換をするのが日課のようになっていた。今日は豚汁を作る過程でそれがおこなわれた。

 

 くしゃくしゃにしたアルミホイルでゴボウの泥を落としているカガリに、カヨコはそっと身を寄せて囁く。

 

 

「ゲヘナの風紀委員と諜報部は今のところ情報を掴めてないって」

 

 

 カヨコから逃れるようにカガリの足が動いたが、キッチンが狭いために動けずに終わる。カヨコは豚バラ肉に塩コショウを振って下味をつけながら続けた。二人とも視線はそれぞれの調理に向いていた。

 

 

「あと、マコトが爆発しそうみたい。風紀委員長を主体に止めようとはしているみたいなんだけど、まぁ、火に油を注ぐ結果になってるみたいで。そのうち懸賞金がかけられるんじゃないかっていうのが私の見立てかな」

「賞金首か~。値段がそのまま物の価値だ、なんて思う時代は終わったんだけどなあ……」

 

 

 水洗いを終えたカガリは、ゴボウを皮付きのまま薄く斜め切りにし始める。カヨコは大きい豚バラ肉を半分にちぎっていく。

 

 その中でカガリが調理の手を止めて低い天井を見上げる。大きく嘆息した。「僕とイブキが外に出てないからばれてないんだよね、たぶん」

 くすりと笑みをこぼし、カヨコはガスコンロを点火させた。大きめのフライパンが熱されるのを待ってごま油を入れる。

 

 

「まぁね。隠密裏に移動したのがここにきて活きている感じかな。それにここは電気代の都合で監視カメラがついてないし、ハッキングされる心配もない。生活のしやすさと隠密性とが程よく兼ねられているから、いい隠れ家になっていると思うよ」

 

 

 カヨコがゴボウを受け取って炒める。キッチンに香ばしさが充満し始める。適度に色がついたら肉を入れる。

 カガリはその間に人参と大根をイチョウ(・・・・)の形に切っていった。脳裏をよぎる問答は、機械的な素早い動作によって外に追い出した。

 

 カヨコが菜箸を動かす手を止めた。フライパンを小刻みに揺らす手は止めない。カガリから何度か注意されていたことだからだった。

 

 

「でもいずれ私たちの買い物の頻度とか、風紀委員長の動向とかを訝しんだ連中に感づかれると思う。先生がその前に解決してくれるのが一番いいんだけど、一応いつでも出られるように準備だけはしておいて」

「そんなに周りの人のことなんて見てるものなのかな」

「案外見られてるよ。カガリはそういうの、気にしないから気づきにくいのかもしれないけど」

「ふーん」

 

 

 切り終えた野菜を炒めようとするカヨコに、カガリが待ったをかける。「もうちょっと肉に焦げ目がついてからのほうがおいしくなるよ。適度な焦げ目な食材のこおばしさを引き出すからさ」

 野菜をバットに移したカガリが、今度はこんにゃくをスプーンでちぎっていく。

 

 

「あと、豚ひき、鶏ももがあったから、それはマーボー豆腐とか唐揚げにしようかなーって考えてたから、一応は覚えておいてもらえると助かるかな。野菜は煮込めばだいたいおいしくなるし、あんまり考えないとして……さいあく鍋にぶち込んでしまえば食材って全部平和になるし」

「平和になるって言い方……でもまぁ、分かるけど。なんだか私たちの舌が手料理に慣れないうちに解決してほしいかも」

 

 

 カヨコが苦笑する。

 料理をしているときのカガリは口数が多く、楽しげだった。それを眺めるのがカヨコは好きだったが、それはそれとして、カガリの手料理に胃袋が懐柔されてインスタント食品では物足りなくなるという事態になりそうなところが問題だった。

 カガリに確認を取って野菜も炒め始める。カヨコからため息がもれる。

 

 

「あと高いお肉ばっかりなもの問題。豚こまとか、鶏むね……は最近高くなってるけど、そういうもののレシピが知れたほうがみんなの役に立つだろうし」

「あ~……そういう肉のレシピ(、、、)モモトークに集めてた時期あるし、よかったらグループに招待しようか?」

 

 

 鶏むねのグラム数を注視しながら、ヒナも「最近の鶏むねは高い」と言っていたのを思い出す。

 買い物は一緒に行っているがカガリは荷物持ちだし、財布を預けているしで、昔ほど物価に詳しくない。人に甘えているのか信頼しているのか分からない。もうちょっと話したほうがいいのかもしれないな、と思った。

 

 フライパンを動かす物音がしなくなっていることに気がついてカガリがカヨコを見る。

 カヨコは目を丸くしてカガリを見上げていた。

 

 

「え……なに?」

「そんなふうにカガリから誘ってくるのって珍しいから、少し、驚いて」

「僕いつも誘ってるくない? 食事とか」

「それは、そうだけど。でも情報交換とかの理由ありきでだよ。何もない状態で……あー、実利的な理由なくって言えばいいのかな。とにかく、何もなく誘ってくれるのは珍しいよ」

 

 

 ややあって「そうかも」とカガリが頷いた。

 これはカガリの角が短くなってからの変化だった。カヨコは最初気のせいだと思っていたが、一緒にいる時間が長くなるにつれてそれは確信に近づいていき、言葉となった。カヨコにとって嬉しい変化だった。

 それをもたらすことはできなかったけれど、カガリに変化を自覚させることができて嬉しかった。小さなことに気づける友人は貴重だと、二人は過去に話していたことがあったからだ。

 

 

「ところでこんにゃくっていつ入れるの?」

「あ」

 

 

 カガリがばたばたとこんにゃくをぬるま湯にくぐらせて、フライパンの中に投入する。

 

 カヨコは後入れの食材に軽くごま油をまとわせたら、水と調味料を入れる。

 カガリは長ネギを斜めに切って、ニンニクや生姜をすりおろして、最後にいれる調味料の準備を済ませた。ついでに洗い物も済ませてしまう。

 

 二○分ほど煮込んでいる間に、味噌とお肉の匂いにつられて、四人が入れ代わり立ち代わりキッチンの様子を見に来る。話し相手をカヨコに任せながらカガリはのんびりと雑事を済ませた。

 

 

 豚汁が出来上がって、カヨコが事務所にフライパンを持っていっているうちに、何かもう一品と思っていたカガリが手早くだし巻き卵を作り始める。

 戻ってきたカヨコが意外そうにしたあと、呟く。

 

 

「毎日これくらいしっかりした食事が取れればいいんだけど、懐事情がなぁ……」

「こんにゃく、厚揚げ豆腐、竹輪あたりはわりと安くて調理もしやすくておすすめだよ。お肉に負けないくらいおいしくなれる」

「野菜はやっぱり旬のものを買って少しでも安く済ませられるようにしたほうがいい?」

「そうだねー……最近だと旬って概念がけっこう曖昧だけど、大事なことだね。いろいろとレシピはストックしてあるし、あとで他のモモトークのグループに招待しようか」

 

 

 これはヒナに教えていない、カガリ一人だけが入っているグループだった。ヒナにレシピを秘密にしたいなどではなく、高校に上がってからというもの二人で料理の話をすることがほとんどなくなったためだ。

 そんなことは起こり得ないと思っているが、もしも今ヒナが料理のレシピに困っているようであれば、カガリは特に考えることもなく招待した。これはカガリが個人主義を控えるようにと言われたために起こった、親しい人をさらに懐に入れようとする変化だった。

 

 

 グループの招待を済ませ、六人で食卓を囲み、洗い物をする。

 一人が料理している傍らでのんびりと会話したり、二人で料理するのもいいな、なんてカガリは思う。同棲当初は手伝っていたけれど、射撃訓練に行ったり勉強したり風紀委員の業務があったりで段々とできなくなっていった。

 同じ空の下にいるはずの相手を思うと、自然とあたたかな吐息がもれる。その息は、今日みんなで囲んで食べた豚汁と同じくらい、もしくはその賑やかな空気感と同じくらい、ほっこりと心に寄り添ってくれる熱を帯びていた。

 

 

 そんな日常が破られるのは、やはりいつだって突然で。

 銃声が響き渡った便利屋をあとにして、三人は闇夜を駆けることになった。カヨコを除いた便利屋の三人は「これが悪だ」とでも言いたげにカガリたちを見送ってくれて。それはどこからどう見ても、信念を貫こうとする正義だった。






※一箇所、傍点ではなく読点をルビとして振っています。レシピモモトークって連続してカタカナが並んでいたため、推敲していた自分が混乱してしまったためです。
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